|
|
|
A:環境整備は必要だが、出生率にこだわるのは疑問 松谷 わかりました。私は、子どもを欲しい人が、さまざまな制約によって持てないということに対しては、社会的な制度改革なりで、望む人は子どもを持てるような、そういう社会をつくっていくということは非常に重要なことだと思うんですね。 ただ、いわゆる出生率というのは、私はそういうことの結果決まるものじゃないかと思うんですね。何か一定の目標が社会としてあって、この辺に持っていくべきだとか、出生率が低下するといろいろ問題が起きるから、上げるべきだとかというのではなくて、まさに子どもを産むというのは人の自由の一番根本みたいな話ですからね。 ですから、産みやすいような環境をつくることは重要ですが、それを何か一つの政策目標にするなどというのは、ちょっと私はやや抵抗があるんですね。 ただ、今のご質問にも即して申し上げますと、少子化というのは一体何が問題なんだろうかということを考えた時に、一つは、阿藤さんもおっしゃいました人口の急激な減少にある。ですから、出生率を上げるということは、人口の減少を緩慢にして、人口の激減によって社会に発生する問題をできるだけ少なくするというような、つまり社会や経済の激変を緩和するという意味が一つはあるかもしれません。 ただし、その点については、私が先ほど申し上げましたように、実は、人口が高齢化する、ないし人口が激減するというのは、ここ30年ぐらいの話なんですよね。その後は比較的、緩やかになるわけです。 しかし、ここ30年間の間でも、先ほど私が示したように、それほど致命的な問題は発生しないわけですね。もしこれから出生率が上がったとしても、その人たちがいわゆる労働者になるのは、25年から30年近くかかるわけですよね。25年から30年近く先には、日本の人口の激変、従って、経済・社会の激変というのは大体緩やかになっているころなんですね。 そうすると、出生率を上げて人口の減少を緩慢にして、経済・社会の激変を緩慢にするということにどれぐらい意味があるのかということが一つ、疑問がある。 もう一つは、先ほどの皆様方のお話の中で、出生率が低下し少子化になると、社会の活力が低下するとか、あるいは、超高齢社会になって、社会として高齢者をサポートしていくような、そういうことがなかなか困難になる。こういう問題があるというんですが、私は最初に申し上げたまず社会の活力の低下ですが、子どもが減ると本当に社会の活力が低下するのかなという感じがします。それはちょっとやや言葉が問題かもしれませんが、どうもその場合、人口増加社会における活力というものを頭に置いて、そういうものがなくなってくることが問題だというふうにとらえているような気がしてしようがないんですね。もうこれから人口が減少することは当然というか、やむを得ない話なんですから、従って、社会の活力というのも人口増加がもたらす活力とはまた質の違った、ある意味で縮小の中の活力といったようなものを、むしろこれから我々としては探していくべきではないかという感じがしますし、それから、超高齢化になって、社会として高齢者をサポートしていくことが大変だということについては、社会として高齢者をサポートするという考え方は、どちらかというと、高齢化率が低かった時にできた話、低かった時に生まれた話なんですね。今の社会保障制度とかというのは、全部高齢化率が低かった時にできた制度なんですね。ですか、割と低い高齢化率を前提にした制度なんですよね。 したがって、高齢化率が上がれば、うまくいかなくなるというのは、通常考えられる結果でありまして、であれば、社会としての高齢者に対するサポートの仕方を、持続可能性という観点から考え直していくべきじゃないか、言ってみれば、再構築していくべきじゃないかと思うんですね。 ですから、私の申し上げたいことをまとめますと、必要なことは少子化あるいは出生率の低下というのは、先ほど申し上げたように、非常に大きな流れのもとにあるわけですから、これはこれとして、そして、子どもを欲しい人が産めるような環境を整備して、それによって出生率が上がればいいし、上がらなくても、少子化に対応した社会システムなり経済システムといったものを、できるだけ早くつくり上げるということのほうが、重要じゃないか。