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フォーラム「うたおう 子どもの権利」
【冒頭発言】(3)筑紫哲也氏

 川名 それでは、お待たせしました。筑紫さんにお話ししていただきます。昨日の夜11時頃帰ってテレビのスイッチをつけましたら「子ども受難」というシリーズで、ちょうど昨日成立した新しい児童虐待防止法について特集が組まれていました。番組でもたびたび子どもの問題も取り上げていらっしゃいます。では、筑紫さん、お願いいたします。

 筑紫哲也氏

 筑紫 一昨日から「子ども受難」というシリーズを始めました。今日のシンポジウムに合わせたわけではありませんが。いわば大夫前からたまりかねて「これをやらなきゃいけない」といって始めた途端、昨日のニュースでご存じだと思いますけれども――そういうシリーズをやるためには逆に追い風ではあるんですけれども――決して楽しい追い風でない事件がバタバタと起きてしまいました。いわば、まことによくタイミングに合った企画といいますか、こんなものがタイミングに合うということ自体が大変残念だと思っていますが。

 今、重松さんから「死角」という話がありましたが、死角の1つに政府広報というのがあります。泉谷しげるだけではなくて、最近、政府の広報はやたらに国民に説教しています。国民年金を納めなかったら、どういう目に遭うかわかるかって、江角マキコさんがすごんだり、いろいろするんですね。これを不思議だとみんな思わないことが死角なんですが、私たちの税金で私たちは説教されているんですよ。今年の予算で総務省の政府広報費100億円を超えました。それだけじゃなくて、各省庁がたくさんの広報費用を持っておりまして、大体、最近は頭ごなしの説教が多いんですね。

 税金で自分たちがなぜこういうことをされなきゃいけないかっていうことを考えてもいいんですけれども。実際、過去に国会でそういうまともな議論はあったんですが、政府広報っていうものそのものを疑ってみるということは最近ほとんどしないでしょう。

●子どものケアとコスト配分

 そういう死角はいろいろあるものですけれども、イブ・デュテイユさんの最初の話を、私は大変刺激的にお聞きしていたんですが、1番シンボリックな話は、子どものための緊急番号を119番に決めたということです。119番は、日本では既にほかのことで使われてしまっているんですね。

 つまり、ほかのことに使われてしまったということの意味というのが随分ありまして、フランスでデュテイユさんの500人のあの村の様子を見ると、いいなと思う。いいなと考えるだけで終わりかねないんですが、1つ考えてほしいのは、まず、あの村の予算が4000万円だということです。

 500人の、日本の村だと普通の予算は幾らだろうって私は思いました。これは当てずっぽうで考えたんですが、大体20億円ぐらいの予算だろうと思いますね。つまり、ものすごく金がかかっている。何にかかっているかと言えば、会議所で集まる村会議員が日本の場合は、べらぼうなお金をとります。そして、村の予算は土木建築事業に相当使われます。そういうふうにして、私たちの持っているものの配分の仕方が実はいろいろな差を開いている。

 フランス人は豊かだからやれるんだ、というふうに先ほどの映像をご覧になった方がいると思いますが、そんなことないですよ。今、国民の平均所得は、フランス人は日本人のほぼ半分じゃないかと思います。イギリス人が半分ですから大体似たようなものでしょう。イタリア人に至ってはもっと少ない。にもかかわらず、どこにお金を配分するかという問題。つまり、子どもにどのぐらい細かいケアをするか、あるいは、そういうものを放っておくかというコストの配分の問題ですね。実はこれが問題の中心にあると思います。

 それから、もう1つは考え方の問題です。500人の村がいいとご覧になったでしょう。では、私たちの国はどういう方向に向かっているかというと、500人の村はよくないという形で、今、町村合併というのが日本中ものすごい勢いで進められています。私は個人的には町村合併反対でありますから、これから私たちの国に起きることは地域社会がメチャメチャになって、一望の荒野の国になっていくんではないかと思います。

