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【シンポジウム】

アフガン復興の現状と課題〜テロのない世界を目指して

【第2部】パネルディスカッション



【討論(前半)】

 百瀬 それでは、具体的な討論に入っていきたいと思います。順序としては、最初にアフガニスタンの現状をもう少し詰めて話してみたいと思います。そこから、アフガニスタンというと、テロやアルカイダと密接に関連したイメージを持たれていますが、その認識が果たして正しいのか、正しくないのか。さらに、アフガニスタンのような国は、いわゆる破綻国家というような呼び方をされていますが、そういう国はアフガニスタンだけではなく世界各地にあるわけです。そうした国でアフガニスタンで得られつつある教訓をどのようにいかしていけるのか。そんな順番で話を進めていければと思います。

 最初にアフガニスタンの現状分析について、緒方さんは、治安、政権、復興支援という柱立てでお話しになりましたが、ちょっと順番を変えて、カルザイ暫定政権の現状についてお伺いたいと思います。緒方さんは、中央政府の行政能力が不足しているということは率直に認めておられましたが、それでも何とかなるだろうと、おっしゃられました。たしか今年1月の記者会見で緒方さんが「物事は直線的に進まなくて、ジグザグで進むんだ」と話されたのが非常に印象的でした。全くその通りだと思っています。ボン合意からまだわずか8カ月ですね。やっぱり物事というのは時間が必要じゃないかと思います。

 それに対して、饗場先生は非常に悲観的な現状を紹介されました。一つの統一国家としては、軍閥が割拠しており非常に難しいといった現状をお話しされたわけですが、中村先生、その辺についてはどうでしょうか。中村先生は、アフガンの人に「あなたはどこの人か」と尋ねると、民族の名前ではなくて「私たちはアフガニスタン人だ」と答え、連帯感、一体感というかアイデンティティーを持っているというふうにお話されていましたが。

◇国家よりは地域としての同一性

 中村 これは国家というのをどう見るかというので随分変わってくるんですね。日本だとかイギリス、アメリカといった一つの近代国家というのを一つの範として見るならば、確かに破綻しているでしょう。しかし、アフガニスタンという同一性は、どんな戦乱状態にあっても、ほとんど各地域の自治はかなり完璧に行われていたんですね。だから、地方にいる我々にとって自由自在に動けるというのは、その地域の中に入っているからですが、お客様として入るわけですね。そうすると、決して誰も攻撃しない。

 地方では、カルザイ政権の動きを、いわば戦国時代の公家さんのような状態だというふうに捉えているんですね。カブールがどうあろうと自分たちの生活は変わらないだろうという意味では、アフガニスタンは国家としてよりはアフガニスタンという地域として同一性があるわけです。戦乱であっても平和であっても彼らは変わらないだろう、ということに我々は希望を持つわけですね。

 今、困っているのは、戦乱そのものよりも干ばつです。干ばつが彼らを苦しめているのです。そのために都市に流れていくということが大きな問題になっています。国家として今の筋書きというのは、タリバンという悪い奴がおって、そこで一握りの悪い奴がドイツを支配していたナチスのようにコントロールしていたが、そいつをやっつけた。その後、立派な民主国家をつくるんだ、という筋書きで行っていますけれども、これは外国人が陥りやすい完全な錯覚であるというふうに思います。それは恐らく成功しないでしょう。

 百瀬 緒方さん、今のお話についてどう思われますか。

◇前の状態に戻るのでは不足

 緒方 国家というものをどう考えるか、ということから始まるんだろうと思います。中村先生の言われたように西洋近代国家、あるいは日本のような国家というものをモデルとして、そこへ直線的に行くという形でアフガニスタンの復興を考えるのは、私も間違いだろうと思います。アフガニスタンでは中央集権政府があったわけでもないし、国家というものが国の安全保障、国民の生活及び安全を保障できると考えるよりは、先ほど社会ということを申し上げましたが、社会の下におそらく、中村先生のおっしゃったように自給自足、村落、共同体みたいなものがいっぱいあるんだろうと思うんですね。そういうものが一つの力になっていたということは、私も理解しています。

