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朝日新聞シンポジウム 「討論:日本の新戦略『地球貢献国家』をめざして」
討論1 「世界・アジア・日本:繁栄と安定のための新たなフレームワーク」(7)
ジョゼフ・キャロン氏 |
伊勢崎賢治氏 |
- キャロン
- わかりました。おっしゃるとおり、カナダではイラク戦争への参加について、戦争前にかなり長い議論がなれていました。当時、カナダは安保理の一員ではありませんでしたが、あくまでも国連安保理の決定がなければカナダは参加できないという立場を、国民をはじめ強くとっていました。そして、イラク戦争に参加しなくても、他の方法でテロに対抗する活動が必要であると私たちは強く思っていました。現在のアフガニスタンの場合はNATO同盟国としての活動ですから、アフガニスタン問題解決に向けて努力する政治的決断が下されたわけです。
- 若宮
- ありがとうございました。アフガニスタンで、そのかわりかなりのコミットをしたという点は、日本もインド洋に船を出して、オイルの提供を随分したわけですけれども、カナダの場合には、最近の悲劇もありましたけれども、地上でやっているということになるわけですね。
- 五百旗頭先生、今の点どうでしょうね。
- 五百旗頭
- カナダの場合は、憲法でそれが禁止されているのではなくて、政策なんでしょうね。日本の場合は憲法神学の問題です。実は憲法について、私は前から第9条は変えたほうがいいと、国会の衆議院でも参議院でも参考人として言ったことがあるんですが、3つの柱でやればいいと考えています。第1、侵略戦争の放棄、これは続ける。2、攻められたら、侵略されたら防衛する。3番目、国際安全保障に参画する。この三本柱で実際に日本がやろうとしている、やらざるを得ない、そのことをそのまま第9条に書いたほうがいいというふうに前から論じてきたんです。問題は、国際安全保障に参加する程度です。PKOの場合には全然問題ない。今度、それでは多国籍軍の場合にどうか。今のカナダの考え方は非常に参考になりますね。国際的な正当性ということを国連安保理に代表させる。国連安保理が必ずしも国際正当性を体現しているとは言いがたい場合もあります、どこの組織も人間がやることですから。しかし、四捨五入すれば、それが一番近いだろうということで、それを基準にするというのは一つだと思いますね。日本の場合に、そういうふうに3項目にした場合に、国際安全保障にどういうかかわり方をするかということの内容を議論していくべきだと思うんですね。その際の大いに参考になる一つの基準が、カナダのやり方だろうなと思います。
- 若宮
- もう9条とのかかわりのところにずばり入ってきました。崔相龍さん、さきほど9条は大きな日本のソフトパワーではないかというお話をいただいたのですが、今のような議論、9条を変えて、もう少しやる余地があるのではないかという議論が出されました。日米同盟のあり方なども横からごらんになっていてどうでしょう。
- 崔
- 憲法9条に対する私の意見は、先ほど簡単に申しました。憲法を変える理由の一つに、安全保障環境が悪化したという見解があります。果たして、今の日本をめぐる安全保障環境は、冷戦時代よりも悪くなったでしょうか。わたしは、言うほど悪くはないと思います。冷戦時代に60年間も守り続けてきた憲法を、環境が厳しくなったから変えるという主張は、それほど説得力がない、それが第1点であります。
- 第2点は、これは押しつけられた憲法であるという議論です。一般の日本の国民が、これは押しつけられたものだと思うでしょうか。私は最近の世論調査の結果を知りませんが、たとえ押しつけられたことが事実であっても、それを60年間守り続けて、その憲法体制が日本の国益、国民の利益に合致したわけです。でしたら、日本が主体的にその憲法を選べばいいわけです。今までの経験から見れば、これは日本の国民にプラスであるという判断をされているなら、なおさらです。これが私の意見です。
- 若宮
- 緒方さん、何かおっしゃりたそうな感じがしますね。
- 緒方
- 今のご議論は非常に大事なポイントだと思います。高度の大量破壊兵器を使った戦争と、紛争の中に入って人々を守るための行為との間には、違いがあると思いますね。そういう識別をした上で、先ほど五百旗頭先生は、政策論になるとおっしゃったのですよね。こういう場合は出る、こういう場合は出ないと。しかしながら、政策論以上のものはないと思うんですね。これは法律的な問題というよりは、全体的な9条の枠、インテンションの問題と、国策としての戦争行為を行わない、他に対して武力行使しないという問題と、紛争のような状況が起こったときにどう対応するかと。
- 私は、カナダ大使が今おっしゃった、犠牲を払い、犠牲者が出てもそれに耐えられる体質というのは、大変なことだと思い、感銘を持って話を伺いました。アフガニスタンでも、かなり戦争型の行為があるわけです。コアリション・フォーセスは、大量破壊兵器による爆撃等で戦争行為をしています。それと同時に、文民の犠牲というものを最小限守っていくという行動もしています。犠牲になった人たちの間に入って、二様の対応を国民が受けとめられるというのは、大変なことだと思って伺いました。まだ日本においては、その間の区別とか、それにどういうふうに国民が対応するか、あるいは防衛当局者がどう対応しているかということについて、あまりはっきりした政策の提示がなく、わかりません。
- ですから、五百旗頭先生、もう少しその辺をどう考えておられるのか。大量破壊兵器をもってテロに対応するというのは、非常に難しいことだと思いますよね。テロというのは、今、ノン・ステート・アクターの集団で、どこにいるかわからないような、そういうものにどうやって対応するか。その辺の識別、区別、それによって行動を決めるという難しい課題が、目の前にあるんじゃないかというふうに考えております。
- 若宮
- 緒方さん、それは憲法を変えなければできないことと、そうでないこととあると思うんですけれど、その辺は。
- 緒方
- 憲法を変えなければできないことではないと思いますね、これは。
- 若宮
- 分かりました。五百旗頭先生には後で答えていただくとして、紛争処理などでまさに現場でやっておられる伊勢崎さん、今のお話を聞いていて、いかがですか。
- 伊勢崎
- 今、カナダ大使閣下の発言に関連して言わせていただきますと、今から数年前、2003年にアフガニスタンで私たちは、軍閥の武装解除をやっていました。実は、同じ対米軍事協力の枠組み、特に対テロ戦という枠組みの中で、アフガン戦とイラク戦というのは、戦略的には一直線上にありまして、でも、違いはただ一つ。片方に国連安全保障理事会の決議があり、片方にはなかったということで。つまり、大義があったか否かの点です。アメリカでさえ、その大義を、国民を挙げて議論して、その結果、中間選挙でブッシュさんが負けるという形で決着をつけましたが、肝心のこの日本でその大義の問題が起こらない。これは非常に悲しいことです。
- 実は米軍から自衛隊をアフガンのほうに出してくれという、今はPRTという言葉を使っていますけれども、この要請は2003年当時からあったんです。アフガンの武装解除の青写真を描いたのは僕ですが、武装解除というのは必ず「力の空白」を生む。アフガンの場合、武装解除の対象は、邪悪な軍閥とはいえ、9・11後、米軍と一緒にタリバンと戦った、言わば功労者の北部同盟ですから、彼らを武装解除してしまったら、その「力の空白」に突かれてタリバンが再び力をぶり返す恐れがある。だから、その「力の空白」を埋めるために、国際部隊のアフガン全土への展開は必要で、それがPRTだったのですが、僕はこれを、武装解除を開始する条件に掲げて各国に訴えたくらいです。
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