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【シンポジウム】

アフガン復興の現状と課題〜テロのない世界を目指して

【第1部】基調講演



 司会 それでは、アフガニスタン支援日本政府代表の緒方貞子さんにご登壇いただきます。皆様、拍手をもってお迎えくださいませ。(拍手)

 緒方 ただいまご紹介いただきました緒方でございます。きょうは「アフガン復興の現状と課題」という題で朝日新聞社のほうでシンポジウムをご計画になりましたので――私は海外にいることが多いんですが――この日のためにこちらにおりまして、皆様にお話をし、皆様の色々なご意見を伺うのを楽しみにしてまいりました。

◇テロ後、世界が変わる

 9月11日というのは、やはり歴史を変えた日だろうと思います。私はニューヨークにおりましたが、その日を境にいろんなことが変わったと思うんです。ほぼ1年前になりますが、ニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防省で同時多発テロが起こりました。

 その後、何が変わったかというと、アフガニスタンの平和と復興を目指す国際協力、これが大きく動いたと思うのです。それと同時に、テロとは何なんだろうか、テロに対する対策というものはどういうものなんだろうか、というようなことについても様々な意見、政策の提言、そして、実行というものが動いております。

 きょうは、世界的な意味でのテロ対策、アメリカの軍事行動、あるいはイラクをどうするかということについてお話をするのではなくて、むしろ、テロ対策の一環としてのアフガニスタンに集中してご報告を申し上げたいと思っております。

 一言で言えば、やはり9月11日に引き続いて、今日も安定と不安定が錯綜したような同時多発テロ後の世界は続いている。そういう余震はまだおさまっていないんです。その中で、何が非常にはっきりした形で動いているかというと、やはりアフガニスタンの平和と復興を目指す国際的な協力が、いろんな問題をはらみながらも、進んでいるというふうに私は考えております。

 私自身、まさか9月11日の朝に、あのような同時多発テロが起こるとは思っておりませんでした。私のおりましたアパートは40階ですが、そこから世界貿易センタービルがよく見えたんです。朝御飯が終わって新聞を読みながら、ふと目を上げましたら、世界貿易センタービルの一棟が煙を出している。それで、火事でも起こったのかと思いまして、これは大変だと思った途端に、もう一つの建物が真っ赤な火の玉になりました。飛行機が激突したのです。

 やはりアメリカというのは本土を攻撃されたことのない国ですから、それからはアメリカ国民、特にニューヨーク市民の怒り、不安をひしひしと感じながら、そして、「たくさんの家族がいない、友人がいない」という騒ぎの中でしばらく暮らしたわけでございます。

 また、貿易センタービルというのはアメリカの経済力の一つのシンボルですし、国防総省というのはアメリカの軍事力の一つのシンボルですから、その両方がやられたということがアメリカ国民にとってどんなに大きな衝撃だったかということは、やはり事実としてわかっていただきたいと思うんです。

 その時、私が一番心配して考えたことは――もちろん、日本法人のビジネスの方たちもたくさんおられて、その方たちの安否を心配しながらも――このテロというもの一体はどんな問題を起こしたのだろうか、ということでした。

 じきに、テロリストの大半はアフガニスタンの地から出てきた、それが背景になって出てきたというような話ができました。国連も対テロ対策をしなくてはならないというような決議を通したのですが、アメリカとしては何とかしてこれに対抗しなくてはならないということで、すぐに「ウォー・オン・テロリズム」(テロ戦争)という表題を掲げたのですが、一体だれを対象に、この「ウォー・オン・テロリズム」(テロ戦争)をするのだろうか。そういうことが非常に気になったわけでございます。

 アメリカのテレビの画面にアフガニスタンの地図が毎日のように出てきた。それまで恐らく、アフガニスタンがどこにあって、どういう国が隣にあるのかというようなことは余り一般的には知られていなかったと思うんです。それでは、アフガニスタンを対象として対テロ戦争をするということになったら、一体どんな戦争になるのだろうか、だれが標的になるのだろうか、ということが大変気になりました。

 と申しますのは、1991年から2000年の終わりまでの10年間、私は国連難民高等弁務官として世界中の難民の保護と支援、そして、できれば彼らが難民でなくなるように難民問題の解決に努めてきたんですが、一番大きな「積み残し」はアフガン難民だったわけです。

