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シンポジウム「歴史和解のために」
第1部 山室信一氏の基調報告 「真実と権利回復の要求」(1)
山室信一氏 |
- 山室
- 山室でございます。日本側参加者の中では一番末輩なのですが、要するに露払いということで、前座の役割を果たさせていただきます。
- 時間もありませんのでスクリーンのほうに、話の中で触れております「歴史の可視化」、「記憶のモニュメント化」とかというものを示す写真を映していただきます。これは80年代以降、顕著になってくるわけでありますが、皆さんは東アジアのことはご存じだと思いますので、最初に出てくるのは日本のことが少しある以外は、あまり行かれたことがないと思われる東南アジア各地の、ミャンマーでありますとか、シンガポール、タイ、インドネシアのボルネオ、そういった場所で「記憶のモニュメント化」がどう進んでいったのかということを、映していただきますのでご覧ください。
- さて、ただ今、お話がありましたように、このシンポジウム自体は2つの企画をもとにして始まったわけであります。今、ここから歴史という対象に、どういうふうに対処していくのかということに関する議論の場として設けられたわけであります。
- そこでは、「向き合うべき歴史とは何なのか」という問題に関連して、「生きている歴史とは何なのか」、さらにまた、今という時点で「東アジアの150年」という空間の範域、さらに時間の幅で、議論の対象を設定することがなぜ要請されているのかということが、まず問題になってまいります。
- これにつきましては、東アジア世界内の諸国家、諸民族がいかなる相互連関のもとに、それぞれの地域で国民国家を形成してきたのかということを明らかにするという課題とともに、その東アジア世界が他の外部世界といかなるかかわりを持ってきたのかということを現時点において、総体として問うということが問題になっているのだと思います。この「東アジアの150年の歴史」という中には、当然のことながら、さまざまな時間の層が重なっておりますし、それが現在にまで影響を及ぼし、大きな影を落としております。
- そして、「歴史と向き合う」ということは、歴史学研究の成果を踏まえつつ、現在進行中の問題へ、その関心を、過去を省みながら今後のあり方を探るという意味ですから、当然、それは極めてアクチュアリティーを持った現在的な行為であります。その意味で、歴史は決して過ぎ去った過去を整理することではなくて、今を「生きている歴史」としてとらえることになります。このようなとらえ方を「歴史認識」とした上で、ここで考えてみたいと思います。
- もちろん、こうした「歴史認識」というものについては、さまざまなアプローチが可能でしょうし、この後の討論の中でご批判いただきながら、それを深めていければいいと思いますが、時間が限られておりますので、私はこの150年というものを2つのグローバリゼーションの時代であり、しかも、その重なりの時代であったと考えて、そして、今をどうとらえるのかというように考えてみたいと思います。
- ●第1のグローバリゼーション
- 企画にありましたような、「東アジアの150年」という視野の起点となっておりますのは、言うまでもなく中国におけるアヘン戦争であり、その結果結ばれた1842年の南京条約ですね。ご存じのように、中国においては、このアヘン戦争が近代の起点とされているわけです。そして、南京条約に規定されておりました領事裁判権や最恵国待遇、あるいは関税に関する協定などが、その後、日本をはじめとする東アジア世界と欧米各国とをつなぐ、いわば不平等条約体制につながっていきます。この不平等条約を解消するためには、主権国家としての確立が条件でありましたけれども、その主権国家となるためには、ご存じのように、いわゆる文明国標準というものに合致しなければなりませんでした。つまり、西洋化としての近代化というものを進めなければならなかったわけであります。
- こうした文明国標準へ合致するというのは、日本の場合でありますと、「文明開化」という言葉が象徴的に示しておりますけれども、そういった欧米の文明への同化ということが国家目標となってきたわけです。つまり、アヘン戦争以降、現在に至るまでの世界の歴史というのは、主権国家という国家システム基準が地球上を覆っていく過程であったと言えます。これが第1のグローバリゼーションの時代であったわけであります。
