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ジャパン・ソサエティー創立100周年記念シンポジウム
「創造の作り手、創造の届け手」
第二部・討論(1)
- 司会(糸永)
- 皆様、お待たせいたしました。ただいまより討論に入ります。パネリストの方々がご登場いたします。どうぞ皆さん、拍手でお迎えくださいませ。
- それでは、早速パネリストの方々をご紹介いたします。皆様からごらんになって右側からご紹介します。ゲームクリエーターでキューエンタテインメント取締役の水口哲也さんです。そのお隣、日本テレビ、エグゼクティブ・ディレクターの土屋敏男さんです。スクリーンを挟みまして、ITビジネス誌編集人で、株式会社アスキー取締役の遠藤諭さんです。そして、一番左におりますのが、本日の討論の司会を務めます朝日新聞編集委員の松葉一清でございます。
- それでは、この後の進行は松葉さんにお願いいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
- 松葉
- 第2部は打って変わりまして、日本の一番先端の表現といいますか、ジャパン・クールといわれている領域にややかかわってくるところに入っていきます。
- 第1部が太平洋を越えたお話だったんですが、こちらのお話はアクチュアルとバーチャル、リアルとバーチャルというところの違う海を超えてみようかという話です。
- それで、第1部とのつながりもありまして、冒頭に遠藤さんのほうから、少し短めなんですが、キーノート・スピーチをいただきたいと思います。遠藤さん、どうぞよろしくお願いいたします。
- 遠藤
- 今回のお題は、「創造の作り手、創造の届け手」ということなんですけど、パンフをごらんになっていただくと、創造という言葉が、1つはささっとペンで書いたような字になっていて、もう一個がぎざぎざになっていますが、これはアナログとデジタル、リアルとバーチャルというのをあらわしています。第1部でもユーチューブなど動画の共有サイトをはじめとして、デジタル系のお話も出ていましたけれども、第2部はデジタルそのもの、それから、バーチャルのお話をしていきたいと思っています。
- まず、そのバーチャルやデジタルのもとになるテクノロジーがどんなふうに発展してきたかという話をしたいと思います。
- さて、「ハロー」という英語がありますけれども、これは最初は電話でしか使われなかった言葉らしいですね。電話とともに普及した言葉で、それが今や普通に使われるようになった。電話は1870年代にご存じのようにグラハム・ベルという人がつくったんですけれども、ベルもベルのお父さんも、聾唖教育にすごく尽力した人で、電気信号を使って人と人がコミュニケーションするといったことにすごく興味を持っていたわけですね。
- ところが、電話の発明は技術的にはすごく評価されたんですけれども、実際はなかなか商売にならなかった。それで、ベルは講演会というような形で電話のちょうど実験巡業みたいなことをやったと言われています。最初はなかなかコミュニケーションの道具としてすら認められなかった。
- それと同じころに、トーマス・エジソンという人が蓄音機というものをつくります。蓄音機、僕も子供のころ、何でそんな名前なんだろうと思ってたんですけども、これは名前のとおり、「音を蓄える機械」として最初は考えられたんですね。エジソンが蓄音機の使い方で第一に掲げていたのは、口述筆記の道具なんですよ。実際に当時、発売された蓄音機を使って、非常に大勢の女性たちが蓄音機から文字を起こすような作業をしてる写真なんかも残っています。
- 電話は音声で蓄音機も音ですけれども、やがてテクノロジーの進化で映像も扱えるようになります。1890年代になると、フランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフという映画用の画期的な機械を発明します。
- じゃあ、映画の機械ができたからといって、いきなり今ある映画が出てきたかというと、このリュミエール兄弟、写真の研究家であったということもありますけれども、何をやったかというと、世界中の風景を動画におさめてまわったというのです。実際に映画をもっとお楽しみに使い始めたのは、手品の幕合いとか、ヴァリエテといわれるような寄席ですかね、その幕合いで流された。ちょっと怪しいからくりみたいな雰囲気がまだあったわけですよね。
- 動画という意味では、テレビが、やがてホームエンターテインメントの中心的な存在になってきます。1920年ぐらいにつくられて、1935年、ドイツで定期的な放送が最初に始まりました。ベルリンのドイツ技術博物館というところに出かけると、初期の映像機械がたくさん展示されています。ベルリンオリンピックもテレビ放送されたそうです。