 だけど、前のままでいいとは私は思わないんですね。やっぱり自給自足、村落、共同体のレベルであれだけの難民を出して、苦しい思いをしてきた、そこへ戻るというのでは不足だろうと思うんです。その意味では、多少、私は明るいトーンを出した、というふうに饗場先生はおっしゃいましたけれども、明るいトーンを出して、そちらに向かって努力していくということに、一つの国づくり、社会づくりの意義づけはあるんじゃないかと思っています。前のままでいいというふうに私は思いません。

 百瀬 ありがとうございます。饗場先生、いかがでしょうか。

◇カブールと地方、違う視点で援助を

 饗場 そうですね、私も中村先生のお話の中で思ったんですが、実は私、今回、アフガニスタンに入ったのは隣のパキスタンという国の首都のイスラマバードからずっと陸路を車で行きました。カイバル峠を越して、ジャララバードというアフガンの町に入って、カブールに入ったんですけども、その中を通して一番印象深かったことは、それらの地方を通してカブールに入った途端、「カブールは全く違う国である」といった印象を非常に大きく受けたわけです。

 と言いますのは、地方の状況というのはまさに自給自足の世界でありまして、中村先生がおっしゃったような形の状況ではあると思うのですが、カブール市内は、ある意味、国際社会がやろうとしている、つまり西欧的な価値観に基づいた西欧的な国家をつくっていくというのが、ある程度可能な土壌があるように思えるような印象を受けたわけです。

 例えば服装にしても、地方では全く見ませんけども、カブール市内ではジーパンをはいている若者がたくさんいますし、もう4割ぐらいの女性がチャドルなりブルカを脱いでいるという状況なわけです。それから、英語を話せる有能な人材もかなりいます。ある大使が言っていましたけれども「アフリカと違ってアフガニスタンは外国に出ていっている有能な人材が結構帰ってくるんだ」と。

 したがいまして、カブール市内について見ると、ある種、日本のような、あるいは西欧のような国家体制みたいな形で社会ができていく。多分、そこに住んでいる人たちもそれを望んでいるんじゃないか、といった感じも受けたわけです。そういう点から考えてみますと、地方に対する復興支援という概念とカブールに対する復興支援という概念が、全く違う視点でやっていかないといけないんじゃないか、そういった印象を受けたわけです。

 百瀬 ありがとうございます。カブールは地方と全く別世界ということですが、そのカブールについて山本さんは、治安関係の話だったと思いますが、国際治安支援部隊(ISAF)の兵士たちもいつ殺されるかわからないというような危機感を抱いているというようなことを「カブール・ノート」に書いておられました。治安について言えば、山本さん、ずっと見ておられてどうでしょうか。

◇政権支持の意志が治安維持に

 山本 治安は決してよくはないのですが、辛うじて我々が生活できる程度に治安維持されているのには理由があります。カルザイ政権に対して不満な人たち、軍閥というのは確かにあちこちにいるのは事実なんですが、カルザイ政権を支持するという国際社会の意思は伝わっているんですよね。そうである限り地方にいるいろんな軍閥の人たちは、カルザイ政権に反対するような行動をしても何のメリットもないのです。ですから、カルザイ政権を支持するんだという意思を維持することが治安の維持につながるという状態ですね。これが、カルザイ政権が見捨てられた政権だということになってしまうと、いろんな軍閥は活動を始めてしまうでしょうね。だから、中央政権と地方のいろんな政権の間には非常に緊張関係があるのですが、それを別のものとして扱ってしまうよりも、中央政権を支持して、そこから援助が地方にも流れるようにしていけば、地方軍閥というのは今の政権を支持するほうに回ると思います。

 百瀬 ありがとうございました。治安に関連した話で、これは国際社会にとって大きな問題だと思いますが、麻薬の問題があります。麻薬の栽培が復活しているということを言われていますが。中村さんは地方に詳しいと思いますので、お願いします。