 私が国連難民高等弁務官になりました91年には、約620、630万人のアフガン難民がパキスタンとイランにいたわけです。これは当時のソ連の侵攻下にあったアフガニスタンから逃げてきた人たちなのですが、その後、ソ連が撤退して軍閥間の戦闘状況が続き、帰っていった人たちもあるけれども、タリバーンのもとで出てきた人もあるというようなことで、最後には約220、230万人のアフガン人がまだ難民としてパキスタンとイランにいたわけです。

 これを最大の「積み残し」といつも言っているのですが、その人たちが、このテロ戦争でアフガンに対する軍事行動が起こった時に一体どういうことになるんだろうか。また、今まで23年もいろんな形の紛争で苦しんだ人たちが、今度はアメリカの攻撃に遭ったらどうなるんだろうか、ということが非常に気になったわけです。

 1週間ぐらいたってからだったと思いますが、パウエル米国務長官がテレビに出て「軍事目標はアフガニスタンではあるけれども、アフガニスタンの人々ではない」ということをはっきり言われた。これをおっしゃるのにやっぱり1週間近くかかったんです。それを聞いたときに、私はちょっとホッとした思いがしたわけです。

◇対テロ戦争−軍事行動と復興をリンク

 それでは、アフガニスタンに対する戦争、テロリズム戦争というのはどんなものだったか。これは10月になってから始まるわけですけれども、アメリカ軍が高度な大量破壊兵器を用いてアルカイダとタリバーン――アルカイダというのは、イスラム系の人たちが多く入っている組織化されたテロのグループで、アフガンの土地を訓練及び事業のテロ活動の根拠地に使っていたわけです。それから、タリバーンというのはイスラム原理教のアフガン人で、アフガンの中の軍閥が戦争し合った後に、ある程度アフガンの中の行政と治安をあずかっていたグループですが――その人たちに対してアメリカは軍事行動に出ました。

 最後に、タリバーンの支配下になかったアフガン北部に北部同盟というのがあって、その北部同盟の軍を使いながらアメリカは戦争を遂行したわけです。そして、結果的には壊滅的な打撃をタリバーン軍、アルカイダの組織にも与えたのです。

 これについては、かなりの国際支援があったわけです。アメリカの同盟国、国連加盟国から一様にタリバーンやテロに対するアメリカの軍事行動に対しては幅広い支援が表明されました。

 日本も、10月の終わりでしたけれども、上海で小泉首相がブッシュ米大統領に会った際に、支援すると表明しました。事実、その前に日本は10月にテロ対策特別特措法というのを通しておりまして、それに基づいて海上自衛隊の艦船をインド洋まで派遣する。派遣の地域としては非常に広くなったわけなんですが、そこでアメリカとイギリスの軍艦に給油をするという後方支援の仕事を始めたわけです。

 そういうことを背景にして、小泉首相はブッシュさんに対して「日本の国としては軍事活動に積極的に参加するということはできない。しかし、アフガンの復興支援について日本は一生懸命協力するつもりである」ということを表明するわけです。私は、は非常に大事な申し合わせだと考えているんです。

 と申しますのは、アフガンに対して軍事行動をとっても、それですべてが終わるわけじゃないんですね。その後に来るものは何かといえば、アフガンの人たちが平和に暮らせ、明日の希望が持てるような復興援助をしなくてはならない。本当に膨大な仕事なのです。それを日本はやります、ということを早くに首相は言われたんですね。

 それを契機にしまして、早くも11月にはワシントンで復興のことについて相談をしようということになりました。アメリカ、日本、EU、サウジアラビアが呼びかけ人ということで、この会議を開く。さらに、これが具体化しまして、今年の1月、東京でアフガン復興支援国際会議を催すことになったわけです。

 私、その時の共同議長になるようにということで、復興会議にはいろいろと手伝いしたんですが、これは、テロ戦争、軍事行動と復興活動を同じような目的のために非常に相関連したものと把握し、それに基づく国際的な政策というものをつくったということで、非常に新しい試みだったと思うのです。

 今まで、戦争がまだ進ないうちから軍事行動と復興をリンクした形で国際的な協力が進んだことは、あまり前例がないと思うんです。大抵、軍事行動がずっと進んでから、復興に対する努力が試みられてきました。

 また、復興というものを早くに視野に入れましたために、東京会議では非常に幅広い参加者が見られました、参加した国は60カ国、アジアからたくさんの小さい国が来たのです。そして、NGOの会議が並行して行われました。国際機関も25機関が参加しました。

