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徳川 徳川です。 私は「地球市民時代」という言葉が理解できなかったんです。どうしてもその概念が形成できませんでした。もしかすると、国境によって区切られている国とか、あらゆる民族とか、宗教とか、そういった規範をすべて取っ払って、地球上に住む人間、その一つ一つの規範を求めた社会というものを想定するのかと思ったんです。それでは、とても私にはそんな任には耐えないと、私はそんな夢のような社会は想定できない、とてもここで語る資格はないといって辞退しようかと思ったんですが、今の佐々木先生のお話を伺い、あるいは星野さんのお話を伺いますと、そうではなくて、あらゆる集団の違いというものはまず認めてかかるという立場のようです。ならば、初めて日本という地域も認められますし、その国の文化ということも語ることができるわけです。 さて、そこで、じゃ、日本の文化って何だろう。これを簡単に言うのは難しいんですが、日本独自とは言わないまでも、特徴と指摘できる造形意識、美意識の発露は、今から7000年ほど前、縄文時代も早期のころから見出されると私は思います。 北海道の函館の飛行場を拡張する工事のときに発見された土器で、中野式というのがあります。これは尖底土器で縄文がついています。口縁がちょっと波形になって、耳が4つついています。その器面いっぱいにへらと縄で文がついています。ところが、その紋様が左右対称じゃないんです。世界中を眺め回しましても、それこそ先史時代の紋様、原始紋様というのは、どこの民族とも大体左右対称、シンメトリックで始まるんです。それから、大体ワンパターン。2パターンであっても、その繰り返しで始まると。 ところが、ここにあらわれる縄文早期の土器というのは、そのどちらでもないと。シンメトリックではなく、むしろアシンメトリーなんですね。それから、かつ2パターンどころか3パターンぐらいある。しかも、それが単純なる繰り返しでもないと。これは一つの特色としてとらえられると思いますし、その特色は、縄文も前期、中期と進めるに従って、ますます進化してくるといいますか、激しくなってくる。この感覚は、ずっと中世、近世を通じて今日までも脈々と受け継がれていると思います。ゆがみ茶わんとか、一杯飲み屋のぐい飲み等々にも我々は同じ美意識を感じていると思います。 それから、今度は色彩の問題です。赤色というのは、どこの民族でも刺激的な色、最も色彩として強烈な色である。そして、どこの民族でも、これまた呪術的な意味合いを持つととらえていると思います。我が国でも、弥生時代の甕棺、あるいは装飾古墳等々にも、赤色を何かしら呪術的な意味に使ったということは認められます。が、呪術的な赤色、すなわちそれを美しいと見ていたとは言えない。 古事記の世界です。海幸山幸伝説というのをご存じだと思います。その前のほうは省略いたしまして、一番最後に豊玉姫が山幸と別れまして綿津見の宮に帰ってしまう、そして、恋しい尊に送った歌があります。「赤玉は 緒さえ光れど 白玉の 君が装いし 貴くありけり」という歌なんです。赤い玉はその頭首である緒まで光るけれども、白い玉で装っていらっしゃる尊のお姿のほうが、なおとうとく見えますよと。これは、私、日本の美意識の原点ではないかと考えます。ここでは、赤よりも白のほうがなお尊い、言葉を変えれば、清らという言葉に上位の価値観を認めているというふうに思われます。 それから次には、英語ですと、よくワンダフルとかビューティフルという言葉を使いますね。英語のワンダフル、ビューティフルという言葉は、すぐ裏側にゴージャスとかプレンティーといったような意味合いを含んでいると。英語で、例えばどこかいいレストランはないかとか、レストランの話をしていて、「That's good restaurant」と言ったときは、必ず料理がたくさん出てくる、いっぱい出てくるということを意味している。会席料理みたいにちょこっと出てくるのでは「Good restaurant」とは言われないだろうと思います。 例えばローマ時代、貴族王侯のごちそうとなると山ほど出てくるんですよ。おなかいっぱい食べたら、陰へ行って全部吐き出して、また食べる。それを少なくとも2度、あるいは3度繰り返さないと、ごちそうと言わない。 