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和平へ 憎しみを超えて―― イスラエル・パレスチナ遺族は語る

【パネルディスカッション】 討議(2)



 司会 これより討論の後半の部に入ります。16時20分ごろまで討論の続きを行いまして、その後は皆様との質疑応答に入りたいと思います。では、この後の進行は松本さんにお願いいたします。

 松本 それでは、後半の討論に入っていきたいと思います。

 先ほどちょっと話が出ましたが、最愛の家族を失って、それに対する怒り、最初はリベンジ(復讐)ということを考えるという、皆さんがそういうふうに考えておられるようですけれども、そこから、こちらにおられる4人の方は考えが変わっていくわけです。だけど、一般のイスラエルの人々、それからパレスチナの人々というのは、なかなかそういう変わり方はしないように見うけられます。

 そういう状態の中で、つまり、パレスチナを殺せとか、イスラエル、ユダヤを殺せという、そういう非常に暴力的な雰囲気が日増しに強まっていくような、そういう状況の中で、こういう憎しみを超えて和平に向かおうという動きというのは非常に難しいと思います。そこら辺をまず皆さんに伺いたいと思います。

 フランケンタールさん、そういう中でユダヤ人の同胞の中で、こういう運動に対する脅しとか妨害とか、そういうものはございませんか。

●市民同士の対話で恐怖心と憎しみをうすめる

 イツハク・フランケンタールさん

 フランケンタール 双方にたくさんの怒りと恐怖があると思います。双方の困難な状況は恐怖と憎悪があるからです。お互いに話し合っていけば、恐怖感と憎しみは鎮まっていくでしょう。それを我々は目指しています。

 我々はイスラエルとパレスチナにまたがる組織として、もう500回以上もパレスチナ人とイスラエル人が会する会合を開きました。2日間の対話セミナーも40回開催しました。月に100回以上の講演会も開いております。いろんなプロジェクトをパレスチナ人と一緒にやっています。それによって、恐怖感が薄まると思うのです。

 数カ月前に始めたのは「ハローピース」(平和よ、こんにちは)という企画です。電話をかけあって、双方の人々に対話してもらうのです。20万以上の人たちが延べ60万分(約420日の勘定)の通話をしました。お互いに話をすることができれば、恐ろしい気持ちが薄まるのではないかと思っているのです。

 私は正統派のユダヤ教の人間でありますが、正統派のほとんどの人々は(パレスチナとの和平に反対の)右派です。ですから、私の政治的観点ゆえに、ほとんどの友人を失いました。しかし、怖いのは自分の子供の墓の前に立つということです。愛する4人の子供たちにずっとイスラエルに住んでもらいたいと思うので、(平和実現のための)やるべきことをしております。

 先ほども申しましたが、イスラエルの国民を私は好きです。パレスチナの人たちだってパレスチナ人が好きだと思います。イスラエルを愛する私と同様に、彼らもパレスチナを愛するがゆえにやるべきことをやっているんだと思います。我々は他人を恐れることはありません。やり続けます。

 京都府綾部市のご協力で、双方の7人の遺族の子供たちが来日し、遺族同士も含め、日本の子供たちと交流する計画を進めています。

 やはり最大の仕事は恐怖感を薄めるということです。お互いに相まみえていけば、憎しみは鎮まっていくでしょう。それを我々はやりたいと思っています。

 いつも言いたいことだけ言っておりますので、質問に対する答えになったでしょうか。

 松本 フランケンタールさんは運動を始めたことで自分のビジネスがうまくいかなくなったのでしょうか。そんなケースもあるんですか。

●息子の死が180度変えた人生

 フランケンタール 全然そんなことはありません。(息子の悲劇の)直後にビジネスをやめちゃったんですから。ビジネスマンであるというのは好きでないとできないと思います。あれ以来、私の人生は180度、変わったんです。息子がいたときと亡くしてからと、人生がまるっきり違うんです。

 人間はみな、いろいろやりたいことがあります。しかし、私は息子を失った後、以前はやりたいと思っていたことがすべて、どうでもよくなったのです。

 今、私が全精力を投入しているのは、皆さん日本人の方々にも手伝っていただいて、我々の組織を強くし、お互いの理解が高まるようにすることです。今回、日本に来た理由のひとつは、日本の方々にも中東問題にかかわっていただきたいと思うからです。日本の人々に状況を理解してもらい、イスラエルとパレスチナの世論が変わるように助力をお願いしたいと思います。

