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没後50年 横山大観――新たなる伝説へ
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横山大観、巨人伝説 没後50年展、代表作ずらり

(2008年01月23日)

写真
晩年の横山大観(横山大観記念館提供)

 近代日本画の巨匠横山大観。明治、大正、昭和の3代にわたって日本の伝統絵画を革新した、その画業を見直す「没後50年 横山大観――新たなる伝説へ」展が23日から、東京・六本木の国立新美術館で開かれる。代表作75点を中心に、彼の古典研究の深さを示す例証となる中国や日本の古画3点や、旅行用トランクなどゆかりの遺品を加えた構成。全長40メートルを超える大作画巻「生々流転」を、一巻まるごと広げて展示するほか、米国・ボストンからの里帰り作品も加わるなど、話題に満ちた回顧展である。

 (編集委員・田中三蔵)

 ●近代日本と伴走、今に語りかける

 まさに「国民的画家」の称号がふさわしい巨人だ。時代が明治に切り替わる1868年に生まれ、第2次大戦が終了して10余年後の1958年、つまり戦後復興期までを生き、描き続けた大観。日本の近代と伴走した画家である。

 東京美術学校時代の習作や、卒業制作「村童観猿翁(そんどうえんおうをみる)」から、最晩年の「風蕭々兮易水寒(かぜしょうしょうとしてえきすいさむし)」までが並ぶ今展では、画技の習熟、展開の軌跡が確かめられる。

 注目は、長編絵巻「生々流転」の全面展示だ。切れ目無くたどれるので、画面に入り込みやすい。山中の川が下り、やがて海に注ぎ込み、最後に雲気の中の竜が天に昇るまでを描く水墨。各部分を人生の諸場面と重ねて見ても楽しい。

 「夜桜」と「紅葉」が並んで陳列されるのも見もので(ともに2月11日まで)、色彩の供宴に酔うのも一興。琳派的な「秋色(しゅうしょく)」と、江戸時代の尾形光琳の「槇楓図屛風(まきかえでずびょうぶ)」を比較できるのもまたとない機会だ。

 だが、そうした楽しみを超えて、考えさせるものがあるのが国民的画家たるゆえんだろう。薫陶を受けた岡倉天心譲りの思想性や精神性が、この人の背骨に組み込まれている。

 例えば「屈原」(2月13日から展示)。天心が東京美術学校長を辞した際の心境を、中国の戦国時代の壮士詩人の悲劇に仮託して表現したといわれる。また、敗戦後の日本の状況を示したような「或(あ)る日の太平洋」などなど。個人の物語を超えて、近代日本が突き進んだ厳しくも険しい歴史と切り結んでいる。

 発表当時「朦朧(もうろう)体」とさげすまれた、線を消したぼんやりした描き方も、西洋画の技法を採り入れた、実験的な態度=思想の発露だろう。西洋についての好奇心が強く、欧米での滞在で多くを吸収した一方で、インドにも中国にも旅をして見聞を広めている。大戦中は、現代では受け入れられない国家主義的傾向を見せたことも事実だが、根っこは開かれた精神だ。

 つまり大観は、日本・東洋の伝統を継承しながら、西洋を取り入れ、融合させた体現者ではなかったか。現在なお私たちを引きつけるのはその点だろう。

 没後50年。くしくも時代は一回りし、国際社会の激動・変容のなかで、日本は再び針路を見失ったと見える。「或る日の太平洋」に描かれた、波濤(はとう)と雷光の中で富士山を見据える竜は、見る者それぞれに貴重な助言を語りかけるのではないかと思われる。

    *

 1868年 水戸市に生まれる。幼名秀蔵、後に秀麿と改名

   89年 東京美術学校第1期生として入学。橋本雅邦に学び、校長の岡倉天心に啓発される。93年卒業

   96年 母校の助教授に

   98年 同校の騒動で校長を退いた天心に従い辞職。日本美術院創設に加わる

 1914年 天心が前年に死去したのを機に、下村観山らと同美術院を再興

   37年 竹内栖鳳とともに、第1回文化勲章を受章

   55年 「風蕭々兮易水寒」が最後の院展出品作となる

   58年 2月26日、東京・上野池之端の自宅で死去。享年89

●強い好奇心・酒豪…人柄示す愛用品

 本展には、大観の愛蔵品も出品される。開かれた国際人の、人間味あふれる人柄を示す品々だ。

 [旅行用トランク] 1930(昭和5)年、ローマでの日本美術展開催を機に渡欧した。その際、携行したようで、革製の表面に、ローマやベネチア、ミラノなどのホテルのシールが張ってある。

 [ドイツ製カメラ] 富士山を描き続けた大観は、「富士の写真家」として知られた岡田紅陽と親交があった。その岡田に購入を依頼した往時最先端の機種。しかし、大観はメカに弱く、操作の難しかったこのカメラで満足に撮れた写真は全くなかったという。「現像に出したら、『また撮れてませんよ』と言われた」と、こぼしていたそうだ。

 [携帯用ウイスキー入れ] 有名な酒豪。これをしのばせて旅行したらしい。これら西洋のモダンな道具を用いる半面、いつも和服で過ごし、スケッチ旅行も矢立て持参だった。

 右目の瞳孔が50万人に1人という大きさだったとか、死後、脳を解剖すると60歳くらいの若さを保っていたとか、様々な超人伝説を残した大観。東京・上野の不忍池のそばにあった自宅は現在、横山大観記念館として公開されている。孫にあたる横山隆・館長は「新しもの好きだった。敗戦後も、英語の新聞や雑誌をよく読んでいて、外国の情勢に通じ、話題も豊富でした」としのぶ。

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