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シンポジウム「歴史和解のために」

第2部 討論 「何が 私たちにできるのか」(1)

写真三谷博氏
外岡
どうもありがとうございました。
具体的な教科書づくり、どうやって記述しているのかも含めて、大変興味深いお話でした。とりわけ、単なる2国間で通用するだけではなくて、国家の内部に移民を抱えている社会の中で、そのいわば第三者にも通用するような価値、これが大事だというお話を伺って、そこまで来ているのかと、今驚きを感じたところです。
ただ、ドイツと日本と、あるいは、東アジアを比較する場合に留意しなくちゃいけない相違点が2つあると思うんですね。
1つは、先ほど北岡先生がおっしゃった、冷戦体制が終わるまで東アジアではその対話の道が閉ざされていたという点がヨーロッパとは決定的に違う。今のお話を伺っても、戦後すぐに、つまり西ドイツとフランスが戦後ヨーロッパの要であると、共通の利害を持っているということで、そこがEU(欧州連合)の出発点だったわけですから、そことの違いがかなり大きかった、これが1つですね。
もう1つは、日本は台湾、朝鮮、満州と植民地の歴史を持っているということです。これもドイツとは違うと思います。つまり、戦争と植民地と、二重の歴史を東アジアは持っている。ところが、これについて、戦争が終わった途端にそれを少なくとも日本は忘れてしまった、あるいは、忘れたことも忘れてしまったというふうに指摘する人もいます。ここが大きな違いだろうと思います。これは多分、第2部で朴さんをはじめとする方々がご指摘になる点だろうかと思います。
そこで、これからパネリストの方に10分ずつお話をいただくんですが、そのときにちょっとお願いがあります。今、教科書、ジモーネさんのお話で中心的な話題になりましたが、教科書制度というのは4つの国、地域で違う扱いを受けていると思うんですね。日本でも検定制度がありますけれども、それが最近になって大きく変わっているということがなかなか共通理解として伝わっていない面もありますので、ここでご発言なさるときに、簡単に今の教科書の仕組みといいますか、検定はどうなっているのか、それは国定なのか、それは採択する場合はどうなっているのかということを簡単にご説明していただけたらなと思います。これは三谷さん、君島さん、周さん、それから、鄭さん、それから、歩平さん、それぞれ数分程度で結構ですので、教科書はこうなっていますということを簡単にご説明いただきたいと思います。
それでは、まず三谷さんからお願いします。
三谷
この制度の問題は多分オーディエンスの方々はよくご存じで、外国の方々もかなりご存じで、あんまり制度の説明は必要じゃないんじゃないかと僕は思うんですけど。
それで、レシッヒさんに対しては、今年6月にカリフォルニア大学(UC)サンタバーバラ校の先生たちが中心になってつくった本ができるはずで、英語で私が教科書制度の解説はしていますので……。
外岡
わかりました。
三谷
そちらをごらんいただければ済むと思うんですね。
それで、まず私が申し上げたいのは、ドイツ・フランス、ドイツ・ポーランド、ヨーロッパがうらやましいなと。我々はどれほど不利なところから出発しているんだろうと思います。それで、その主たる原因はやはり政治からきていて、よくそのおかげで韓国や中国や、それから、北米でもヨーロッパの方々でも、ドイツはよくやったけれども日本はだめだというふうに頭から言われる。私は長い間ずっとこれを聞かされておりまして、情けない。
だけど、ドイツは立派だけど日本はだめだというのはほんとは一面では間違っている。というのは、日本が植民地支配、それから、戦争をやって負けて、その後、日本人は、私も親からよく聞かされましたけども、とにかく戦争なんて二度とするもんじゃないということを聞いて育っていて、それでいまだに日本は第2次大戦後60年ぐらいたってまだ一度も戦争したことがないわけですね。そういう国はおそらく世界でもかなり少ないと思います。
それが如実な反省の証拠であり、もう1つは、教科書に関して見ても、家永裁判をはじめとして、教科書の内容を民間の学者がきちっと平和教育が可能なように努力してきたという歴史があるわけですね。それを知らないで、日本人は全然だめだというふうなイメージが世界に流布しているのは、ほんとにそういう努力をなさってきた方々に対する侮辱ではないか、と私は思っています。
その上で申し上げますが、もう1つ、非常にネガティブな発想で話を始めます。それは教科書はほんとうに大事なのかという問題です。私は自分で教科書を書いていますし、それは良い教科書にしたいと努力していますが、いま我々が抱えている、日本人が抱えている歴史記憶の問題というのは教科書が中心にあるのではないと思っています。
その中心にあるのは日本の成人、大人がかつて日本が植民地支配をし、さらに侵略戦争をしたという記憶を持っていない。で、先ほど言いましたように、二度と戦争するもんじゃないと教えられて育ってはいるんだけれども、その時代に日本人が何を隣の人々にしたかということを語ってこなかったし、それについてはあやふやな知識しかないということですね。つまり、レシッヒさんがおっしゃったように、視点を変えて考えるという頭の動かし方ができていないということです。ここが一番大きなポイントですね。加害の記憶、あるいは、被害者たちの立場に対する視線がなかったという、この記憶の空白の問題というのは非常に大きい。
そうすると、それを解決するためにまず必要なのは、子供のための教科書をつくることじゃないんです。問題を起こしているのは、今の政治家をはじめとする成人なんですね。だから、その日本の成人には、歴史について学ぼうという気のある人はかなりいるんですが、それに対してまともな、大人が読んでおもしろくて、ああ、そういうことだったのかと納得してもらえるような本を、しかも、一国史ではなくて、東アジア全域を視野におさめるような本をつくらないといけない。
それで、僕は、ここにも何人か仲間が来ていらっしゃいますが、一緒に協力して、今、「大人のための近現代史」というシリーズをつくり始めているわけです。これは東アジアと言っていますけれども、主要な国としては日本、朝鮮、中国ですが、しかし、それだけだと実はグローバルな視点から見ると不十分です。我々が東アジアと言うと、すぐ何をやるかといいますと、アメリカを排除するわけですね。しかし、それ以上に排除されてくるのはロシアなんですよ。
私もこの近現代史のシリーズをつくっていて痛感したのは、日本人の中にロシアから見たこの近現代史を書ける人がいないということです。それで、仕方ないのでアメリカの先生に頼んで書いていただいた。ロシア抜きの東アジア近代史なんてないし、それから、歴史的事実を言えば、日本でいえば明治のころからもう日本人と中国人がけんかするとすぐロシア人を悪者にして排除し、そうやって仲直りをしようという意識的な努力をしてきたこともあるんです、厳然とした史実として。
ですから、東アジア3国だけでやりましょうというタイプの地域史は無効でして、ロシアなど西洋の視点もをしっかり組み込まないと、ほんとの意味でグローバルに考えないと、いい歴史は書けないんですね。それをまず申し上げておきます。

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