 松本 さっき、友人を失うことになったとおっしゃられましたが、友達を失うだけでなくて、何か脅しとか、ハラスメント、嫌がらせとか、そういうことはございませんでしたか。

 フランケンタール それはよくありますよ。イスラエルには素晴らしい警護部隊がありますから、何か危険なことがあってもちゃんと見ていてくれるんじゃないかと思いますけれども。

 それよりも、英雄的なのはパレスチナ人です。イスラエルの占領下にいるわけです。で、私はイスラエルの愛国者で、イスラエルが大好きです。私にとってとても大切な国であり、イスラエル人は素晴らしいとも思うんです。

 しかし、重大な誤りは占領を続けていることです。今、占領下にあるパレスチナの人々が平和と和解を実現するために一生懸命にやっています。そしてわざわざ来日しました。パレスチナ人がここにいることは私のようなイスラエル人よりはるかに重大なことで、感謝されるべきものです。私はパレスチナの「きょうだい」に心から感謝しています。(拍手)

 松本 フランケンタールさんから振られましたけれども、占領されている、つまりイスラエル軍のプレッシャーの下にいるということもそうなんですけれども、それよりもさらに同じパレスチナ人の中で、こういう運動に加わることはけしからんという、そういう脅しとか、嫌がらせとか、そういうものはございませんか。

●パレスチナにも国家と安全を

 ブリギス 厳しい質問が来ました。先ほど申し上げましたように、平和についての会合に出るのに(イスラエル軍の検問を通過するためにイスラエル軍から)通行許可を取らなければならない。しかし、人を殺すのには許可は要りません。つまり、平和を創造するのは命がけともいえます。

 イツハク・ラビン首相は一生を国(イスラエル)に尽くしました。イスラエル軍に入隊、(イスラエル独立戦争に参加した)一介の兵士から始まって、最後の職は何だったか(参謀総長)、いずれにしろトップの地位まで上り詰めた。幾多の戦争を体験したが、命は失わなかった。ところが、パレスチナとの和平協定(93年のオスロ合意など)に合意した後、自国民に暗殺されてしまいました。

 我が「きょうだい」のフランケンタールさんが、とても重要なことを指摘されました。我がパレスチナにはまだ国家がない。安全保障も確立されていないことです。逆にイスラエルは安全保障を確立し、警察が治安を守っている。しかし、それはイスラエル国民の治安であって、パレスチナのためのものではありません。

 いつの日か、ぜひ私の命が脅かされないような生活に行き着きたいというふうに思っています。ですから、活動をしています。どんなことがあっても、我々の活動はとまりません。いつも我々は子供たちのことを考えているんです。これは我々に課せられた義務です。

 ベツレヘムで「遺族の会」への参加を呼びかける平和集会を計画していた時に、(パレスチナ人から)脅されたことがありました。非常に危険でした。しかし、だれに連絡すべきか、わかりません。とりあえず、フランケンタールさんに電話をし、状況を伝えました。すると、フランケンタールさんがすぐにパレスチナ自治政府のアラファト議長の事務所に連絡してくれて、問題を解決することができました。もし、電話をかけなかったなら、私は命を失っていたかもしれません。

 これでお答えになったでしょうか。我々の活動をとめることは何人にもできないということです。

 松本 ヨルダン側西岸、ガザなどの(イスラエルの)占領地では、裏切り者、コラボレーター、イスラエルに協力する人に対して、非常に強い憎しみ、強い脅しなどが続いていますけれども、そういうことはどうなんですか。

●許可証取得で妻に「スパイ」と疑われた

 ブリギス 残念ながら、我々パレスチナ人にもそういう人たちがいるんです。占領というのが起こりますと、そういった協力者というのが出てくるわけです。

 この「遺族の会」に入った時はとても厳しい状況下でした。イスラエル軍に封鎖され、通行許可証もありませんでした。(通行許可証は簡単に出るものではないので)初めて通行許可証を取得した時に、妻はいぶかしげにこう聞きました。「あなた、どうやって許可を取ったの。あなたはあっち側の協力者じゃないの」。しかし、その後、フランケンタールさんらイスラエル側の「遺族の会」の同胞たちが私の家まで訪ねてくれ(妻の疑念は解消され)たわけです。妻からそんなことを言われるとは思いもしなかったので、実につらかったですね。子供たちも最初は疑っていたようです。

 でも、私はめげない。今後もしっかりと運動を続けていきます。子孫たちのためにイスラエル人とパレスチナ人は手を携え、日本や欧州、世界中の平和を愛する方々の協力も得て、素晴らしき平和を造り出さなければならないと思っています。(拍手)

