|
|
|
朝日新聞シンポジウム「転機の教育」 |
![]() |
寺崎昌男氏 |
司会 それでは、はじめに立教学院本部調査役で東京大学名誉教授の寺崎昌男さんより、提言をお願いいたします。 寺崎さん、ご登壇お願いいたします。どうぞ皆様、拍手でお迎えくださいませ。(拍手)
寺崎 ご紹介いただいた寺崎でございます。きょう、このような会の基調講演という役を果たすということについて、私は一面では大変喜び、大変名誉なことと思いますが、他面、大変責任が重いと思っております。
先ほど、開会あいさつの中で「大競争時代が始まる」とおっしゃっていましたが、私は「大競争時代」という言葉に根本的に疑問を持っている者の1人であります。私はむしろ「大連帯の時代」というのが大学に始まらなくてはいけない時期だと思っております。
きょうのお話の中で、最大の変革であると言われております国立大学の法人化は本当に変革をもたらしたか、或いは、どうすれば本当の変革になり得るか、このことについて普段考えておりますことをお話しし、そして、後のパネリストの先生方の自由なご発言に私自身も学びたいと思っております。
●「120年間の懸案」実現したが……
はじめに、簡単な歴史を振り返ってみたいと思っております。一体、国立大学が現在のような変化を遂げるまでには、どういう変革が行われてきたか。
歴史を省みますと、戦前は国立大学のことを「官立大学」と申しておりました。「官立大学」という言葉が生まれたのは、明治10年代のころであります。10年代の最後、内閣制度が間もなく生まれようというころに、初めて「官立大学」という言葉が出てきたのですね。それまでは「公立専門学校」という名前で、今の公立大学と国立大学の前身のことを述べております。それが「官立大学」にかわりました。明治19年のことです。帝国大学が日本に生まれました、今の東大です。
その明治19年以後、国立大学を変えようという動きはなかったか。そんなことはありませんでした。最初にあらわれましたのは、大学の中から大学の設置形態を変えようという動きが出てきたことです。明治22年ですから1889年、随分古いことですね。でも、その年にはっきり資料として残っておりますが、「官立大学はやめよう、そのかわり基本金を用意して、全く違う法人にしてしまおう」という動きが大学の中から出てきた。 そういうプランが2つも出てきているんですね。第1のプランは、評議会を中心にして独立しようという評議会自治の考え方に立ったもので、第2のプランは若い教授たちが集まってつくったものですが、教授会自治でやるということです。
中身を詳しく申し上げる時間はありませんけれども、例えば、基金を置いた別種の法人にしたい。そして、皇室から総裁をお迎えするが、実質上それは棚上げにしておいて、大学の中で運営していく。参事会というのを置いて──参拝の「参」と「事」という字を書くのですが――そこには外部からの人たちをいっぱいお迎えする、外部意見を導入したい。最後に財政的には基金の利息をもって運営できるようにしたい。
今そのプランをよく読み直してみますと、教授会ないしは評議会の自治、外部からの運営参加、財政自主権という、ものの見事に、現在問題となっていることが、既に意識されているわけです。
内閣は、その要望に応じて法案をつくりました。「帝国大学令改正案」というのをつくったのですが、実現はいたしませんでした。しかし、この動きは今はっきりとした資料となって残っております。
第2番目はいつだったか。今申しましたのが日清戦争の5年前なのですが、その次はいつだったかと言いますと、第2次世界大戦後であり、1940年代の末から50年代の初めにかけて、いわゆる占領下の時期でありました。この時期に日本にやって来たアメリカ軍の指導者たちの中には専門家もたくさんいたのですが、何しろアメリカは国立大学を持ってない国であり、州立大学と私立大学しかない。そこから来た占領軍の係官たちにとってみれば、大学の半数近くが実は官立大学であるという状態は非常に不思議に思えたと思います。
それで「帝大は解体される」「東大も京大も全部解体されるのか」と恐れておりましたが、彼らは帝大の解体はやりませんでした。そのかわり、今の大学制度を日本につくるように勧めたわけですね。それが現在の国立大学として残っているということになります。現在98ある国立大学は、戦後の、国立大学を持たない国から来た占領軍のもとにおいて、理想を変えて残りました。
