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徹底討論「ジャーナリズムの復興をめざして」
【討論(前半)】(3)

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会場風景

●週刊文春記事差し止め事件における社説の矛盾

 立花 きょう(基調講演用に)用意してきていて、実はしゃべらなかったことが一つありまして、それはこの僕が書いた「『言論の自由』VS.『●●●』」(文藝春秋2004年)というタイトルの本ですが、これはしばらく前に起きた週刊文春(2004年3月25日号)の記事差し止め事件の進行に合わせて、週刊文春に連続して書いた僕の論説を集めて、かつ、いろんな資料を集めたものです。ここに出てくる話なんですが、実はあの差し止め事件が起きた時に、メジャーな新聞は全部、週刊文春をぶったたく側に立った。

 それで、朝日の社説(04年3月18日付朝刊=注2)もすさまじくぶったたいたんですね。あんなものは守るに値しない言論であるから、これは出版差し止め当然みたいな論調で書いたんですね。それは朝日だけじゃなくて、読売もそうだし、ほかのところもみんなその論調で書いたわけです。

 それで、ほとんど僕が孤立無縁になりながら、それはとんでもない間違いだと、言論の自由の根本はここにあるんだから、そういう主張は全く成り立たないんだということを、本当に法理論そのものの議論からずっと書き続けたわけですね。結局、あれは裁判所の議論が高裁まで行って、差し戻しになるわけです。

 その途端に、朝日新聞は全く違う社説(04年4月1日付朝刊=注3)を書くわけですね。最初の社説は、こんなものはとんでもない記事だからぶっつぶせみたいなことを書いていて、その最後の高裁の判決が出た(04年3月31日)あとは、当然の判決であると(笑)、それで、今までのああいうことをつぶせみたいな議論は全く間違いだみたいなことを書いているわけですね。

 それで、ほぼ高裁の判決は、僕が書いてきたのと同じことをそのまま判決文にしたような感じで、最後の朝日の社説もほとんどそっちへ行くんです。だから、あれは筆者がもちろん全然違うんだろうと思うんですが。

 でも、紙面構成をする上では、世間の耳目を引く何かがあった時に、いろんな人を取材して識者の意見としてそこに並べる、それで、そのバランス感覚。そういうところで、普通の紙面づくりの面でも、エディトリアルの論調と微妙に違う。それはエディトリアルが持っているページと社会面を持っているページが独自の判断で動いていいという原則が多分あって、その判断でやってるんだろうとは思いますが。

 でも、新聞の読者はどうとるかというと、多分同じ社の記事だから、一つの社の社論というか社の体制みたいなものがあるだろうととるんじゃないかと思うんですね。だから、あの最初の朝日の社説の時に、僕は朝日の社内に知ってる人がいますから、何人かに聞くと、社内でも相当いろんな議論が、あの最初の社説に関してはかなり侃々諤々があったと聞いているんですが、そのあたりはどうなんですか。

 外岡 当時の社説面について、私、詳しく経過を知らないので、的確に答えられるかどうかわかりませんけれども、論説にいた時の経験からいうと、毎日、1時間、2時間、きょうの話、話題を選んで、そこで徹底的に討論をするわけですよね。もちろん、賛成の人も反対の人もいて。その日のその議論の結果をだれか1人が書くという形をとっています。

 ですから、社説の筆者は代表筆者であって、我々のこの議論を代表する書き手ということで、個人名も挙げてないわけです。そういう中で、多分、立花さんがご指摘になったような社説が書かれて、高裁になってから、同じ社説でそういうふうに全く違う内容に。

 立花 全く違う内容になりました。今おっしゃったように、だれが書いたかはわかりませんけれども、聞いたら、社内ではあれはだれが書いたというような、そういう話を聞きまして、ああ、なるほど、人が変わるとこうも変わるのかと思ったら、そうじゃなくて、それ以前の段階でやっぱり変わったという、その議論の中でね。

 ただ、基本的にはね…。

 これは言論の自由のものすごく本質的な問題で、そもそもアメリカではその言論の自由に関する議論がものすごく積み上がっているわけですね。それで、その中で幾つかのグローバルに確立した原則みたいなのがあるわけです。

 そこのレベルから考えた時に、あの朝日の最初の社説は、僕はおかしいと思って、そのことをずっと書いたわけです。

 村松 今、その社説の最高責任者の、若宮主幹が最前列におりますので、まとめて。

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若宮論説主幹

●若宮論説主幹の発言

 若宮 どうもこんにちは。

 きょうは気軽に聴衆のつもりで来たら、風向きが変わってきて……。

 今の話、とても重要な話をしていただいて、私自身の反省も含めて、ちょっと正確なことを申し上げます。

 立花さんは私、日ごろ大変尊敬するジャーナリストなんですけれども、今のお話は取材が少し甘いなと思いました。事実は違います。筆者も同じですし、同じ中で議論して結論を出しています。

 それで、最初の社説と2度目の社説が全く違うとおっしゃったんですけれども、それも言い過ぎだろうと思うんですね。ニュアンスが違うと、ニュアンスというか力点の置き方が少し違っただけです。

