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徹底討論「ジャーナリズムの復興をめざして」
【討論(後半)】(3)

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立花隆氏

●情報収集、編集、整理、発信の基本動作は変わらない

 立花 そうすると、新聞というメディアの本質というものはものすごく変わって、既に変わってきつつあるし、将来一層変わるだろうと思われるのは、要するに、新聞というのは新聞という紙の媒体をつくって発行してディストリビュート(配布)するという、それがその業務の本質であって、それをつくるための装置としてニュースギャザリングの装置があって、編集してそれをつくっていく、そういう装置があって、みたいなものだったのが、その紙のページをつくるというそちらのほうは、実は非常に近い将来、違う方向に行くだろうと。新聞社の本質として最後まで残るのは、ニュースギャザリングの装置と、それを集めて、一つの、あるアウトプットを形成する能力装置といいますか、そういうものが会社の本質そのものになると。

 要するに、新聞のクラシックなビジネスモデルが将来の新聞社の、新聞社という名前を続けるかどうかは別として、例えば朝日新聞という会社が社名を変えたとしても、そういうニュースのギャザリングと、それを集めて一つの手軽に受け取れるアウトプットにする。その編集のいろんな側面を含んだ、そういう一定の人間が集まって、そのような活動をやる、その装置が、今度は近い将来は違う形でものを出していくと、そういうふうにおそらく変わっていくと、そこまでいくと考えているということですか、今のお話をうかがっていると。

 外岡 そうだと思います。日本の新聞の場合、小新聞と大新聞の合体だという説がございますよね。小新聞というのはかわら版で、ゴシップやスキャンダルやそういうことを日々のニュースとして配って歩いた。明治時代には、論を立てる、いろんな論の新聞があって、その二つが一緒になって、小新聞が基本になって、大新聞が合体して、日本的な国民新聞ができたと。

 しかし、それが部数を延ばしたというのは、多分近代と分かちがたく結びついていると思うんですね。

 というのは、一つは人が通勤するようになった。自宅と職場があって、その間に通勤時間というのがあって、そこで持ち運びできる新聞というのが非常に便利になった。それから、世帯が夫婦と子ども中心の世帯になって、それが単位になって、だれもが読める新聞というのが求められた。

 もう一つは、日本がやっぱり軍事中心に、あるいは産業中心に近代化を達成したために、文化面で国民というのを育成する装置みたいなものが必要とされていた。だから、漢字仮名まじり文が出てきた時に、漢字にルビを振る新聞が非常に大きな役割を果たしたということが言われていると思います。

 つまり、そういう非常に特殊で知的な背景のもとで、巨大部数の新聞がたくさん出てきたということがあると思うんです。

 活字と電子の何が一番大きな違いかというと、活字というのは新聞であったり本であったり、つまり、物としての属性を持っていたんだと思います。電子というのは、要するに、物がない、なくて済むという、そこの部分で非常に大きな飛躍があると思うんですね。

 我々は、じゃあ、活字に固執すべきなのか、あるいは、電子にこだわるべきなのか、今そこに立たされているんだと思うんです。おそらく私は、先ほど立花さんがおっしゃったように、電子としての情報にいかざるを得ないだろうと思います。

 ただ、その時に、じゃあ、数あるインターネットの中の情報と我々の情報のどこが違うかというふうになった時に、一つは編集、一つは検証の機能だと思います。つまり、この情報は間違いなく確かなものでありますということを我々が責任を持ってお伝えする、その信頼性を維持できるかどうか、これが一つなんだと思うんですね。それから、たくさんの情報を一度に同列に並べるのではなくて、これが大事だ、これが今に我々にとっては重要な問題だと思うというそこの部分を、どれだけ打ち出して、しかも共感を得られるかというのが、多分勝負なんだろうと思います。

 ですから、そういう意味では、多分、新聞紙について言うと、それはいつまでもこの状態が続くことはないだろうと。しかし、我々がやっている基本動作、情報を集めてそれを編集し、整理し、発信していくというそこの部分の機能というのは、多分変わらないんじゃないかと思います。

 立花 基本動作というか、つまり、こう大きな組織というのは毎年新陳代謝して若い人を入れて、一定のトレーニングを施して育てていくという過程が、どうしても必要なわけですよね。

 おそらく朝日もそうなんでしょうが、入社して最初は地方に配属して、地方で一応の紙面をつくる訓練を経て、それから、東京あるいは幾つかの中心的な支局に上がってきてという、そういう1人のジャーナリストを育てる基本的な仕掛けになっていると思います。そういう体制そのものが、先ほどおっしゃったように、だんだん紙の新聞の世界ではなくなっていくと、それを担う人たちの育成のシステムそのものも変わらざるを得ないというか、いろんな意味で新聞社というものがどんどん変わっていかなきゃならない。

 今、多分そういう時代に入っていて、現にこの新聞社が募集して応募してくる人たち、その人たちがどういう未来像を描いて入ってくるかというと、若い人ほど近未来の社会のものすごい急激な変化を敏感に受けとめているから、何かメディアの社会そのものが、今、若い層からどんどん変わりつつあるような気がするんですが、そのあたりは新聞社の中にいて感じられますか。

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外岡秀俊氏

 外岡 おっしゃるとおりだと思います。

 一つは、最近どこの総局、地方の総局に行ってみても、ずっと朝日だけでしか仕事をしていないという人は、かつてはほぼ全員がそうだったんですけれども、今は同業他社とかほかの仕事をして来るという人がものすごく増えているんですね。ほぼもう当たり前になっていて、ですから、先ほど朝日人とおっしゃいましたが、もう我々はそういう言葉自体使うことがなくなっていて、そういう意味でも生え抜き意識みたいなものはもうなくなっていると思うんですよね。

 それから、記者クラブそのものが、かつては非常に守られた、そこにだけ情報が流れるという、非常に特権的な立場にあったわけですけれども、もう既にそれも崩れている。ほぼ同時に、我々が記者であろうとなかろうと、発表文は即時に手に入るという状況が、今もう出現していると思うんですね。

 それと今、普通の人が、考えられないほど大きな発信力を持っていると。要は、あとはもう中身と、それから、どれくらい多くの人の共感を呼べるかというその魅力の部分に移ってきているのだろうと思うんですね。

 ですから、そういう中で、やっぱり我々は今までのような育て方、育てられ方では、おそらくもう立ち行かない時代になっているんだと思います。

 ある新聞社では、もう今ブログを公開して、直接やりとりするという方向にいってる会社もありますし、記者の中にはブログを持って独自に発信している人間もいますし、これからどんどん変わっていくんだろうと思います。

 立花 朝日もやっているんですか。

 外岡 個人的にやってる人はいます。

 立花 各自、勝手にブログを書けば……。

 外岡 各自で。

 立花 自由にという。社としてはそのブログを組織的に出していくみたいなことはやってない。

 外岡 今はまだやっていません。


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