あるいは建築の上で見れば、ドーム、アーチですね、その建築法を見出しますと、1段どころか、2段、3段、4段、あるいは5段ぐらい積み重ねて、これでもか、これでもかと積み重ねてくる。あるいはゴシック建築となれば、これでもか、あれでもかというぐらい、いわば装飾過多になる。これは近代に至って、17世紀、19世紀に至っても、宮殿や貴族の館の室内装飾を思い浮かべていただければ、同じくゴテゴテですね。 あるいは絵画の世界でも、同じころ、挿し切れないほどの花を花生けに挿してある。到底、自然の野の花の状態ではありませんね。それから静物画といっても、テーブルの上に乗り切らないほどの野菜とか果物とか魚とか肉、テーブルの上ではなくて、壁にもかけたり床にも置いてある。壁にはウサギがかけてある、あるいは、床には鳥が転がしてあるといったような絵が書いてある。あれが、どうも西洋における豊かさの象徴のようです。 ところが、今の豊玉姫が産んだ赤ちゃん、そのまたお子さんになるわけですが、それが神武天皇です。この神武天皇が、富登多多良伊須須岐比賣命(ふとたたらいすすきひめのみこと)と言われるんですが、この姫がまだ入内される前のことを思い出して、読んで送った歌というのがあります。「葦原の 繁しき小屋に 菅畳 いや清敷きて 我が二人寝し」と。この場合、上の句の「繁」と下の句の「清」とは対比された言葉です。すなわち、「繁」というのは否定的価値観、それから「清」というのは肯定的価値観、それを対比させているわけですね。ですから、我が国では伝統的に、たくさんあるのはよろしくないと。かえってさもしい。むしろ少ない、さやけし、そして、わずかなほうがいいんだといった価値観が、あるいは美意識が昔から流れているようだと。この美意識は、平安時代の源氏物語、枕草子、あるいは中世の徒然草、世阿弥の風姿花伝といった文学書、あるいは池坊の華論、さらには武野紹鴎、千利休といったわび茶論にも受け継がれていきます。 それから、5世紀の歌で始まって8世紀の半ばに成立した万葉集、これは全部で4,516首を数えるんですが、その中には、自然天然の原野に生え、あるいはもえ出た、ワラビ、ヤマブキ、卯の花、ハギといった植物をたたえた歌はごまんとあります。けれども、人の手、すなわち人工、人の手でつくった人工物をたたえた歌というのは、気がついてみたら1首もないんです。 「オックスフォード・イングリッシュ・ディクショナリー」という、こんな辞書があります。そのコンサイス版というのを私は愛用するんですが、その辞典でもって「アート」を引いてみます。そうしますと、英和辞典を引きますと、真っ先に美術とか芸術という言葉が出てきちゃうんですが、そうではありませんで、英英辞典ですと、「アート」は「human skill as opposed to nature」と出てきます。すなわち英語では、「アート」、今日ですと美術とか芸術と訳してしまいますけど、アートというのは人間のスキル、すなわち技術、技、たくみである、その反対語だと出てくるんです。アートというのはそれがもともとの言葉ですね。 そして、アートとネイチャーというのはアントニム、すなわち反対語と概念されていまして、ネイチャーというのは唯一絶対神が生み出したもの、我々は生み出されたものという、神と人というのは対位する反対概念というふうにとらえられているわけです。ですから、神様仏様の世界にあっては、人は仏ともなりますし、神となることもできますが、キリスト教の世界、一神教の世界にあっては、人間はどんなことをしても神となることはできないといった宇宙観を持っています。 ●技術を尽くしながら技術を見せない文化 そして、我が国の自然観というのは、例えば源氏物語で八条院に女三宮の屋敷をつくる。その屋敷は、天然原野から草木を運んできて、そこに植えて、かつ水を流した。さらに、光源氏はそこにスズムシを放した。そうすると、その屋敷を訪れると、あたかも秋の原野にいるようで心にしみ入るようであったとたたえられているんです。都の真ん中につくった屋敷ですから人工物であることは明らかです。にもかかわらず、自然天然を模したところがすばらしいとたたえるわけです。 枕草子の第252段ですが、お日様のことを言います。「日は入り日。入りはてぬる山の端に、光なほとまりて赤う見ゆるに、薄黄ばみたる雲のたなびきわたりたる、いとあはれなり」と。