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東京大学・朝日新聞共同シンポジウム 「大学の試練と挑戦―日米欧のトップが語る」

小宮山宏氏の基調講演(2)

写真小宮山宏氏
このために、今、教養課程の学生たちのために学術俯瞰講義を実施しています。例えばこの冬学期の講義のテーマは「エネルギーと地球環境」、そして、「情報は世界を変える」です。エネルギー、環境の講義では、技術的な内容とともに、世界的な規模での経済、平和という問題も扱います。後者の情報のほうの講義では、情報技術から経済、政治、さらに芸術までをカバーする壮大な構想となっております。
これらの学術俯瞰講義には理工系の教員と文科系の教員が一緒にかかわっており、そのような専門分野を超えた教員間の連携が生み出されるということもこうした試みの副産物の一つであります。
もう一つ、生命科学の分野での教科書づくりの例をご紹介しましょう。今日、生命科学はさまざまな分野に関連する知識です。医療、食糧などは言うに及ばず、親子鑑定ですとか犯罪捜査といった社会問題、さらには、エネルギーや地球規模での環境などを論ずる場合にも生命科学の知識というのは不可欠です。このため、東京大学ではまず主に工学系に進む学生にも生命科学を必修にする必要があると考えまして実施しました。
このときに、同時に必要だったのは、生命科学の構造化です。
限られた時間の中で膨大な生物学の内容すべてを教えることはもちろんできません。そこで、生命科学の知識を構造化し、構造化した生命科学をもとに教科書をつくって、それをもとに教育しようと、そう考えたわけです。
東京大学には何と1600人に及ぶ生命科学に関連する研究者が研究しております。そこで、部局を横断する形の教育組織をつくって教科書づくりを行っています。既に理系の学生向けの教科書を2冊つくりまして、来年の初めには文系の学生を対象とした第3の教科書をつくる予定でおります。出版いたします。
こうした知の構造化の試みは、学生の教養に向けた試みであるとともに、実は社会の教養に向けた試みでもあります。今、教科書づくりを一歩さらに進めて、学術の進歩とともに進化する教科書を生命科学の研究者ネットワークによる知の構造化と最先端の情報技術によって実現しようと、そう考えています。
なぜ進化する教科書が必要かというと、それは学術の変化のスピードが理由です。例えば、ノンコーディングゲノム、何人ご存じかわかりませんけれども、ノンコーディングゲノムといった例にも見られますように、この生命科学の分野では知識の根幹的な部分でさえもわずか半年くらいで大きく変わります。そうした知識の急速な変化に対応する唯一の方法が構造化という知恵と情報技術の活用だと、私たちはそう考えております。
私は、現代社会において高等教育機関が果たすべき最も重要な役割は、知を構造化し、社会に発信することであると、そう考えているのですが、この進化する教科書というのはその第1ステップであります。
現代において、社会、とりわけ若い人たちの教育に当たる初等教育や中等教育の教員たちは、一体何が最先端の知であるのか、よく見えなくなっているように感じます。例えば、現在日本ではリデュース、リユース、リサイクルという、3Rと呼んでおりますが、3Rを世界に向けて提案しておりますが、他方で、リサイクルはよくないという主張もあって、一体何を頼りにしたらよいのか、みんなとまどっているのではないでしょうか。
こうした状況の中で、構造化した知を発信することがまさにリーディングユニバーシティーの果たすべき役割であろうと、そう思います。
考えてみますと、今年、気候変動に関する政府間パネル、Intergovernmental Panel on Climate Change、IPCCがノーベル平和賞を受賞したのは、温暖化に関して乱れ飛ぶ知識を構造化したことが評価されたからにほかなりません。東京大学はこのようなコンセプトの上に立って、知の構造化センターを設立し、学術俯瞰講義をスタートさせ、あるいは、進化する教科書に取り組んでいるわけです。
さて、これまで外国語教育と教養教育ということを素材にして、東京大学の教育に対する考え方と取り組みの一端をお話ししたわけです。最後に、大学教育が涵養すべき能力について触れておきたいと思います。
今日、この点でしばしば話題となるのは、大学教育と職業知識との関係です。かつて大学は職業との距離を置くということをもって誇りにしていたという面がありました。しかし、最近は産業界をはじめとして、職業により身近な知識の教育を大学に求めるという声が大きくなってきております。
それに対する私たちの答えは、大学においては実践的な職業知識そのものを教えるのではなく、実学的な知識を主体的に理解し、さらには、論理的、社会的に展開できる基盤的能力、いわばインフラコンピテンスとでも呼ぶべきものを涵養する、それが基本であるというのが私たちの答えです。
実学的な知識は、必ずしも長い命を持ちません。それは、現代においては社会や環境の変化のスピードがすさまじいからです。知識が非常に細分化、専門化してきていること、また、既存の知識の延長では対応できない曲線の時代であるということもこうした実学的な知識の寿命に影響を与えております。
この基盤的能力を育てるために、大学はさまざまな工夫を行っています。東京大学に入ってくる少なからぬ学生は課題解決のテクニックにおいて非常にすぐれています。それに加えて、課題を発見し、課題をつくる能力をいかに育てるか、それが私たちにとって大きなテーマです。
少人数のクラスを設けて、課題の発掘と探求のための厳しいトレーニングを行わせるという、そういった考え方もありますが、毎年私たちが受け入れている3000人以上の学生との数を考えますと、私たちの大学にとってそのフィージビリティが問題になります。
また、この基盤的能力には知識や課題解決、探求能力だけには限られない、人間的な魅力、コミュニケーション能力といったものも含まれます。大学には教育のプロセスにおいて、そうした魅力や能力を高めることも求められていると思います。
このために、カレッジ型の教育を提案する考え方もあります。事実、日本ではかつて第二次世界大戦ころまで、全寮制の旧制高校において一種カレッジ的な教育環境を経験したことがあります。しかし、ただこの提案も現代では大学の学生規模との整合に難があると言わざるを得ません。
とはいえ、私たちはただ手をこまねいてはおりません。言語と文化の多様性の拡大、知の構造化をベースにした学術俯瞰講義や教科書づくり、さらには、課題解決型の協調学習を目指すアクティブ・ラーニングの推進など、学生の規模や学問の展開状況、さらには、情報通信技術の活用可能性といったことを考慮しながら、さまざまな挑戦を行ってきていることは、先ほどその一端をご紹介したとおりでございます。
曲線の時代にはモデルはありません。大学教育のあり方もさまざまな試行錯誤を重ねながら探っていかなければならないわけです。その営みは、まさしくきょうのシンポジウムのテーマである「大学の試練と挑戦」という言葉にふさわしいものだと思います。
そうした折に、こうした形でアリソン・リチャードさん、ヘンリー・ヤンさんをはじめ、多くの大学関係者の方々とこうして議論を交わせる機会が得られたということは、まことに絶好のチャンスというふうに考えます。
この後のご講演、あるいは、討論を楽しみに、ここで私の講演を終わらせていただきます。
どうもご静聴ありがとうございました。(拍手)

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