 その話をし出すと本題からドンドンずれるんですが、戦争が終わって間もなく、しばらくしてアメリカから『暴力教室』という映画が入ってきました。年配の方は覚えてらっしゃるでしょうし、「古代史」の話ですから知らない人は全然知らない。『ブラックボード・ジャングル』というタイトルです。主題歌はものすごくヒットしたんですけれども、それを見た時に「遠い国のあり得ない世界だから、日本でこんなことはあり得ないよ」と言ったものであります。しばらくして、離婚というのがどんどん先進国で増えていった。「そんなことは日本ではあり得ないよ。家族というのは、いったん結婚したらずっと一緒なんだし」と言いました。

 私自身が1970年の最初にアメリカで暮らすことになりました。朝日新聞の特派員としてでありますが、その時に新聞の見出しで今まで見たことのない文字がアメリカの新聞で、はんらんし始めました。チャイルド・アビューズという言葉です。記事の中身を見たら子どもを親が虐待する。「そんなこと、日本ではあり得ないよ」。

 ずっと「いろいろなことがあり得ないよ」と言ってきましたことが全部、今や日本で起きております。子どもの虐待について言えば、大体30年の時差を経て日本でこれだけ問題になったということだろうと思います。

●日本の子どもたちは幸せか

 そういうふうに世界の子どもが置かれた状況というのは千差万別であります。2年前だったと思いますが、ユニセフという子どもについて中心になってやっている国際機関が「世界中の子どもの置かれた状況は極めて厳しくて、決してよくなっていない」という警告を交えて世界中にいろいろなことを呼びかけたことがございます。その時に出された数字を、いつも自分が持って歩く手帳にメモしてずっと持って歩いて長くなります。世界の子どもの置かれた状況については後で議論があると思いますが、そういう中で日本の子どもはどうなのかということになります。

 飢えたり、あるいは性産業のいけにえになったり、今もって労働している、あるいは戦乱に巻き込まれる、兵隊になっている。そういう子どもたちに比べて、日本の子どもたちは飢え死にもしていないし、いろいろな形で恵まれていると考えがちであります。確かにそういう面もあります。

 ちなみに、先ほどの『暴力教室』からずっと始まった変化というものも、私はある種の先進国に共通する現象であって、日本もそういう状況になったから、今こういうことが起きているんだろうと思います。

 しかし、では、世界に比べて環境の点で恵まれている子どもたちだから、日本の子どもは、その比較の上で幸せなんだよと言えるのかどうか。子どもの権利条約というのは、子どもの幸せということが鍵になっております。何をもって幸せかというのはいろいろな議論があるし、難しい定義でありますけれども、子どもの幸せの話であります。

 では、世界の比較の中で日本の子どもが幸せなのかということを聞かれれば、むしろ私の答えは「ノー」であります。今、世界中に日本人は出かけていまして、例えば、私のように先進国と呼ばれるところにしばらく住み、行って帰ってくる。あるいは商社マンとしてニューヨークにいるとか、そういう人たちがいます。一方で、青年海外協力隊などをやって、いわゆる途上国で生活をした人がいます。そういう人たちが何年かして日本に戻ってまいります。外国に行った環境は違いますから、そこで見たもの、感じたものやそういうものは全部違うはずなんですが、日本に帰ってきて、しばらくぶりに帰ってきた国を眺めて、行った国や環境は違うにもかかわらず、共通の感想があります。

●目に輝きがない日本の子どもたち

 世界中でこんなに子どもたちの目が輝いていない国は、ほかにないというのが1点であります。途上国の子どもたちは大変ですが、じゃ、途上国に行って目が輝いていないか。そんなことはありません。時にはかなり邪悪な輝きも含めて、子どもの目は輝いております。バカな日本の旅行者から何かひったくってやろうという目つきをして輝いているのもいるわけですね。それは別として、とにかく生き生きとしております、環境が悪いにもかかわらず。日本の子どもの目は死んでおります。