 そこでの目的は、どういうよう形でアフガンの復興をしていかなければならないか、一体どの国がどのぐらいの用意があるか、お金を出す場合の予算をどういうふうに出すか、というようなことを相談して、誓約、約束をする会議だったわけです。これは一言で申しますと、今後5年間に45億ドルというものを、各国から「私のほうでこれを出しましょう」というお約束が出たわけです。

 もちろん、45億ドルというのは国によっては、今年の分だけと言う国、あるいは2年半のことを言う国など、いろんな違いがあったものですから、この45億ドルの内訳を細かく分析するのはそうやさしいことではありませんが、日本としては2年半で5億ドルまで出すというお約束をされたわけです。

 そういうことで、始まりは「みんなが何とかしましょう」ということなりました。というのは、アフガニスタンの不安というのは、その地域全体の安全保障にも関係してまいりましたし、テロというものが世界的に動き出したということから考えますと、世界的な意味があったと。みんな何とかこれに対応しなくてはならないという強い決意があったわけです。

◇復興への3本柱、相互に連関

 それでは、求められるアフガン復興とはどういうことなのか。私は、これは3本の柱を立てて分析することができると思うんです。その3本の柱というのは、1本目は「治安維持」であり、2本目は「政権樹立」であり、3本目は「復興支援」なんです。この3つは非常に深く連関しているわけです。

 治安維持と申しますのは、これは主にアメリカに幾つかの同盟国が同調したんですが、軍事活動による一応の治安の確立。アルカイダあるいはタリバーンの駆除、壊滅ということで、一応の軍事行動は成功を見ました。「一応」と私が申しますのは、全部終わってはいないんですね。ですけれども、そういう、一応の治安の樹立です。

 そして、徐々に治安が好転していく中で、首都のカブールに対しては、国際治安支援部隊(ISAF)という国連安全保障理事会の承認のもとに国際的に合意されて出てきた軍隊が駐屯しまして、一応、カブールの治安は好転しております。完全ではありませんけれども、好転している。

 そして、第2の柱の政権というのは、アフガンの伝統的な政治決定のメカニズムでございます国民大集会というものを開くことが決まりました。これが6月に開かれて、私もそこに立ち会うことができたんですが、その伝統的な国民大集会によって移行政権を樹立させたんです。そこでカルザイさんが大統領として選出されて、一応、行政府の柱ができた。

 第3番目の復興援助。これは、アフガン社会の生活の再建というものを試みるわけです。経済社会インフラは非常に壊れております。不備でございます。それを整備していかなくてはならない。それと同時に、難民として逃れた何百万の人、あるいは、国内にいて難民と同じように自分の家、村から逃げてきた避難民、また、そういうような人たちを引き受け――「再定住」というような言葉をよく使いますけれども――もう一度自分の家、村、自分の国で住めるように手伝ってあげなくてはならない。それが復興支援の大きな目的になるわけです。

◇治安が第一条件

 これをもうちょっと具体的にお話しします。治安、政権樹立、復興支援というのはどうやって絡んでいるかというと、こういうことになるんです。まず治安について申しますと、この治安がきちっと確立しませんと、政府もぐらぐらしている、帰ってきた人も危なくて自分の家に戻れない、いずれも連関していますけれども、治安は第一の条件なんですね。どうしても治安がしっかり確立しないと、政権も安定できない、復興支援も行われない。こういう中で、やっぱり治安というのは非常に大きい問題だったのです。

 今でも旧軍閥下にある、いろんな軍事要員、あるいはアルカイダの人たちもいると言われています。このところ治安がうまくいっていないという報道が多いんですが、いろんな対立、そして不穏活動が続いているんです。大きく言えば、カブールは比較的治安が確立している。ですけれども、地方に行くと、確立しているところもあるし、確立していないところもあるわけです。

 今、一番どこが気になるかと申しますと、やっぱり北部の状況が気になるんです。と申しますのは、北部同盟が中心になってこの政府をつくったからです。北部同盟というのは、ウズベク、タジクという部族が中心になっているんですが、そこにかなりパシュトゥン族という――これは一番多い部族ですが――その人たちがかなりいたわけです。その人たちが追い出されてくるケースが非常に増えているのです。

