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朝日新聞シンポジウム「転機の教育」 |
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米澤彰純氏 |
米澤 さっきの話も面白かったので参加したかったのですけれども、まず、まとめ的な話をしたいと思います。これは寺崎先生がお話の中で、かなり大学側に立場をきちんと置かれて話をされたことを、ちょっと客観的に言うだけのことかもしれないのですけれども。多分、法人化の議論には3つの考え方があって、それがそれぞれ相互に絡み合いながら、実際には独立して別々に動いてきたのかなと思います。
1つは、これは民営化、あるいは、プライバタイゼーションの流れです。財務省の方々、一部の国会議員、それから、それ以外の議員の方々、社会の方々の中に、国立大学自体をプライバタイズ、私立化、あるいは民営化すべきだという議論が実際にあったと思いますし、今でもあるんだと思います。
実は、日本の私立大学というのは、学校法人という制度の中で、かなり公的な仕組みになっていまして、例えば学校法人が本当に解散するということがあれば、そのお金はだれに戻るわけでもなくて、国に戻るわけです。さらに、特に私学助成が本格化した70年代からは、私立大学自体も、自分たちが公的な存在であると、アピールされてきたのではないかと思います。
そういう意味では、一連の変化の中で、国立大学の法人化も大きな要素ですけれども、実は、株式会社大学が認められたということが、多分、この大学のあり方の変容の中で一番大きな出来事だったのかなと思います。
第2は、独立行政法人のスキームとしての国立大学の法人化です。これは、基本的にはニュー・パブリック・マネジメントという、政府の機関のある業務を独立した機関で行う形で再編するという行政改革の論理の中に、国立大学が位置付けられたものです。
これを第3の論理、つまり、教育改革とか大学改革の論理のなかでとらえようとしたのが、多分、有馬(朗人)先生という東大の総長から文部科学大臣になられた方が、最後のところで意思決定をされたところの大きな論理だったかなと思うのですね。
つまり、これは行政から見れば、明確に行政改革の論理の中で国立大学を国の直属機関としての存在から分離するという考えだったと思うのです。他方で、これを契機として、大学の中により自立的で柔軟な教育研究活動ができる仕組みに変えていこうという考え方が芽生えたし、その中で、例えば、私も評価に関わったり、大学関係者の方々といろいろなお話をする限り、皆そこで何とか希望を見つけていきたいと考えていた。
多分、法人化に踏み切らなければダメなんだろうと思っていた方もかなり多かったというか、法人化以前の大学が持っているいろんな硬直性というものがかなり目についていて、その中で、多くの人が、何か変えられるんじゃないかという大きな希望を抱いていたというのは事実ではないかと思います。
例えば、先ほどの産学連携の話がありましたが、実際、私も広島大学に法人化前後にいたのですけれども、広島大学は、社会人の、実際の実業界の方をいきなり教授として採用して、特許の取り方について講習会を開いたり、それから、それまで教員個人個人でつながっていた産業との連携を、組織としての連携に発展させたりとか、いろいろな実験的試みが進められていました。つまり、法人化という新しい枠組みで、何ができるかについて大学側はかなり準備して臨んだのだと思います。
そういう意味で、大学改革としての法人化という理念は、実際あったわけで、それをそれぞれの国立大学が法人化の過程でどれくらい本気に受けとめられたのかが、問われているのかなと思います。
清水 尾池先生は京都大学の中で、いわば当事者としてこの法人化の立法過程を見てこられたと思うんですが、いかがでしょうか。
●国の教育政策に歪み
尾池 ちゃんと見えていたのかどうか反省もしますけれども、当事者として見てきたと思います。
10年前は思いもよらなかったと清水さんはおっしゃったけれども、どうなんでしょうかね。やっぱり私は市場の失敗、あるいは、政府の失敗というのがあると思います。1990年、東京の株の大暴落というのが1つのきっかけだろうと思います。それからの10年間、2000年ぐらいまでの間、つまり20世紀の最後の10年というのは、空白の10年じゃないかと思うんですね、日本のいろんなことが。
そこで失敗した処理がちゃんとできなかったつけが10年分たまってしまった。その間に、大学民営化論だとかいろんな改革論とか、特に経済界の方たちからの大学に対する批判とかは結構出ていたと思うんですね。
だから、そこにずっと芽生えがあったのだろうと思うんですけれども、それが最近一気に成って、この構造改革と。特に「聖域なき構造改革」というキャッチフレーズのもとに、いろんなことが行われてきたと思います。
寺崎先生の話にもあったように、70年代だったら、臨教審が開かれて、そこで議論が行われて、これはまずいとかいう議論が延々と行われていた。審議会で議論をするとか、学術審議会とか大学審議会とかいろいろあるわけですが、そういうことをすっ飛ばして、官僚が用意をした方針案とかいうようなものでポンと改革が行われる。非常に急ピッチなというか、議論を待ってはいけないみたいな改革であったというのが真相ではなかったかと思うのです。
そこの中で、独立行政法人論、あるいは、民営化論というのがあった中で、当時文部大臣をやられた遠山敦子さんがいつも力説されることですが――この前も京都でシンポジウムをやったのですけれども――文部科学省としても非常に頑張って、独立行政法人化をしないように国立大学法人法という仕組みを導入して、それが実現したのだと。一生懸命頑張っていわば生き残りを図ったのだから、国立大学も頑張りなさい、ということをいつも励ましていただくわけです。やはり国立大学の生き残り論でもあるでしょうが、文部科学省自身も生き残りを図ったと私は思っているわけですね。
国立大学が死んでしまったら、文部科学省は要らなくなるようなもですから、必死になって、そこは大学と一緒になって非常に機能したんだと思います。
それで、国立大学法人という仕組みができて、交付金でもって大学の運営をしていくという仕組みが導入されたわけです。要は、日本の国家予算が足りない、お金がなくなった。「お金がなくなったので、大学も一緒になって苦労して何とかやってくれよ。切り盛りをしてくれよ」と言われたら、私たちも、もうちょっと考えやすかったと思います。しかし、そこのところは全く説明をせずに、いろんな理屈を持ってきて、金を減らすという仕組みを導入してきたために議論がちゃんとできなかったのだろうと思います。
その歪みが、今いろんなところにあらわれていて、我々はその後始末に一生懸命になっている。私立大学も随分、資金のご苦労をなさっていると思いますが、それをもっと見習いなさいみたいな論理で、国の教育の政策が何か歪みを持ち込まれてしまう。そんな仕組みが導入されるところに非常に危惧を抱いたんですね。
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