- そんなふうに、ドイツで始まったテレビも、実際に花開くのはやっぱり戦後のアメリカです。米国では、今ちょうど大統領選挙戦が盛んに行われていて、オバマ候補とヒラリー・クリントン候補が、SNS(Social Networking Service)をどっちが上手に使っているかとか、インターネットでどんな情報が流れているかとかいうことがすごく話題になっています。それが、当時は新しいメディアとして選挙にかかわったのがテレビだったんですよね。
- テレビという最新のテクノロジーの産物を使って大統領への道を獲得したのがジョン・F・ケネディだったと言われています。テレビが非常に最強のメディアへの道を歩き始めたのが1960年代と考えていいでしょう。
- ところが、テレビは、当時日本でも電子紙芝居というような言われ方をしたんですけれども、どうも内容が低俗になりがちだという話がありました。まさにケネディの時代のニューフロンティア政策の推進者でもあったニュートン・ミノーさんという人がいます。この人はその後もVチップというテレビの子供の視聴制限をするようなシステムなんかも強く推し進めたりした人で、FCCという連邦通信委員会の委員長であったわけですけれども、当時、テレビが低俗化するのを見て、このままの状態だったら放送に何らかの制限を加えなきゃならないというような発言をしたわけです。それを受けて、テレビ局が良識派の番組をつくり始めるんですけれども、その代表が「ベン・ケーシー」と言われています。
- そんなふうに、テレビも簡単に今の状態まで来たわけじゃなかったわけです。
- こうした電話とか蓄音機とかテレビとか映画などを、我々は特に「メディア」と呼んでいます。文字で扱われる新聞とか、僕のところの雑誌なんかもメディアというふうにくくられますけれども、じゃあ、メディアというのは何かというと、これはもう散々論じられていることではあります。電話に関して言えば、空間を飛び越えて人と人をつなぐ。蓄音機に関しては時間ですね。録音された時から再生するまでの時間を飛び越える。それから、テレビや映画に関しては、一度にたくさんの人たちに伝えるというようなことで、次元を超えて人と人をつなぐのがメディアということが言えるようです。
- なんですけれども、メディアが文字どおり「媒体」となって音や映像を伝える間に質的な劣化が起こるというようなことがずっと言われていました。要するに、メディアというのは時間は超えるけれども、表現そのものに関してはグレードが落ちちゃう。電話のあの独特の音を思い浮かべると分かりますよね。テレビでいえば、約500本の走査線といわれるヨコ線で人間の目の錯覚を使って動画を見せているわけです。特に電子メディアに関しては、メディアというのはどうしてもリアルを超えられないというような議論がされてきたわけです。
- それが、1970年代から80年代にかけて、デジタル、きょうの後半のテーマの一つでもあるわけですけれども、デジタルというものが出てきます。このデジタルで、最初は電卓とか腕時計とか、あるいは、ゲーム機とかパソコンとか、実際にはもっと目に見えないところ、例えばご飯が焦げなくなったとか、ピンぼけの写真がなくなったとか、クーラー、エアコンで風邪を引かなくなったとかもデジタルの力なんですけども、最初はそういう計算的なちょっと専門的な言葉でいうと自動制御的な能力しか注目されなかったんですね。
- 1980年代のはじめにコンパクトディスク、いわゆる音楽CDが登場しますけれども、当時も音はほんとにいいのかということがすごく議論されました。しかし、デジタルであることで音が劣化しない、アナログレコードだとあのジッターといわれるチチチという音が入ったり、何度もかけてると針でレコード盤がすり減って音が劣化するということが言われていたんですけれども、デジタルは長く音質を落とさずに使える、遠くまで変化せずに伝えられるということが認識されるようになった。
- ところが、このデジタルに対する解釈って、今振り返って読んでみると、すごくデジタルの本当の価値を過小評価してたと思うんです。今起きてるのは、特にこの10年くらいですが、インターネットが登場してから、あるいは、「バーチャル」、今日のもう一つのキーワードであるバーチャルというようなことが言われ出してから、変わってきたんです。バーチャルというのは「仮想」ということですね。ほんとうじゃないんだけれども、ほんとうみたいに感じて人間が全く浸ってしまうような世界をバーチャルといいますが、そういった言葉が使われるようになってから現在に至る間に、それまで注目されていなかったデジタルの本来のパワーというものが発揮されてきたといえます。
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