 6月にアフガニスタンに参りました時に、南部の大きなまちのカンダハルというところに行きましたが、ものすごい石ころ道をガタガタしながらもっと南部に行きまして、そこにある国内避難民のキャンプに行ってみたのです。

 というのは、そこは干ばつの犠牲者もたくさん住んでいて、砂漠のようなところの最も貧しい人たちがテントにいると聞いていたからです。何とかこれを助けてあげなきゃいけないということで行ったんですが、砂漠化の影響で自分の家に住んでいられなくなって逃げた人のほか、北のパシュトゥン族がかなり逃げてきていました。

 パシュトゥン族がどうして逃げていっているかというと、軍閥の人たちがいろんな形でパシュトゥンに対する迫害をしているからです。話をいろいろ聞いてみますと、まず「自分たちの家を没収された」「土地を取られた」「男の子がみんな連れていかれた」と、だから「仕方がなしに逃げてきた」と言うのです。逃げてきた人たちは、さらに西のほうのヘラートというところに行って「今度は女の子たちを連れていかれてしまった。仕方がなしに国内避難民のいる、こういうところまで逃げてきたので、何とかしてください」と言われました。

 私は、雨を降らせることはできないんですけれども、こういうような北部での迫害に基づく難民が新しく出て来ている状況を何としても改善しなくてはならない。「皆さんのお声は政府にも伝えます。それから国際治安支援部隊の人たちにも話しましょう」ということで、カブールに行ってからこういう訴えも伝えました。また、ニューヨークに行ってから国連安全保障理事会の場においても、「治安の確立については、国際治安支援部隊、あるいは、他の軍隊でも北部にしばらく駐屯させる必要があるんじゃないでしょうか」とお願いしたわけです。まだ実現はしておりませんが。

 やはり治安というものが完全に確立していなければなりません。その中でも大きな原因がどこにあるかはっきり見定め、やはり国際的にもカルザイ政権に訴える必要もありますし、軍隊を派遣している国々に対しても、何も大勢の軍隊を国中に広げる必要はないんですが、要所要所にお目付役を置くということによって、より治安を確立する必要がある。これは話もしましたし、そういうことが必要だと考えております。

 その後も、副大統領が暗殺されたり、いろんな問題はあるんです。ですけれども、大勢の人が今も逃げてきているという状況は、やはり非常に不安であるだけではなくて、何とか対応しなくてはならないと考えています。今、例で申し上げたのは、こういう治安の問題がまだ残っているということです。

◇政権はできたが、基盤は弱い

 それにしましても、政権が確立したということは、中長期的観点からいって非常に望ましいことだったと思います。この国民大集会というものですが、一体どうやって、戦争が終わって半年後に、こんな大集会ができるのかと思いました。

 これはロヤ・ジルガというふうに呼ばれているのですが、草の根からだんだんに代議員を選出していくのです。そして、代議員を選出した結果、1650人という人が国内と国外にいるアフガン人からも選ばれて、カブールに6月に集まったんです。それは大変な壮観でした。なぜかというと、大きな大きなテント張りの会場ができて、そこに1650人の代議員が集まって、そのうち200人は女性なんです。

 アフガニスタンでは女性が非常に虐げられて、外へも出られない、顔も見せられないというような状況が続いていたんですが、そのうち200人の女性が代議員として来られて、非常に活発な討議をしました。どんどん立って、自分たちの意見を言う。そして、その意見に反対する人はワーワー声を立てて反対して、また出て来て話すというような活発な意見の交換がありまして、その過程で、秘密投票で85%の票を得てカルザイさんが大統領に選出されたわけです。

 これを私は、やっぱり非常なポジティブな現実として受けとめているわけです。しかし、大統領は選出されたんですが、大変だったのは閣僚選びだったんです。どうしてかというと、今までもあった、いろんな軍閥の首長間の対立というものが出てきたからです。日本でも同じようなことが起こったんじゃないかと思います。自民党の中でも、あるいは戦国時代にもそういうことはあったんだろうと思いますが、現に閣僚選びは大変のようでした。

 ただ、もっと大きな問題は、行政能力の問題なんです。政府はできた、閣僚も決まった。しかし、各省に役人がたくさんいるわけではありません。やっと建物があって、やっと机やいすが出てきて、何人かの人がいるというような状況なんです。中央政府の行政能力が弱いんです。それから行政費も足りません。公務員の支払いというのはずっと滞っております。