◇麻薬栽培、1月から復活

 中村 麻薬はですね、私たちが栽培しているわけではありませんけども、私たちがいるところは麻薬の一大産地なんですね。ところが、私はこの十数年、いろんな政権を見てきましたけども、私自身はクリスチャンですが、タリバーン政権というのは一種のピューリタン主義者だったんですね。そういう意味では道徳的に非常に厳格な政権で、麻薬は、驚くことに、この大干ばつの中でもほとんど限りなくゼロに近かった。ところが、今年の1月から盛大に復活いたしまして、おそらく世界一に再び躍り出るのだろうというふうに言われております。

 先ほどの緒方さんのお話で、これだけは聞きたかったんですが、治安を維持するということで、この麻薬栽培も関係すると思うんですね。軍事力はやむを得なかったということをお話になりましたが、タリバーンと話し合う余地はなかったのかどうか。それ以前にもっと有効な援助の手だては打てなかったのか。何で9月11日を契機にして暴力的にタリバーンを粉砕したのか。

 あの頃、アフガニスタンは世界一治安がいい国であったということは、ほとんど世界に知られていなかった。もちろん、戦闘地域では残虐なこともあったでしょうけれども、(国民の)95%をわずか2、3万人のこの部隊で制圧できたということは、人々が平和を望んでおり、誰でもいいから統一してくれということの表れであったわけですね。それを敢えて力で崩す必要があったのか。今さらそんなことを言っても仕方がないですが。ともかく麻薬問題というのは、これは再び、アフガニスタンで、世界中で大きな問題になっていくのではないかというふうに思います。

 百瀬 ちょっと前後するのかもしれませんが、緒方さん、今の話はいかがでしょう。

◇女性問題、援助の障害に

 緒方 中村先生は大変タリバーンに高い評価をお与えになっているという印象を持ちますが、私もタリバーンと1度だけ正面から交渉しなきゃならなかったことがあるんです。それは、私は難民のほうから申しますと、パキスタンに200万以上、イランにも同数ぐらいの難民がいたわけです。ところが、国際社会は主要国を中心として援助をするわけですが、もうパキスタンやイランにいる難民のキャンプ生活に十分なお金をくださらないわけです。こんなに長い間続いていて、援助疲れも極端に来ていたわけです。そうすると、一部の人は難民キャンプから逃れ出て、都市の貧民街に行って、それこそクズ拾いなどをしている難民が出てきたわけです。その上、干ばつの実態はあったんです。

 その中で、帰りたい人もいたわけです。そうすると、西欧諸国を中心としたドナー国は、あんな悪い政権のいる国に帰るわけがないということで、難民が帰って再定住するための費用はほとんど来なかったんです。私はこのジレンマから何とか脱皮したいと思って、パキスタンに行き、それからヘラートに行きました。ヘラートの知事は比較的穏健なタリバーンだったんですが、かなり実質的な話し合いをしました。そのとき、タリバーンは特に女性の教育、就業に対して厳しかったために、女性の権利を非常に重要視する西洋の国々からは非常に極端に敵視された、こういう現実はあると思うんですね。したがって、私は、その知事に対して、「難民は帰りたいと言っている。あなた方も帰ってほしいと言っている。しかし、彼らの懸念は紛争と治安の問題、それから、女性が教育を受けられないこと。こういうところへ帰れば、女子の子供たちは全部将来がないじゃないですか、仕事はどうするんですか」といった質問をぶつけたわけです。

 このタリバーンの知事は、「それは確かにそうで、パキスタンの田舎も同じようなものだ。徐々に教育をやりたいと思う」と言われ、少しやっているということだったので、「見せてください」と言いました。家庭で女の子を教えていたところを見に行ったんです。そういう実態があるということで、タリバーンだって話し合えば少しは良いことができるんじゃないかというような程度のことは確認しました。そして、それをもとにして資金をもっと出してもらいたいと各国に訴えたんですが、私は成功しませんでした。タリバーンも女性に対して相当厳しいことをしたことは事実です。それでタリバーンのときに随分、人も逃れたんです。ですから、交渉をしなかったわけじゃないんですけど、一体あのままで5年、10年続けられたのか。

 もう一つの実態は、タリバーン以外のアルカイダの実態ということをやっぱり考えなくてはいけないんですね。これは主にアラブ人ですね。彼らの本国の政権の問題もありましたし、政治的に反発していカシミール問題とかの関連でアフガニスタンはテロリストの訓練の場や基地に使われたという面がありますから、タリバーンとだけ交渉すればすべて解決したということに私は賛成できないんです。

 百瀬 ありがとうございました。日本ではタリバーンというと、アルカイダとほぼ同じような捉え方をされる人もいるかと思います。アルカイダがアフガニスタンを基地にしていたことについて、米国はタリバーン政権がアルカイダをかくまっていたという見方をして、テロの共謀者ということでタリバーンを撲滅するために力の作戦に出ました。そのあたりの議論をちょっと深めたいと思います。また、中村さんに振ってしまって恐縮ですが、タリバーンの評価についてお話しいただけないでしょうか。

◇治安、統治形態の観点では「理想的な政権」

 中村 あんまり言うと、緒方さんみたいに誤解される方がおられますので。私は決してタリバーン主義者でもないし、積極的なサポーターでもないんですね。ただ、治安という観点、それから、アフガニスタンに即した統治形態という意味では、あれほど理想的な政権はもう出ないだろうというふうに思います。

 というのは、西洋的な文化的な価値観から見ると、女性を学校に行かせないだとか、ブルカをかぶせるだとか、いろいろなことが言われましたけれども、タリバーンが進駐したときにみんなどう思ったのか。声にならない声といいますか、英語もしゃべれない99・99%の庶民たちはどう思ったのか。それまでの内乱で疲れ果てていたところにホッとしたんですね。

 タリバーンの布告した政令というのは厳しかったのですが、これはほとんどが田舎の慣習法です。「みそ汁を朝ぐらいは飲みなさい」というふうなことを法令づけるという程度のことだったんですね。だから、「いや、朝はトーストじゃないとダメだ」という人たち――こういう人は英語が流暢にしゃべれて、国連機関やNGOとも近づきになれる――こういう人たちの声がすくい上げられて主流となっていったというのは、私は否定しがたいのではないかと思うのです。私の場合、下から上のほうを見ていて「ああ、よかったな」と素直に思いましたね。「これで、やっと、少なくとも平和が来る」というふうに思いました。

 タリバーンの教訓というのはいろいろありますが、私は、近代国家というものの持つ一つの弱点がここで露呈したのではないかと思います。そういう意味では、アフガニスタンは――こんなことを言うとオカルトみたいですけども――何かの終わりの始まりであるというふうに思っております。希望がないというわけじゃない。「カブールが潰れたってオレたちは生きている」という農民たちの姿を見ていますと、ここに希望があるんだなと思うんです。グローバリズムとはちょっと違った生き方があそこに生きているんじゃないか、という気がするんですね。ちょっと話がそれたかもしれませんけども。

 百瀬 山本さん、いかがですか。

◇中央と地方、権力の二重構造になっていた

 山本 タリバーンとうまくやって仕事がうまくいく例もあるんですが、中村さんが称されていた地域はパシュトゥンが圧倒的に多いところで、タリバーンの支配はほぼ完璧だったと思うんですけども、そうじゃない地域でも我々は仕事をしていたんですね。そういうところでタリバーンの支配はどうだったかというと、そんなに支配する力は強くなかった。

 どういうことが起こっていたかというと、国家としての機構というのはアフガニスタンではなかなかつくれなかったんですね。1964年だと思いますが、憲法を初めてつくって、その憲法のもとで国家機構というのをアフガン全土を含めてつくろうとしたんですが、それもなかなかうまくいかなかった。ソ連がやってきても、とりあえず中央政権というのをちゃんとつくって、中央政権のもとに地方政権が治まるような形をつくろうとした。タリバーンも同じようなことをみんなトライしたんですけども、結局のところ、中央政権を誰がとろうと、その中央政権のコントロールのもとにいろんな地方政権を治めるというのはどこもうまくできなかったんですね。

