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熊岡 皆さん、こんにちは。日本国際ボランティアセンターの熊岡です。 きょうは、先ほどの百瀬さんの紹介に従えば、年配のNGO活動者の立場で、今までの経験を踏まえてお話しさせていただきたいと思います。 時間が限られていますので、この白いレジュメの主に1と2についてはお話しできるでしょうが、3と4まではいかないかなとも思いますが、お読みください。 それから、青いのですね。これ、チャートなんですけれども。伊藤さんもお話しくださったカンボジア紛争が始まって、かれこれ30年になります。ベトナム戦争のカンボジアへの拡大、ポル・ポト時代が終わった後の内戦、そして91年に、幸いにもパリ和平協定で平和な時代が来ました。カンボジアだけではなく、周辺のベトナムやラオス、そしてタイなどASEAN諸国も含めて、現在はASEAN10となり、紛争、戦争の時代を克服して、15年前にはほんとうに夢にも思えなかった状態になっています。そういった過程で、多くの国々と国交のなかったカンボジア、国連の議席もなかったカンボジアにおいて国際NGOが果たした役割をチャートにしてありますので、お読みください。 最後にピンクは、「12月2日に外務省、朝日新聞社の共催で、『人間の安全保障』、あるいは『安全保障の今日的課題』というテーマでシンポジウムがあるんだけど」と、いろんな友人に、ぜひ話してもらいたいことがあれば言ってほしいと投げかけて、複数のところから返事が届きました。エルサレムに住んでいる日本人活動者に、パレスチナの現況を「人間の安全保障」という立場で書いてもらった――非常に読みやすいと思いますけれども――手紙をここで紹介してありますので、触れられなかったら、ぜひあとでお読みください。 ●忘れられない人々 私自身は、24、5年前、自分が若いときに個人的に関心を持ったカンボジアとベトナムで、戦争や内戦があり、ポル・ポト政権は終わったんだけれども、大量の難民がタイに逃れたり、新たな内戦が起きたりという状態の中で、カンボジア難民救援、ベトナム難民救援などの活動に参加しました。 その1年目、2年目の活動というのは自分にとってもほんとうに印象的でした。最初はこんなに長く続けるとは思っていなかったんです。お金の続く限り、数週間か数カ月活動して、日本へ帰るつもりだったんですけれど、これからお話しするさまざまな人々と会ったこともあり、それが今日、自分の活動につながっています。いろいろな人を思い出しますが、10人ぐらい、ほんとうに忘れられない人がいます。 それをお話しするだけでも非常に長くなってしまうんですけれども、かいつまんで言います。私はシンガポールのUNHCRキャンプで、キャンプ・マネジャーとして働いていました。そのときに、シンガポール沖の公海というか、少し外の海で、タンカーや商業船が――海軍の船ということもありましたけれども――ベトナム難民を途中で救って連れてきてくださるわけです。それで、連絡を受けて私たちが引き取りにいく。病気とかけがの重い人は病院に運んで、比較的元気な人については、難民キャンプで、シンガポールの場合は3カ月しかいられないんですけれども、一緒に働いて、一緒に食事をするという生活をしました。 ちょっと古い話のように思われるかもしれませんが、基本的には今でも同じようなことが別の地域で行われていることを念頭において、どうかお聞きください。船の上では非常にひどいことが起こります。食べ物がなくなる、水がなくなる、沈みかける、それから海賊に襲われる。当時、難民の中に10歳前後の女の子がいました。とてもひどい体験を次々として、家族も亡くしてしまった子どもでした。そのために彼女は声が、あるいは言葉が出なくなってしまった。いろんな恐怖感のせいで、今で言うトラウマに襲われていて、難民キャンプまで一回来たんですけども、あんまり状態が悪いので、近くの修道院でシスターたちに3カ月面倒を見てもらいました。その後、私はカナダの修道院に引き取られていくその子を空港で見送るという経験をしました。もちろん、話がいっさいできないので、詳しい経緯はわからないんですけれども。 それから、今度は男性で、たくましいベトナム人青年がいました。彼は船を襲った海賊から家族や友人を守るために戦って、首の骨、脊椎を折られて、首から下が動かない状態になってしまいました。それでも、アメリカへ行くためのトレーニングを受けて、3カ月ぐらいして、アメリカへ行きました。彼も見送りましたが、といっても私には目でお話しするというか、彼の感情を想像するしかなかったわけですけれども。 もうひとつ、どうしても忘れられないのは、難民救援だけでは不十分だということで、難民を出しているもとの国のカンボジアに入ったときのことです。まだ入ったばかりの85年だったと思うんですけれども、我々は医療関係と井戸掘りを行っていたので、井戸掘りを必要としている保健所、病院を訪ね歩いていました。