 税収も非常に限定的です。主として関税ですが、地方の権力のある、近代的に言えば知事――多くの場合軍閥の長なんですが――そういうところを通って、上納するという形で中央政府に入ってくるんです。したがって、中央政府は財政的な基盤も官僚的な能力も非常に弱い。

◇社会生活の再建、インフラ整備が不可欠

 それでは何が残っているかというと、やっぱり社会なんですね。アフガン社会というのは部族的な社会で、知り合い、親類、そういうものの広がりの上に成り立っている社会だというふうに承知しております。23年間の戦争の中で非常に苦しんだ人たちであるんですが、社会的な連帯というものは思ったより強いんじゃないか、というような印象を私は持ちました。

 そのアフガンの社会に何が起こっているかというと、ものすごい人間の移動があるわけです。まず、難民が近隣の国々から帰り始めました。私が元おりました国連難民高等弁務官事務所では、たくさんの人たちが帰ってくるので、何とか難民が帰ってくる準備をしなくてはならないということで、準備をせっせと始めたんですが、その帰ってくるスピードが予想をものすごく上回ったわけです。

 本年の初めには、今年は80万人ぐらい帰るかなと思っていたのが、パキスタンの方かどんどん帰り始めた。3月以降、帰還が始まったんですが、現在で163万人帰ってきた。そのうちパキスタンから144万人、イランから18万人、そして中央アジア諸国から1万人と、これだけの人が帰ってきたわけです。

 帰ってくる人たちに何がしかのお金を与え、当座の食料を与え、最小限の家財――必要なバケツとかといったものが主なのですが――そういうものを与える。カブールの場合にはカブールの町の入り口にそういうセンターがありまして、私もそこを訪ねたんですが、みんな借りたトラックにあらゆるものを乗せて帰ってくる。そういう人たちに、幾らかのお金を与えると、それぞれの人たちが自分の故郷、あるいは縁者を頼って帰っていく。

 ちょうど私がおりました時に100万人目が帰ってきたんです。その後1カ月の間にもっと帰ってきた。それは嬉しいことです。なぜかというと、自分の国に希望があって帰ろうというのは、これは一つ、平和への承認が出てきているわけです。

 ですけれども、こんなに多くの人たちが帰ってきて、本当に吸収できるんでしょうか。家はどうなるんでしょうか。仕事はどうなるんでしょうか。そういう非常に大きな受け入れキャパシティーの問題があって、これがうまくいかないと、そこでまた危機的状況が起こる。

 彼らは今のところ都市に戻ってきます。アフガン・ソサエティーというのはもともと農業国ですから、農業国として再建し、自分たちの食料、仕事もあるというところに持っていかなくてはならないところに、都市が肥大化する。これをどうしたらいいかという問題がございます。

 ですから、経済社会インフラの整備、道路をきちっとする。住宅、給水、水ですね。それに、学校や診療所など、しなくてはならないことは山のようにございます。そこで国際社会としてはいろんな形でお金を集めて、アフガン社会の経済整備のためのいろんな援助を展開しているわけです。

 この中でも、特に道路というものをカルザイ大統領から何度も頼まれしました。1月に行ったときも、何が一番大事ですかと伺ったら、「私は大統領じゃない時は、教育とか保健医療とか言っていたんですが、大統領になってみたら、まず第一にしなきゃならないことは政府をつくること、第二は道路をつくることだ」と言われました。

 日本では今、出来過ぎた道路をどこで打ち切るかとか、道路公団をやめるとかとおっしゃっていますが、あちらでは道路はズタズタですから、まず道路をつくらなくてはならない。道路をつくると、そこで公共事業でたくさんの人が働ける。そして、物が動き出す、人が動き出す、これは経済を活性化する。ですから道路をお願いしますと言われました。

 それで、日本へ帰ってからも、そういうことをお話しし、道路のことをやっていただくはずの世界銀行、アジア開発銀行などにもお話をつないでいますが、6月に行ってもう一度大統領に伺ったら、同じことを言われるわけです。「政府をつくり、次は道路だ」と。道路はちっとも動いていないというようなお話があるものですから、今、どうやったら早く幹線道路、主要道路などの工事に着工できるかということでお願いしたり、ハッパをかけたりしています。

