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シンポジウム「歴史和解のために」

第2部 討論 「何が 私たちにできるのか」(9)

写真朴裕河氏
それでは、最後になりましたが、朴裕河さん、よろしくお願いします。
皆さん、ほとんどの方がきょうは教科書ということに関してお話をしてくださいました。とっても大事なことだと思いますし、そういったことにかかわって努力されてきたことに敬意を表したいと思います。
教科書がつくられるまでには、今のお話でわかったように、非常に長い時間がかかる。あと、それがちゃんと学ばれるまでにも時間がかかる。また、学ぶ過程でもいろんな議論があり得るということで、とても長い、長い時間のかかる解決策だと思うんですね。そういう意味では、ともかく気長にやっていくべきことであると思います。
私のほうは、そういう長いスパンでできること以外のことについてお話ししたいと思います。
最初のレシッヒ先生の話や今の周先生からはいろいろ示唆を受け、共通するような視点もあって興味深かったのですけれども、どこかでそういう話との接点があればというふうに思っています。
今、皆さんのお手元に資料が配付されているはずですが、そこに書かれてあるように4点にわたってお話します。最初に、今私たちがどこに来ているのかということを確認したいと思います。次は、今現在こういった場を設けて話をするというのは、長い間いろんな 努力があったにもかかわらず、それがうまく機能しなかったという状況だからですけれども、何が問題だったのかについて話し、次にこういったことを打開するために何が必要なのかについて話します。最後に、何を目指すべきなのか、そういった過程で忘れられることはないのだろうかというようなことをお話ししたいと思います。
最初に、北岡先生もちょっと触れられましたけれども、日本は謝罪をしているんだというお話がありました。確かに謝罪はありました。時間がないので、きょうのお話では日韓の話だけに集中してお話しすることをお許しください。背景がわからないとほかの国からいらした方には理解が難しいかもしれないので簡単にお話ししますと、現在、日韓関係は幾つかの歴史問題をめぐって対立している状況にあります。特にきょうの中心的な話題であった教科書問題、あと、慰安婦問題、それから、靖国問題は中国とも共通するんですけれども、あと、さきほど周先生がとても興味深いお話をしてくださいましたけれども、領土をめぐる竹島問題、独島問題というものを抱えております。
●前に進むためにも、慰安婦問題の再検証を
この中でも一番、いま現在、重要と思われるのは、やはり慰安婦問題であろうかと思います。きょうは歴史教科書の話が多かったのでそれはちょっと割愛して、その慰安婦問題をめぐる日韓の対立がどうなっているのか、打開するためにはどうするべきかということをお話ししたいと思います。
このシンポジウムのためのパンフレットの後ろのほうに簡単な「歴史認識をめぐる動き」というのがあります。そこに93年の初めに河野談話があったことや、95年に村山首相の謝罪があったことが書かれています。このようなこと、謝罪があったにもかかわらず、なぜ今、韓国においては「謝罪していない日本」という認識が中心的になっているのかということを考えたいと思います。
つまり、謝罪をめぐる認識の違いが韓日の間にあるんだということをまず前提として考えなければいけないだろうと思うわけです。そういったことになった背景には、その当時の、ここ15年以上になりますけれども、それにかかわった政府、それから、事態を報じたメディア 、あと、それぞれの場所から支えたり支援したりした市民や識者に、みんないろんな形で努力をしたと思うんですけれども、何らかの問題があったかと思います。時間がないので具体的には申し上げられませんけれども、そういったあり方の問題をここで、再点検すべきではないだろうかと。
日本の公式の見解としては慰安婦問題はもう済んだことになっているかと思います。日本は確かに謝罪をしましたし、アジア女性国民基金を作って補償もしました。しかし結果的に韓国ではそのことはきちんと受け止められませんでした。それは必ずしも日本だけの責任ではないと私は考えていますが、ともかく結果として、現在なお週1回、韓国の日本大使館の前では慰安婦のおばあちゃんたちと支援団体のデモが行われている状況です。
さらに、皆さんご存じのように、去年あたりからアメリカをはじめ、ヨーロッパなどで、慰安婦問題をめぐって日本は謝罪をするべきだという議会の議決が出ているわけですね。そのことに対する反発がまたあったりしたわけですが、問題は、 日本もいろいろやったけれど、いまや慰安婦問題というのは「世界」の問題になった。そういった形で、実際の過程はともかく、現実としてそういう状況になってしまっているわけですね。そのような現実をここで改めてきちんと認識しなおすべきだと思うわけです。
もう1つは、「世界が」と言いましたけれども、ほんとに世界中と言ってもいいほどに、特にフェミニストの人たちが注目しているし、支援しているということです。ですので、この問題はおそらくこのまま、日本が言うように済んだこと、というふうにはいかないだろうし、そういう意味で現状のままではいつまでも和解は難しいだろうということをもう一度認識しておきたいと思います。
日本との葛藤がひどかったときに、韓国と中国が同じく被害者であるということで、若い人たちのインターネットでの連帯がありました。しかし、問題を解決するという方向で考えるのなら、やはり問題がどこにあるのかということをもっと正確に見るべきですし、そういったときに韓国と日本の関係は植民地支配の関係であり、その遺制としての今日の問題であるということ。あと、中国とはあくまでも戦争をめぐっての関係であるということ。また、よく台湾は親日的なのに韓国は反日的だというふうに言われるんですけれども、それはやっぱり中国を意識してのこととかいろんなことがあってのことであって、そういうふうに単純に比較される問題ではないという意味で、台湾と韓国との違いもしっかり見ておきたいと思っています。
そういった意味で、同じく被害者として声を出すということではなく、その被害者の立ち位置の違いも問題を考える前提として見ておくべきだろうと思います。つまり90年代を通して特に韓国において中国と共同対応をするというような声が高かったのですが、そういった共同対応の根源的な不可能性ということも実際の行動とは別個に認識する必要があります。
つまり、植民地化や戦争という事態をもう少し深く見ていく。今、先生方がおっしゃったような、歴史をどのように見るかということですね。これはもちろんやっていくべきである。
それと同時に、ここ15年、つまり日本が公式に謝罪を表明した90年代以降のことまでもう歴史の範疇に入れて、何でああいうことになっていたのかということをもっと細かく、かかわっていた人たちみんなが考えてみないと、やはり前へ進んでいけないのではないかと思うわけです。
ほかの方も触れられたように、被害者に対する記憶が埋もれていたということを認識するのはもちろん重要なことです。同時に、加害者と言われる日本のことに関してもきちんと向き合ってこなかったということが、いきなり90年代になって過去を突きつけられたときの混乱と関係があると思います。そういった意味で、ここ15年、もうじき20年になりますが、90年代以降の謝罪をめぐる混乱についてこれをもう一度考えたい。
今、韓国では政権が変わって新しい大統領はもう過去より未来を見ようと言っています。未来を重視するのは望ましいことですが、少なくとも慰安婦問題に関しては、問題に対するいろんな誤解もあり見方が違っていて、やはりそれに対する反発も強いわけです。そういう意味で過去の問題を見ないのは現実的に不可能だし、そうするべきでもないと思います。そういう意味で、未来を目指そうとしている今こそ、何らかの形で具体的な解決策を探るべきではないかと思います。
90年代の再検証が必要です。謝罪がうまく機能しなかった時代を歴史化し、まずは日本が謝罪をしたということを承認し、その可能性と同時に限界をも見ておくべきです。

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