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連続シンポジウム「転機の教育」第3回 「大学改革 ― 危機を抜け出せるか」

【パネルディスカッション】 4、私学の危機、大学運営の担い手(2)



 山崎 正和氏

●教師は学校運営に向いていない

 山崎 ですから、実際問題として、学校運営ということに教師は向いていないんですよね。これから石先生のところで行政法人になって、ますます教師の事務量が増えるのではないかと心配しておりますが、これはどうも真っ先にやめるほうがいいのではないか。

 私の今奉職している大学で、若干でも私が改革のお手伝いをできたのは、我が大学には教授会がないから。人事権は一切理事長にありまして、教育の内容に関する基本政策は学長にあるわけです。もちろん教育の実際の現場の運営、つまり、学生を評価して、点数を出して、卒業を決めて、進学をどうこうするというのは、これは教授会がやります。だから、教授会は完全な教育のための機関でありまして、運営のための機関ではないんです。

 そもそも教授会が人事権を持っているということは、本当の学問の実情にも合っていない。といいますのは、最近でこそ旧国立大学も大講座制あるいは中講座制をとり始めましたが、従来は小講座だったわけです。

 これはちょっとご専門の方以外にはわかりにくい言葉かと思いますが、ある専攻がありますと、教授がいまして、助教授がいて、豊かな学校だったら、その下にまた常勤講師がいて、さらに助手がいて、これで1講座です。これが要するに小講座です。実際にはそんなに豊かなところはなくて、教授がいて、助手がいて、それで終わりというところもあります。

 それで1つの学問をやっているわけですが、その学問のカテゴリーそのものはほとんど変わらない。自然科学のほうはかなりよく変わります。しかし、社会科学、人文科学系統では、講座の組み立てそのものは変わりません。

 そうすると、どうなるかというと、ある教授がやめますと、助教授が教授になる。形式上は、もちろんそのとき公募もやりますし、学部で協議しますが、実際上は順送りになってしまう。そして、新しい教授がどういう助教授を呼んでくるかというと、自分の専攻の人を呼んでくるわけです。自分に弟子がいたら、もちろんそれを育てます。ということは、これは一種の既得権益のようなもので、専攻そのものがずーっと問われずに維持されるわけです。

 もちろん学問というものは社会的効用ではかられるものではないと、私自身そう信じております。だから、時流とともにどんどん変わればいいというものでもありません。

 先ほど生駒先生のお話の中にインド哲学の例が出ていまして、私は直ちに同僚のインド哲学者の顔を思い浮かべましたけれども、確かにここには、日本中のどの国立大学にも、多分4年に1人ぐらいしか専攻生は来ないと思います。同じ学部で私が担当していました、たまたま美学の演劇学ですが、これは毎年25人来まして、5人落とすのに苦労するわけです。20人というのが責任範囲でした。でも、私は、インド哲学は守るべきだと思っています。しかし、その裏返しとして、単に慣習として人事がずっと握られている。そのいわば保証の舞台として教授会が使われているというのは、私は大変まずいことだと。

●大学にはプロデューサーが必要

 そこで、きょう出なかった話題で申し上げますと、本当に大学にはプロデューサーというものが必要なんだろうと思うんです。たまたまここにおいでの清成先生や川本先生というのはそれが......、ご専門じゃありません、特に清成先生の場合はおそらく副業で大学運営をなさっているんだと思いますが、川本先生はプロです。

 大抵の場合は、大学運営の本当のプロというのはいないんです。本当に今、恵まれた個人がたまたまできるからやっているだけなんです。まず、教員出身者は自分の専門以外のことが見えない。あるいは、遠慮があって見えていても手を出さない。それから、運営専門の方は、学生の数とそろばんのことはご存じですが、教師のことをご存じない。川本先生は別ですが、しばしばそうなんです。私学で言えば理事者、国立や公立で言えば、つまりお役人というものは、教師から信用を得ていないんです。これは非常にまずいことだと私は思う。

 本当は、例えば、私の別の商売ですが、芝居のほうで言いますと、ここには役者がいます。これは大体教師に当たります。演出家というものがいまして、これが大体学長に当たります。そのほかにプロデューサーというものがいるんです。これはどの部分の専門も持っていませんし、自分では何もできないんですが、すべてを知っている。内懐まで知っている。そういう人間が組織のまとめだけを専門にしてやっているんです。