 悪路の現実というのは、私は自分でもカンダハルから南のパキスタンに近い地域へも行きましたし、今年の1月、ヘラートというところからイランのほうへ行く道路も経験しまして、どんなに悪いかということは十分知っております。そして、インフラ整備の結果、経済が上向いていくかということもわかっているだけに、道路については方々でお願いしているわけです。

◇社会の安定へ日本は資金援助を

 それでは、日本は何をしているんでしょうか、ということになるんですが、日本としては、ともかくアフガン復興については、復興会議の議長もしましたし、アジアの国として、相当長い間の歴史的ないろんな交流もあるというようなことから、非常に積極的に取り組んでおります。誓約額としては、2年半に5億ドルまでということでお約束しましたが、7月末現在では1億200万ドルが渡され、実際に実施段階に入っております。

 まだ、これからやらなくてはならないことはたくさんあるんです。例えば、支援事業の中でも、先ほど、治安、行政、復興というふうにお話ししたんですが、治安につきましては、せんだって川口外相が行かれた時も、復員のことについて協力する考えを示されました。今までアフガン軍というのはなかったわけですから、いろんな軍閥のもとにある戦闘員というものを復員させて、きちっとした訓練をして、普通の民間人の仕事、お百姓さんになったりするのに訓練し直す。あるいは、今、国軍というものをつくろうとしていますから、国軍のメンバーとなってきちっとした訓練を受けるか、どういう人が志願者にいるのか、その他の復員の準備がある。そして、いずれは日本も実行のほうを手伝いしましょうと。

 それから、アフガニスタン中に地雷がたくさん埋められております。その結果、死傷者も出ております。1年に100人以上は出ているんだと思います。その地雷の駆除作業、これも日本が一生懸命やっていますし、その他の治安関係の仕事にも日本は援助を始めております。

 また、先ほど政府の行政能力が弱いと申しましたけれども、つまり、役人の給与が払えないわけです。これは、収入が出てくるまではどうしても何らかの形で支払わなくてはならないものです。そこで、行政能力強化の一端として、めったにしない援助だというふうに聞いておりますが、今回も500万ドルほど支給いたしました。

 経済社会のインフラづくりのほうですが、道路のことについては、今、かなり検討しております。ですけれども、特に難民、避難民がたくさん帰ってくる。そして、彼らが定住することが非常に大きな開発の糸口になるという考え方から、難民、避難民の再定住支援総合プロジェクトというものをはっきり打ち立てまして、今回、2700万ドルをあてるということを決めたわけでございます。

 例えば、首都のカブールだけではなくて、カンダハルの地域において広域開発という形で、そこへ帰ってくる難民、避難民、あるいは復員兵にしっかり対応できるようなコミュニティーをつくって、水、住居、あるいは学校、診療所を地域とあわせて強化していく。こういう仕事を始めることに決めまして、私は大きな期待をかけております。

 というのは、どこに井戸を掘るかということ、あるいは、どこに学校をつくるかということによって、人々が一緒になったり、共同のコミュニティーづくりが芽生える場合もある。井戸はあるけれども誰も行かない、こっちに学校はあるけれども人が行かないというのではなくて、相関性をつけるということがとても大事なことです。 

 いろんな難民キャンプ経営の経験で私もいろいろ学んだのですが、地域的に総合的な開発プロジェクトをつくるという方向で日本政府も動き出した。そして、カンダハルができたら、ジャララバード、あるいはマザールという大きな地域別の拠点をつくりまして、アフガニスタンの復興、そして、社会の安定、コミュニティーの安定にこれからも日本の資金を出していきたい。

 これにはたくさんの無償の資金援助が必要なんですね。今日、世間ではODAは要らないんじゃないかとか、不景気だからこれを削減したらいいんじゃないかというような意見がちらほら出ているので、私は大変心配しているんです。

 ODAの開発援助というのは、景気がいいからする、不景気だからしないというような性格のものじゃない。日本は経済大国、非常に所得の高い国です。そういう国の人は、本当に所得のない、経済力のない国々に対して、やはり援助をする。そして、そういう国がもっと状況がよくなることは、平和にも関係してくるんですね。

 そういうための一番大事な一つの手段としてODAがあるわけですから、しっかりと事業対象を吟味しながら使っていく。その一つの対象として、アフガニスタンは大変重要な対象になっているわけです。ですから、そういう形で日本のすることはたくさんある。