- この第1のグローバリゼーションにおける課題は、いま言いましたように、主権国家、あるいは国民国家としての確立でありましたけれども、南京条約の締結されました同じ年、1842年に刊行が始まりました、中国の魏源という人による『海国図志』という本がありまして、これは世界事情書でもあり、国防書でも軍事書でもあったわけですが、この本はすぐさま日本に輸入され、横井小楠や佐久間象山、それから吉田松陰などに非常に大きな影響を与えまして、鎖国から開国へと国論を転換していく大きな契機となりました。このことは何を示しているかというと、東アジア世界がまさに同時性を持って連動し始めたことを意味しております。
- そして、この第1のグローバリゼーションとしての主権国家の世界化という過程におきましては、その国民統合の主要なチャンネルとして、国語の統一といわゆる国史、一国の歴史というものの普及というものが図られてきたわけです。つまり、この第1のグローバリゼーションの中における国民国家形成のための歴史における対立というものが、実は今日、歴史問題となっているわけであります。
- ●第2のグローバリゼーション
- マクロな視点で申し上げますと、こうした第1のグローバリゼーションが打ち立てた国境内の統合を最優先するためのシステムというものが、人、モノ、財の国境を越えた移動を規制する障害とみなし、この障害となるものを打ち破ろうとしているのが、現在進んでいる第2のグローバリゼーションとしての新自由主義型のグローバリゼーションであると考えられます。この第2のグローバリゼーションには、当然、さまざまな弊害が生じておりますし、経済格差や階層分化をはじめとして、社会的な亀裂を生んでおります。しかしながら、国民国家ができる以前、本来は自然であったはずの人と人とのつながりというものを強権的に国境によって断ち切ってきた主権国家の作為性といいますか、そういった歴史的なあり方が、交通・通信のシステムの発達の中で、もはや維持できなくなってきているという側面があることは、否むことはできません。
- 私たちが直面している歴史認識における和解という課題は、こうした2つのグローバリゼーションの流れの中にあることは否定できません。ただし、第2のグローバリゼーションという観点からだけで、20世紀から21世紀へ移行していった転換期に現れた事象を見ることは、やはり一面的であります。
- なぜかと申しますと、この20世紀から21世紀への転換というのは、さらに2つの要因が重なっているからです。1つは1945年以降の戦後50年という時間の経過でありますし、もう1つは、冷戦の終結という事態であります。
- ●歴史の可視化
- そして、戦後50年を迎えるに当たって、1980年後半から世界的現象としてあらわれたのが、記念碑や歴史的博物館の建設ラッシュなど、「歴史の可視化」です。目に見えるようにすること、あるいは「記憶のモニュメント化」という事態でありました。ヨーロッパにつきましては、アンドレス・ハイセンという人が、私たちは現在、「前例を見ない規模のメモリー・ブームを目撃している」というふうに証言しておりますけれども、スクリーンに映していただいておりますミャンマー、インド、タイ、シンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピン、モンゴルなど、この間、10年近く、アジア各地を歩きましたが、そこで起こっていましたことも、実は同じような事態でありました。旧日本軍の戦友会や遺族会などによる記念碑や慰霊碑、あるいは忠魂碑などの建設ラッシュというのも、同時期の東南アジアで起こっておりました。その中には、日本語が読めたら、どういう反応がされるだろうかと思われるものも少なくありませんでしたが、実際に破壊されたモニュメントもあったわけです。
- いずれにいたしましても、こうした歴史的記念館などは泰緬鉄道に関する歴史的展示館や博物館などを含め、一種の観光資源としての役割も持っております。しかし、同時にそれが歴史についての情報や記憶を伝承するためのトポス(場所)として機能していることの重要性を見逃すことはできません。日本の中でも、各県の護国神社などの境内を見て回りますと、「大東亜聖戦大碑」などが続々と建てられたのも、この時期の特徴でした。おそらく、それらは兵隊として動員された人たちが人生の終焉を控えて、みずからの体験や記憶を後世に残し、同時に戦友への慰霊や鎮魂の意味で建てられたに違いないのでしょうけれども、いったん建てられたものは、長ければ数世紀にわたって残ることも、また事実であります。
- また、この時期には、各地で戦争遺跡を保存したり、記録にとどめるという動きもありました。これらの事態は、歴史認識の世代間伝達という問題にもかかわってまいります。
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