|
|
|
〈愛・地球会議〉環境本位型社会を目指して |
![]() |
岡田友梨絵さん |
岡田 皆さん、こんにちは。私、名古屋大学農学部資源生物環境学科2年の岡田友梨絵と申します。私からは、上出先生に一つ質問させていただきたいと思います。
人間はこれまで既に大量の人工物を大気中に放出してきました。その放出してきた人工物に対して、何かしらの対策をしていかなければいけないのだろうと思います。その対策を考えてみますと、例えば何もしない、それから放出する人工物の量を減らす。または質を環境負荷の少ないものにする。または、今まで放出してきたものを回収する。さらに言いますと、放出してきたものの効果を相殺するような人工物を新たに大気中に放出する。いろいろな対策が考えられると思います。
その対策のどれを選んでやっていこうかというのは、これからの科学の進展がその判断に必要なのですが、そういうふうに考えて決断をしても、やはり地球を実験場にした能動的な実験をしてしまうのではないかと私には考えられます。そういうときに、上出先生は、今の環境の現状をどのようにしていくべきだとお考えですか。よろしくお願いします。
上出 養老先生のご本にどう書いてあるかというと、「じゃ、どうしたらいいんですかと聞かないでください」です。(笑)
岡田さんは、非可逆過程という言葉を知っていますか。例えば、20度のお湯と同量の40度のお湯を混ぜたら30度のお湯になりますね。ところが、30度のお湯をここに持ってきて、20度のお湯と40度のお湯に分けることができますか。できないですね。そういうのを非可逆過程というんです。極端な話、0度の水と100度のお湯を同じ量だけ集めたら50度のお湯にはなりますが、50度のお湯からもとには戻らない。
![]() |
上出洋介氏 |
人類が大気に放出してしまったもの、それはもう非可逆過程なんです。もう遅過ぎるわけです。そういうことを考えると、今、岡田さんの質問でいくつか選択肢を出されましたけれども、何もしないのが一番いいということです。というのは、何かして副作用が大きかったら大変なことになりますからね。岡田さんがお考えのように、地球を対象に、わからないテストはすべきではないと思います。
また、非可逆過程と同時に、自然現象には非線形過程というのもあるんですよ。2倍の入力で2倍の出力が出るのではなくて、2倍のものを入れたら100倍の効果になって出てくる、そういうものも自然現象にはあるわけです。おそらく、さきほどの太陽定数の1%以下の変動もその例でしょう。ですから、ある程度のメカニズムがわかるまで、手当てはしちゃいけない。
先ほど経済の問題が出ましたけれども、それも短絡的にしてはいけないことの部類でしょう。今、世界中、特に日本は不況ですね。不況をどうしたらいいかというと、大抵の政治家が考えるのは、もう我々、日常生活で要るものはないんだけれども、要るふりをしようということ。今あるものを捨ててしまい、ああ、不便だ、不便だと言っていっぱい買う。工場をいっぱいつくらなければだめですね。そうすると買いますね。そうすると、経済は活性化する。そういうことで一見経済を活性化させちゃ絶対いけないわけです。ですから、どうしたらいいでしょうかというのには、残念ながら答えることができません。岡田さんの時代にお任せしますが。人工放出物をなくするのに、人工放出物を使う場合、副作用をきちんと計算しないうちに変なことをしてはいけない。それぐらいしか答えられません。
●岡田さんからみなさんへ「なにを選択すればよいか、など」
岡田 ありがとうございました。
今日の講演を聞いて、少し追加質問をしたいのですが。MAHBの活動を聞いて、そういうふうに科学者が研究をしたり、討論をしたりという場がある、それはとてもすばらしいことだと思いました。さっき私がいくつか出した選択肢のなかから選ぶというのはとてもできることではなく、その判断はとても難しいことだと思います。それは研究者一人でやるべきことではないと思いますし、何か大きな団体で考えていけるようなものがあればいいのではないかなと思って、MAHBの活動を聞いていました。
選び方、そういう選択をどのようにしていくべきかというお考えがもしあればお聞かせください。
上出 MAHBの活動に限らず、僕が強調したいのは、科学と技術という言葉が二つあることです。科学技術と日本語で言いますね。それは科学と技術、アンドなんだ。科学と技術、違う目的を持ったものであるということ、そこのところからいろいろなところに議論を広げるべきです。
例えば万博のオープニングセレモニーで、科学技術という言葉が何回も連発されるのを聞きました。これらの政治家の頭の中では、科学技術というのは、端的に技術のことであると思っていると想像します。科学的な技術、あるいは科学をフルに使った技術、といった意味です。けれども、科学というのは、発明、工夫の技術とは違います。地球環境、あるいは地球っていったい何であるか、生命とは何であるかについて、ほとんど我々はわかっていないわけです。わかってないのに、技術で何か手当てをしようとしてはいけない、それだけは言えます。
高橋 今の質問はほかの方にもしたほうがいいですね。じゃ、エーリックさん、いかがですか。