 松本 ありがとうございました。エサウィさんの場合はどうでしたか。非常に強い方だからと思うんですけれども、やはりそういう嫌がらせ、ハラスメントとか、脅しというものはあったんですか。

 エサウィ いいえ。

 ブリギスさんの脅しの件で、少し申し上げたい。私たちがどれだけ平和を求めているか、平和を心底から欲しがっているかをわかってください。フラケンタールさんがアラファト議長サイドに話を通して、ブリギスさんの命が救われたのです。フランケンタールさんだって、イスラエルの人々にどう言われているのか知りませんが、似たような危ない目をくぐりぬけてきたと思います。

 フランケンタールさんが電話による双方の対話について話されました。心理学を少しでも学べばわかることで、話をすること、告白することによって心が和らぎ、相手の思いも理解できるようになります。この企画はイスラエル人、パレスチナ人相互の協力と理解を進めるのにとても有益でした。もっと支援を頂いて、この企画を続けていきたいと思います。最初はののしりあいもありました。しかし、電話での会話を続けていくことで、彼我の相違を理解し、人々の姿勢にも変化が出てきました。

 私の場合、先ほど申しましたように、英国統治時代から革命的だった家庭の出身です。我々の地域ではよく知られた家でしたが、多大なる代償を支払ってきました。私たちが変わった時、(イスラエルの)スパイだとか、協力者だとかいうことは言われませんでした。周囲の人は、いったい何が起こったのかと不思議に思ったでしょうが、悪口を言う人はありませんでした。

 我が家や父親の歴史だけでなくて、国の中における私の立場、そして、私のこれまでやってきたことがあるからこそ、誰も私を悪者呼ばわりできないのだと思います。

 松本 シャハクさんにお伺いしたいんですが、先ほどの前半のお話の中で、学校に行ってお話をなさる、映画を見せたりということがありましたね。学校に行って というのは小学校ですか、中学校ですか。

 シャハク ハイスクールです。

 アイェレット・シャハクさん

 松本 学校に行ってお話をするときに、子供たちから初めからアクセプタブルな反応が出てくるんですか。それともやはり拒否的な反応が強いんですか。

●生徒たちの感想文に励まされて

 シャハク ご説明をしましょう。講演する時、まず子供たちに、お互いを知り合うことが重要だと説明します。お互いの人々、居住地、休日、言葉を知るという意味です。「遺族の会」で経験したことや活動の内容を紹介しています。

 息子をガザ地区に連れて行ったことがあります。パレスチナ人の家族と知り合い、彼らも同じ人間なんだということを息子が理解しました。ですから、お互いを知ることがいかに重要かを強調しています。

 変な反応が返ってくるということはありません。私と同じ意見ではないとしても、私を非常に尊敬してくれます。そのことを文章にしてくれます。「僕は先生の意見とは違うけれども、先生たちがやっていることには敬意を表します」とかですね。新しい観点から物を見ることができるようになったという感想文もあります。講演の最後に、生徒たちに書いてもらった感想文を読み上げるのが実に楽しい。感想文を読むことによって、また力を得て、私は運動を続けることができるのです。

 希望を与えてくれたと書く子もいますので、現在の状況も説明します。この3年間は(双方のテロと暴力の連鎖で)イスラエルで平和運動をする者にとっては困難な時期でした。生徒も私たちも街頭で、平和を呼びかけるのははばかられる状況でした。(2000年9月にパレスチナ人による抵抗運動の)インティファーダが始まり、私たちはがっくりきました。しかし、今は講演をすると、生徒たちは、先生の話に光明を見いだしたと言ってくれます。何か役に立つことはできますか、何かお手伝いができますか、どうやればお互いに知り合えますか、というようなことを生徒たちは聞いてきます。

●「姉さんの日記を読んだらテロリストはためらうかも」

 個人的なことですが、(15歳の時にテロで亡くなった娘の)バトへンのヘブライ語の本を出しました。娘が残した日記のすべてです。生きていれば20歳だった2年前の誕生日にそのアラビア語版を出しました。娘が書いたこと、テロリズムは邪道だということをアラブの子供たちにも知ってもらいたいのです。バトへンのケースは、テロが無辜の、平和を希求する、平和を夢見る人々の命を奪ってしまうという見本だと思うからです。