 もう少し似た例を言いますと、総合雑誌、文芸雑誌の編集者、これが日本の文化を支えてきたと思いますけれども、総合雑誌、文芸雑誌の編集者は、小説も書けなければ社会科学の論文も書けませんが、そのすべてがわかって評価ができるわけです。それも、単に一編の論文のできばえだけではなくて、その筆者の生活まで知っている。そして、人を育てながら、叱りもし、叱られもしですが、雑誌をつくっています。それに当たるようなプロが今後大学経営に必要だと思うんです。

 そんな人材がどこにいるんだというのが大変難しいんですが、私は、一番いい例は山岸先生だと思います。こういう方が大学の......、財務をやれとは申しません。財務はいくら何でも山岸先生もおできにならない。例えば教員の採用、それから、ある学部の中の構成ですね。もっと言うなら学部新設、どういう学科を集めて、どういう学部をつくるんだ。今はかなり自由になっています。しかし、それを設計する人がいないんです。

 もっと深刻な問題は、実は、きょう全く話題になっていなかった研究にも当てはまるんです。きょうは教育のことばかり申しましたので、研究はいかにも問題がないかのようですが、世界的に大問題が今進行しつつあります。それは専門分野が狭くなるということなんです。日本だけではありません。アメリカですらそうです。

 ハーバード大学のダニエル・ベルという社会学者がいますけれども、私とお酒を飲みますと、要するに、学問で一般化をやるのはおまえとおれの世代で終わりだよなという話題になります。その後の人は実に狭くて深い。

 これは実は大学の、今申し上げた組織論と関係がありまして、だんだんと大学教師になる競争が厳しくなります。競争はいいことだと一般論は言えますが、競争が激しくなるとどうするか。みんな狭い専門に閉じこもる。すると、ここは競争が少ないですから、その範囲の中では誰も自分を批判しない。

 話題がちょっと広がって申しわけありませんが、今、例えば、日本で日本文学全史を書ける人、この20年で書いた人は2人しかいない。1人は小西甚一先生という大先生、もう1人はドナルド・キーンという外国人です。あとは、例えば、大学の先生をつかまえて文学全史を書いてくださいと言ったら、おまえはジャーナリストだ、学者じゃないと軽蔑されます。そのくらい専門が狭くなっている。

 こういう状況を踏まえて考えると、ますますプロデューサーが必要なんです。大学で人を採るとき、その専門の同じ人を採れば、どんどん狭くなる一方です。そういう人たちが大学全体の運営に関心を持てるわけがないし、いわんや教育にも関心を持たない。一番肝心なことは、大学運営のプロをいかにしてつくっていくか。

 ひょっとしたら、現在の理事者の中で優秀な若い人たちがいて、それが育つかもしれない。あるいはジャーナリズムから来られる、これはかなり可能性が高い。中には大学教師で、教育も研究もあまり大したことはないが運営がうまいという人がいるかもしれません。それを何とかして制度的に育てると同時に、プロであれば公平に振る舞うはずですから、それを確保して教授会自治を全廃するというのが、私の提言といえば提言です。

 山岸 ありがとうございます。

 非常に重要なご提言なんですが、おそらく、これについては、いろんな異論もあるだろうと思いますし、それから、今ご指摘いただいた、いろんな面で取り上げられなかった問題がございます。

 研究は全然触れないと、当初から触れられないだろうと思っていたのですが、それ以外にも幾つも大きな問題があります。どうしても触れたいと思ったことの1つは、公立大学の問題です。これは、実は大きい問題があります。そういったことも本当は取り上げなければいけなかったでしょうけども。

●国立大学の教授会をどうするか

 それから、皆さん方がどういうふうにお考えになっているのか知りませんけれども、行政法人化の問題も、今、山崎先生からお話があった事柄に関連するんですが、国立大学の教授会をどうするか。先ほどいろんな議論が出てまいりましたけれども、そのことについては国立大学法人法には何も書いてないんです。