既にあるものの補修もやっていて、そこを訪ねた日に、農村地域であるタケオ州の12、3歳の女の子が地雷を踏んで担ぎ込まれてきました。左足のひざから下はあまりにもけががひどいのでもう切られていたのですが、右足のほうも相当ひどいので、お医者さんがすごく悩んでいました。というのは、当たり前ですけれど、熱帯地帯の農業というのは大変なハードワークです。とても暑い中で硬い土を相手に働くわけですから、いわゆる五体満足の状態でも難しいのに、両方の足を切ってしまったら、生きていくことさえつらくなるだろうということで、医師も悩んでいたわけです。その少女の絶望的というか、感情をすべて失った、あるいは心を閉じてしまったような表情が、今でも忘れられません。 ●日本にいてもできること そのときには、「人間の安全保障」という言葉で考えたわけではないですけれど、緒方さんもおっしゃたように、国家・政府がありながら、あるにもかかわらず、あるいは、あるがゆえに、ひどい目に遭う人々がいるということを痛切に感じました。 活動していても、なかなか十分なことができなくて、無力感に襲われることもありました。いくらかできたこともあろうかとは思うんですけれども、どういう活動をすればいいかと考えると、やはり個人が、それも二重に個人の問題が出てくると思いました。国家を中心にした安全保障、つまり、国家を守るために、政治体制その他を守るためには、軍事力が必要だというような流れではなくて、守られる側の中心にはいつも個人があるということ。それから、守る側も国家や政府だけではまったく不十分だということに、徐々に気づいていきました。 自分を含めて、誰でも自由に海外に行けるわけではないことは言うまでもないわけですが、日本にいても、それなりに想像力を広げてといいますか、そういう状況に置かれた人々――もちろん、日本の国内にもいると思うんですけれども――そういう人たちのために何ができるだろうかということを、自分自身に問いかける必要があるのです。 国が、政府があるから、あるいは税金払っているから、あるいは国連がいるから、やってもらえばいいということではなくて、ここではやっぱり二重に個人が問われているということを、5年、10年の中で感じました。 それから、この報告書を読んで、個人的に感じるところがもう一つありました。確かに、人権とか生活を奪われた人々を守るとか、助けるとかということが大事なのは言うまでもありませんが、同時に、そういった紛争や困窮などの厳しい状況に置かれた人々が、みずから問題解決の中心になれることを理解し、それを信じて、僕ら自身も含めてですけれども、そのための力をつけていくことによって、問題を見極めたり解決していくことが大事だと思います。僕らはそれを応援していく。もちろん必要に応じて、守るとか助けることも大切ではありますが。弱い立場にいる人が、イコール弱い人ということではありません。 ●南アフリカの職業訓練プログラム という流れの中で、南アフリカのケース、カンボジアのケースをいくつかお話ししたいと思います。 南アでは、6年ほど、UNHCRの職業訓練ということで、南アから一回逃げたといいますか、亡命者として国を出た人=帰還難民のための職業訓練。それから、南アに逃れてきたほかのアフリカ諸国からの難民、及び地元の青年のための職業訓練をさまざまに行いました。ちなみに、この大きなプログラムは「緒方・マンデラ」プロジェクトと呼ばれていました。これは、緒方さんとマンデラさんが、新しい南アという国づくりを進めていくうえで、教育や職業訓練の大切さを確認し合って構想したものです。それを受けて、我々NGOが実際レベルで活動したんですけれども、そのときに、我々の職業訓練の中のマネージメント・トレーニングとか、事務能力の向上というプログラムが一つのきっかけになって、「ホームレスに家を」という運動を展開していったリーダーの女性と出会いました。まだ20代の人で、3、4歳の男の子と、手回しミシン、足踏みミシンでお金を稼いでいる60歳前後のお母さんとともに、2年ぐらい家のない暮らしをしていましたが、ただ単に自分の家を手に入れればいいというのではなく、50世帯か60世帯の社会運動として、「ホームレスに家を」という運動のリーダーとなって活動したのです。最終的には、くじ引きで彼女も家を確保できたんですけれども、そういう人々は、ある時期守られる対象、応援される対象でなければやっていけないこともありますが、ある意味では我々よりはるかに強い人たちです。あるいは、大きな可能性を持った人といえるでしょう。 だから、「単に」といっていいかどうかわかりませんが、守ること、助けることも大事ですけども、人々が自分自身で力をつけていくということが、ほんとうに大事だということを改めて強く感じました。 それから、同じく南アの職業訓練のケースでは、窃盗などで刑務所にいた人が出所してきて、更正のために私たちの訓練のプログラムに入って、もともとキャリアがあったんでしょうが、訓練生の立場から始めて、最終的には自動車のメカニック――私も自動車のメカニックなんで、その分野には思い入れがあるんですけれども――や、熔接、大工、木工というような分野で、アシスタントとか指導員になって、徐々に安定した生活を確保していったようなケースもありました。 ●奪われた人権をエネルギーに 次にカンボジアのケースに移りますと、10年来の友人で、元政治犯として政治犯収容所に入れられていた人がいます。「アドホック」というカンボジアの人権開発協会の代表をやっている、トゥン・サライさんという人なんですが、パリ和平協定により釈放された後、「ぜひともカンボジアに人権が守られる社会をつくりたい」ということで、いろいろな政党や政府からも地位の申し出があったんですけれども、それを断って、NGOとして今でも活動しています。彼はまさに人権を奪われて、まともな理由もないのにひどい目にあったことを、逆に自分のエネルギーにして、カンボジアの権力との関係が非常に難しいところで、命がけで民主化、あるいは人権のために闘っているというか、働いています。 こういう出会いが励ましになっています。つい我々は金銭的に豊かな国にいるということで、どうしても相手を助けるという発想があるのですが、実際に現場に行ってみると、これはほかの方もみんな経験されていると思いますけれども、助けることと、助けられることを隔てる壁が溶けてしまう瞬間があります。あるいはむしろ、日本から行った人たちが、励まされて帰ってくるようなケースも多いのです。そういう意味で、人の可能性を信じること、それが実現するのを目のあたりにすることから、こちらも大きく得るものがあると思います。 ●人道支援で大切なこと 最後に、チャートも見ていただきながら、人道支援とか、援助実働型とかいうことをお話ししたいと思います。伊藤さんのところもそうですけれども、できること、できないことはもちろんあります。アムネスティやヒューマンライツ・ウォッチなどの人たちが、人権、あるいは平和のために、日本、欧米、あるいはアジア、アフリカ、いろんな国で動いてくださっている。そのことにはとても励まされるというか、応援もされてありがたいと思います。同時に、私たちのように紛争地にいますと、人権の「じ」の字、ピースの「ピ」の字を言った途端に、叩き出されるというような状況もあり得るわけです。人道援助――若干あいまいで広い言葉ですが――という目的をもって、紛争地あるいは独裁的政権の国で活動していると、これは後で気がついたことなんですけれども、直接に水・保健・医療、あるいは基礎教育・福祉・公衆衛生の分野で役に立っている――当たり前なんですけれども、そのためにいるわけなんで――と同時に、その現場にいることによって、長期の紛争が続いているような地域で、対立的になった国内と国外の信頼関係をつなぐ要素になれるということに気がつきました。カンボジアでも、NGOが果たした役割の一つはそういうことでした。 2番目に、私たちがいることによって――先ほども言ったように、ストレートに人権とか平和と言えない場合もあるので、非常に発言、行動には注意するわけですが――そこにいることによって、よそ者効果というか、人に見られているという意識も含めて、結果的に独裁的といいますか、圧迫しようとするものの一部を抑制できる機能があると思いました。不十分ではありますが、たしかにあると思います。 ●国境を超えて伝わる声 それこそ東チモールやパレスチナなど、どこでもそうですけれども、紛争地の人々は、孤立した孤独な気持ちでいます。世界から、国際社会から見放されたという寂しさを持っているのです。彼らの声は世界には伝りにくいからなんですけれども、私たちが人道支援を行いながら、できるだけそばにいてあげることで、そういう孤独感や孤立感にさいなまれている人々の声、表情や意見を、上手に外に伝えることができるのではないか。それも大事なことだと思います。 また逆に、日本を含む国際社会が、パレスチナその他、紛争地域で生きている人々のことに関心を持っている、心配し行動しているということを伝えられれば、彼らを励ますことができると思います。実際に、多少なりともそれができたと思っています。 最後に、こういう紛争地では、たしかに国連、および国際NGOという要素、その活動が大きい意味をもっていることを言っておきたいと思います。国連の機関も含めて、現地、現場からの平和への提言というのは、非常に地に足がついたものでした。現地で人道援助を行って得た信頼関係などを基に、場合によっては、対立するグループの間に入ることもあって、その役割をうまく果たしたケースも少なくありませんし、今後もますます大事な役割になると思います。最後にぜひそのことを、外務省・JICAの皆さんはもちろん、広い意味で日本の社会全体の人々が積極的に認めて、支援できるような考え方とか仕組みをつくっていただきたい、そうなるように応援していただければありがたいと思います。 長くなりました。ありがとうございました。(拍手)
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