 文春の発行差し止めというのは確かに異常なことだから、それを許すわけにはいかないということは、最初の社説でも十分に書いてあるんです。

 ただ、あのとりあえずの判決が出たインパクトといいますか、なぜそんなものが出たのかというと、その記事を含めて、あまりにも週刊誌メディアに無責任な、人の名誉を傷つけるようなことがあった。僕らも日ごろ、生ぬるかったり間違えたりすることはあるけれども、しかし、少なくとも僕らは、人の批判を書く時は相当神経を使います。特にプライバシーに踏み込む時は、やっぱり相当注意して書くんですが、メディアの種類が違うせいもあるんだろうけれども、有名人であればプライバシーの問題にどこまでも踏み込んでいいんだというような常識が、いささかまかり通っている感じがないだろうかと。

 これは私自身の経験でもありますが、私も最近打たれ強くなりましたけれども、よくメディア、週刊誌に名前が出て、思ってもないようなことを書かれるわけですね。朝日の論調について批判を書かれるんなら、それは意見が違うということだから我慢できるんですが、何かとんでもないことまで平気で書かれる。だけど、これはもう検証のしようがないわけですね、違いますよと言ったって。というようなことが、あまりにも無責任に書かれる風潮もあると。

 それを許しておくと、メディアの自殺になるんじゃないかという意味で、あの判決には、そういう意味の警鐘を鳴らしたという面があるんじゃないか。それの力点の置き方で、最初の社説は確かに警鐘のほうに少し力点を置いたものだから、あたかも判決の差し止めが、まあ、これを支持するととられるような向きがあった。そこのところで根本的な「出版の自由・表現の自由」の問題を軽視したように受け止められたとすれば、これは残念だなという感じです。社内からもそういう議論はありました。

 それで、2度目の社説を書いた時に、同じ筆者に書いてもらいましたが、そこのところはきちっともう一度、原則のところを確認しようということでした。結論に全く違いはないのだけれど、ただ、立花さんのような方からそういうふうに受け止められたということは、結果としてまずかったなと、これは僕の反省です。

 それから、せっかくなんで、私のきょうのコラムについてのご感想をいただいたので、これはもう個々の受け止め方なんで、反論するようなことではないんだけれども、ただ、こういうこともあるということをご説明します。

 司会の村松さんが言いましたように、いろんな受け止め方がある中で論を張らなければいけない。例えば私なんかもしょっちゅう、靖国のことでは結構きつく書くわけですね。そういう中で、今回、天皇の発言メモを使ってあんまりきつく書くと、まあ、ちょっとどうかな、と。読んでいただければ十分伝わるという時に、これ以上あんまりきつく書くと逆効果にならないかな、ということを考えるわけです。それが朝日バッシングの中での悩みといえば悩みでしょう。朝日という看板をしょってなきゃ、もうちょっときつく書けるのにな……と自分で思うようなことも確かにあるんですけどね。

 すみません、何かご指名がありましたので。

 村松 立花さん、よろしいですか。

●「悪い言論」にも言論の自由

 立花 第1点については、僕は必ずしも了承してないといいますか、自己宣伝しますけど、これ(「『言論の自由』VS.『●●●』」)はものすごくいい本です。言論の自由を論じたいと思う人があったら、これを必ず読まないといけません。言論の自由について知ってることが次々に覆される、その常識が覆されます。

 それで、日本人が基本的に考えている言論の自由の守るべき原則はどこかという、その力点の置き方そのものが、日本人の常識が本当の意味での法的なグローバルスタンダードからずれている。グローバルスタンダードというよりは、むしろアメリカのスタンダードと言ったほうがいいかもしれませんけれども。

 それで、これは僕の本の中で一番売れてない本なんです、実は(笑)。でも、中身は、僕は圧倒的な自信がありまして、こういう世界でものを書いている人からは、圧倒的な支持を得てる本です。

 ですから、本当に言論の自由を語ろうと思ったら、ここの原則を、ここの原則というのは、要するに、一般に流布しているいろんな原則ですね。例えば、今おっしゃった若宮さんの心の中にもちらっとその要素があるんですけれども、要するに、悪い言論は弾圧してもいいとまでは言わないけれども、多少抑圧されてもいいみたいなことが、そういう主張をする人たちの背景にはあるんですね、どこかあるんですね。

 でも、アメリカの最高裁で確立している言論の自由の大原則というのは、悪い言論にも「悪い言論の言論の自由」の原則があって、それをつぶすのは絶対にいけない。その一線を崩すかどうか、そこが言論の自由の大原則だということが完全に確立しているんですね。で、守られている、具体的に守られているんです。

 それが、日本ではもう俗悪な赤新聞の主張そのものみたいなものを、これをきちんと守らなきゃいけないというのが、最高裁の判断として出てるんですね。

 そういう原則が幾つか積み上がる上で、本当にその言論の自由の根本原則みたいなものが、だんだん積み上がって確立されてきたその過程というのを、日本人はほとんど知らないんです。

 それが、この言論の自由がだんだん危うくなっている状況の中で、本当にどこを守るべきかというその原則的な理解が欠けている。これは日本の、一般的な、非常に大きな危機だろうと思うんですね。

 村松 ありがとうございました。

 若宮さん、ありがとうございました。

 ここで、ちょっと10分ほど休憩をしまして、皆さんのお手元に質問票があると思いますが、ご希望の方はそれに書いていただいて、係員に渡してください。討論はまだ入り口ですが、10分ほどお休みします。


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