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シンポジウム「歴史和解のために」

第1部 討論 「何が起きているのか」(5)

写真北岡伸一氏
写真外岡秀俊
外岡
ありがとうございました。
第2部からご出席の予定だった北岡先生が途中から参加してくださいまして、山室先生の基調講演は聞いていらっしゃらないので、きょうこの会合に臨むに当たって、皆さんご存じのように、歩平さんとカウンターパートで今、日中共同研究をされておりますその座長を務めていらっしゃいますので、そのお立場から、今の進行状況について後ほどちょっと、コメントをいただけたらなと思います。
今、ざっと簡単にまとめたいと思いますけれども、三谷さんからは政治家のリーダーシップの重要性、それから、対話においてはまず差異を前提にコンテクストに迫っていくというアプローチが大事だというコメントをいただきました。
君島さんからは、やはり未来志向ということ。それから、事実と認識を切り離すことはできないということで、やはり歴史解釈の共有ということを民間同士の間でまず地道に交流を積み重ねていくべきだというご発言。
それから、周さんからは多様性の大切さ。皆さん、ご存じかもしれませんが、周さんは『図説 台湾の歴史』という本をお書きになってベストセラーになっておりますが、その中で4つの族群ということで、従来言われていた外省人、本省人に加えて、●南(ビンナン ●は門がまえに虫)、それから、客家(ハッカ)、●南は本省ですけれども、客家と、あと、少数民族のカテゴリーを加えて、非常に多極的に歴史をとらえるということをなさってこられたわけです。そこで、多様性の大事さということをおっしゃいました。
それから、鄭さんのほうからは、みずからの留学体験を踏まえた当時の困難さ、それから、いかに韓国の歴史のとらえ方が変わって、最近は外国とも非常に対話の道を増やしているかという、非常に刺激的なご報告がありました。
歩平さんからは、80年代以降、中国の歴史界にも大きな変化が起きているということ、それから、自国中心の歴史から東アジア全体へというふうに大きな潮流が変わっているというご発言がありました。
朴さんからは、あえて異論を唱えるという前提でしたが、ナショナリズムが実は格差を拡大するグローバリゼーションの実像を覆い隠しているという、そういう危険性をまず意識してなくてはいけないんではないかと。それから、靖国参拝、小泉さんの靖国参拝については半々だとおっしゃったわけですけれども、半々の残りの半分の人にどう受け入れてもらえるのかという意識が大切だと。それから、もう1つ、山室先生の責任をとってしまった日本を目指すということでいいのかと、正しい日本というその未来志向の目標というのがほんとにいいのかどうかというご発言がありました。
ジモーネさんからは、ドイツの実例、とりわけ、ポーランド領に編入された国土から追い払われた戦後のドイツの人たち、その人たちをめぐって、加害者が被害を受ける場合もあるんじゃないか、あるいは、そういうことを主張していいのかというのが今ドイツで大変な問題になっているわけですけれども、そういったものを踏まえて、未来志向、それから、批判的に歴史を見る能力、それから、史実だけではなくて文化的な解釈をする力というのをやはり若い世代に身につけてもらうというのが大事だというお話がありました。
ということで、ちょっとこれまでの話の流れとはずれるかもしれませんけれども、北岡先生に、今の進行状況、あるいは、先生がきょうこの席に臨むに当たって一言、短くて結構ですので。
●我々はまだ出発点、専門家の役割は大事
北岡
じゃあ、ほんとうに一言だけ。
山室さんの事前のペーパーは読んできて、これのとおりお話しされたかどうかわからないですけれども、冷戦後の一般的な歴史の噴出というのは妥当するのかなという気はするんですね。これは特に東アジアに顕著な問題であって、東アジア型の冷戦の仕組みの中に、戦後すぐに我々が直面すべきだったいろんな問題が封じ込められてしまった。それが冷戦後に噴出したということです。
他の地域の紛争は、例えばヨーロッパにおける独仏の和解は戦争直後から始まっているわけで、長い年月をかけて、当時のソ連(ロシア)という共通の脅威がある中で一緒にやっていかざるを得ないという中でそれが進んだというところと比べると、我々はまだほんの出発点に立っているに過ぎないということ。
それから、他の地域の歴史問題ですね。世界中で歴史問題というのは方々にあるわけですね。トルコとアルメニア、そして中東はもちろん、さまざまな問題がある中で、それぞれ違った要素があるという中で我々はこれを考えていくべきだろうと思っています。
もう1つ、来たときにちょうど歩平さんが話しておられたんですけれども、私が一言強調したいのは専門家の役割ということなんですよね。今の時代というのは専門家が進んで自分の専門に閉じこもるという傾向が非常にあるわけですね。私は政治学であり、かつ、歴史学ではあるんですけれども、政治学の世界では政治学に興味あるけれども政治には興味がないという大量の若者が出てきているわけです。自分の分野で評価される、レフェリー・ジャーナルに掲載されて評価されるのが目標であって、日本の政治をどう分析するか、世界の政治をどうするか、それは関係ないというのが結構多いんですよね。私の長年の友人である三谷さんは幕末の専門家であるけれどもこういう問題をやっていらっしゃる。ほんとの専門家は何してるのかという問題があるんだろうと思うんですね。
専門家には専門家の社会的責任というのがあると思うんです。歴史和解に取り組むというのは決して専門家にとって楽しい仕事でもなければ、成果のあるリウォーディングな仕事でもない。けれども、やはり専門家として社会で一定の待遇を受けているからには、それに対応していく責任があるだろうと思うんですね。ですから、それは決して容易なことではなくて、私も人集めに結構苦労したということなんです。
他方で、例えば新しい歴史教科書をつくる会の活発なメンバーを見ると、これはアクティブメンバーは非専門家なんですよね。ということも我々は留意すべきだと。専門家はもうただ自分の専門だけにこだわるんで、やはりグローバルな視野を持った専門家というのが、そして、社会的責任を感じる専門家というのが大事なんだろうなと思っています。
それで、もう1つは、メディアというのは、新聞の主催のシンポジウムで言うのはあれなんですけども、人が犬をかんだらニュースになるのが新聞の世界ですから、犬が人をかんでもニュースにならない。当たり前のことを言うのは報道されないけれども、異常なことを言うと、政治家が妄言を言うと報道される世界なんですよね。
だから、そういうときにあって、多くの人が字を読み、あるいは、インターネットを駆使し、そういう中で、それに必ずしも流されない専門家の責任というのは一段と大きいような気がしております。
外岡
ありがとうございます。
いろいろなコメントが出て、これだけでも大変興味深い議論が展開できると思うんですが、議論は2部のほうで皆さんにそれぞれ10分程度、さらに今の疑問点を含めて展開していただくことにして、1部の終わりに山室さんに、皆さんのコメントをお聞きになっての一言を。

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