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徹底討論「ジャーナリズムの復興をめざして」
【討論(後半)】インターネット時代のジャーナリズム(1)

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村松泰雄氏

 司会 では、ただいまより討論の後半に入ります。

 村松さん、どうぞよろしくお願いいたします。

 村松 はい。なかなか白熱したところで中途半端に終わってしまったのですが、これから討論の後半に入りたいと思います。

 ここでは主として立花さんから冒頭、問題提起がございました、新しい、いわばインターネットの時代、あるいは、ブログの時代におけるジャーナリズムのあり方といいましょうか、これは文字どおり、新聞あるいはテレビという伝統的なメディアがどういうふうに行動していったらいいのか、どういうことをするのが社会的役割あるいは公益的な役割を果たすことになるのかというようなことを念頭に置きながら議論を始めたいと思います。

 立花さん、いかがでしょうか。

●インターネットがメディアを変えつつある

 立花 今、僕がものすごく大きな問題というのは、まさにそのインターネットの世界全体がメディアの世界全体を変えようとしているということです。それもおそらく日本の人が感じている以上に、既にアメリカではメディアの世界がものすごく変わって、大変化が起きつつあるわけですね。

 おそらく近未来の日本のメディアの世界は、今アメリカで現に起きている大変化が、それに近い形でどんどん起きる。そういう危機意識を新聞の現場の人が、実はそれほど強烈に持っていないんじゃないかなという印象を持っているんですが、外岡さん、何かその点はどうなんですか。

 外岡 先週、「ウェブが変える」という企画を朝日は掲載(06年7月27〜31日朝刊)したんですが、その中でウィキペディア(誰でも編集可能なオンライン百科事典)であるとかグーグルを取り上げて、今まではコンピューターがつながっていたと、しかし、そのウェブ1.0の状態から進化してウェブ2.0にいってるということが、最近大きな議論になっていますが、確かに私は価値観とか考え方そのものを変える大きな潮流の変化が、今起きていると思うんですよね。

 それは何かというと、例えば権威が消失してしまうと。今まではだれか水先案内人の、例えば世論形成をする人がいたり、あるいは批評家がいた、あるいは、名のある作家が世論のかなり大きなところを決めていた。そういうものがなくなって、例えば全体がこういうふうに思っているとすると、それがもう自動的に出てしまう。頻度が高ければ高いほど、その意見というのが大きくなって、また、アクセスする人が増えていくという、そういう自動的に世論らしいものが形成されてしまうというのが今の時代だと思うんですよ。

 昔の権威と今のインターネット空間とを比較して、例えば、権威の玉の部分と、インターネットの石の部分を比較すると、これは確かに昔のほうがよかったとか、あるいは、責任ある言論ということが言えると思うんですが、しかし、玉も石もあるインターネット全体、空間の集合知みたいなものと個人とを比べてみた場合に、やっぱり圧倒的にネット空間では、情報量なり、行き交っている意見の多様性なりが勝っているということに、皆さんがだんだん気がついてきているという状態だと思うんですよ。これはやっぱりマスメディアそのものが相対的に地盤沈下する一つの大きな背景としてあると思いますね。

 ですから、これはもちろん編集されてない、検証されてない、責任がない、などいろんな意味で、そういう旧来の考え方からすると玉も石もある状態ですけれども、その全体を見てみた場合に、先ほどご指摘の中で立花さんがおっしゃったように、自分が意識的にそこから引き出そうと思えば既にそこには情報がある、というのが今の状況だと思うんですね。

 ですから、それに対しては、いや、そんなこと言っても、インターネットの言動は無責任だとか、あるいは、愚もない意見があるということをあげつらって、それ全体を無視するということはもうできなくなってくるなと私は思います。

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立花隆氏

●インターネットパワーの絶大な影響力

 立花 僕は日経BPというウェブページ(「立花隆のメディア ソシオ-ポリティクス」)で、少なくとも大体週に1回くらい、多い時は週に2回ぐらい書いてまして、それをもうほぼ1年くらいやっているんです。それで自分でもすごく驚いたことは、僕はいろんなメディアをまたにかけて、いろんなことをやってきましたけれども、インターネットを通じてこれほどたくさんの人が僕の書いたものを読むということが起きているというのは全く予想外というか、今、新しくページを書くと、大体50万アクセスぐらいあるんですね。

 50万アクセスというのは、つまり50万人が少なくとも読んでいるわけで、そうすると、週刊誌の今一番の部数がたしか四十何万ですから、週刊誌の部数より多くなっているわけです。そうすると、つまり自分自身が自前のメディアを持ってるみたいな、そういう感じになってくるわけですね。

 それは、僕が書いてるものだからということよりは、むしろもっとたくさんのアクセスを獲得しているウェブ上の筆者たちがいるわけですね。おそらく100万レベルの、書くたびに100万ぐらい人が集まってくるという、そういう筆者がこの世の中にいるわけですね。

 現実にはそういう人というのは社会で孤立しているわけで、だから、インターネットの社会がもたらす変化というのはまだ十分にはその全体像が見えないと思いますけれども、ただ、持っているパワーは普通の人が想像する以上のものがあるわけです。

 そして、そのパワーの一つで、何か特定のグループをつくろうと思うと、インターネットを通じてあるグループができるわけですね。それがそれなりの数、絶対的な数というのは、何十万という単位の数が実は簡単にできちゃう。それで、じゃあ、その何十万という数は社会全体にとってどれほどのものかといえば、一般的にテレビの視聴率の1%という時に、普通100万人と数えるんですね。それで、テレビですごく大衆的な人気があるのは10%以上という数字を楽にとりますけれども、5%とったらものすごく大きな影響力を持つ番組になっちゃうわけです。つまり、500万ということですよね。

 それで、朝日新聞の場合も、その日常的にはそれよりもはるかな部数(2005年4月現在、朝刊約825万部、夕刊約377万部)を出しているけれども、個々のニュース単位、あるいは、エディトリアルの書かれた単位で、それを何人が読んでいるかという具体的なその絶対数を合わせたら、実は相当少ないこともあるわけです。

 そういう意味で、メディアというのはやっぱりそれがどれだけの影響力を持つかということですが、要するに、インターネットでただでアクセスできるようにしても、わざわざクリックしてそこにいくという、それだけの手間をかけてそれを読むという人たちが、そういう単位で出現してくる。すると、これはこれまでの既成のメディアの枠の中だけで、ある言説の影響力がどうのこうのというのと全く異質の世界というものができ上がっていて、それで、そういう中で非常に何か特異な、具体的に内容を言えば、バッシング的なものとか、ものすごい偏見に満ちた議論とか、そういうものが実はものすごい数を突然集めたりするわけですね。

 この社会というのは、インターネットのおかげで、いろんな意味でいい影響もあるけれども、逆のものすごいネガティブなおかしな現象というものが既にたくさん起きているし、これからもますます起きてくる。先ほど言ったように、この近未来の日本の社会の中で、いろんな特殊なオピニオンが、ある集団的なパワーになって社会全体を動かすみたいなことが、これからさらに、我々が予想がつかない形でいろいろ起き得る時代になっているんじゃないか。

 そのあたり、既成のクラシックのようなメディアの重要な部分でやっている外岡さんなんかはどう思われますか。先ほどおっしゃった朝日のコラム「ウェブが変える」は非常におもしろい企画で、あれは今こそ必要な情報を提供していると思うんですが、ああいうものを背景にして、近未来のメディア社会におけるインターネットの役割みたいなものを、どう考えておられるんですか。


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