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デュテイユ 今、お話を伺いましたけれども、非常に感銘を受けました。皆さん、本当のことを話していらっしゃると思います。通報にしてもそうですし、また、それぞれの役割についてもそうです。 フランスの状況ですが、年間8万5000件の虐待があると言われています。しかしそれは、仮説に過ぎません。なぜならば、現実の状況を把握するのは難しいのです。 重松さんがおっしゃったように、例えばだれも知らなかったケースがありますし、話ができないケースがあります。従って、それらは、存在しないかのように、この数字には含まれていないのです。 そうしたことを受けて、フランスでは子どもの虐待を監視する組織がつくられました。この監視組織は、行政や司法の上にある制度です。情報を集め、本当のニーズが何なのかを把握をしようとします。 今年始まったばかりですので、どれほど効果的に機能するか、まだわかりません。とはいえ、世界で一番素晴らしい組織であったにしても――フランスではかなり素晴らしい組織がこうしてつくられていますが――完璧ではありません。つまり、私たちが一人ひとりが監視、警戒することが必要です。 現在、テロの問題があります。テロがあるからこそ警戒をしなければいけないといって荷物検査をします。例えば、空港のホールに荷物が置かれていれば警戒しますし、お互いの行動についても監視します。 しかし、先ほども筑紫さんからお話がありましたし、皆さんそれぞれがお話の中で強調された点ですが、このような我々が見てきた問題について話す時、果たして虐待を見たかどうか確信が持てるのでしょうか。その結果、例えば、それを訴える相手を間違えるとすると、黙っていたのと同じぐらい悪い結果が起きるのではないでしょうか。 ●通報することの難しさ 警官が鍵を開けて家の中に入っていくことができる法律ができたとおっしゃいましたが、例えば、隣人が警察に電話をして、警察がやって来て家の中に入ったとします。そして、虐待を確認しようとしますが、心理的な暴力があった場合などは、どうやって虐待が本当にあったのかという確信を持てるのでしょうか。家の中に入ったからといって、精神的な虐待は確信を持つことはできません。 私は、スーパーで子どもの行動が悪いと怒鳴っている親を見たことがあります。実際には、子どもが悪い行動をしたので親が叱りつけていただけなのですが、それを見かけた通行人が警察に通報したのでした。その後で困ったことが起こってしまいました。その親が余りにも過剰な反応をしたため、子どもが心的外傷を受けてしまったのです。しかし、それは善意の行動を行ったつもりの通報によるものだったのです。 私の村に、アルコール依存症の女性がいました。この女性には子どもが2人いましたけれども、とても育てられる状態にはなかった。そして、ある晩、だれかが憲兵隊に電話をし、憲兵隊が母親を病院に連れていきました。私たちは子どもたち2人を私の家に連れてきて泊めました。 この通報の後、すべての行政調査が始まりました。そしてその結果、評判を失墜した母親は村から出ていくことになったのです。病院から退院した日の翌日、家を売って自分の娘を連れて出ていきました。 私は、子どもたちを助けたいと思いました。監視をしたり、時どき面倒を見てあげたり、母親に対して解決策を提案するつもりでした。アルコール依存症についても、助けてあげたいと思ったのです。 ところが、彼女の連絡先は完全に分からなくなってしまったのです。2人の子どもたちについてもそうです。子どもたちにとっては、友達がいなくなってしまったわけです。学校の友達から心の支えを得られたのかもしれないのに、すべてを失ってしまったんです。 通報をすることがすべていいとは限りません。通報は難しいし、各状況について注意を払って行うべきことなのです。虐待があるといって警察に対して通報することは、通報する人にとっても深刻です。フランスの場合は推定無罪という制度があるからです。 もしある事実について告発をした時、それが本当であるとしても、犯罪性を証明することができなくて不起訴になったとします。その場合は、告発をした人が悪意の告発を行ったとして罪を負うことになってしまうのです。かなりの罰金を払わなければなりません。不起訴になった場合の告発者は、告発された人に対して賠償金を払うのです。そうした通告は必要な場合もありますし、通告をする必要がなかった場合もあります。 ●状況に合わせて慎重に対応 いずれにしろ、虐待の犠牲者の状況は前よりもひどくなります。いずれの場合も沈黙は深刻な問題です。しかしまた、告発や通報することもまた大きな問題なのです。それぞれの状況に合わせた慎重な対応をしなければなりません。警察を呼ぶだけではいけないんです。ソーシャルワーカーにも連絡するべきでしょう。ソーシャルワーカーであれば、より落ちついて、距離をとって観察をします。そして、状況に対して正しい評価を行うことができるでしょう。 ビデオによる証言についての問題もあります。虐待を受けた子どもたちが1回だけ証言をして、それをビデオに撮影するのです。検事や警察をはじめ、いろんな人に何度も話さなくて済むように1回だけビデオ撮影をするというアイデアは素晴らしいと思います。前進だと思われていました。