 タリバーンは比較的うまくやったとはいえます。しかし、中央政権の下にはプロビンスというのがあるんですね。日本の県みたいなものです。そこに知事がいるのですが、その知事はカブールから派遣されている。そのプロビンスの下にディストリクト――日本で言うと市町村に当たると思うんですけども――そこに市長みたいな人を置くんですが、これもカブールから派遣される。だから、ピラミッド状にカブール、プロビンス、ディストリクトと、中央政権が派遣した機構をつくるわけですけれども、タリバーンの場合はそれはみんなタリバーンだったわけですよね。

 我々の仕事は、村のレベルまで行って仕事をするのですが、中央政権がつくろうとしていた、そういう組織の人たちとうまくやっていかないと、仕事はうまくいかない。それと同時に、それぞれの村落のレベルでは長老たちがいっぱいいて、その長老会というのは実質的な統治をやっているんですが、その人たちとほんとにうまくやらないと、援助というのはなかなか届かないんですね。

 つまり、二重構造になってしまっているんです。中央政権が必ずつくろうとする統治機構というのはカブールからプロビンス、ディストリクトレベルまでつくられていくんですけれども、それと並行して、それぞれのコミュニティーには昔からある長老の集まりがあって、その人たちが実質的な権力を握っている。ですから、ある地域に行くと、コミュニティーの長老会とカブール政権が派遣した人たちが一致して、うまくいく場合もあるし、コミュニティーの長老会の方がタリバーンが派遣した市長よりもはるかに強いという例もたくさんありました。そういう場合は、カブールから派遣したタリバーンの市長さんは何にもできない。長老に逆らってもしようがないから、名目だけ市長でずっとオフィスにいるだけなんですね。我々はもちろんあいさつしますけれども、実際の仕事は長老会の人たちと一緒にやる。

 だから、タリバーンの時でも、タリバーンとだけ仲よくやれば仕事できるかというと、そんなわけじゃなくて、今も同じようなことが起こっていると思います。カルザイ政権というのは中央政権をつくって、それをどんどん地方に浸透させていこうとして知事を派遣したりしていますけれども、そこでうまくいく場合もあるし、もともとそこにあったコミュニティーの長老会とテンションがあって、なかなかうまくいかない場合もある。それは時間をかけて徐々に徐々に浸透していくのを待つしかないと思います。

 百瀬 ありがとうございました。饗場さん、どうぞ。

◇タリバーン評価、多面的な視点が必要

 饗場 タリバーンのことで少し私も言及したいと思います。まず、ご指摘がありましたように、タリバーンとアルカイダというのを分けなくてはいけない。タリバーンとアルカイダは全く別という視点が必要なのですが、その中でタリバーンというのを見る場合も、これもまた違う視点から多面的に見る必要があるだろうというふうに思うわけです。

 中村さんがおっしゃったようなタリバーンの良い面というのは、私も幾つか認識することができます。つまり、タリバーンが来る前の状況というのは非常に治安が悪くて、タリバーンのおかげで治安が回復したというのは、これは非常に大きな面だったわけですね。おっしゃったように、タリバーンがやったことというのは、これは別に昔からやっている話であって、それを布告令という形で出したにすぎないということはあったのですが、山本さんがおっしゃったように、パシュトゥン人――アフガニスタンにはいろんな民族がありまして、大きな民族として4つぐらい言われますけれども――パシュトゥン人というグループと、ウズベク人、タジク人、それからハザラ人という大きな4つの民族・部族があります。

 たしか中村さんでしょうか、アフガニスタンというのは、行った地域、あるいは行った本人の見方によっていろんな考え方ができるというような趣旨の指摘があったかと思いますが、例えばハザラ人地区に行ってタリバーン政権について聞いてみますと、これはかなり違う評価をするわけです。

