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〈愛・地球会議〉環境本位型社会を目指して |
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カトリーヌ・ド・シルギー氏 |
ド・シルギー 全てが重要だと思います。科学技術も社会科学も重要だと思います。どういう結果になるかという評価、資源には限りがあるということをわかることが重要なので、評価の方法として重要だと思います。
高橋 養老先生、何かありますか。
養老 21世紀の科学ですか。
高橋 はい。
養老 ちょっと問題が起こりそうで……(笑)、基礎科学のほうにいってください。
高橋 じゃ、上出先生。
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上出洋介氏 |
上出 エブリシング・イズ・インポータントと今おっしゃいました。まさしくそうなんですが、基礎か応用か、科学か技術かどちらが大事かという、そういう問題ではなくて、たしかに全部大事なんです。しかし、ちょっと注意しなければならないのは、例えば、一部の科学者が環境対策について何か提言らしきことを言ったら、世の中がそれに基づいてドドーッとその方向に走っていって、それがもし間違った方向へ行ってしまったら、もっともっと地球は悪くなるということです。
地球科学者として私が今言えることは、地球のこと、太陽と地球の関係のこと、ほとんどまだわかっていないということです。ですから、「地球にやさしく」と皆さん言いますけれども、地球にとったらありがた迷惑かもしれないわけですね。よく知りもしないで、やさしくしているつもりでいるだけという可能性があるということを常に考えなければいけないと思います。
一方、基礎科学ではないほうも大事です。それももうまさしく正しいことです。ただし、そちらのほうは、目的が現在の地球を守ろうということで、「オゾンが減っているから、増やしてやろう」というようなとんでもないやり方をしない限り、それはもう当然大事なことです。私が地球科学者として言えることは、非常に簡単です。地球のことはほとんどわかっていない、そういうことです。胸を張って(というのはおかしいですが)、言えることです。だから、間違った方向に絶対に行かないでほしいわけです。副作用が怖いですから。
高橋 じゃ、エーリックさん、いかがですか。
エーリック 科学者に、21世紀に科学は大事であるかどうかと聞けば、答えは一つしかありません。私は科学の分野で一生を過ごしてきました。個人的な話をします。45年前に大学に行くためにスタンフォードに行ったとき、私は英国のC.P.スノー氏が書いていた二つの文化の、文科系と理科系のギャップを埋めるということに燃えていました。そこで私は理科系の同僚に文科系のことを学ぶよう説得しました。そして、すぐに分かったことは、ほとんどの理科系の同僚は美術品を集め、高度な文学を読み、オペラに行き、音楽を楽しむような人たちだということです。そして、文科系の同僚のほとんどが、靴下を脱ぎ、足の指を使わなければ20まで数えられないということが分かりました。彼らは基礎科学についてまったく無知であることを恥じないほどでした。
私たちの文化、つまり、遺伝子情報以外に関してですが、情報の半分以上は科学とテクノロジーです。私たちが好きか嫌いかに関係なく、それは事実です。衛星からくる情報は莫大で、なかなか人々に見てもらえません。つまり我々の環境は科学の飽和状態にあり、そしてこの会場の若い人々が人生において決断するほとんどの政治的決断には、科学的情報が欠かせないでしょう。
クローン人間は作るべきか。腎臓移植を受けるのはだれであるべきか。幹細胞はどうするべきか。地球温暖化の本当のリスクは何か。世界人口のある部分、ある民族を根絶させたらどうなるか。最も効率的な大量交通システム、輸送システムを構築する方法はなにかとか、アメリカの多くの公共交通機関の使用を妨げている犯罪の問題をどうやって解決するか。まだまだ続きます。
私たちの多くは科学に対して無知ですが、米国の大統領は進化論について知りません。全ての生物を繋ぐただ一つのものは、我々がどこから来て、どんな動物がいるかを教えてくれるのに、合衆国のリーダーである政治家が何も知りません。他のこともまったくわかっていませんが、このことについてはとにかく知らない。彼は創造論者なのだから。これは地質学的に、地球科学でいうと、地球は平らで太陽は地球を回っているということに相当します。地球科学や生物学や医学などの難しい問題に直面するなかで、これらの情報をまったく持ってていない人たちが平均的に多いということです。またこれをきちんと教える機関もないのです。これはとても危険な状況です。21世紀がうまくいくためには、もっと人々に科学のことを学んでもらわなければなりません。