少子化とか出生率の問題を、あまりそればっかりにこだわるのはどうかなという感じがいたします。 広井 ありがとうございます。 そうですね。このパネリストの皆さんの中でも、微妙に考え、視点やとらえ方が違っているかとは思うんですけど、ある程度共通しているのが、少子化そのものが大変だ、大変だということで少子化対策、人口増加政策みたいな方向にいくのは問題があるのではないか。むしろ、個人のレベルに着目して、池本さんが言われているような、生活の質という面から見た個人のレベルで着目した対応が重要であるとか、あるいは、ある程度、すべてが増加をし続けるという、拡大するというようなものを前提にした社会のあり方を考えるというのから、少し発想を転換していく必要があるのではないかというようなあたりが、ある程度は共通しているかと思うんですが、人口問題の専門家として、阿藤さん、最終的に今の少子化への対応の基本的なスタンスということについて、確認できればと思うんですけど。 あと、もう一つ、きょう、まだあまり出ていない論点として、これは大きくは人口問題という意味では、途上国も含めた地球レベルといいますか、国連なんかが人口推計なんかを出しているわけですけれども、私自身の一つのイメージとしては、そういう意味では、21世紀後半あたりに向けて、割といわばそれこそ定常化するといいますか、先進国はある程度出生率が今より回復して、途上国は人口爆発というのからむしろ下がって、ある程度均衡するというような一つのイメージがあるんですけれども、そこらあたりの展望というのをどのように考えたらよろしいでしょうか。
●子育てにやさしい環境をつくっていくしかない 阿藤 政策的なスタンスというのは、例えば、原理主義的に考えますと、産めよ増やせよの出生政策から、レッセフェール(自由放任)、何もするなというような中の幅の中に当然あるわけですけれども、しかし、具体的に各国の政府が何をやっているか、何ができるかという観点から見ますと、それほど大きな幅があるわけではないわけですね。 それは、先ほど申し上げたように、家族政策という言葉に代表されるように、子ども、そして、子育てをするファミリーの福祉水準の向上を目指すとか、一般的にはそういう政策です。 例えば、フランスは伝統的に出生政策の看板を掲げている。北欧諸国は、そういうことは言わないで、男女共同参画の看板を掲げて政策をとっているというんですが、しかし、かなりその政策は似通っている。似通っているというのは、結局「産めよ増やせよ」といったって、例えば、近代的な避妊手段というものを制限するとか、そういうことをとるわけでもないし、とれるわけでもない。 ですから、そうすると、基本的には経済政策になり、しかも、経済政策も産まない人にペナルティーをとか、独身の人に独身税をとか、そういう基本的にペナルティーの政策もあり得ない。 そうすると、基本的には、子育てがしやすいような環境をポジティブにつくっていくというところにほとんど政策は集中しますので、原理的な立場が仮に違ったとしても、とる政策がそれほど変わらないというのが、実際的な姿だと思います。それが一つですね。 それから、世界の問題ですが、実は、2、3年前に国連の人口部というところで、少子高齢化の問題のセミナーがありまして、私も日本を代表してそこに出ていってそれに関連した話をしたんですが、最後にフロアーにいる途上国の人から、世界がこれだけ人口爆発、人口増加、そして環境問題を騒いでいる時に、先進国がそういうことを議論して何になるんだと、冷やかなそういう質問をされた記憶がございます。 これも、究極的にどちらかと、例えば、途上国の例えば子どもを5人、6人産んでいて、人口増加率が2%、3%あって、その国の経済成長を妨げ、貧困の悪循環を生み出しているということで、そういう国で家族計画を普及して人口と資源、経済成長のバランスをとるということが大事なのか、それとも、先進国の少子化を少しでも改善して、高齢化や人口減少の問題をもう少し緩和することが大事なのか、二つの問題をつきつけられれば、つまりどちらが重いかと言われれば、私はやはり前者のほうが重いと答えざるを得ませんですね。 しかし、それはあくまでも、原理主義的な質問に対する回答をしたのであって、今のような国際社会の中で、一つの主権国家として、あるいは一つのいろんな文化的共同体の中で住んでいる人々が、一方は大事だけど一方はほおっておいていいという議論には、やはりならないと思います。 結論的には、先進国の側も仮に政策をとるとして、それはある程度の人口減少の緩和であり、ある程度の高齢化の緩和という程度の話であって、決して人口増加、人口を増やすというふうなことはとても世界に向かって言うことはできないし、そんな政策はだれも望んでいないし、言うこともないのではないかと思います。 Q:年金制度はどう改革すべきか? 広井 ありがとうございます。 少し少子化への基本的なスタンスについて、どういう視点で考えていったらよいのかというあたりの、多少輪郭が見えてきたような気がいたしますけれども、時間の関係もありますので、そういった基本的なスタンスを踏まえて、どのような対応をしていくべきかというようなことを、会場の皆様方からの質問も交えて、さらに進めていきたいと思うんですが、ミクロの次元、マクロの次元と示していますのは、これは整理の問題ですので、まず経済システムや社会保障のあり方ということで、今までもいろんな形で出てきていますけれども、このあたりについて、それから、その後で地域社会や生活、働き方、家族等のあり方というあたりについて、議論していきたいと思うんですけれども。 まず、経済システムや社会保障のあり方ということに関して、会場からの質問で、これは男性の会社員、32歳の方ですけれども、松谷さんへ、年金制度についてという、やはり今一番ちまたでもこれだけ話題になっている年金制度のことについて質問が出されています。 読みますと、「高齢者への支援は手厚く、子どもや育児への支援が日本では薄いとのことですが、年金制度は具体的に今後どう改革すべきとお考えでしょうか」というご質問ですけれども、これはちょっと、なかなか一言で、「はい、こうです」というふうに答えられるものでもないかと思いますけれども、大体の考え方としていかがでしょうか。 A:公共サービス強化し、現金支援は縮小すべきだ 松谷 今の年金制度、これは1980何年ですか、ちょっと何年から変わったのか忘れましたが、賦課方式と申しまして、要するに、高齢者を同時代のその時いる若い人たち、つまり、働いている階層の人たちが養うという、いわば世代間の所得のフローということで構築されているんですね。 その前は、いわゆる積立方式でありまして、言ってみれば、自分が出したお金を政府に運用してもらって、そして、年金として後から受け取るというような積立方式だったんです。それが現在は賦課方式、これは世界各国どこでも賦課方式なんですけどもね、基本的にこれからも、この賦課方式である限り、年金でもって十分に高齢者の生活をサポートしていくというのは、私は非常に困難だと思いますね。出生率が劇的に上昇すれば別ですけれども、これは長期的に見ても、例えば今まで――そうですね、2000年では高齢者と労働者の比率が1対3ぐらいの割合だったですね。これが、これからどんどん下がっていきまして、2030年頃には、多分、1対1.5ぐらいになるんですよね。 そうしますと、果たして、高齢者の生活が十分にまかなえるだけの年金を若い人が負担できるかというと、難しいと思うんですね。 ですから、先ほど私が言いましたように、年金は年金として残しながらも、どちらかというと規模は縮小していって、そして一方で、さっき言った賃貸住宅のように、そういう社会的ストック、あるいはその他の公共サービスといったものを充実させることによって、ワンセットで高齢者をサポートしていくというようなやり方を考えないと、働く世代の負担が大きくなり過ぎて、社会としてもなかなか維持できないような状況になるのではないかなと思いますけれども、そういう意味で私は、年金制度はどちらかというと、縮小に向かわざるを得ないのかなと考えております。 広井 ありがとうございます。 これは、今のお話にも少し示されていましたように、年金だけではなくて、社会保障全体といいますか、社会保障の中でどのような分野に重点を置くかとか、あるいは、社会保障全体の規模をどのように考えるかといった議論になっていくかと思うんですが、このあたりの社会保障のあり方ということについては、ほかの方からも、日本は若年者への給付が非常に少ないとか、いろいろな点が指摘されましたけれども、社会保障のあり方ということについて、どなたかご発言はいかがでしょうか。