 ハザラ人というのは実は日本人と非常に風貌が似ている人たちでありまして、私はバーミヤンというところに行ったんですけども――例の仏像が破壊された地域ですが、仏像破壊の問題はまた別の話でありますけども――ここはハザラ人が非常に多い地区なんですね。そこで何人かの人と話をしたのですが、彼らはタリバーンというのをほとんど評価しませんでした。と言いますのは、逆に治安をもたらしたというよりは、あるハザラ人が言っていんですけども、タリバーン政権時代は――99年だったというふうに言っていますが――ハザラ人の女性が500人ぐらい誘拐され、タリバーンが戦闘をしている前線に連れていかれて従軍慰安婦として働かされていたんだというようなことも言っていました。

 というわけでありますので、麻薬撲滅ということではタリバーンが成果を上げた、あるいは治安という面もありますけども、一方では、こうした虐殺とか非常に非人道的な行為というのもあったんだという面も指摘しないといけないと思います。

 それから、女性に対するべっ視といいますか、女性を家の中に押し込めるということでタリバーンに対して批判がありますが――中村さんからちょっとご指摘がありましたが――これは必ずしも女性をべっ視して、女性を家の中に押し込めて、教育を受けさせない、女性はそれでいいんだという発想でやったのではないだろうということも1つ言えると思います。

 と言いますのは、当然、タリバーンが来る前は非常に治安が悪かったわけですから、女性が1人でブルカもかぶらないで外に出ていると誘拐されてしまう可能性が高いわけですね。襲われてしまう。そんな状況ですから、女性を守るために家の中に閉じ込めておいて、顔が見えないようにブルカをかぶりなさいと言っていたわけであります。だから、女性に教育は要らないというわけではなくて、むしろ女性にも教育は必要でありまして、つまり、コーランを読むためには字が読めないといけないわけですね。コーランを読むというためにも女性に教育は必要であるというようなことは、タリバーンも共通して持っている概念だと思います。ですから、女性べっ視のタリバーンは悪いというような見方もおかしいわけでありまして、だからと言いましてタリバーンがすべて良いというわけでもなくて、やっぱり悪い面もあったと。そういう両面見る必要があると思います。

◇タリバーンの良い面をいかして

 木山 今のお話を伺っていまして、良いか悪いかとかということですと、1つの事象についてはいい面も悪い面もあります。やはり平和構築とかいう観点から見ましても、何かが一方的に悪いとかというふうに決めつけることは絶対にできない。良い面もあるし、悪い面もあるので、それをどのように現実に当てはめていくか、良い面を残しながら悪い面を改善していくというアプローチが必要だと思うんですね。

 先ほど、山本さんが長老会について話されていましたが、私どもの支援活動でも長老会との連携なしには良い支援ができないと考えていますが、タリバーン支配時代に現地に行こうと思っていた時は、タリバーンとも当然一緒に仕事をしていくことが必要な場面では前提だったわけです。それを私がたまたま女性スタッフだからといって怯んでいてもいけないし、正当に話をすればわかってもらえるはずだ。わかってもらえないのであれば、何らかの手段を講じるしかないんだという淡々とした気持ちでやればいいというふうに考えていました。

 ですから、タリバーンが良かったかどうかという話をするよりは、今後、どういうふうにその遺産を良い形でいかしていくかという話をするほうがいいと思います。一方的に批判されることで平和構築が後退すると思う場面が、ほかの地域でも、旧ユーゴでも何度もありましたので、良い面を生かしながら進んでいく必要があるというふうに感じています。

 百瀬 ありがとうございました。

◇アフガンの将来に女性は大事

 緒方 やっぱり女性の問題も一言足したいと思いますが、タリバーンが女性を守るために家に置いてブルカをかぶっていたというようなことを認めるのは、もうほんの少ししか認められないと思います。先ほどタリバーンのヘラートの知事と交渉して学校を見せていただいたと言いましたけれども、2つ見せていただいたんです。自分の家で女子の子供たちを集めて、自宅でいろんな自習をやっていた家庭学校ですよね。それも女子のためなんです。それからもう1つは、看護学校を見せてもらったんです。タリバーンの中の比較的モデレートな人だったヘラートの知事が、ヘラートの医学大学に附属する看護学校をつくった。男性は見に行けませんでした。私の代表団でも男性は全部ダメで、私と女性職員だけが見に行に行きましたが、非常に生き生きとした看護学校の――高校ぐらいを出た年の人でしょうか――本当に生き生きとして、いろんなことを話すと何でも答えてくれる。それで「何が希望ですか」と聞いたら、「早く大学にも行けるようになりたい」「自分たちは医者にもなりたい」と。これは、もしかしたら西洋化しているのかもしれません。別に西洋の全ての価値の女性の権利を中心にして全てを判断するというようなことを私は主張したり推進したいと思っているんじゃないんですが、そういうたくさんの女子がいたということです。その人たちは非常にフラストレーティングな思いをして暮らしているのです。

 それで今、学校を訪ねますと――ユニセフが学校を一生懸命やっていますし、日本からもたくさん支援をお出ししたんですけど――教室に行ってみたら半分以上が女の子で、非常に元気がいいんですね。また、大学も門戸を開放しましたら、たくさんの女子が試験を受けて入ろうとしている。それはやっぱり非常に新しい武器だし、本来、勉強したかった人たちがあんなにいたんだということをやっぱり感じさせました。アフガニスタンの将来には女性は大事なものなんです。女子も大事なものです。一緒に尋ねたUNHCRの通訳の人が――最初にヘラートの家庭の学校に行き、それから今度は、ちゃんと開放された女子の中学校に付いて来たのですが――帰りにしみじみと言っていました。「きょうはうれしい。女の子がまた学校へ帰れた」と。

 百瀬 ありがとうございました。女性の問題について、山本さん、いかがですか。

◇女性問題、個人の意志も重要

 山本 女性の教育とか女性の医療はすごく難しくて、過去2年、一番苦労した分野です。印象としては、タリバーンとか別の政権とかの影響力はポリシーとしてもちろんあったわけですが、それよりも、それぞれの個人の意思がどうであるかというほうが、結果的には女性に対する教育、医療の普及に影響していたと思います。

 というのは、ソ連の侵攻前、学校がどれぐらいあったかということは余り知られていないのですが、当時の政府は全アフガニスタンに約300個つくろうとしたんですね。それは、ディストリクトというのが約300あって――それぞれのディストリクトには村がいっぱいあるわけですが――各ディストリクトに1つぐらいは学校をつくろうとしたのです。ところが、その300個もできなかったんですよね。ですから、誰かがやってきて学校を閉鎖したという状態があったのではなくて、もともと教育を普及させるのに苦労していた国だったわけですよね。

 村なんかに行くと、学校という概念も医療という概念も持っていない人がいます。そうした人々がどうして今、教育や医療に熱心になったかというと、難民としてパキスタンとかイランに行くと、難民キャンプでUNHCRは必ず医療、教育を100%達成しようとします。女子だとか男子だとか関係なく、とにかく100%最低の教育は受けさせようとする。そこで、教育というものは良いものだとか、医療って結構役に立つとか、そういうことを覚えてくるんですよね。そういう人たちがアフガニスタンに帰っていくと、必ずUNHCRに来て学校をつくってくれとか医療機関をつくってくれと言う。

 彼らが本当に学校や医療機関つくりたければ、タリバーンのときでも結構つくれたんですよね。ものすごく奥深い村までタリバーンが行って学校を閉鎖するとかまではやっていなかったので――面倒くさいのか、そこまでどうでもよかったのかわからないですけども――我々の資金で結構、女子教育というのをやっていました。

 どういう形でやるかというと、村に突然行って学校を建てて「はい、学校に来なさい」というんじゃなくて、あっちこっち帰還した難民がいるところへモニターしに行くんですね。そうすると、地面に座って木陰でちっちゃい女の子がいっぱい勉強していたりするんですね。そういうのを見ると、「あ、これは継続性がある。とりあえず建物さえつくれば何とかやっていくだろう」というので建物をつくっていくんです。政権のポリシーの問題でも、それぞれの人の意思というのはすごく重要だなと思いましたね。

 百瀬 ありがとうございました。





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