この時、占領軍がやったことは、私学を重視するということです。教育の自由を担うのは私学であるというのが彼らの考え方でありました。私学は、宗教教育をやっているという特殊事情を除けば、国立大学と本質的な差異はないというふうに報告書には書いております。
そういう点で、彼らは私学にとっては重要なサポーターの一部だったわけですが、同時に、国立大学の再編にも力を注いだわけですね。その後は、現在の、つい昨年の3月までの事態が生まれてまいりました。
1970年代になりますと、永井道雄さん――後に文部大臣になられたんですが――大学を公社にしろという案を唱えられました。これは相当論壇をにぎわせました。国立大学を公社制度にしろということでありました。
しかし、80年代の半ばに臨時教育審議会(臨教審)というのが組織されて、大学制度改革について大きな提案をしたのですが、ついにその公社案を含めて大学の設置形態には手をつけないということで過ごしました。
それが、昨年の4月までにかけて、あっという間に実現したわけです。今申した流れから言いますと、最初が1889年、法人ができ上がったのが2003年、まさに120年間の懸案が実現した。流れからいうと、そういうことになります。これは巨大な変革と言ってよろしい。近代日本で初めて実現した国立大学の法人化が我々の前にあるということですね。
しかし、果たして変革になっているのか。120年ぶりの壮挙、これは壮挙の名に値するものになっているか。これが今、私どもの前で問われていると思います。
●自発的な改革意思が必要
今、進行しております国立大学の法人化、この中でどういう問題があり、事柄はどういうふうに進んでいるか、私なりにこれを見てみたいと思います。
第1は、ただいま申しましたような明治22年の案にあらわれていたようなことの中で一番大事なことは何であったか。独立ということでした。行政の制肘を受けない。明治22年は、議会ができる前の年であります。その時に、大学人たちが一番恐れたのは何か。大学の予算をすべて議会が握るという形を非常に恐れたのですね。パーマネントな基金で動かしていきたい、これが最初の案でした。それから、大学は自分で決定したいということです。その2つが非常に大事なポイントだったんですが、その底に流れていたのは何か。自分たちが変わろうという意思です。自分たちの自発的意思による自発的な改革であるということです。
これは大きいポイントであります。私は大学の歴史が専攻なのですが、多くの大学史の研究者が指摘しておりますように、大学の本当の改革が実現するためには、よその条件、周りの条件も大事だけれども、内側から発足していく自発性、内発的な改革意思、これがあるかどうかがポイントだ。こういうふうに申しております。
国立大学法人化にその内発性がどれぐらいあったか。私は昔、国立大学で禄を喰んだこともございます。現在は私立大学で仕事をしており、ハラハラしながら見ているという立場なのですが、その立場から見て、果たして内発的なものであったかと問うてみれば、直ちにそうであったらしいとは言えないと思います。すべて行政改革と財政改革、特に規制緩和の動きと役人減らし、この2つがとうとうたる波に乗って、国立大学に押し寄せて来たのではないか、それに沿って実現したと言えるのではないか。
法律をつくるのも随分遅れました。独立行政法人法という名のもとに国立大学の管理法ができるかと思っていたら、国立大学法人法というのが別にできて、その2つの関係はいまだにはっきりいたしません。大学は自由になるだろうか、そうではなくなったのではないかという問題がございます。要するに内側から変わろうというタイミングを待たずに強行された、という性格を基本的に持っていると思います。歴史的な目から見た場合の1つの結論でございます
2番目、経営原理を国立大学に導入すべきだということが今言われています。確かに、もとの国立大学には足りないところがいっぱいあったでしょう。実際、ありました。やはり問題は多かったと思います。しかし、経営原理を入れるということが、果たして1年間の間に達成されたか。これはまだ未完成でこれからの課題として大きく残っていると思いますね。いや、もともと、どのような経営原理をどうやって入れるか、これ自体が大きい宿題になって残っていると思うんですね。
