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ジャパン・ソサエティー創立100周年記念シンポジウム
「創造の作り手、創造の届け手」

第一部・対談(4)

写真対談の様子
テイモア
私は監督であり、演出家でもあり、聴衆とつながりたい。それは非常に満足なわけですね。もちろん、小さな聴衆でも満足ですけども、大きな聴衆が来ればもう大いに満足します。「Titus」であろうが、例えばこれも一番評価も少ないシェークスピアの劇ですが、日本でも結構上映されていると思いますが、「タイタス・アンドロニカス」という映画をつくったわけで、これは非常に幅広い方々に見ていただきました。ですから、そういった知られざるシェークスピアの劇が聴衆に届いたということはスリルを感じた点もあります。
しかし、これは大きな聴衆を確保できるからということではなくて、ツール、ストーリーを映画の中で語るためのツールが劇とは非常に違う、舞台と非常に違うわけですね。劇場でできることは映画ではできない。あと、逆も真なりです。
例えば編集する、映画の場合には編集することができるわけです。いろんなイメージを常に期待することができます。映画の場合にはトランジッションが重要ですので、ブラックアウトがなければ、流れがあればいいわけです。非常になめらかに移行していく。それで、2時間ずっとそれを続けていかなければいけない。映画の場合には、クローズアップでワイドショットも映るとか、いろんなツールを使うことができるわけです。後ろの背景を使って、そして、実際にローマに行って、「Titus」を例に取れば、政府の建物や、それから、コロシウムがあって。
クロアチア、「タイタス・アンドロニカス」をステージでもやりましたけれども、それはミニマリズム的なもので、シェークスピアがおそらくグローブ劇場でやったような形でやったわけです。聴衆のイマジネーションに頼って見せるわけですね。
映画の場合には、もっと現実、実物を見せることができます。ですから、ロケの場所を選ぶことができるわけです。私の映画の場合には、3つのフューチャー・フィルムいずれも、「エイト・オブ・セレクト」もそうですけれども、映画の劇場性も見出して、それから、劇場では劇場のシネマを見出そうとしました。2つのメディア、それぞれを違うところに持っていこうとやってみたわけです。映画をもっとやっているときだって、あるいは、これはいろんなことに飛び回っているわけですし、いろんな機会が楽しいと思っていますから。
宮本
僕も映画は1本だけやらせてもらったんですけども、映画はやっぱりすべてが映るということですよね。
塩谷
すべてが映る。
宮本
映る。だから、後ろに背景がないとだめだ。イギリスの監督デレク・ジャーマンが青だけの画面で映画をつくり、おもしろいなと思ったけれど、ほとんどの観客は否定的になりますよね。
僕はピーター・ブルックが好きで、彼の『なにもない空間』という本が僕のバイブルです。例えば棒1本だけでどう表現していくかというふうにシンプルに、人間の想像性を膨らませる楽しみが演劇だと理解していたので、それを映画の中で、だれかがやったとしてもなかなか理解しづらい。
実際、後ろに何か背景があるかとか具象を求められる。そこで想像力をどうやって観客に持ってくかというところが難しく、チャレンジでもありますね。
なので、ケン・ラッセルやピーター・グリーナウェイらが世間でいう実験的映画みたいなものに興味を持ってしまうというところはあるんです。でも、その方法論が、デジタル化も進んでいることもあり、何か違う形で生まれてくると期待したい。僕はその人間の想像力をどう引き出すか、実際に生でただ伝えるだけではない引き出し方というものを、いつかは映像でも探っていけたらと思っています。
塩谷
お2人とも、ですから、聴衆のことは考えるわけですね、ひとり語りということではなくて。映画をつくるというのはご自身のひとり言ではなくて、オーディエンスとつながるということですね。
オーディエンスとのつながり方についてはいろいろな方法があると思うんです。20年前と比べて、あるいは、30年前と比べれば、あるいは数年前と比べてすらそのつながり方はいろいろと違ってきていると思うんです。
例えば、次に日本で上映される映画、既にアメリカではリリースされていますけれども、DVDを買うと、ご自身の作品のDVDがあって、それから、あなたのビハインドシーンのフィルムメーキングのものがあるわけですね。10年前はそういうことはなかったわけです。大きなビデオテープじゃないと聴衆に届けることができなかったわけです。どうやってこのクリエーションを、映画、それから、生の舞台をどう使いたいとお考えですか、聴衆とつながるという意味で。
テイモア
2人ともオペラの演出をやりますし、私は「魔笛」の演出をメトロポリタン・オペラハウスでやりました。オペラは死に絶える可能性はあります。非常にコストがかかる。聴衆は年齢が高目ですし、それから、新しい作品への十分なサポートがないわけです。新しい作曲家へのサポートも少ない。ですから、絶滅の危機に瀕しているたぐいの音楽かもしれません。