 もう1つのエピソードがありまして、京都に比叡山という山があります。その山で修行をするために27歳で山に入った方がいます。24年間修行して51歳になり、この間、山を下りてきました。いわば浦島太郎ですね。そこで、知り合いのみんなが「おまえ浦島太郎だけれども、久しぶりに下界におりてきて何が違ったか」と聞きました。そしたら、そのお坊さんは2つの点を挙げた。1つは車がやたらに多くなった。これは当然でしょう。2番目であります。町に子どもが全く遊んでいない。これが2番目の感想であります。これは自分たちが見たかつての世界に比べて極めて異様に映ったわけですね。

 都会で子どもが遊んでいない。では、田舎で子どもが遊んでいるかといいますと、私の郷里は大分県の――皆さんはご存じないと思いますが、日田という山奥の町がございます。町というよりは私のところは村だったんですが、つまり、相当な山奥からずっと長年、東京に出稼ぎをしておる人間でありますが、その郷里にしばしば帰ります。郷里の景色は変わっておりませんが、1つ違うのは子どもが野で遊んでないことです。こんなに子どもたちが町でも野でも自然の世界でも遊んでない国もおそらく世界中にないでしょう。

 私は、日本の子どもにとって何が一番問題かといえば子どもの目なんだと、目の輝きがないんだという話をしているわけでありますが、この前、総選挙がございました。その時に番組で党首討論というのを2回ほど私どもの番組でやりましたが、最後の、投票直前の討論の時には、各党、マニフェストといいまして、教育基本法はどう直すとか、膨大な教育の施策をお持ちになって選挙に臨みましたね。

 しかしながら、私が聞きたいのは「あなた方はどうやって子どもの目の輝きを取り戻すおつもりなんですか。それについてどういうお考えがおありですか」ということで、それを各党の党首に伺いました。非常に意表をつかれていました。マニフェストの解説や自分たちの主張なら詳しいでしょうけれども、私の問いに対する答えはなかなか出しにくかったんだろうと思います。やや各党首とも立ち往生なさっていました。

 重松さんは専門家でないことの恐れを感じておりましたが、私も長年感じておりましたが、実は最近は感じません。なぜなら専門家がこれだけ長い間、教育の問題をやったあげくの果てがこの結果なんです。(拍手)

●子どもの幸せとは何なのか

 非常に単純な、単純だけれども、基本が大事であって、つまり、日本の子どもの目の輝きを取り戻すためには何をしたらいいのか。それが子どもの幸福というものを考える時のある種、基本ではないか。言い方やアプローチの仕方はいろいろあってもいいと思いますけれども、そのことが基本ではないかと思っております。

 実はそういう話をしていたら、1つの答えをお出しになった方がいました。子どもの世界をずっと見てきて、そして、日本の最もたくさんの人たちが見たアニメーションをつくった宮崎駿さんです。

 宮崎さんは「確かにそのとおりだけれども、実は問題はそんなに難しくないんだ」とおっしゃいました。それはどういうことかというと、しばらくの間、1週間でいいから子どもたちを自然の世界に連れていくことです。先ほどの映像で、デュテイユさんが子どもたちをコルシカに連れていくあのシーンを見ていて、私は同じことをおやりになっているなと思いましたね。

 子どもたちを自然の世界に連れていく。そのかわり、大人が手を出さない。大人は寝そべっていればいいんだと。横で見ていて崖から落ちそうになった時だけ、危ないということで手をさしのべる。子どもを自然の世界に1週間置いておくと、さすがの日本の子どもでも目の輝きは相当に戻ってくるんだと。宮崎さんはそうお答えになりました。

 そんなに難しいことではない。しかし、目の輝きを取り戻すことが大事と考えるのか、塾にきちんと行かせることが大事と考えるのか。そこにも大人たちの子どもに何を望んで何を期待しているのか、あるいは子どもをどうしたいのかということが非常に関係してくるテーマだろうと思います。

 最近のニュースの中で、塾に行かないという子どもを絞め殺したという母親の話がありました。これは1つ、子どものあり方について、この母親はある種の考え方を持っていて、それになじまない子どもを殺したんですね。しかしながら、よく考えてみると、虐待という言葉はいろいろな定義があるようでないようでありますけれども、考えてみますと、塾に行かない子を絞め殺したのは明確な虐待でありますが、無理やりに塾に行かせ、学校で鋳型にはめ、子どもたちをずっと、そうやって大人の意図する形の中ではめ込んでいく。このこと自身は虐待ではないんでしょうか。(拍手)

 私は、むしろそういう意味では、母親だけではなくて、私たちの教育のあり方や子どもに対する対し方そのものが、もっと大げさに言えば――これは大げさだということを承知の上で申し上げますが――私たちは子どもみんなを虐待しているかもしれないじゃないですか。そのことを考えた上で子どもの幸せというのは何なのかということを考えていけたらいいなと思います。

 時間を守るのが職業でありますから、きちんと守りました。15分です。どうも。(拍手)

 川名紀美

 川名 筑紫さん、ありがとうございました。本当にハッとさせられるようなお話がたくさん出てきました。子どもの目が日本ほど輝いていない国はないのではないかと言われましたが、私たちはしょっちゅう、そういう子どもを見ていますので、なかなか敏感に感じることができないのですが、私の友人に、よく海外へ写真を撮りに行くカメラマンがいます。彼女は戻ってくるたびに日本人の顔を見て心配になると言っていました。彼女は子どもだけではなく大人も非常に無表情な精気のない顔をしている、子どもも同じだということを言っていましたけれども、子どもだけではなくて、私たち大人のあり方も自分の胸に問うてみないといけないのかもしれません。

 以上、これで4人のパネリストの方に、今の子どもについて、あるいは子どもをめぐる状況について問題だと感じていることをそれぞれ語っていただきました。

 水島さんからは、子どもの問題を総括的に考える独立した省庁をつくらないといけないのではないか、また、子どもの権利がきちんと守られているのかどうか、それをずっと見ていくオンブズマンのような機構が必要なのではないかという2つの提言をいただきました。

 重松さんからは、1人の親に立ち返ってみて、自分の幸せ、自分の生きがいというものを考えることは大事ですが、どうもそれがどんどん肥大していっているのではないか。自分の快適さ、自分の幸せにこだわるあまり、子どものことが二の次になっていはしないかと。これもまたハッとさせられるような問題提起がありました。

 筑紫さんからは、国際経験豊かなジャーナリストとして、いろいろな国の比較、ご自身がいらっしゃったアメリカで虐待が問題になった70年代のこと、それが今、日本でも問題になってきているこの状況、そして、どうしら子どもの目にもう一度、輝きをともせるのか、そのことを考えてみたいというお話がありました。

 そして、イブ・デュテイユさんからは、アーティストとして、また1つの村を自分の手で動かしている村長さんとして、どういうことを実際にやっているかというお話をしていただきました。

 ここで短い休憩を挟ませていただいて、後半には、今日、このシンポジウムを持つことになった大きな理由の1つであります日本の児童虐待の現状と、少しでもよくしていける手だてはあるのかといったお話。それから、虐待は受けていないにしても、今、日本で生きている子どもたちは幸せなのかどうか。そういったことを世界の子どもたちにも思いを馳せながらご一緒に考えていきたいと思います。それでは、また後半、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

司会 パネリスト皆様、どうもありがとうございます。

 では、これより20分間の休憩に入ります。会場を一たんお出になる方はプログラムを再入場の際に見せていただきますので、必ずお持ちくださいませ。

 また、皆様からのご意見、ご質問をお受けいたします。受付でお配りいたしました質問用紙に簡潔にご記入の上、受付にあります質問箱にお入れくださいませ。また、質問用紙のほうは後半の討論が始まってからしばらくいたしましたら係の者が場内を回って回収いたします。そのどちらかをご利用くださいませ。

 フォーラムの再開時間ですけれども、プログラムより多少変更いたしまして2時55分に再開いたします。皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

( 休  憩 )


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