 ですから、各大学が、目のかたきにされているような教授会をどう扱うかというのが、腕の見せどころみたいな状況になっているんでしょうけれども、これについての情報は全く新聞などでは伝えられておりませんから、私もわかりませんけれども、そういうことも含めて、独法化の最大の問題は今それではないかと思っているんですが、これがどうなるかわからない。来年の4月までにははっきりするでしょうけれども。

 こういったようなことについても、取り上げなくてはならない問題が幾つもあるのは、大学改革が実に多様にわたっているせいだと思います。

 時間があとほんの数分で終わりますけれども、天野先生に最後に、今までの議論の中で特にチェックをしておいてもらわないと困ること、特に誤解を招くようなことがあるといけないと思われるような点について、何かございましょうか。

 天野 いや、特に申し上げるようなこともないのですけれども、今進んでいるのは、何よりも制度の改革なんです。それが国立大学の法人化で一段落したと思います。ここから先が実は大変で、改革はここから始まるんだと思ったほうがいいぐらいではないかと、私は常々思っております。制度が変わった後、非常に自由化が進んで、それぞれが自己責任で運営されると。

●大学の内部組織をどう変えていくか

 そうしますと、山崎先生のご指摘のように、だれが一体リーダーシップを握るのか、また、プロデューサー的な、コーディネーター的な役割を誰が果たし得るのか。人はあらかじめ存在しているわけではありませんで、多分、制度が変わっていく中で、そういう人が能力を発揮できる場がつくられて、出てくるものだと思いますが、それにしても来年4月、国立大学の法人化が実現したらたちまち変わるというものではないだろうと思います。

 私立大学につきましても、これまで理事会方式で運営されてきたわけでありますけれども、川本先生や清成先生のようなすぐれたリーダーは別にしまして、リーダー不在の私学というのも少なからずあるわけでありまして、この問題は非常に難しい問題だと思います。

 それだけではなくて、この改革はボトムアップ型だった大学のあり方をトップダウン型に変えていこうという改革であるわけで、そうしますと、先ほど来お話が出ていますように、今ある大学の内部組織を、教授会のあり方を含めて変えていかなければいけない。

 内部組織のあり方を変えるということは、トップダウンにするのであれば、大学の一番中心的な役割を担っています教員が、自分の持っている権限のある部分を委譲しないと、つまり、これまでの部局や教授会の自治にこだわっていると、大学は動いていかない。また、自分たちの教育・研究の時間すら確保されないということになってくるわけであります。

 大学は、大方の組織は、実はルールは慣行で動いている部分が非常に多いわけであります。その慣行を突き崩していかなければならないわけでありますから、相当の力わざではないかと思いますし、同時に、何よりも大学の構成員の中核であります教員、国立大学の場合には今度は職員もそうなりますけれども、教職員の意識が改革に向けて変わっていかないと、改革は進まないわけです。

●大学改革を社会が見守る

 それをドラスチックに変えるということが今必要になってきているわけでありますけれども、それにしても私は時間というものが非常に重要な要素だと一番最初に申し上げました。いかに寛容に、しかし厳しく、大学の改革を社会の側が見守って、あるいは励ましていく必要があるのではないかと思います。それはもっと大学に関心を持っていただきたいということで、これは山岸さんも繰り返し言っておられますけれども、マスメディアや新聞自体がこれまで大学にあまり関心を持たなさ過ぎたのではないかという感じを研究者の1人として持っております。

 山岸 ありがとうございました。

 ちょうど予定の5時半になりました。実に長時間ご清聴くださいまして、本当にありがとうございました。これでこのシンポジウムを閉じさせていただきます。(拍手)

 司会 パネリストの皆さん、そして、コーディネーターが退場いたします。皆さま、拍手でお送りくださいませ。(拍手)

 長時間ご清聴いただきまして、まことにありがとうございました。これをもちまして朝日新聞シンポジウム「大学改革―危機を抜け出せるか」を終了させていただきます。

 本日のシンポジウムの内容は、10月6日付の朝日新聞朝刊で見開きの特集記事として掲載する予定です。また、朝日新聞のインターネット版「アサヒ・コム」でも10月6日から全容を掲載いたします。

 本日は、お忙しい中ご来場いただきまして、まことにありがとうございました。お忘れものなどなさいませんよう、お気をつけてお帰りくださいませ。

―― 了 ――





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