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連続シンポジウム「転機の教育」第3回 「大学改革 ― 危機を抜け出せるか」

【パネルディスカッション】 1、国立大学と私立大学(2)



 天野 郁夫氏

●私学に依存してきた誤り

 天野 清成先生はしばしばおっしゃるんですが、私立大学にできないことは何もない、なぜ国立大学が必要なのかと。私は少し視点が違うんですが、国立大学がしなければならないことを私学に依存してきた政策の誤り、そのツケがここに回ってきたということだろうと思います。

 例えば、医者の養成を考えてみますと、当初は1県1医学部ということで、国立の医学部を全国に配置する予定でしたが、実際には実現いたしませんで、そのために多数の私立の医科大学が出現することになりました。多額の納付金をとりまして、1000万円、2000万円という話もざらにあるような授業料、入学金をとって医者の養成をやっている。これは当然、社会的な問題にならなければおかしいわけですが、不思議なことに、日本ではこれは受益者負担という言葉で呼ばれておりまして、医者になる人たちは将来の高い報酬が約束されているのだから当然だろうということで、ほとんど社会問題化しなかった。入試のたびに問題にならなかったわけではありませんが、そういう状態でここまでやってきました。国がしなければならないことをサボタージュしてきたというのが、日本の高等教育の現実ではないかと思います。

 それでは、そういうことであるんだから、この際、もう国立大学はやめて全部法人化してしまって、私学と同じにしたらいいかという話になるわけですが、私は必ずしもそう思っていないわけであります。これは、欧米諸国を見ましても、アメリカはもちろんヨーロッパでも、もちろん一部は法人化されておりますが、それはあくまでも私立大学とは違う法人格であります。

 アメリカは、7割が公立でありますが、公立大学の中には、州政府からの補助金が2割程度しかなくなってしまっているところもありまして、そういうところが州政府との間で、たびたび民営化させてくれ、こうなったら私立大学と同じではないかと言っても、州議会はそれを手放さないわけであります。

 なぜならば、設置者である州として、州立大学に果たしてもらわなければならない役割があるからなんです。そういうものがないのであれば、それは私立大学に移しても変わりはないのかもしれません。

●国立大の役割をはっきり

 これは我々、国立大学の将来のあり方を考える1つの判断の基準ですが、国が1つの国家として、あるいは1つの国民国家として何をしなければならないのか、国立大学が何をしなければならないのか、国立大学の一部を私立が担っているのであれば、その部分についても、国は当然、補助金を出すべきなんです。

 今回、法科大学院をつくるに当たりまして、これは日本の政府としては極めて異例で、初めから私立大学と国立大学の間の格差をなくすために補助金を出すと言っているわけであります。こういうことをもっと積極的にやっていかなければいけない。COEのように、まさに競争の条件としては、不平等があるかもしれませんが、国庫補助を通じて競争的に予算を配分するというのも1つの考え方でありましょうが、いずれにしましても、国立大学が法人化した後、決して国立大学が授業料収入や外部収入だけで運営できるような状態にはならないということは、私はこの問題について関心を持っている人間として、お金の仕組みをよく知っている人間として申し上げておかなければならないだろうと思います。

 つまり、大学は税金投入大学であり続けなければならないわけであります。問題は、その税金を何のために国立大学が使うのかということをもっとはっきりさせることが必要なのでありまして、私立大学になったら問題が解決されるわけでは決してないということを申し上げておきたいと思います。

 山岸 ありがとうございました。はい、どうぞ。

 川本 先ほどの山崎先生のお話にありましたように、国民の半数が高等教育機関に入るようになるという客観的事実ですね。もう1つは、21世紀は、我々が想定しているよりはるかに国際化が進むと思います。情報化と国際化は急ピッチに進む。こうなりますと、日本の国及び日本の国民というのは、一定の少数の賢い人や責任を持っている人だけでは評価されないんです。言いかえると、国民全体のレベルがどうかということが、国際評価の問題になってくる社会に急速に接近するわけです。

 川本 八郎氏

●社会貢献の人材を

 そうしますと、50%近くの高等教育機関に来ている学生たちの人間としての、いわば21世紀に生きていく、社会的貢献を果たしていく人材養成としての課題として、国は教育問題を見るべきである。高等教育機関をそういう具合に押さえるべきである。であれば、今日のような私学と国立の格差は間違いである、私はそう思います。

 私どもの学長や教職員、社会の本当に多くの人たちの協力によって、私どもは立命館アジア太平洋大学(APU)というのを4年前に開学させてもらったんです。67カ国・地域の留学生が来ています。半数が留学生なんです。この大学、私はこれは本来、国がすべきことであるという持論なんです。国際化、国際化と言いながら、アメリカには数十万の留学生がおって、日本は5万人で、泣きながらやっと10万人にきて、10万人にきた途端に、留学生の援助はこの辺でほどほどにしたらよろしいと、これが悪いけれども、この国の高等教育留学政策です。私はこれはだめだと思うんです。

