アサヒ・コム このサイトの使い方へ 検索へジャンプ メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

朝日新聞社からアスパラクラブクラブA&A携帯サービスWeb朝日新聞サイトマップ文字拡大・音声

天気住まい就職・転職BOOK健康愛車教育サイエンスデジタルトラベル囲碁将棋社説コラムショッピングbe

ここから本文エリア現在位置asahi.comトップ >  シンポジウム記事

フォーラム「うたおう 子どもの権利」
【質疑応答】(2)

 川名 数年前、1996年のことでちょっと古いんですけれども、ある統計を見て私はびっくりしたことがあります。それは、旧総務庁が行った子育てに関する国際比較というものだったんですけれども、「子育ては楽しいと思いますか」と親に聞いているんですね。それで、アメリカの親は楽しいと思うと答えた親は7割、お隣の韓国では5割、そして、日本ではなんと2割しかいませんでした。日本というのは子育てが楽しいと思えない世界なんだなというふうに、衝撃を受けた記憶があるんですけれども。虐待とまではいかなくても、今小さな子どもを持っている親は、本当に子育ては大変だ、とても苦しいことだと思いながら暮らしているようです。

 そういったことが、今の少子化、合計特殊出生率は下がり続けて、今1.32になっておりますが、そういうことも影響しているのかなと思っているんですが、重松さん、今、子育てがとても苦しいと感じている親が多いのですが、そういう実感はありますか。

●「虐待」の言葉によって見えなくなる

 重松 虐待と育児ノイローゼの問題というのは、表裏一体だと僕は思っています。それで、先ほどからの、虐待の定義は決められてないという問題からちょっとお話をしたいんですけれども、虐待って英語で言ったら「チャイルド・アビューズ」。そのまま訳したら、「子どもに対する不適切な取り扱い」という意味なんです。

 重松清氏

 僕も週刊誌のフリーライターをずっとやっていますのでよくわかるんですが、これが「虐待」という非常にインパクトのある強烈な言葉に訳されたおかげで、ここの10年間で僕たちはいっぱい認識を新たにしました。これは虐待という非常に強烈な訳語を使ったためだと思います。それによって僕たち1人1人の中に虐待の意識というものが結構芽生えました、認識が生まれました。

 ところが、その周知期間が済んだ後は、そろそろこの虐待の一語でまとめていたものを、細分化して考えなきゃいけない時期もあるんじゃないかと思っているんです。というのが、僕も別の新聞で育児中のお父さん、お母さんのお手紙を紹介するページを持っているんですが、そこに2つ傾向が見られます。

 「虐待というのはすごく大変なものなんだから、自分たちのやっていることは虐待じゃないだろう」というお父さん、お母さん。そんなに大それたことをやってないんだというのです。ムチで打ったりとか、5寸くぎ打ったりというのを虐待と言うのであって、我が家でやっていることは、「そんなそんな」っていうふうに、のんきに思っちゃっている人。その一方で「しつけと思って、大きな声を出しちゃった」。あるいは「おしりをぶっちゃった。これも虐待なんでしょうか」というふうに悩んじゃってるお父さん、お母さんもいるんです。

 だからそろそろ、犯罪は犯罪、それからある種の感情のオーバーランというのかな、オーバーランの段階の状況もあるというふうに、そろそろ細分化していかないと、虐待の言葉によって、見えなくなってしまうものもあるのかもしれないと思っています。

●何が幸せかわからない現代、子育ては楽しくない

 それと同じように、本題に戻りますけれども、育児が楽しいかどうか。これ、おそらく、「仕事が楽しいです」かという質問でも「勉強が楽しいですか」という質問でも、こんな結果になるかもしれないなと思っています。それは、もしかしたら、「楽しい」という言葉の定義がはっきりしてない。もしかしたら、最初に僕の報告で申し上げたように、どんどん快適、楽しいというものがインフレーションを起こして、肥大しちゃっているんで、ちょっと大変だったらもう楽しくないっていう側に丸をつけてしまう傾向もあるのかもしれない。これが、1つ。

 それから、もう1つ、こっちの方が問題なんですけども。やっぱり僕、2割ってそんなに心配な数字じゃないと思っている。大体、10日間も親やっていると、そのうち8日間ぐらいは嫌だなと思っていますから、2日ぐらいじゃないかな。「親でよかったな」と思う瞬間って。だから、楽しいか楽しくないかで言っちゃえば、何か楽しくないかもしれないなと。それでも、もっと大きな面で楽しかった、そういう時代はあったんです。

 それは、おそらく僕たちの親の世代、僕たちが育った時代の育児。確かに、貧しかったと思う。おやじもおふくろも大変だったと思うんですけれども、少なくともその世代の親、これはあくまでも我が家の話に限定して申し上げますけれども、やっぱり自分たちができなかったことをわが子にやってやるっていう幸せってあったんです。

 だから、いまだにうちのおやじやおふくろは、僕がガキの頃からご飯をおかわりすると喜ぶんですね。「お父ちゃんは全然、飯が食えんかったから、おまえはいっぱい食え、腹いっぱい食え」。その結果、こんなに太っちゃったんですけども、でも、そういうお父さん、お母さんが、自分が幼い頃、白いご飯を腹いっぱい食べたくて食べれなかったから、うちの子には食べさせてやりたい。それから、上の学校に進みたかったけれども、お金がなくて進めなかったから、うちの子には、高校、大学と学歴をつけてやりたいというように、その自分のできなかったものを子どもに託すという喜びはあったと思うんです。

 ところが、今僕たち、これはほんとに僕も含めてそうですけども、できなかったこと、そういう下の世代に託すことって、実はもうあまりなくなっちゃった。その余地がなくなっちゃった。これはまさに、近代化が終わってしまった後の社会には宿命的に訪れると思うんですね。なおかつ、さっきの塾に行かないといって子どもの首を締めちゃったお母さん、逆説的なんですけども、よくまあ首締めるほど信念を持っていたなと。

 だからまさに、僕たちの親は教育ママと呼ばれていたんですよ。教育ママやママゴンとかって言われて、とにかくいっぱい勉強しなさい、勉強していい学校に行って、いい会社に入ればいい人生があるという。これはもう結果的には、本当にそうだったのかなといっぱい言いたいんですけれども、少なくともこれが幸せの方程式だよというものをどこか持っていた。

 ところが、今僕たちは、こっち側では「やっぱり勉強、勉強って言うんじゃなくて、もっと自然に親しんで」と思う反面で、こっち側に「学力低下の問題もあるんだよな」と悩んじゃったりする。じゃあ、本当に何が一番幸せなの、何が一番いいんだというものがわからない中で、フィジカルに大変な育児をやっている。なかなか楽しみというものが見つけづらくなっている。

 だから、それは日々のおむつをかえたり、勉強を教えたりする先に何があるのかというビジョンというか、哲学やビジョンというものが揺らいでいる苦しさの証としての、8割の人が楽しくないと言っている結果なんじゃないだろうかと、僕は、自分も含めて踏んでいます。

 川名 ちょっと元気の出るお話で、そんなに深刻に考えることはないんじゃないかというふうな言葉をいただきました。


ここから広告です 広告終わり
▲このページのトップに戻る

asahi.comトップ社会スポーツビジネス暮らし政治国際文化・芸能ENGLISHマイタウン

ニュースの詳細は朝日新聞紙面で。» インターネットで購読申し込み
asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。
| 朝日新聞社から | サイトポリシー | 個人情報 | 著作権 | リンク| 広告掲載 | お問い合わせ・ヘルプ |
Copyright The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission.