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上智大学・朝日新聞社共催シンポジウム 「世界遺産と生きる―日本が果たすべき役割」

前田耕作氏の冒頭発言 「保存へ地元と時間かけて」

写真前田耕作氏
前田
今、ランディさんの意見を聞きながら、ああ、なるほど、そうだなというふうに私も思いました。遺跡とともに生きている人がいて、今、遺跡があり、そして、私たちがそこで遺跡とも出会い、人々とも出会って、また、日本にいるのとは別の新しい環境をそこで発見していくという、そういうきっかけがだれにでもあるのではないかという気がいたします。
私はアフガニスタンのバーミヤンにかかわってまいりましたが、ちょっとごらんになっていただきたいと思いますが、カブールがあって、カブールの北がバーミヤン。それから、ここに1つ赤い字でジャムという名を入れました。これはアフガニスタンの最初の世界遺産であります。ジャムのミナレット、12世紀のイスラムの尖塔です。
地図を見ていただければ、まさにヒンドゥークシの山の中にある1本の塔であることが分かりますが、ゴール朝という極めて重要なイスラムの王朝の首都のあったところに建てられた戦勝記念碑なんです。アフガニスタンもカンボジアの例とたがわず、22年の戦乱の中にありましたために、これをまず、世界遺産に指定することによって、アフガニスタンに一つ平和を定着させるきっかけをつくろうというのがユネスコの一つの意図だったと思います。第1号にイスラム遺跡を決めたというのはなかなかの卓見であったと思います。
その次に世界遺産の第2号として承認されたのが、バーミヤンのこの遺跡です。ごらんになっておわかりになるように、極めて壮大な遺跡であります。
この壮大な遺跡は、2001年の3月にタリバーンの、ご存じのように、爆破の後で、ユネスコによって文化遺産保護活動の要請が世界に出されました。さすがにタリバーンの爆破によって世界に衝撃を与えただけあって、世界世論の関心を強く呼んだということから、バーミヤンの復興についてはたくさんの国が集うということになりました。
それで、2003年の6月に、アフガニスタンの文化遺産保護国際調整委員会というのがパリで開かれたわけでが、ご存じのように、国際調整委員会というものは基本的に9割がヨーロッパの人なんですね。アジア側の参加はその1割の部分だけです。その中で、日本が主として大きな役割を果たすということになるわけですが、しかし、日本が大きな役割を果たし得るということになったのは、何によってかということが非常に大きな問題なんです。それは日本政府が、ちょうどそのときに時期を失しないで、バーミヤンの復興については特別の基金を拠出するということをこの会議の席上で表明したからなんです。
日本は、バーミヤンの文化復興をめぐるパリ会議の中で少数派であったけれども、日本信託基金の提案によって初めて、主役を演ずるきっかけを得たということになります。
それから、日本がこの遺跡の保存事業において主導的立場に立つことを各国が承認したのは、実はそれまでの日本の各大学における60年代と70年代の調査研究というものがあって、その蓄積を我々が背負っていたということもあります。
3番目は、これは私たち自身を後押ししたことになりますけれども、シルクロードブームの予熱が残っておりまして、日本の国民の多くがこの遺跡に関心を持ち続けていてくれたこと、そして、そのことによって、日本のジャーナリズムがそのバーミヤンの動向について深く関心を持って、報道を続けてくれたこと、これが非常に大きな私たちの推進力となりました。
2003年の7月にこのアフガニスタンのバーミヤン遺跡は世界遺産に登録されるわけですが、ご存じのように、同時にそれは危機遺産のリストに登録されるということになります。
なぜ危機遺産なのかということになりますと、私たちもバーミヤンの調査が始まったときにすぐ遺跡に入りましたけれども、依然として、戦後もなおバーミヤンにおける遺跡の破壊、具体的に言いますと、壁画を切り取って、それを隣国に売買の対象として送り出すという行為が続いていたということ、それから、もう一つは、たくさんの対人地雷が埋められていたということですね。それから、もう一つは、アフガニスタンの中で戦火が必ずしも完全にはおさまっていなかったこと、この3つのことがありまして、バーミヤンは世界遺産ではありますが、同時に危機遺産のリストに登録されました。
私たちは2003年の7月から、この遺跡保存の事業を登録と同時に開始をしたということになります。そのときには、きょう演壇に立っていただきました稲葉さんも一緒でしたけれども、それをすみやかに私たちができたということには3つの条件がありました。1つは、カルザイ政権が国際社会との連携を表明したということ。それから、もう一つは、バーミヤン州自体がバーミヤン復興についてその支援をしてほしいという強い要請を自ら行ったということです。
アフガニスタンに入る前に、私たちがもう一つ行う必要があったのは何かというと、ここに即刻日本の隊を送って、保存・修復の事業にとりかかれる国内体制をどうやってつくるかということでした。
この国際協力による支援を推進する日本国内の体制は、先ほど鈴木議員から報告もありましたように、やがて私たちが文化遺産国際協力コンソーシアムというものをつくり上げていく一つのきっかけになったわけです。
その過程における幾つかの問題がありますけれども、既に時間ということなので終えざるを得ませんが、一通り皆さんに映像だけを送りたいと思いますが、これはバーミヤンの壁画、爆破される前の大仏、やがて爆破されました。そして、今はこういうふうに爆破されたものの大仏の破片を収集して、いかにしてバーミヤンの遺跡の保存・復興を具体的に行うのかと。もちろん、そのプロセスの中で、たくさんの問題にぶつかっております。それを改めて討論のときに皆さんに提示をするということにしたいと思います。
隈元
前田さん、ありがとうございました。バーミヤンでこれからどうしたらいいかというような内容については、この続きの中でやりたいと思います。
ここで20分間休憩いただきまして、壇上の座席を変えたりいたします。20分後には確実に始めたいと思いますので、お集まりいただければと思います。よろしくお願いします。
司会
ただいまお知らせいたしましたように、20分間の休憩後、3時50分、再開いたします。再開の時間は3時50分です。それまでごゆっくりご休憩などをなさってください。
また、いったん会場の外に出て再入場される際には、プログラムが必要になりますので、プログラムをお持ちくださいますようお願いいたします。

(休  憩)

司会
間もなくシンポジウムを再開いたしますので、皆様、お席にお着きになってお待ちくだいませ。
また、両サイドにお座りの方、正面、大変見えにくくなっておりますので、あと3分ほどありますので、ぜひ中央のほうにお座りになってください。よろしくお願いします。また、中央のほうで隣の席にお荷物を置いている方、いらっしゃいましたら、お隣の席をあけていただきまして、できるだけ皆様に中央でごらんいただけるようにしたいと思います。皆様のご協力、よろしくお願いいたします。
大丈夫ですか。見えますか。どうぞ今この時間のうちに、お席のご移動のほうをお願いいたします。ちょうど皆様、前のほうでこれから討論が始まります。できるだけ中央の見えやすいお席でごらんいただければと思います。
間もなく3時50分より討論を再開いたします。今しばらくお待ちくださいませ。
お待たせいたしました。では、討論を再開いたします。
先ほどご講演をいただきました上智大学学長の石澤良昭さんにもご参加をいただきます。よろしくお願いいたします。
それで、隈元さん、よろしくお願いいたします。

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