 末の息子はバトヘンの墓前でこう言いました。「お姉さんをあやめたテロリストの人も、ひょっとしたらこの日記を読むことがあるかもしれないね。そうしたら、罪のない人たちを殺してはいけないとためらうかもしれないね」と。

 最後に、私は京都府綾部市に感謝申し上げたいと思います。綾部市が主体となって「遺族の会」の子供たちを日本に招き、1週間交流する場をつくってくださりました。最も大切なことで、私の夢でもありました。私は教育を信じております。これは平和の種をまくようなことだと思っています。

 松本 こういう2つの民族にまたがった運動を続けるというのは、今のイスラエル、パレスチナの状況では非常に難しいと思います。お互いに行き来がない。お互いに政治とか平和について話す機会が少ない。そういう中でこういう運動を続けることの難しさというものはどんなものがありますか。

 フランケンタール 先ほども申し上げたように、もう500回以上の会合をパレスチナ人と重ねてきました。西岸、ガザ、テルアビブ、エルサレムなどです。今までもやってきましたし、これからも続けます。

 我々は世界の人々の支援を期待しています。それによって、パレスチナ、イスラエル両政府の姿勢を変えさせ、交渉の席につかせ、話し合いが進むことを願っております。

 対話セミナーの様子を紹介しましょう。日程は2日間で、これまで40回開催しています。最近では東エルサレムにあるアンバサダー・ホテルで開きました。双方から「遺族の会」メンバー136人が参加しました。友人でもある(パレスチナ問題担当の)テリエ・ラーセン国連特使が2時間も話をしてくれました。

 それがきっかけで、双方の数カ所の都市を、双方の遺族が訪問し、交流会が開かれました。パレスチナ側の遺族の人もイスラエル側に行った。イスラエル側の遺族の人もパレスチナ側に行ったわけです。どういうことだろう。何が起きたのだろう。そんな反応で、メディアにも取り上げられました。世論を変えるということは至難のわざですが、我々は人々に問題提起をしているわけです。人々が自分に問いかけをすれば、正しい答えに行き着くはずだと思うんです。

●息子を殺された母親が元イスラエル兵を「我が子にしたい」

 別の対話セミナーでは心理療法を試みました。双方から160人が参加しました。で、数日前に電話で参加を申し込んで来たイスラエルの大学生がみんなの前でこう告白しました。「自分は徴兵されてガザ地区で任務に当たっていた時に、一人のパレスチナ人を殺してしまいました。4、5年前です。それ以来、眠れなくなった」。その瞬間、一人のパレスチナ人の母親が立ち上がり「この人殺し。私の息子を殺したんだろう。人殺し」と彼に向かってわめきちらしたのです。私はその母親のところに行き「あなたの息子さんを殺した人を私がここに連れてくると思いますか」、「お願いですから、座って彼の話を最後まで聴いてあげましょう」となだめると、静かになりました。会場のみなさん、いいですか。2日間のセミナーが終わると、この母親はその学生に向かってこう言ったのです。「あなたを息子にしたい」。これなんです。我々がやっていることは。

 たやすいことではありません。実に難しい。相手の国が好きだからではなくて、それぞれがそれぞれの国を愛するがゆえにやっているのです。

 私は息子を失いましたが、恐怖感も、憎しみもなく、和解を実現したいだけです。双方のすべての人がそんな境地になれるはずだし、そうなってほしいのです。

 松本 ちょっと変な質問なんですけれども、フランケンタールさんは、明らかに一見してユダヤ人だということがわかる格好をしておられるわけですが、(パレスチナ人が圧倒的に多い)ガザやラマラ、ジェニンなどに入っていく時というのは、危なくないですか。

 フランケンタール アラブの国であってもヤムルカ(ユダヤ教徒がかぶる小さな帽子)を着用します。約3年前にインティファーダ(パレスチナ人の蜂起)が起きるまでは、ガザやラマラにも着用して行きました。怖くはありませんでした。いまは違います。危ない。かぶる人は愚かだ。ほとんど入植者の人たちですね。もし、今、私がラマラにヤムルカをかぶって行ったとすれば、5分もしないうちに殺されるかもしれません。  

 松本 しかし、とにかく活動は命がけのこともあるわけですね、そうすると。  

●何度遺言を残したことか

フランケンタール 家を出る時に、何度遺言を残していったことでしょう。無事に帰宅できるかどうか、わかりませんものね。ほとんど数日おきに遺書を机に置いていくんです。生活の一部ですね。

 松本 非常に真に迫ってくるというか、非常に重い平和運動をやっておられるということがよくわかりました。





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