ある新聞の調査によりますと、国立大学の学長の60%以上が「いずれこの状態は変化が来るだろう」という回答をよこしております。また、本日いただいた資料なんですが、朝日新聞社の『大学ランキング』で紹介された数字で申しますと、「法人化は日本の大学全体にとってプラスになる」と答えておられる学長さんは全体の40%、そのうち国公立大学の学長さんたちは29%、私立大学の学長さんは71%でございます。「どちらとも言えない」というのが、全体の50%、そのうち国公立で言えば32%、私立では68%という結果です。
この数字をどう読むか。もう4割が支持しているんだから良かったと読むのか、まだ4割なのかと読むかは判断の分かれるところですけれども、私は、まだ4割かと思います。本当に練りに練った大学改革案だったら、良くなったと言うはずですが、残念ながら、先ほどのような非常な早産の中で生まれた改革で40%というのは、やはり早産の実態に即した数字だと言わざるを得ないんじゃないかと思っております。
2番目は、ある経営団体は「経営努力の足りない国立大学法人は廃校にすべきである」とはっきり答えを出しておられる。これから、そういう意見がポリシーの基礎になる事態が起きるかもしれません。これからの流れの中で、国立大学に交付される運営交付金というものが減っていったら、あるいは、自前で資金を集めることができなかったら、この数字はもっと多くなるでしょうね。「つぶしてしまえ」という声に対して、本当の「法人」であるならば、もはや抗せないはずです。私立大学はその苦労を130年やってきました。国立大学法人も同じ苦労をやっぱり負うことになりかねない、そういうことになると思います。
●研究、教育の数値化は難しい
経営的な原理を導入するということのコロラリー(当然の結果)として浮かんできますのは、評価の問題であります。現在既にある種の評価が行われているんじゃないかと思われるのは、ご承知の運営交付金1%減という政策が出てきたということです。5年間で累計5%、運営交付金額は、従来の予算より減ります。有力大学の学長さんたちが本当に怒り狂っておられる数字です。これで5%減りますと、5年間で総額として、小さな国立大学だったら20校つぶれるぐらいの損失になると言われております。そういう事態も起こりかねないのです。
これと非常に関わってくるのが、評価の問題です。国立大学法人は、これから厳しい評価にさらされるでしょう。1年ごとに運営交付金をどう使ったか評価される(「年次計画」)。そして6年後に、文部科学大臣が委嘱した国立法人評価委員会が「中期目標・中期計画」の評価という最終的判断を下すということになりますね。
問題は、そういう評価の「評価の尺度」いかんであります。英語でクライテリア(criteria)と言います。これが今のところ不透明でよくわからない。ただし、漏れ聞くところによりますと、例えば、達成度評価というのが基本である。目標を数値化して、それをどのぐらい達成したかを1年ごとに刻んで見る。その結果は、その翌年の運営交付金に響く。その累積が、最終的な6年後の評価になる。これは相当な問題ですよ。
果たして、研究や教育という作業にとって、数値化するということはいいことか、あるいは、数値で見るっていいことか。 研究について考えると一番はっきりわかります。例えば論文の数を達成目標に掲げたとする。その時、その論文数に達しか達しなかったということだけをもって、研究評価ができるか。多くの研究者はこれに反対されると思うんですね。研究というのは、先が見えないから面白い。先の見えないようなこと、ただし、やりたいと自分で思ったことをやっていくうちに、はっとわかるのが本当の研究です、どの例でも見てください、ペニシリンの発見だろうが何だろうが、そればっかりじゃないですか。こういう論議が研究者の間に必ず共通にあるわけです。
教育評価、これも数値化は難しいですね。学生全員が英語でTOEICを何点以上取るようになるなどという評価は、やれば目標を立てられるし、達成できるかもしれない。でも、だから何だと。学生たちの前には、ほとんど60年に及ぶ余命が残っております。その人たちが生涯においてどれだけのことを達成できるか、これが1、2年でわかるのか、こういうことがあるんですね。
研究評価、教育評価の一番大事な部分に、今申したような評価の尺度の問題が深く関わってきて、その結果がお金に直接響いてくるという制度自体は、大変問題があると思わざるを得ないですね。そういう点で、私は人ごとならず非常に心配をしております。
asahi.comトップ|社会|スポーツ|ビジネス|暮らし|政治|国際|文化・芸能|ENGLISH|マイタウン