偏見かもしれませんが、私は純粋科学と応用科学には全く区分はないと思います。例をあげると、私の技術教育は生態学の分野ですが、核実験で見られるように、地球は人間の手により変更されていない部分は一部たりともありません。生態学者であれは、いつも人間の影響を受けるシステムを研究します。それを応用するとしても同じ問題です。私たちは他の動物と同様に動物であり、もちろんほかとは違った特徴を持っていますが、純粋な科学と応用科学の両方の科学が必要です。
そして、社会が物事の決定を下せるようにすることがが必要です。なぜならば、科学者には決められない事があるからです。地球温暖化による大災害のリスクを10%から5%に減少させるにあたって、いくらなら支払う価値があるのでしょうか。これは科学的な解決というわけではなく、公開討論を必要とするものです。しかし人々が地球温暖化と何が関わっているのかを知らなければ、この論議をするのもくだらないことです。だから私は科学の方に付きます。
高橋 じゃ、養老先生。
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養老孟司氏 |
養老 僕は日本で科学を勉強したわけで、たぶん日本の方が科学を考える場合、二つ問題があるんじゃないかと思います。
一つは、ノーベル賞が象徴的です。例えばノーベル賞の時期になると、日本人がノーベル賞をもらうと、ものすごく大きく書く。まあそれはいいんですが、非常に多くの方が、ああいう仕事ってものすごく変わった人が、非常に特別なことを考えて、おかげで賞をもらっているというふうにどこかで思っておられるんじゃないか。だから、アインシュタインの写真がよく出ていまして、あれは確かに写真を見ていると、これは普通のじいさんかなと。まあ、普通のじいさんかもしれませんが、相当変わった人に見える。それを天才とか言っているんですが、たぶん、あの人の論文なんかお読みにならないと思いますが、もう100年近くたっている。それを読むと、相当変なことを言っているかというと、変じゃないでしょう。当たり前なんですね。なぜかというと、あの論文を読んで多くの科学者がほんとうにそうだなと思わなかったら賞はもらえない。
まず日本に一番ある科学に関する偏見は、ああいうことを考える人は変わった人だと。それは全く逆でしょう。100年たってもあいつの言うとおりだということは、それが当たり前だということです。だけども、変わった人でないとそういうことは考えられないと皆さんが思っておられて、その理由として、私はノーベル賞をもらえないからなという。
それはどうしてかというと、つまり、ノーベル賞クラスの仕事が当たり前であるなら、じゃ、どうして皆さん方がそれをもらえないかというと、皆さん方が非常に独創的で個性的だからですよ。そうでしょう。だれが考えてもそうだということを自分が考えることができないということは、自分が非常に個性的だからです。どうしてそれだけ個性的かというと、皆さん方は自分がある特定の世界で育って、特定の人たちとつき合い、特定の考え方をつくってきたからでしょう。そうですね。だから、日本人が、1億全員が、1億玉砕と言っていましたからな、私たち小学校2年生までは。あのくらい正しいと思って、特攻隊まで出して、それで戦後は間違っていると。1億でも当てになりませんな。そうでしょう、当たり前のことを考えるというのは。まずそこのところを科学についてお考えいただきたいと思うんですね。あれは特別なことだと思わずに、こんな当たり前のことはないということが、私の言う常識であります。
もう一つ、私は生物系の学問をやっておりました。実は40歳代の終わりごろから論文を書くのをやめました。なぜかというと、論文は生き物じゃないんです。おわかりになりますでしょうか。医者は、今、ここの名古屋大学もそうだと思いますが、教授のほとんどは大変立派な論文をたくさん書いた方です。大変立派な論文をたくさん書かないと教授になれません。
ところが、あの論文は全部生き物じゃありません。情報です。その問題です。
つまり、現代の科学の世界で偉くなっている人は、みんな生き物を情報に変えた人です。若いときに私は解剖をやると言ったんですが、先輩からいびられるんですよ。そんな古い学問とみんな思っていますから、嫌味を言われまして、今でも覚えていますけれども、「おまえ、スルメを見てイカがわかるか」と言われましたですね。これはなかなかこたえまして、60歳近くになるまで反論ができなかった。ある日こんちくしょうと思ったんですね。
