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ブロードバンド・ユビキタス環境の実現とコミュニケーションの変化

― ブロードバンドシンポジウム2004 ―


 世界最先端のブロードバンド環境が整備されつつある日本。この環境をどう利用すれば豊かなコミュニケーション、便利な社会を実現できるのか。私たちはまだ知らない。3月9日、有楽町マリオン朝日ホールで開かれた第3回朝日ブロードバンドシンポジウム(朝日新聞社主催)では、コミュニケーション進化論が語り合われた。

基調講演 養老孟司さん(東大名誉教授)
パネリスト 和才博美さん (NTT副社長)
飯田桂子さん (ジグノシステムジャパン社長)
中村伊知哉さん (スタンフォード日本センター研究所長)
コーディネーター 原淳二郎 (朝日新聞編集委員)





基調講演 養老孟司さん(東大名誉教授)
養老孟司さん
「情報技術の進歩と人間のコミュニケーション」

 コンピューターと人間の脳は意外と似ている。人間が考えることを脳がどう可能にしているのか、そのメカニズムはまだ分からないが、それをある意味できちんと論理化して作ったのがコンピューターだといっていい。

 われわれの意識と無意識は氷山にたとえるなら、水面の上が意識で、自分で分かっている部分。その下には自分で読めない大きな部分がある。これが無意識。体といってもいい。氷山の一角である意識が作り出してきたのがコンピューターであり、コミュニケーションは氷山の水面から出た部分同士、意識をつなぐ道具だといえる。しかし、無意識をつなぐ言外のコミュニケーションというのもある。隣に座っている見知らぬ人の手は普通は握らない。こういうコミュニケーションは抑制して外には出さない。

 意識同士をつないでいるのが言葉であり、情報といっている。現代社会では水面上の部分だけが見えていて、基本的には上だけで動いている。脳と脳を情報でつないでいくのが、私のIT社会のイメージだが、その時非常に多くの部分が切り落とされていることをそれこそ意識しておく必要がある。

 情報化社会の大きな錯覚は、情報が常に変わるとみな考えていること。ところが、いったん情報化されたものは変わらない。コンピューターの中に入っているものが変わったら大変で、勝手には変わらない。おしゃべりはその都度消えていって、動いているとみな思っているが、テープレコーダーにとっておけばいつでも再生できるから、止まっている。井戸端会議でここだけの話といって安心していられるのは、相手の記憶が自分程度に悪いという確信がある、それだけの話だ。ITが本当に進んでいくと分かるようになる。

 ところが人間の方は絶えず変わっていく。若い人でも赤ん坊の時と今の自分を比べたらいかに変わったか分かるはず。年をとるということは自分が変わっていく過程でもある。変わらないのは情報で変わるのは人だ。

 変わらない情報に自分を預けるという作業が、かつては言葉を大事にするということでもあった。それを約束というが、現代では死語になった。人間が変わらないと思えば、言葉が変わると思うしかない。

 情報処理というのは止まったものを再配置していく作業だから人間の意識が得意としている。情報を作るということは氷山の下の部分を上に持ってくる作業。もともと意識の中になかったものを情報に変える。情報化すると、言葉になる。この情報になっていないものを情報にする作業ができない人がものすごく増えた。学生に試験の代わりにリポートを書かせたら、学生のくせにやたら官僚的な文章が出てくるので、なぜか調べると、インターネットで官庁のホームページを抜き書きしている。彼らのやっていることは広い意味で情報処理。すでに情報になったものを切り張りしているだけだ。だまされてなるものか、と次から学生を部屋に閉じこめてリポートを書かせた。すると最後までずっと座っていて一行も書かない学生がいる。なぜだと聞いたら、何も題を与えられず、ただ書けといわれると、これくらいつらいものはない、というから、じゃそう書け、といったら、本当に2行くらい書いて出ていってしまった。何が問題か、というと、情報になったことは上手に処理できるが、情報の産生、情報化ができない。言葉にするということは情報化する能力。学問とか勉強は情報化する作業そのものだ。

 学問は意識と無意識の境界の水面を下げること。意識を拡大し、無意識を減らしていく動きでもある。これが学ぶことであり、情報化に相当する。絶えず意識化する作業は生きていることそのものだ。

 意識の世界が発達してくると、先ほどの学生みたいにこちらにばかり住んで、意識化する作業をおろそかにしてしまう。すべてを意識化していくベクトルが学問だ。教育は自分でそれができる人を養成することが目的だったはず。

 子どもに泳ぎを教えると、泳げるようになった瞬間から海を怖がらなくなる。何が起きたのか、というと子どもの世界が変わったといってもいいし、端的にいうなら、自分が変わったわけだ。絶えず自分を変えていく作業、意識化する作業をしていないと無意識の存在に気がつかない。

 今の学校教育は意識の世界に閉じこもっている。だから何でもいいから書け、といわれた瞬間に1行も書けなくなる。

 一日のうち8時間は寝ているのだから、3分の1は意識がない。意識のある世界がすべてだと思うととんでもない。ITが発達すると、水面下はどうなっているのかという疑問が起きてくるはず。水面下を豊かにしないと水面上も成り立たないということが分かってくる。

 意識の中に人間が住むようになった社会を私は脳化社会といったが、そこで問題になるのは、意識にならない部分と意識の関係。現代は、意識の世界と無意識の世界で別なルールが存在することを認める気がない。われわれの子ども時代は、自然の中でこけつまろびつして、トンボ取りや魚取りをやっていた子どもが、学校で情報処理の仕方を教わった。いまの子どもは逆で、テレビはあるし、言葉ははんらんしている。それに情報処理を学校で教えても屋上屋を重ねるようなもので、教育は逆にならなければいけない。体を使って働けば水面下の存在に気がつくはずで、下がちゃんとすれば上もちゃんとする。



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