こうこうと輝く太陽ではなくて、沈んでしまった余光が照り映えている雲、それが美しいと。 次の段は、「月は有明の、東の山ぎはにほそくて出づるほど、いとあはれなり」と。それこそ東山、有明ですから、もうあと30分か1時間もすればお日様が登ってきて消えてしまう。そうなったところに、三日月か新月か、細くかかる、それがいいと。要するに、十五夜のこうこうとした月よりも、そういうほうがなお心にしみ入ってくると書かれます。 さらに、徒然草では、「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行え知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ」、口語訳すると時間がなくなりますから、お聞き取りおきだけ願います。完全なものだけがいいというわけではないと。むしろ完全でないもの、それを想像するところがいいと。 それから、「羅の表紙は、疾く損ずるがわびしき」と人の言ひしに、頓阿──これは坊さんの名前ですね──「羅は上下はつれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそ、いみじけれ」と申し侍りしこそ、心まさりして覚えしか」といったような一段があります。これも、完全なものよりも、むしろ破れて、あるいは古となったもののほうにこそいみじけれと。立派さがあるといいましょうか、見どころがあるというわけです。この不完全なもの、わざとらしくないものを美と感じる感覚は、次に感じるといった受け身の態度だけではなくて、積極的に見出そうという意識へと発展していきます。 14世紀の初め、1340年ですが、「師守記」に、正月三日に茶壺(つぼ)を引き出物として与えるといった記事が出ます。その3年後の康永2年、1343年ですが、祇園執行日記という日記には、小壺、今日のことで申せば茶入れですね、その三つに変えて、大壺、これは茶壺です。その記事が何回も出ます。それを3貫文、これは銭にすれば3,000文です。そういう値段で質入れするという記事が出てきます。その当時、日本製の茶壷は150文から200文なんです。実用面でも使用価値は違ったと思いますけれども、そんなに15倍も20倍も違ったとは思えない。そうすると、日本製の壺と、先ほどお話しした大壺というのは全部中国製の壺なんですが、評価の違いというのは何によって生まれたか。考えてみると、鑑賞価値観以外ないんです。もちろん実用価値においても違いはあったと思いますが、そこに見出された鑑賞価値観の鑑賞対象は何だったろうか。その壺は今日にもたくさん残っています。それを見ますと、決して上等な焼き物ではないんです。土も白石や黒砂が入っていいかげんな土ですし、造形もいいかげんですし、化粧がけも薬がけも、窯詰めもあるいは窯焚きもすべて実にいいかげんです。そこで見出したのは、むしろ人のたくみではない、技ではない、人の計算したものでもない、それが器物の上に展開された、それがおもしろいと見出して、高く評価したとしか考えられません。 同じころ、中国からさまざまな文物が渡ってきております。高く評価したものも入ってきましたが、中国では全然相手にもしなかったようなものも入ってきています。例えば、禅宗のお坊さんが書いた、決してうまいとは言えないような文字です。あるいは、禅宗の坊さんの余技のような水墨画です。中国の宮廷で評価したようなものもすばらしいけれども、それ以上に、何気なく書いたような禅宗の坊さんの墨跡とか水墨画とか、そのほうがなおおもしろいといったような価値観を展開すると。 そういったような物の見方というのは、後のお茶の茶碗(わん)、何気ない井戸茶碗、このほうがおもしろい。さらに高麗茶碗。つくる人が何気なくつくったようなもののほうこそおもしろいといった価値観が、さらには、わざと、技術を尽くしながらもなお技術を見せない、らしく見せないところのほうがなおおもしろいといった美意識、価値観が我が国には流れている。そういうふうに、私は、日本の文化をとらえる一つの特色があって、これは今日、そして将来の世界へと広める価値が十分あると考えております。 以上です。 !--本文-->
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