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フェレンジ 確かにプレスは非常に批判にさらされております。ここ数年、フランスでも、世界どこでも。特に世界が変わっているときに、新聞が十分スピーディーに対応していないではないかという批判があるわけです。新しい事態に対応していないではないかと。かと思えば、逆に変わりすぎるという批判もある。 フランスでは、調査ジャーナリズムというものがあって、例えば、政治家のスキャンダル、あるいは秘密を暴き立て、それを報道する、そういう専門の新聞があるわけですね。この政治家の私生活まで含めて、さまざまな汚職とか、それを暴き立て報道する、このような新聞の役割というのはあるわけですね。 しかし、そのような報道の中には、必ずしも真実だけではなくて、思い込み、あるいは、うわさに基づいたものが含まれていることもある。そう思う読者が多い。それは、テレビでの報道についても同じようなことが言えるわけです。それでインターネットの普及とともに、新聞の発行部数が減っている。ですから、報道の信憑性が、ジャーナリストにとっては一番重要です。 クオリティーペーパーにとっては、3つの大きな敵があると思います。まず、田中さんが指摘したコミュニケーション、つまり、宣伝という意味のコミュニケーションですね。それから、2つ目の敵は、うわさです。3つ目が、報道のスペクタクル化ということであります。 まず、コミュニケーションがなぜ我々プレスにとっての敵かというと、企業であれ、政府、公権力であれ、あるいは軍隊であれ、そういった公的な機関がコミュニケーション政策というものを持って、一定の立場から一定の方向に世論を誘導する方向で、プロパガンダ的な広告、世論操作的なインフォメーションを提供することがあるわけです。 私はそれをインフォメーションとは呼ばずに、コミュニケーションと呼んでいるわけです。政治権力、経済権力、あるいは軍事権力が流す報道というのは、大体大企業のコミュニケーション活動と同じような、客観的なインフォメーションではなくて、ある意味ではずるい、巧妙な共犯者的な、特定の利害の方向に引きつけられた報道、コミュニケーションがなされるわけです。 それはほとんど誘惑、大衆を一定の方向に世論調査し、誘惑する。こういった悪しき意味でのコミュニケーションに対して、新聞のインフォメーションというものは、そのような誘惑と闘っていかなければいけないわけです。 2つ目の大きな敵は、これはいろんな形で流されるうわさですね。この2つ目のスペクタクル化された報道というのと同じなんですけれども、別な側面からいけば、例えば、インターネットで流されるうわさとか、これがさまざまな手段を通して流されることによって、非常に大きな世論を動かすことがあるわけですね。あまりにもジャーナリストが急いで、性急に、よく確かめないでこのインフォメーションを流すときに、この間違った報道に結びつくことがある。 3つ目の敵は、要するに、芸能的な、遊びのための、人々の娯楽のためにスキャンダルを流したり、センセーショナルな報道をしたり、おもしろおかしく報道する、報道のスペクタクル化です。非常にショッキングなイメージで、例えば、写真をたくさん流すとかですね。特にセンセーショナルな報道、テレビを中心に、スペクタクル化されたインフォメーションというものが、我々にとっての2つ目の敵なわけです。 ルモンドは、1945年にユベール・ブーブメリーという人によって創設されたわけです。できるだけ早く、十全たる正確な情報を提供すること、これをルモンドの使命に掲げたわけです。遅れてはならない、不完全であってはならない。そして、バランスがとれていなければいけない。そして、正確でなければいけない。そのためには待つことも必要だ。 ですから、以上述べたことをまとめますと、デマゴギー的なうわさと闘わなければいけない。それから、センセーショナル化されたスペクタクル報道とも闘わなければいけない。そして、プロパガンダ的なコミュニケーションとも闘わなければいけない。それが我々の、特にいわゆるプレス、活字媒体によるプレスにかかわるジャーナリストの使命であるということであります。 もちろん、公的な機関、あるいは政府機関が流す情報というものは、役に立つことがあります。しかし、それを十分裏を取るといいますか、果たしてそれが、さまざまな機関が流す情報が正しいかどうかは、別な独自の我々の取材によって、より正確な、批判的な報道を行わなければいけないわけであります。ですから、ジャーナリズムの倫理ですね。しかし、これを実現するのが極めて困難であることは、皆様、容易にご理解いただけるところと思います。
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