ただ、ピーター・ゲルブが、先ほどお見せした「エディプス・レックス」をやった人ですが、「魔笛」というのはメトロポリタンが初めて生でHDライブで、これは日本にも来たと思いますけれども、放送したものです。アメリカやヨーロッパで生で中継されたわけです。聴衆は1席15ドル払ったわけです、200ドルではなくて。小さなアイオアの町の聴衆はこういった作品を見ることができた。しかも、生で進んでいるものを見たわけです。
映画の場合には、生の編集です。私は編集するのであれば、2、3カ月編集して細かいところまで調整したと思います。しかし、オペラとしてはこれはすばらしかったと思います。子供たちも若い人たちも、通常とても生の劇を見に行くだけのお金が出せない人たち、ブロードウェーですら高いわけですから、そういった人々も見ることができた。
ですから、そういったことによって将来もあると思います。ワグナー、モーツァルト、ストラヴィンスキーばっかりやるんじゃなくて、タン・ドゥンのように現代のものもやっていかなければ生きていけないと思いますけどね。
ユーチューブで私の多くの映画をごらんになることができます。実際に上映する前にも見ることが。それについては気持ちは複雑ですけれども、宣伝にはいいでしょうけれども、時として、ミステリーという部分がなくなってしまうわけです。
テクノロジーを後半でやるのはわかっていますけれども、この人々が見たいものをいろいろと選ぶことができるという現象が起きてきていると思うんです。
私にとっては、常に、例えばストーリーが大好きになれば、それを違うメディアでもやっています。「Titus」をステージでやりましたし、フューチャー・フィルムもやりました。それから、「テンペスト」、これは2度、劇、舞台でやりました。今年の秋はフューチャー・フィルムをつくります。このいろんなメディアでいろんな作品を探求することができると思うんです。
ほんとに作品をいろいろと調べてみる。すばらしい作家、シェークスピアの一つの場合には、いろいろと違ったメディアに移していくことができます。黒澤がシェークスピアの一番すぐれたものをやったわけです。それは非常にインスピレーションになっているわけです、多くのアーティストにとって。多くのフィルムメーカーにとってもインスピレーションになっています。
ですから、トーマス・マンの小説がありますね。1984年に彼の劇をやりました。それから、ミュージカル2000とやって、今、映画をみずからやっています。すばらしい作品、あるいは、劇であれば、それは当初つくられた形を超えて表現できると思います。シェークスピアが今日生きてれば、映画をつくってるだろうと思います。一番多産な脚本家だったと思います。ですから、時間軸を超えるものだと思います。
私にとっては、ビジュアルアーティストであれば、我々のメディアにとって、あるいは、いろいろな形のパフォーマンスアーツの形態の間で動いていくと思うんです。
宮本
先ほどおっしゃったオペラが死にかけてるという危機感に満ちた話は、実際ヨーロッパの方も皆さん言うことですね。モーツァルトや、プッチーニでも結構ですけど、こんなにすばらしい宝物、音楽、ある意味では繊細で大胆な、人間が過去につくってきたすばらしいものの引き出し方というのは、きっと演出家という新しい19世紀に生まれた職業の助けがいるのではないかと思います。
演出家が、こんな視点でものを伝えることができるよ、例えば、「Titus」にしても、シェークスピアをこんなデザインでこんな発想で、あえて生々しいこういう人間たちの関係に持ってけるよとジュリーさんはやっていらっしゃる。僕はそういう新しい方向の視点、生の人間とかかわり合う論法を持っているのがアートだと理解してるんです。
アート作品というのは美術館に行っても、ただきれいというより、例えばオノ・ヨーコもそうだけども、いろんな人たちの作品や彫刻、絵を見たとき、ああ、人間ってこうなんだとか、考え方ってこういうふうにもできるんだとか考えさせられるものです。我々がテレビのニュースで、戦争というのはこういうもんだと思ってるけど、人間というのは自分の中にも戦争があるんだとか、いろんな考え方や発想、自己発見を引き出してくれるのがアートのおもしろみというふうに僕は理解しています。それを実におもしろおかしくできるのが、オペラであり、シェークスピアであるだろうと。いろいろなものを、観客が見て新しい発想をわかすことができる。そして、人間の創造性や可能性の大きさを知ることができる。
だから、同じことをやるとか、受けるためにやるだけじゃなくて、観客のためにやるんです。こんな考えもあるんだよ、こんなふうなポイントをつくとこんなふうに固定概念を覆すことができるんだよ、と。アウトサイダー的なことも含め、それを作品に持っていくというのができるような気がします。

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