 そこで、67カ国・地域の留学生実態を見まして、どういう点に気づいたかといいますと、あの大学で議論し、物を考えるときに、我が日本国をセクショナリズムに考えていたらだめなんです。要するに、日本を考えるということは、学生諸君は世界を論じないとあかんのです。世界と日本の不可分の関係が、あの半数の学生がいるという大学では、議論の中心的課題になっていかざるを得ないんです。

●アジア太平洋大学での交流

 言い換えると、国家のためにという明治時代につくられた東京帝国大学を中心にする大学の持っている1つの限界性を、言いかえると私学であって、しかも世界との関係で日本を見るという新しいものをつくり出しとるんです。私は、私学の優位性は1つはそこにあるというぐあいに率直に思います。

 もう1つは、国家と国家の外交というのは頑張ってもらわんといかんですが、しかし、国家であるがゆえに限界もあるんです。しかし、皆さん方が東京都であろうと、埼玉県であろうと、千葉県であろうと、その町でありその村であり、その村とフランスの村と、その町とイタリアの町と交流してみなさい。国家や地方自治体を越える地域というものの優位性が出てくるんです。

 私学というものは、アジア太平洋大学を大分県別府市でつくることによって、今、ジェトロと協力しながら、67カ国・地域の留学生のお父さん、お母さんと日本のお父さん、お母さんの重層的交流を図ろうという具合に計画しているわけです。

 そういう意味で、私学がやっていることも、今、天野先生がおっしゃった通りに、本来、国がもっと援助して、もっとやらねばならないことを、何も立命館だけではない、いっぱい日本の私学はやっている。

 例えば、国立大学がこれから規制緩和されて、改善されるであろうけれど、私のところがアジア太平洋大学といったら、これは文科省の認可事項です。どの先生を何名、どういうレベルの先生を、教室の広さはどれだけで、図書の数は何冊でというようなことまで全部審査です。しかも、4年間の財政政策をそれでがっちり組まれるんです。その4年間はほかのことはできないです。それぐらい監督強化なんです。しかし、補助金は4年たって初めて出るんです。だったら、これは何の認可ですか。認可したなら、そのときから補助を出すべきです。

 私は、私学で実際やってきて、あまりにももろもろの差別がひど過ぎる。もっと本気で、日本の国全体で高等教育を活性化させようとしたら、その点を改善していくということをしなければ、日本の大学全体が燃えない。改革ということは、私は燃えることだと思うんです。そういうぐあいに音頭を取るのが本来、文科省でなければならない。ここに文科大臣がいないのに、あんまりこんなことばかり言ってもあれですが、おまえ、ひとりよがりで怒っとるなと言われるかもしれませんが......。しかし、率直に言ってそう思います。ちょっと皆さん、応援頼みますよ。(拍手)

 山岸 石先生、何かご発言はありますか。

  そちらから見て、こちら半分が私学の先生方で、我々2人が国立で、今、攻撃にさらされているという関係でありましょう。ほかにいっぱいテーマがありますから、このことに特化することはないんですが、先ほど、山岸さんが濃い霧の中で先がわからないというのは、まさに国立大学法人化そのものを言われていると思います。つまり、この法人化というのが最終ステップだと思っている方もいます。これは単なる途中経過で、いずれは清成先生がおっしゃったように民営化という方向に行くのではないかという議論もあります。そこは今、来年4月からスタートして6年間、事後チェックによる中期目標、中期計画を立てて評価にさらすという試行期間を経る前から、その先が読めないという形で議論を打ち切っていますが、いずれにしても、数年後にこの議論を再燃させなければいけないと思います。

 そこで、今、攻撃にさらされていると言いましたが、あえて言うならば、国立大学でなければできないことがあるのではないかという議論は当然あってしかるべきだし、税金を投入するんだったら、それだけのメリットがなかったら、まさに川本先生みたいにむだ遣いではないかと、一発でやられちゃうわけです。こういう話は十分わかります。

●イコール・フッティング論

 そこで、今、金を全部、国立大学並みに私学に投入したら、同じイコール・フッティングが成立するか、私はそうではないと思います。これは時間をかければできると思います。ただ、明治以来、言うならばいい意味でも悪い意味でもそうでしょうが、税金投入してきた大学は何をやってきたかというと、基礎的な自然科学を基調とした基礎学問を支えてきたという自負が1つあって、これは急に私立大へ金をつけたからといってできるわけではない。

 それから、やはり何やかにや言っても、全国津々浦々にあるのは国立大学です。私学は別府はちょっと例外かもしれませんが、大都会に集中しますから、全国の地域活性化に役立っているのも、おそらく国立でしょう。また、授業料が安いというのはまさに税金のおかげなんですが、これによって一種の所得再分配みたいなことをやってきたということもあるでしょう。

 したがって、この仕組みは、これまでやってきたものを一挙に壊すことは多分できないし、やると国益を損なうと思います。ただ、濃い霧の先に、イコール・フッティング論というのを掲げて、どこまで差を縮めていくかということは、ひとえに今ある国立大学法人の役割なり、任務なり、特にこの6年間チェックをしてもらって、その成否が問われた後、議論すべきではないかと思う。





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