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徹底討論「ジャーナリズムの復興をめざして」
【討論(前半)】(2)

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外岡秀俊氏

●9.11以降のメディアの危機

 外岡 今うかがった中で、これは日本とアメリカの違いというのもあると思うんですが、例えば今回のイラク戦争を通じて、私はその間ロンドンにいたものですから、ヨーロッパから見ていたんですが、やはりアメリカのメディアも相当おかしくなっていた。特にニューヨーク・タイムズの大量破壊兵器については、その存在が相当濃厚だというトーンの記事を打ってきたと思うんですね。アメリカのメディアが、この2003年春から1年ぐらい、どれほど機能していたのか、私はかなり怪しかったと思うんです。特にそれは01年の9.11以降、アメリカのメディアの衰退、弱体化、そして、権力に対する監視機能の低下というのは、目を覆うほどのものがあったと思います。

 だからといって、日本のメディアはそれに比べてどうということではなくて、これは日本のシステム、アメリカのシステムの違いではなくて、この間、やっぱり我々は非常に大きな危機、メディアそのものがその機能を失って、しかも、信頼性をなくすという非常にあやういところに来てるんだなと思います。

 先ほどおっしゃったシラミ論なんですが、私も権力に接近しない限り情報はとれない、しかし、それは距離を置かないとメディアとしての機能を果たせない、そのせめぎ合いの中に日々我々は置かれて、その中で仕事をしているんだと思います。

 BBCの例なんですが、BBCに対しては、第二次大戦中のチャーチル、そして、フォークランド紛争中のサッチャー首相が、いずれも大変な不快感を感じて、もう獅子身中の虫のように毛嫌いしてたわけですね。

 しかし、そのBBCが、例えば第二次大戦中に報道していた内容をドイツの敵軍の兵士が聞いていて、あるいは、家族がその報道を聞いて唯一の頼りにしていた。それで、戦争が終わってから、BBCにはドイツからの感謝状が、感謝の手紙がたくさん来たと言われていますが、そういう役割がメディアなんだということを、少なくとも公共財としてのメディアということについての意識というか、それは働く側にも権力の側にも、やはり我々の目であり耳でありセンサーであるという、そういう感覚というのが教育されているとは思うんですね。

 ですから、我々はもちろんシラミであり、シラミというのは、血を吸うけれども、かゆい目に遭わせるという意味では、権力にとっては不快な存在かもしれない。そのぎりぎりのところでやっぱり仕事をしてるし、してなくちゃいけないんだなと思いました。

 それから、個人としての資質ではなくて、総合力、組織としての総合力ということをご指摘なさったかと思うんですが、特に去年1年間を通じて朝日にはいろんなことがあったわけです。朝日には今、大体2500人ぐらいの記者が働いています。東京管内だけでも1500人いるわけですが、私は個人個人としての記者、一人ひとりはきっと志という点では以前と変わることがなかったと思うんですが、やはりその力を束ねる何かが欠けていた、あるいは、その力を引き出せない何かがあったんだなと今思っています。

 ですから、一人ひとりの力を最大限どこまで引き出すことができるのか、それが全体としての情報力、情報を集める力、それから、分析する力にどれだけ高められるのかということに、やっぱり全力を注ぎたいと思っています。

 今、申し上げたように、この間の、例えばアメリカのジャーナリズム、立花さんがごらんになっていて、イラク戦争についての報道はいかがだったと思われますか。

 立花 イラク戦争以前に、やっぱり9.11の前後でアメリカのメディアの論調というか、それが一挙に変わりますよね。もう本当にびっくりするほど変わるわけで、あの時期に、何かあの時期を見ながら、僕はやっぱり戦争というものが起きた時の一国の国民全体のマインドがどれほど変わるかというのを、非常に衝撃的に見守った印象を受けました。というのは、実は、あのころ「天皇と東大」(文藝春秋2005年)の最後のころをずっと書いていまして、日本がまさに戦争に巻き込まれていくあの時代をもうちょっとちゃんと見るためにと思って、あの時代といいますか、特に日中戦争が始まってからの新聞を毎日めくり始めたんです、縮刷版でね。