今言ったことですよ。そうでしょう。ピンと来ない方は、論文を100万集めても生き物はつくれません。そうですね。なぜなら、論文というのは情報であって、情報はすべて止まったままだからです。生き物はひたすら変化していく非常に複雑なシステムです。先ほどエーリックさんが複雑だとおっしゃいました。それから、たしかこの議論の最初にコンプレッキシティが一番問題になると言ったけれども、その複雑さというのは、実は生き物というシステムが持っている複雑さだと私は思っています。それを情報にするのは簡単です。
皆さん、今、病院に行かれたらすぐわかるでしょう。病院に行くと、皆さん方という生きている存在が何になるかというと、検査の結果に全部変わっちゃうんです。数字に変わっちゃうんです。皆さんは数字かといったら数字じゃないですよ。その数字を100万集めても皆さんにはなりません。21世紀の科学が持っている問題点はそういうスルメですわな。スルメからどうやって生きたビジネスをつくるか。
それで、皆さん方が多分一番思っているのは、近代科学の成果として月ロケットとか思っているでしょうけれども、僕はあれが飛んだときに書いたことがあるんです。あんな大きなブリキの筒が大きな音をたてて空を飛んだら、だれだって驚く。だけど、飛ぶだけならハエでも蚊でも飛ぶ。悔しかったら、ハエ、蚊をつくってみろと書いたことがあるんですよ。それはいまだにできません。
つまり、生きているシステムを、情報といういわば止まった単純な形に変換することが非常に上手な人が、科学の世界では評価される。それを今度は、どうやって上手にイカを泳がすかということが、今、我々に要求されているんですよ。それを若い人に、僕はぜひわかってほしいと思う。
だから、私は途中から論文を書くのをやめたというのは、もうスルメをつくるのはたくさんなんですよ。解剖をしていれば、スルメは大体……。
ですから、私はある内科の学会に行きまして、昔、そう言われたのを根に持っていますから、「あんた方こそ論文ばかり書いて、あんた方こそスルメつくりの専門家じゃないか」と私は言ったのね。そうしたら、さすがに向こうも反論してきて「じゃ、あんたは何だったんだよ」と言うから、「私はスルメをサキイカにしていただけです」と言ったんですわ。(笑)
そこはぜひ考えていただきたい。つまり、システムを構築するというのはどういうことかということを、19世紀からのいわゆる科学はやってこなかったんです。上出先生の意味の基礎科学は、実はそういう複雑なシステムを基本的に扱っておられないんですよ。生き物はやっぱり非常に複雑です。
上出 人間は確かに生き物で、その仕組みが非常に複雑ですね。だけど、地球システムや環境問題は、同じくらい、あるいはもっともっと複雑だと思います。例えば、太陽と地球の関係、やればやるほどわからなくなります。例えば、地球システムのことに関して現在何%くらいわかっているかとよく聞かれますけれども、最終ゴールや解くべき問題すらわからない場合、何%わかっているとは答えられないですね。
先日、スタンフォード大学の太陽観測データを使って、アメリカ人と共同論文を書きました。太陽活動というのは、簡単な話、太陽の黒点数で言うのですが、それが約11年の周期で増えたり減ったりするわけです。例えば1600年代に75年間も、太陽から黒点が消えてしまったときがあるんです。それはどうしてか、わからないのですが、その消えてしまった75年間、先ほどの論理で言うと、地球全体が寒くなったという記録が残っています。テムズ川も凍ってしまった。地球寒冷化ですね。
私たちが行ったのは、スタンフォード大学の過去30年の太陽磁場データを使って、次の太陽周期の大きさ、つまり黒点数はどれくらいであるかを予測したのです。その論文は、『ネイチャー』にリジェクト(reject)されました。拒否された理由は、証拠不十分でした。同じ論文を別の専門誌に投稿したところ、「すばらしい発見」と評価され、その号の表紙を飾り、さらにアメリカの新聞でも報道されました。研究者の全員が認める論文はないし、またそれぐらい現在の地球についてわかってないことがたくさんあるということです。
基礎研究はそれぐらい複雑なもので、論文を書くために研究している人は確かに、正直な話、何割かいると思いますが、ほとんどの地球科学者は自然現象がおもしろいから研究している、あるいはわからないから研究しているのだと思います。おそらく人間の体は非常に複雑だということはわかりますが、自然ももっともっと複雑だと思っていますので、好奇心をくすぐります。
高橋 ありがとうございました。
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