エーリック ここ、名古屋大学において、直ぐにでも行わなければいけないことは、先ずはたくさんいる専門家を頼んで試験的なMAHBを作ることだと思います。代替物となるものは何か、そしてどういう結果が可能なのかを、大勢の聴衆の前で発表する。なぜならば、例えばIPCCの結果からみて、もし私たちが温室効果ガス、人類が発生させる、人間が誘発する温室効果ガスを増え続けさせると何が起きることになるでしょうか。大まかに言って、私たちが苦しまずにすむチャンスは10%だと言われます。
これはどういう意味かと言うと、ツバルは水没するけれど彼らを動かすことはできます。日本やオランダなどは堤防を作らなければならないでしょう。貧しい国は水の塩類化や沿岸の帯水層のため相当苦しむことになり、近隣の大都市も水による影響を受けるにもかかわわらず、裕福な国は堤防を築く余裕があるだろうということです。ですが、私は基本的にこういうことはゆっくりと起こるものだと思うし、若い人々でも、この会場にいる皆さんの生活が気候の変化によって劇的には変わらないように、十分な策を講じることができるでしょう。これは一つの可能性です。どうしてかというと、私たちは結果や、先ほどの話に出たような非線形性といったことを全て知ることはできないのです。知識は増えてきてはいますが、それらを完全に理解することはできないのです。
その反対側を考えて、たとえば科学を論じるならば、常に可能性について論じなければなりません、確実性は存在しませんし、科学は何も証明しません。もう一方の端には、文明が消滅するという約10%の可能性があります。つまり、大陸の中心にある巨大な緑地帯への影響は大変厳しいもので、大変な争いに繋がって、何十億の人々が急激な気候の変化による真に破滅的な結末によって、最終的には死んでしまうでしょう。ですからチャンスは10%と10%であり、それら2つの両極端の間には、様々なレベルの悪い状態が分布されています。ですから皆を集めてそのことを説明し、質問を聞いて、そして彼らに何もやらないことから生じる可能性と、海に鉄屑を入れたり、太陽の方向を反射してしまう衛星を打ち上げたりすることの間にある可能性について説明すれば、彼らがどんな結論を下さねばならないと思っているかが分かるでしょう。
例えば、前にも言ったと思いますが、文明を破滅させる大災害が起きるかもしれない10%の可能性を、5%に減らすことにはどれだけの価値があるかという質問をします。現在アメリカには、そういった種類の問題に影響を与えるデータがあります。今はもう間違いだったと分かっていますが、冷戦の間、通常の計算でいくと、ソビエト軍がヨーロッパの領域で西に向って攻め入る可能性は10%あるというものでした。今では記録もありますし、その可能性は10%にはるかに及ばなかったと分かっていますが、そのような計算は、戦車回収車などの配置を見ることから推定されたのです。合衆国はその10%に対して何十億、何百億というドルを使いました。
ですから私たちは、社会というものは、10%の可能性に対して巨額の投資が必要なほど成り行きが厳しいものであるならば、進んで投資を行うということが分かります。決してわずか10%だからといって引っかからないで下さい。もし貴方が今夜行く料理屋で、味噌汁に青酸カリが入っている可能性があるといったら、ほんの10%の可能性でも味噌汁は飲まないでしょう? そうしたらその味噌汁は控えて、報道陣を呼んで貴方が何を考えているのか、問題に対して何をしなければならないと考えているか、そして日本はそれに対して何をすればよいのかを話すのです。できれば最初から報道陣を入れて、地元の政治家を巻き込みなさい。地元の宗教指導者も巻き込みなさい。
しかし倫理的な問題が関係してきます。ツバルは水没しても、人々はツバルから引っ越せばいい、彼らの文化や、島に祖先が埋葬されているだの何だのは気にしないと発言する。しかし、このようなことは倫理的なのでしょうか。倫理的問題、あらゆる社会的問題がありますが、少なくともアメリカでは、またおそらく日本でも、こういった問題が十分に話し合われることがないのです。倫理的問題をそこには出しません。社会・政治の中間にある問題もそこには出しません。科学が政治的見解を持つのはよくないとされています。
私が政治的発言をしたと言ったことに気がつかれたでしょうが、ジョージ・ブッシュに関して言ったことは科学的発言ではありません。ブッシュが馬鹿だということは私には証明できませんが、私はそうだと思っており、それは私の考えだと申しました。私や仲間の考えでは、今、環境に関して米国でやらなければならない唯一の重要なことは、ブッシュとその共犯者たちを一掃することです。私たちは誰も国立公園のことなど何も考えておらず、彼らが世界を破滅させる前に、いかにして彼らを排除するかということを考えています。
ブッシュ政権がこれまで合衆国に存在した政府のなかで最も危険な一つであることは一般の合意であり、こう考えるべきなのです。たとえば新しい保護区を作るとか、もっとリサイクル品を集めるかを心配しているなら、それは結構なことです。しかしシステムを変えることに少しでも時間を割かないとなれば、私たちは全員間違った方向へ行きます。イギリスで言われたのは、私たちはタイタニックのデッキに置いてある椅子の位置を変えているようなものだというものでした。
asahi.comトップ|社会|スポーツ|ビジネス|暮らし|政治|国際|文化・芸能|ENGLISH|マイタウン