◇国、社会の両レベルで安全保障の確保が必要

 今後の課題をちょっとまとめさせていただきますと、アフガニスタンの復興というのは、もう一度繰り返すようですが、「国づくりのレベル」と「社会づくりのレベル」があると思うんです。

 国づくりのレベルと申しますのは、国家でなければできないこと。これはやはり、法の支配を確立するとか、軍によって国を守るとか、あるいは警察力をきちっとしっかりさせて、そして国民の生活の上での治安を守るとか、あるいは市民的自由というものを保障するとか、こういうのは国家がしなくてはならないことで、国家レベルの国づくりの仕事がある。これは国家による安全保障だと思うんです。

 それに対しまして、社会づくりと申しますか、人間の安全保障を確保しなくてはならない。市民の能力、市民の持っている力を十分にいかせるような様々な体制をつくる。それが人間の安全保障を確立するための目標だろうと思います。教育、あるいは保健衛生、自助努力ということによって、教育を受け、何を自分はしたいかということを選べる、そして、自分の力でコミュニティーをしっかりとつくり上げていこうとする、そういう社会をつくっていかなくてはならないんです。

 だから、国づくりと社会づくりの両方のレベルから安全保障を確保していくことが、将来のアフガニスタンの安定につながります。そして、アフガニスタンの安定というのは、地域の安定、世界の安定につながると思います。

 このためには長期にわたる国際的な支援が必要だろうと思います。一度行って何かをあげて帰ってきたというのではないんですね。ある支援をするなら、その支援の結果が出てくるまで続けなくてはならない。私としては、今回のアフガニスタンの場合、日本は音頭をとっただけの責任があるというふうに考えております。

◇テロ対策、軍事力だけで解決できない

 ですから、最後に、テロにはどう対応したらいいかという問題に戻ると思いますが、テロが出てきたのはアフガニスタンだけじゃないんですね。テロのような状況が起こっている、例えば、今、中東の西岸地域ではパレスチナ難民を中心としたテロの活動がありますし、その他、アジアでもテロの動きはあるわけです。

 これが紛争のような場合になりました時には多くの場合、難民が出てきたわけです。その難民をお世話してきた者として見ますと、多くの場合、紛争というのは、この10年間、国と国との紛争じゃなかったんです。国内の紛争だったのです。

 国内の様々な集団間の紛争、特に政治が強圧的であるような場合には紛争は激しくなったわけです。ですから、経済社会における差別、不公正、その対立が歴史的に続いていると余計ひどくなってくるわけです。人種、民族、部族、宗教的な諸集団の対立による国内紛争が90年代の特徴だったわけで、それに加えて今度は国際的に組織化されたテロ集団というものが現れて、それが9月11日の現象につながったわけです。

 もちろん、テロそのものに対する効果的な対策というものが必要だろうと思うんです。例えば、今、アメリカでは、非常に徹底した出入国管理をしようとしておりますし、市民的自由というものの制限も恐れられております。また、強力な軍事力というものをつくろうとしておりますし、軍事力の行使をするというような、対テロ戦争の形での軍事力の行使ということも考えている。

 私は、軍事力の行使というのは、時には必要だと思います。軍事力なしに、すべてが話し合い、社会正義の確立ということで必ずしも解消できなかったケース、これを私はアフリカ、バルカンでも見てきました。恐らくアフガニスタンの場合も、最初にアメリカの軍事行動がなければ、とてもこの対応はできなかったと思います。

 しかし、軍事力で最終的な答えは出ないんです。軍事力を使って、後は本当にその国の国民が自助努力によって自分の社会の安定をもたらし、そしてしっかりした政府をつくる。それによって初めて安定した国というものができますから、軍事力は使わなくて済めば、使わなくて済むにこしたことはありません。使わなくてはならないときは効果的に使わなくてはならない。しかし、最終的な平和と安定はやはり、しっかりした社会、政府をつくることです。

 そういうふうに考えますと、今、私たちが一生懸命努力しておりますアフガニスタンの再建というものは、こういう時代の新しい平和と安全のための一つのテストケースとして大変大事なものであるというふうに考えております。

 1年が経ちましたけれども、今後もアフガニスタン及びアフガニスタンを取り巻く国際情勢、アフガンの人たちの努力に対して、引き続き皆さまのご関心とご支援をお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)

 司会 緒方貞子さんによります基調講演でした。どうもありがとうございました。これより15分間の休憩に入ります。





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