しかし一方で、虐待を受けた子どもは、一度にすべてを語らないということも私たちは知っています。だんだん時間が経つに連れて言葉が出てくるものです。 ですから、ビデオによる証言が唯一考慮に入れられる証言だとすると、例えば、司法の面でそのビデオ証言だけが1回だけ使われるのであれば、新しい要素を子どもはつけ加えることはできません。新しい証拠やさまざまなニュアンスを1回目の証言につけ加えることができなくなってしまいます。この点においても、非常に難しい、デリケートなケースだということがわかります。シンプルなことはないし、シンプルな取り扱いをしてはならないのです。 また、虐待を受けた子どもは、おそらく虐待する親になるとだろうと言われています。それは本当かもしれません。しかし、この考えをあまりにも信じ過ぎると、リスクを背負ってしまいます。虐待を受けた子どもであっても、自分たちの心的外傷を乗り越えて幸福な大人になり、子どもたちに対して愛情をかけられる人になったという成功例もあります。 ですから、通報をすることは本当に難しいのです。また、同時に、沈黙することもいけないことです。私自身、虐待した親に会ったことがあります。いろいろなことを私たちには話をしてくれました。しかし、ソーシャルワーカーにも司法の担当者に対しても、話をしません。しかし、私たちのような村長や議員たちに話をしてくれることがあるんです。 私たち選出議員は、中立であります。この中立であることは、とても恐ろしいことです。選出議員なのだから、目をつぶって中立でいろと言われます。しかし、中立でいる義務があるのか。それとも、反応し、行動する義務があるのか。私たちが選ばれたのは、行動するためです。自分たちが見た、聞いたことに対して行動するために選ばれたのではないでしょうか。 また、犯罪者が野放しになっている状況があります。ベルギーのデュトロ事件は、ひどい例です。どこまで物事を放ったらかしにして、司法が対応しないままにしておくのか。フランスでも同様で、リヨンの失踪事件は国内でも大きな話題になりました。 身体に障害を持つ子どもたち20人が失踪していたのです。通学バスの運転手が尋問されるはずでしたが、尋問を受ける数日前に自殺しました。後で、埋葬されていた遺体を掘り出したところ、自殺ではなくて、頭の中に銃弾が2発打ち込まれていたことがわかったんです。自殺とされていましたが、がどうしてそのようなことが可能なのでしょうか。 このように監視しなければならない範囲は限りないので、私たちそれぞれが監視し警戒を行うことが本質的な要素です。しかし、それだけではいけません。先の見通しを持つこと、先見の明が必要なのです。 ●法律ですべてを解決することはできない カナダのケベック州で少し驚かされたことがあります。新しい法がつくられたのです。顔の平手打ちを禁止する法律です。国家が果たしてこうした法律をつくれるのか。この法が憲法に合致しているかどうか判断され、合憲と認められました。 そこで、ケベック州では現在、12歳以下で3歳以上の子どものお尻は平手打ちすることはできるけれども、顔を平手打ちできないということになっています。 カナダの木こりのような屈強な父親でも、子どもをたたくことはできる。しかし、その際には「合理的な力で」と法律で決められています。しかし、木こりにとって、合理的な力というのはどのくらいのものなんでしょうか。例えば、身長1メートル30センチ、体重32キロという子どもに対して妥当な力というのは一体どのぐらいの力なのか。顔以外なら、体のどこをたたいてもいいんです。1日に何回までたたいていいかということは法律では決められていません。 例えば、成績が悪い時などは、叱らなければならないでしょう。しかし、毎日、成績が悪いとすると、朝も夜も子どもをたたくことになる。すると、一体どこから虐待が始まるのでしょうか。このように、法律ですべてを解決することはできませんし、すべての評価を定義することはできません。 いろいろなことを言いました。子どもの虐待の問題について、皆さんを失望させるような話をしたかもしれません。でも、私たちは子どもたちのことを愛していますし、子どもたちを幸福にしたいと考えています。ですから、これほど巨大な仕事であるといっても、諦めてはいけません。失望してはいけません。勇気を失ってはいけません。子どもたちは私たちを信頼しているからです。たった一人の子どものためだとしても、時間の無駄ではないのです。 もう1つだけ、簡単なエピソードを紹介します。大きな嵐が来て、様々なヒトデが海岸に打ち上げられました。ヒトデは死にかけています。そこに子どもがやってきて、ヒトデを1つ1つ拾っては海に投げ返しました。浜辺には何千というヒトデが打ち上げられています。それを見ていた大人が尋ねました。「どうしてそんなことをしているんだ。全部を海に返すことはできないじゃないか」。それに対して子どもはこう答えました。「ヒトデの一つひとつにとっては、海に帰ったことが大事だから」。(拍手) 川名 ありがとうございました。世界中で子どもをどう育てていくか、子どもへのしつけや体罰をどう考えていくかということで悪戦苦闘していることがよくわかりました。 !--本文-->
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