 それで、これを見た時に、初めて、今まで歴史としてあの時代を知ってたつもりになっていた自分が、全然違ったというか、新聞を見ると本当にデー・ツー・デーの変化が、だから、紙面で伝えることが必ずしも正しくないわけですよ。そういうことも含めて、とにかく戦争が始まった途端に、何か熱気のような空気が社会全体を覆って、変わってくるわけですね。実は、満州事変のころまでさかのぼればよかったんですが、それはやってないんです。やってなくて、日中戦争の開始のころから45年まで、全部見てたわけですね。

 そうすると、本当にあの戦争に対して、日本のメディアが果たした役割というか、それがどれほど大きかったか。さらに、メディアを管理する体制が完全にでき上がっていく、その過程がどれほど大きかったかというのが如実にわかって、これは怖いと思いましたね、本当に怖いと思いましたね。

 だから、それとほとんど同じような変化が、この数年の日本で、何か次々に起きてるような気がするわけです。

 ただ、それに対して、どのレベルでどういうふうに抵抗すれば何ができるかという、それはものすごく難しい。日々の判断ですからそれは難しいし、それ以上に、既に例えば朝日新聞に対するバッシングみたいなものもすごくあるわけですね、いろんなサブジェクトについて。ああいうバッシングに日夜さらされてると、おそらく朝日新聞の人も相当何かヘジテートする面というのが僕は多分あるに違いないと思っているんですよ。

 そのあたりは社内でどういう感じなんですか。朝日バッシングって、結構あるでしょう。

 外岡 ありますね。まあ、打たれ強いというか、やっぱりこの1年を通じて、たたかれても仕方ないと。我々はやっぱり去年は、私は海外にいたわけですけれども、そのたたかれるに足るような何かふがいなさというのがあったんですね。

 今は、たたかれても、ある意味では自分では申し開きができるというか、そういうつもりでやっていますし、多分、仲間にもそういう人が増えているんじゃないかと思います。

 戦争中の話をおっしゃったので、私も申し上げたいなと思うんですが、朝日が特にバッシングを受けている理由の一つに、戦争責任の問題があると思うんです。1941年から45年にかけて、朝日が毎日新聞の部数を抜くということがあったんですね。確かに、あの過去のいろんな新聞を見ていると、朝日が戦争遂行について、やはりそれなりに責任を負ってたんだということを改めて強く感じたんですね。

 31年から次第に論調が変わり、そして、戦時中、ああいう形で戦争をあおった歴史というのは、やっぱり動かせないわけで、少なくとも我々はそこから目をそらしちゃいけないと思うんです。

 そこから目をそらさないということが、多分、我々にとっての一つの足場というか、少なくともそれはわかっている新聞のつもりだというところで、自分たちの根拠地というか、そういう世論誘導とか、あるいは、自分たちが中心になってあおるというようなことは二度とすまいということを、我々の原点にしたいと思っています。

 ですから、それだけの責任があった新聞ですし、今、もうそういうことのないようにしなくてはいけないという、最も大きな理由を抱えている新聞でもあると思います。

 村松 ちょっと違った角度から問題提起をしたいんですが、冒頭の立花さんのお話にありました「第4権力」。ところが、日本の歴史というのは、第4権力を、我々みずからがつくり出した歴史じゃないわけですね。

 そういう意味でいうと、日本に本当にジャーナリズム精神というのはあったのか。現代の日本においても、ジャーナリズム精神といいましょうか、そういう価値が本当にあるのかどうか、かなり脆弱じゃないかと思うんですが。当然のことながら、国民のほうがもしそうだとすれば、我々メディアだけが、これがジャーナリズム精神だという旗を掲げても、すべって転んでしまうかもしれない。つまり私たちは、そういう悩みもあるわけですね。

 例えば靖国神社に総理大臣が参拝すべきかどうか、これは世論調査をやれば容認の数字がかなり出るわけですね。そのことについての議論は、今、朝日新聞紙上で大いにやっていると思いますし、賛否両論を掲げていますよね。しかし国民のほうはどうなのか。一昔前であれば、多分、今のような数字ではなかったと思うんですね。

 こういう社会の変化、国民の意識の変化というものと、ジャーナリズムの役割というのは、ジャーナリズムのほうからすればどのようにつめを立てていく、また、国民の側からすれば、こういうところをわからせてもらいたい、そこの接点のようなものをどう考えたらよろしいんでしょうか。

