四十二才の夏、右乳房のしこりに気付いた。病院での精密検査の結果は、悪性。やっぱり…。何故だか、そんな予感がしていた。
乳房は、ある程度腫瘍が大きかったため、温存ではなく、全て切除した。
さて、私は、子供の頃から、ひどく内向的な性格だった。人目ばかりを気にして、自信がないから、常に人に合わせてばかり。たとえ、誤解をされたとしても、自分の言い分が言えないので、誤解されたまま、という事が、多々あった。
三十才で結婚。弁の立つ夫に言いこめられ、くやしい思いをすることも多かった。夫の両親と、うちとけることができず、夫の実家に行くのが心底苦痛だった
心を閉ざしているから、友達も作れない。私の人生、やりたい事も、言いたい事も、押し殺してばかり。
このままじゃ嫌だ。常にそう思いながら、悶々とくらしていた。自分を変えようと、色々試みたが、そう簡単に、変われるものではなかった。
「人間、死ぬ気になれば、何でもできる」と人は言う。しかし、そう言われても、なかなか死ぬ気になど、なれないものである。
ところがある日、乳癌と診断された。いきなり、死というものが、身近なものとして感じられた。その瞬間、乳癌様が、否が応にも私を死ぬ気にさせ、四十二才まで、私の心をとじこめていた固い殻を、見事、打ち砕いて下さったのだ。
まさに、開き直りである。
こんな風に、ウジウジしたまま死ぬのは嫌だ! 今まで悶々としていた事が、急にバカバカしく思え、心がパーッと解放されてゆくのを感じた。
夫の両親との事も、死ぬ気になれば、他愛もない事だ。こちらが明るく接してみれば、元々気さくな人達だったのだろう。すっかり仲良しになった。夫の両親だけではない。不思議と、だれに対しても、自分の意見を、堂々と言えるようになった。
私には、小学三年と一年の息子がいる。わんぱくな男の子二人が、毎日大さわぎ。正直、子育てはストレスだと思う時が多かった。
しかし、いざ癌になってみると、時間がないという気持ちからか、急に子供達が、いとおしく思えるではないか。小学一年の次男などは、今、私が死んだら、母親の思い出なんて、いくらもないであろう。そう思うと切なくなった。
死を身近に感じていると、子供達と、できるだけ濃厚に接しよう、という姿勢に、自然となってくるのだった。
一緒に色々な体験をし、彼らの主張を聞いて、こちらの主張を述べる。楽しい語らいも、本気のケンカもする。学校行事にも、できる限り参加する。正面から子供達と向き合ってみれば、子育てとは、何とやりがいのある作業なのだ。
今の私は、自由であり、能動的である。
私は、乳房を一つ失った。しかし、代りに心の自由という、すばらしいものを得た。数年後には死ぬかも知れない。でも、百才まで生きるかも知れない。残りの人生がどれくらいかなど、誰にもわからないはずである。誰にでも訪れる死というものを、誰もが、あいまいなものにして、時をやりすごしていないだろうか。乳癌をきっかけに、私は、人生には限りがあるのだ、という、当たり前の事に気付いた。そして、不本意な生き方と決別して、今充実している。ポックリ逝きたいと、誰しも願う事ではあるが、死を実感して、人生ひきしまる、という意味で、癌も悪くない。
もうすぐ四十四才。いつか私に死がおとずれるまで、第二の人生を、はつらつと、生きてゆこうと思う。
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