池本さん。 A:教育・環境政策と連動させた社会保障構築を 池本 社会保障に含まれるかというのがちょっと疑問なんですけれども、私自身は今、教育政策が非常に重要というか、教育政策でそれぞれの人が力をつければ、福祉のニーズもどんどん減っていくという可能性があるわけでして、例えば、高齢者の分野でも健康寿命を伸ばすことによって負担を押さえられるというようなことがあると思うんですが、ニーズが発生して大変なことになったら、どんどんお金をつぎ込むということではなくて、もっと予防的な観点でお金を使っていくということをやっていくことが、一つ、そういう社会保障負担を軽減することに必要かなということを思っています。 教育と福祉って、私、両方に関わっていますけれども、非常に縦割行政で、政策が全然別々に議論されることがあるんですけれども、本当にもっとつなげて、今私自身は保育制度を教育にするか福祉にするかという議論にも関わっているところなんですが、そこをもっと取っ払って、先ほどあと、環境政策などで、例えば、緑地を確保すれば、それが教育効果もあるし福祉効果もあるという、いろんな複合的な効果がもたらされる施策というものもあると思いまして、そのあたり、広井さんもいろいろ研究の分野と思いますけれども、私自身は、そういうことも地道にやっていくことが、あまり数字というよりは、施策のレベルでやれることも多いんではないかなと思っています。 広井 ありがとうございます。 社会保障だけを切り離して考えるのではなくて、教育政策との連動とか、環境政策、そういったものも含めた総合的な政策を考えていく必要があるということですけども、サラチェーノさんのほうで、社会保障政策のあり方、あるいは、福祉政策のあり方ということで、既に基調講演でもお話はされておられたかと思いますけれども、何か補足する点、重要な部分というのはいかがでしょう。
A:強制でなく、選択肢の幅を広げる政策必要 サラチェーノ 日本の社会保障制度については細かくわかりませんのでコメントはできませんが、しかし、わずかな知識から言えることは、いわゆる正規の労働者とパートタイムのような一時的労働者、契約労働者の間に大きな違いがあるということです。 私の理解するところでは、日本においてはさらに、この正規労働者かそうじゃないかという格差が非常に大きい。イタリア以上に、ある種の契約から別の形態の契約に移ることは難しいようです。 今、かなり若い人たちがいわゆるそういった正規雇用ではないということを考えますと、社会保障の給付にアクセスをできない。結局それは労働契約と関係がありますから。 そうすると、オプションが狭まってしまうと思います。いろいろなことのオプションですね。例えば、将来の年金もそうですし、あるいは、健康保険もそうだと思います。さらに、家庭ですが、出産休暇とか育児休暇にも関係してくると思います。 そこで今、二つの種類のグループをつくってしまっていて、雇用契約によって違った権利を持っている人たちが生まれてしまうということで、やはりそのレベルの対策も必要だと思います。 特に、イタリアは、我々もこういった正規雇用というところに至るまでの段階があるわけですが、このことで格差が生まれてしまう。そして、出生率、出生力にも影響が出ると思います。非常にこれは松谷さんのお話を聞いていますと難しい問題であると思います。 出生政策というのは、結局我々のような民主主義社会においては、オプションを拡大する選択肢、自由度を拡大するものでなくてはならない。つまり、子どもが欲しいということであれば、もちろんいいんですが、子どもの数を増やせと強制することは、民主主義国家においてはできません。 従いまして、こういった労働市場に関連する政策というのは、保育所とかあるいは育児手当て、児童手当てと同じぐらい重要だと思います。とにかくオプション、選択肢の幅を広げるということが大事だと思います。 !--本文-->
|
|
asahi.comトップ|社会|スポーツ|ビジネス|暮らし|政治|国際|文化・芸能|ENGLISH|マイタウン