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立花隆氏

●論説と編集は独立が原則

 立花 靖国問題について言えば、それは日々のニュースギャザリングと起きている事象を伝えるという、メディアのそういう側面が果たす場面よりは、今、相当場面が変わってきている。これはきょうの朝日新聞(2006年7月31日朝刊=注1)の「風考計」の若宮啓文(朝日新聞論説主幹)さんがお書きになった「靖国とA級戦犯」という記事なんですが、これ、ずっと読みまして、僕は、ここ(5段)まではものすごくいい、ほとんどそのとおりだと思うんですね。一番下の段が、これはちょっと足りない。天皇にも首相にもそれぞれの思いがあってよいと、それで、天皇はこれこれこういうものであるからこうである、それから、こちらのほうに首相はこうであるみたいな話が出てくるわけです。

 ここで僕は非常に重要なことが幾つか抜けていると思うんですね。天皇は憲法上、国民の統合のシンボルであるとちゃんと書かれているわけですね。まさにそのような存在であるわけです。それじゃあ、首相というのは何なんだ、国家にとってどういう関係に立つ人間なんだ。それはやっぱりシンボルであるわけですね。

 どういう意味のシンボルかというと、天皇が国家のシンボルという時に、シンボリスティックなシンボルなんです。それで、首相が何かというと、もっとリアルなシンボルなんですね。まさに国家のシンボルとして代表していろんな行為をやるわけですね。

 だから、天皇がこういう統合の象徴であるからこうでなければならないという時に、首相はそれ以上のこういう意味でのリアルなシンボルなんだから、本当はこうでなければならないという、そこがここにつながるべきなんですが、そこのところがちょっと弱いと思うわけですね。

 結局この後ろのほうに行くと、何か最後のこういう、論説というのはそこが大体難しいんですが、文末のところ、ここが徐々に、非常に緊張したいい文章から、徐々に何か弱くなって、腰がだんだん砕けてくというか、何とかの「方がよい」とか、「ではないだろうか」となる。この前の方はもうちょっとストレートに、ぱっぱっと、いいテンポで来るのが、何かそういうふうに言っちゃう。こういうところは微妙に、あと半歩ぐらい踏み出すと、もうちょっといい表現になるんじゃないか。そのあたりが僕なんかはちょっと物足りない。論点が少し欠けてるし、やっぱりそこをやらなきゃいけないんじゃないか。

これは非常にいい表現というのは、「『天皇の政治利用』どころか、政治の務めというものだ」という、これは要するに新しい追悼施設をつくるべきだという、これなんかはもうまさに見事な表現と言うほかないんですが。

 そういうところがあって、今はもうまさにこういう面では、現に起きている現象を伝えるという役割じゃなくて、論を立てるという、論を立てて、向こうの論とどういうふうに拮抗するかという、そういう場面だろうと思います。これは外岡さんの言ってるのとはちょっと違う話になりますが、やっぱり新聞の総合力が一番出るべきところは日々のニュースギャザリングで、そのニュースを出していく部門と、このエディトリアルの部分とのバランスといいますかね。

 これはお互いに独立の関係に立つというのが基本システムとしては大事なんでしょうが、そうであってもやっぱり微妙に何かがあると思うんですが、それは組織的に、現実的には両者はどういう関係に立ってやっているんですか。

 外岡 実際に論説と編集というのは分離しているというのが原則になっていまして、例えば、ニューヨーク・タイムズなんかでは、お互いにほとんど日々交流もないわけですよね。

 それで、出てきた記事をもとに、論説が自分たちの主張を書くという関係になっていますが、日本の新聞って、私はほかの新聞の例はあまりよく知りませんが、朝日の場合、その点はかなり侃々諤々の議論をお互いにやり合っています。もちろん、社説に対して、論説の意見が違っていたことも多くて、例えばアフガニスタンを空爆した時もそうなんですが、そういう時は私は論説委員の方を、知り合いを呼び出して、一対一で議論を吹っ掛けて、それはやっぱりおかしいと思う、というようなことを言ったりすることはよくあるわけです。

 我々は、じゃあ、社説に縛られて日々取材をしているかというと、そんなことはなくて、社説がおかしいと思っている場合もよくあるわけですね。

 我々がやるべきことというのは、判断の材料になる素材を集めるというのは、これはまず最も重要なことで、我々は賛成であれ反対であれ、とにかく事実は何なのかというのを突き詰めていくという、ギャザリングのところですけれども、そこで勝負をかけているというところが多分違うと思います。

 ただ、我々は社説にそんなに縛られていないし、日々の仕事の中で、おかしいと思えば批判するという関係であると思うんですよ。


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