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シンポジウム「歴史和解のために」

第2部 討論 「何が 私たちにできるのか」(4)

写真君島和彦氏
●共通教材読んだ学生、韓国のイメージ変わる
外岡
どうもありがとうございました。
それでは、今のご発言を受けて、君島先生、お願いします。
君島
私に要求されたことは、今、鄭先生から紹介があった『日韓交流の歴史』をつくったことについてなんですが、重複しないような話をしたいと思います。
最初に、司会者のほうから教科書制度のことを少しと言われましたので、ちょっとだけ発言させてください。
日本の教科書は小学校から中学校、高等学校まで全部検定制度が実施されています。ですから、時々問題になる歴史の教科書だけが検定の対象なのではなくて、あらゆる教科書について検定が行われているということが1つです。
それから、もう1つですが、先ほど三谷先生は発言の中で、日本の教科書は執筆者の独自性、執筆者が自由に書いているのだと言われました。それは一面では正解ですが、その基準になる学習指導要領があるということ、それから、その学習指導要領に基づいて検定が行われて、その指導要領に合わないという理由で不合格になる教科書が現在でもあるということですね。
それともう1つは、例えば歴史の教科書ですと、最近は検定意見の付く数は大変減りましたが、政府の見解と異なるところには必ず意見が付くんですね。そこは学習指導要領に合わせないと不合格になるというのが現代でも続いている。そういう意味では、非常に重要なところで検定が力を持っているということだけは付け加えておきたいと思います。
私たちは『日韓歴史共通教材 日韓交流の歴史 先史から現代まで』という本を去年の3月に出しましたが、その本について30人ほどの大学1年生にレポートを書いてもらいました。去年の夏です。本を読んでもらって、こちらが設定した幾つかの設問に答えてもらうという形でレポートを書いてもらいました。その30人ほどのレポートの結果について少し報告をしてみたいと思います。
まず1番目の問題は、日本の高校生が日韓交流の歴史をどのぐらい勉強しているかということです。日本の高等学校では世界史が必修です。そうしていない学校もたくさんあったようですが、必修です。さらに、日本史と地理のどちらかを学ぶことになっています。世界史の中には当然、韓国の歴史も含まれているわけですが、学生のレポートを見ると、高校時代に世界史も日本史も学んだという学生でも、韓国の歴史はほとんど学んでいないと書かれています。教科書でもあまり扱われていなくて、比重が軽いと学生は発言しています。
したがって、先史時代から現代までを含んでいる私たちの本『日韓交流の歴史』を読んで、初めて韓国の歴史に触れたというレポートがたくさんありました。日本と韓国が古代から現代まで深い関係にあったことを認識して、ほんとうに隣国だったんだと思ったとか、交流の歴史を初めて知って、その新鮮さや驚きをレポートに書いて、ほんとうに勉強になったと答えていました。つまり、私たちの本は先史時代から現代までを扱いましたが、そのことの意義は大変大きかったと思っています。
それから、2番目には『日韓交流の歴史』の構成についての学生のレポートです。この本は日本と韓国の歴史の共通認識を追求したものです。したがって、双方の歴史を知っていることは重要な要件です。そのために私たちは本の各章の冒頭に「このころの日本」、「このころの韓国」という双方の簡単な歴史を置いています。
これについて、双方の通史的叙述を読むことによって、みずからの考え方の軸を両方に置くことができるようになった、それを背景にして交流史を考えることができて非常に効果的だった、というレポートがたくさんありました。短い文章で「このころの日本」を書くのに私たちは大変苦労したのですが、効果があったと思っています。
それから、先史時代から現代までを扱ったことについても、日韓の交流史のうち近現代史だけが大きく取り上げられるので、そこだけが問題かと思っていたら、はるか昔から双方の政治や社会を始めとして、経済、文化など多くの交流があったことを知ることができて非常に興味深かったという意見や、日本と韓国が歴史的に見て、切っても切れない関係にあったことを改めて知ったという意見もありました。
このような感想はかなりの学生のもので、高等学校できちんと学んでいないこともあって、大学生にはかなり効果的だったように思います。
それから、この本は日韓で共同作業した成果ですが、日本と韓国のどちらの立場で書かれているかについて、どちらかに傾斜しているのではないかと思って読んだのだが、日韓双方を対等に扱い、中立的だったという評価をかなりの学生から受けました。我々が長い時間をかけて自由な討論を積み重ねて、原稿の修正を何度も双方の参加者で繰り返した結果、中立的な叙述になったのだと思っています。したがって、認識もどちらかに偏るのではなくて、中立的な立場の叙述になったのではないかと思います。学生は素直に読んでいるように思いました。
また、教材として重要な地図や図表、写真などもたくさん取り上げましたけれど、それについても歓迎している意見が多かったです。さらに、叙述の難解さについても全体的に見て大学生、高校生にとっては理解可能なものではないかというレポートもありました。
それから、3番目ですが、『日韓交流の歴史』を読んだ素朴な感想を少し紹介しようと思います。
近代史は日本の侵略の歴史が大きな位置を占めます。しかし、『日韓交流の歴史』では侵略の事実を強調するだけではなく、それ以上に韓国人の独立運動に大きな比重を割いています。それは日本人にはよく知られていないことですが、韓国人や韓国の歴史教科書などでは大変よく知られて強調されていることです。日本と韓国の歴史の共通認識を追求するときに、相互に事実を知り合うことは大変重要です。
しかし、学生のレポートを見ると、独立運動に関する言及が非常に少ないといえます。日本の高校の教科書では植民地時代になると、独立運動が継続していた、という抽象的な記述だけで、具体的に独立運動の実態は書かれていないわけです。したがって、学生は全く初めて学ぶ韓国の独立運動の歴史に戸惑って理解できなかったのではないだろうかと思いました。
他方、『日韓交流の歴史』では、近代史を侵略と抵抗という2項対立でとらえるのではなく、在朝日本人や在日朝鮮人、さらに、知識人の相互の日本理解とか朝鮮理解などについて記述して、多様なあり方を重視しました。このことに関連して、吉野作造とか石橋湛山とか柳宗悦とか浅川巧などの人物を取り上げて書いているのですが、それについて学生は、一般の日本人が朝鮮人に差別意識を持っていたときに、そういう蔑視した考えを持たず、朝鮮人を理解した人々がいたということを初めて知ったとか、そういう事実を知って安心したなどという、なかなかおもしろい感想が書いてありました。
他方、侵略の実態を記述したところを読んで、日本の動き、日本の侵略の動きを肯定しようとしている気持ちが自分の中にあったということを正直に書いている学生もいました。近代の日韓関係に対する学生の認識は極めて複雑で、心の葛藤と戦いながら『日韓交流の歴史』を読んでいることがわかりました。

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