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国際シンポジウム「ジャーナリズムの力」 ―試練と可能性―
【討議(後半)】(7)

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村松泰雄氏

 村松 日本の新聞は、先ほど言いましたように戸別宅配制度の上に乗っているわけですね。それによって、発行部数も維持されているという面がかなりあると考えております。

 インターネットの時代、地上波が完全にデジタル化される時代を迎えたときに、では、ジャーナリズムを伝達していくメディアというのはどういうものであるべきなのかということについても、意識の深いところから変えていかないといけない。

 安閑としているわけにはいきません。先ほど申しましたけれども、やっぱり民主主義の社会にとって、ジャーナリズムの精神に立った報道というものは絶対必要だろうと思います。それを維持するために、どういうふうにしていくのか、どうやって時代に乗っていくのかということは、ほんとうに差し迫った問題です。

 インターネットのメディアには、時間の区切りがないんですね。私たちはいまはデッドライン(締め切り)というのがありますが、インターネットの世界になりますと、記者は24時間働かなきゃいけないことになる。

 紙だけに書いている記者というのは成り立たなくなってくるかも知れない。そうすると、新しい記者の働き方はどうなるんだ、記者の意識構造はどういうふうに変わってくるんだろうか。こういう問題になるわけです。

 そこで質の高い報道、質の高いジャーナリズムは一体どうやって担保されるんだという問題になると、紙面づくりから、あるいは記者教育の仕方から、いろんな多岐にわたる問題になるんですが、やはりジャーナリズムの根本というのは、例えば、隠されたことを掘り出してきて報道する、それが公益、社会の利益になる、あるいは、社会の人々の関心にこたえるということだろう。

 それは、ほかの人にはできないことなんです。たとえ端緒はインターネット上の情報であったり、だれかブロガーが書いているお話である場合もあるでしょうし、記者自身がどこかから発掘してくる話でもあるかもしれません。

 しかし、これはニュースである、社会的に意味のあるニュースであるとなれば、そこをほじくっていくという役割は、やはり訓練されたプロ集団にしかできないんだろうと思うんです。それが、これからの報道機関の大きな存在意義になっていく。メディアがどう変わろうと、我々がやっていかなければいけない、意味のある仕事ではないかというふうに思っています。

 高成田 今インターネットの中のジャーナリズムというようなところで議論を進めているんですが、何かご意見ありますか。

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田中宇氏

 田中 大事なのは、もうかるかどうかということだと思うんですね。僕は、年収が大体500万ぐらいなんですよ。年によっては300万ぐらいで、広告収入だけなんですよね。これだと、1人しか雇えない。朝日新聞の給料の3分の1ですよね、大体。

 ウェブはもうからないわけですよ。ニューヨーク・タイムズもウェブに出てみた。ウォールストリート・ジャーナルは課金している。朝日新聞なんかも、それを見ているわけですよね。でも、どうもウェブというのはもうからないものだと。やっぱり年収500万、300万ではだめだろうという話にしかならないというのが1つ。

 もう1つは、ネットとマスコミって何が違うかと言うと、ネットというのは、匿名性とか――僕は責任を持ちますけれど、個人的にしか責任を持たない。それに対して、やっぱりマスコミというのは社会的な存在ですから、政府から、もしくは社会からの圧力が全然違う。その点がやっぱり非常にもう1個違うところかなと思う。

 でも、それは対立するものではない。というのは、僕はアメリカでは非常にうまくいっていると思うんですね。メーンストリームメディアが、やはり国防総省の内部に入ってしか聞けないもの。さっきちょっと言いましたけど、そこにはプロパガンダもあるわけですよ。だけども、やっぱり中に入った、直接インタビューした人にしかわからない、直接イラクのどこか現場に行った人しかわからない話というのを書いてくる。

 それに対して、ウェブの世界とは何かと言うと、日本の人はちょっと勘違いしている点があるんだけど、いろんなニュースを見て、それで思ったり、感じたり、反論したことを書いているんです。ウェブのログなんです。ログというのは日誌ですね。

 つまり、ウェブサーファーがウェブを毎日いろんなところを見て、ニューヨーク・タイムズはこう書いてあった、どうもプロパガンダじゃないのかと書いてみたり、もしくは、こう書いてあった、これはこうかもしれないという、その深い分析をさらにしていく。

 僕は自称をさせてもらえば、日本のウェブロガーなんです。日本の場合、ウェブログと言ったら日記でしょう。どこかの有名な社長が、きょうは何を食ってうまかったみたいな、そういう話を延々書いている。そうじゃないものもありますよ。でも、やっぱり圧倒的に量は少ないんですよ、読みごたえのあるものというのは。

 ウェブログというのは、アメリカでは、ニューヨーク・タイムズとか、いろんなマスメディアが報じた事実というものに対して、脚注とか解釈を加えているものが多い。もちろん、自分で行って聞いてきたものとか、うわさとかもいろいろあるんだけど、それは協業になっているわけです。片方はマスコミだから社会的なものがあって、だから、90%事実でなければ書けない。

 でも、ウェブの場合は、30%事実――僕の場合は60%ぐらい事実だったら、こうじゃないかと思われるとかというのをつけて書いているわけです。大体60%。アメリカのマスコミは85%ぐらいの精度で書いていると思う。

 問題は日本のマスコミ。95%ぐらいの精度でないと書かないから、分析ができないんですよ。分析の多くは推論になってしまうから、それはやっぱり日本のマスコミは今後やるべき解説というものをどうとらえるかというのは1つの問題。

 もう1つは、日本と欧米で違うところは、やっぱり分析をするとか、人の議論に反論するとかということに対して、日本とか、韓国とか、中国とかというのはやらないんですよ。先生の言ったことがすべて、先生の言った世界観がすべてなんです。そのとおりに書かないと点数をくれない。

 でも、アメリカでは、僕が知っているアメリカに過ぎないけど、アメリカでは「先生、違います」と書くと、「どれどれ、君の答案見せてごらん。おもしろいね。Aあげよう」となる。日本だと、最近はいい大学というのは、「おもしろいね」と言ってくれるんだけど、往々にして、ボケカスの先生というのは、「君、覚えてろ」ってDをつけちゃったりするわけですよね。

 そこには東アジアの、いわゆる儒教思想がある。先輩を敬え、先生を敬えと。それが根本にあるから、日本の知識人、知的な産業というのもやっぱりそういうふうになっちゃって、安倍首相の言っていることに文句あるのかみたいな話になっちゃう。

 だから、もっと根本的な知のあり方……アメリカでは知の道場破りがしょっちゅう行われていて、「先生、違います」。なぜなら、すごくクオリティーが問われるんです。みんなでディベートして、「今のあなたの意見はおもしろいね」という話になると、そういうのが高じてくるとシンクタンクになって、「次はイラクをやりましょう」という話になる。

 シンクタンクのレポートというのはそうやってできているんだと私は思っているんです。そういう知的な問題も含めて、日本とか東アジアはこれからであろうというふうに。

 あと、ウェブとメーンストリームは協業です。対立なんかしていないし、きょうの話だって、僕はニューヨーク・タイムズの報道の中に問題があったんじゃないかと言っただけであって、それは対立ではない。

 むしろ、具体的にジュディス・ミラー問題とか、そういうものについてはもっともっと語ればおもしろい。ジュディス・ミラーというのは、イラク戦争を、大量破壊兵器があると書いちゃった人なんですけどね。その後、CIAの情報漏洩事件にからみ、取材源秘匿のために収監された人なんです。


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