私が乳がんの手術を受ける一年以上前から娘が不登校になっていた。幼少の頃からのアトピー性皮膚炎が中学生になったとたん重症化していった。激しいかゆみから寝不足、それが引き金で、更年期の私に襲い始めた症状にも似た、頭痛、耳鳴、吐き気に悩まされあげく体力を消耗していたのだ。
そんな最中、私の左乳房にしこりが見つかり、二診の細胞診で乳がんが確定、II期のAであった。その時の意気消沈した自分は忘れられない。
娘の中学校に替わるフリースクール通いが順調になりつつあった事が気持ちの救いだった。又、小学五年の息子が、乳がんの深刻さがまだわかっていなくて盲腸レベルで理解していた様で、これも救いになった。
手術迄の二週間、普段通り妻と母をこなすも、どうにも納まらない焦る気持ちを、ごまかし、ごまかし悶々と送っているうちに、ふいに思いついた。「そうだ!この際ヌード写真、撮っておこう。子供達に乳を与えて、育てた大切な乳房。見える形で残しておこう。」
ポンとひざを打つがの如く、閃いた。結婚の時以来、プロに撮ってもらった事等ないこの私がだ。子供達がお宮参りの際にお世話になった写真館に予約を入れた。
手術迄そう日が無い。都合のつく日、写真館は本来休日であるはずが「大安」という事で営業日になっていた。私が事情を伝えると一般のお客様が引けてから落ち着いた環境で対応してもらえる配慮を頂いた。
当日は、夫と姉に付き合ってもらった。不器用な立ち姿ではあるが60ショット程撮ってもらった。途中何度も涙が出てくる。これはやはり乳房への未練だろう。揃っている時はあたりまえ過ぎて何も思わなかったのに。
こらえても、こらえても涙腺が緩み切って涙が止まらない。アシスタントの女性をもらい泣き状態にしてしまった。写真館の先生に何度も励ましの言葉をかけられ、私は顔を涙でぐちゃぐちゃにして店を後にした。「写真ができる頃には、私は今と違う私なんだなぁ」と思いながら。
その三日後入院、翌日手術だった。
温存手術で左胸四分一程切除した。が、現在ではその割に左右の違いが感じられない。
がんの場所の関係と手術後の食事の変化で体重が五キロ減り全体が細くなったから。要するに両乳房がバランス良くペチャパイになったという事だ。
あれから四ヶ月ちょっと経ったが飲み薬と皮下注射が続行中である。
薬の副作用も手伝ってか、イライラしたりふさぎ込んだり忙しい。ただ、私に足りてなかった感謝する気持ちが芽ばえ、こんな私を支え助けてくれる家族に「ありがとう」が言いたい。横柄にも存在を当たり前と思ってた。
特に娘に対して私は母でありながら不登校の理由をわかってやれず、アトピーのしんどさに我慢を強いる事ばかり言って急ぎ立てていた。ごめんね。
今、力無い私に「大丈夫。」とやさしく声をかけてくれる娘。平静なつもりが弱気な部分を見抜いて家族もよく手伝ってくれる。
この乳がん騒動が始まって半年以上経とうとしているが、気が付けば娘の全身のかき傷が、すっかりきれいになっている。あれ程、皮膚科を巡り、入院迄させ、心療内科、カウンセリング色々あたってもダメだったのに。
私が乳がんになりガミガミ言ってられなくなったお陰で娘に健康な体と心が戻って来ていたのだ。おまけに甘えたな息子も自分の事は自分でやる力を身に付け、主人も以前にも増して私を気遣ってくれる。私のガミガミは家族の中で「がん」だったのだ。本当に何も気付いていなかった。改めまして、こんな妻を、母を、色々ありがとう。これからも、宜しくお願いします。
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