第8回手塚治虫文化賞は、2003年に発売されたマンガ単行本を選考の対象にしました。一般読者やマンガ関係者による推薦結果を参考に、8人の社外選考委員がポイント投票を行いました。選考委員の持ち点は15点。1作品の最高点は5点で、使い切ることが原則です。
この1次選考で、上位を占めた作品の中から8作品を「マンガ大賞」の最終選考にノミネートし、最終選考会で審議した結果、マンガ大賞に岡崎京子氏の『ヘルタースケルター』が選ばれました。なお、1次選考の対象作品は別表に掲載しています。
また、選考委員の推薦結果をもとに審議した結果、「新生賞」には、『難波鉦異本』のもりもと崇氏、「短編賞」には、『OL進化論』などの秋月りす氏が選ばれました。
「特別賞」には、選考委員や関係者の推薦をもとに朝日新聞社で審議の結果、みなもと太郎氏が選ばれました。
選考委員プロフィール(敬称略・50音順)
■荒俣宏(あらまた・ひろし) 1947年東京都生まれ。作家、評論家、日本大学芸術学部研究所教授。博覧強記で知られ、テレビにも出演。著書『陰陽師ロード』『読み忘れ三国志』など。
■いしかわじゅん 1951年愛知県生まれ。マンガ家。小説、評論など多方面で活躍。『薔薇の木に薔薇の花咲く』『寒い朝』『だってサルなんだもん』『漫画の時間』『鉄槌!』など。
■香山リカ(かやま・りか) 1960年北海道生まれ。精神科医、帝塚山学院大学教授。 著書『多重化するリアル』『ぷちナショナリズム症候群』『若者の法則』など。
■呉智英(くれ・ともふさ) 1946年愛知県生まれ。評論家。近代主義批判を展開する一方、マンガ評論も手がける。著書『ロゴスの名はロゴス』『賢者の誘惑』『マンガ狂につける薬』『危険な思想家』など。
■清水勲(しみず・いさお) 1939年東京都生まれ。漫画・諷刺画研究者、帝京平成大学情報学部教授。フランス人画家のビゴーと近代漫画史を長年にわたり研究。著書『ビゴー日本素描集』『漫画の歴史』『サザエさんの正体』『江戸のまんが』など。
■関川夏央(せきかわ・なつお) 1949年新潟県生まれ。作家。著書『昭和時代回想』『白樺たちの大正』『二葉亭四迷の明治四十一年』など。第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した『「坊っちゃん」の時代』ではマンガの共作も手がけた。
■マット・ソーン(Matt THORN) 1965年アメリカ生まれ。文化人類学者、京都精華大学芸術学部マンガ学科助教授。ハーバード大学客員研究員。『風の谷のナウシカ』などを英訳。日本の少女マンガが女性に与える影響を文化人類学の立場から研究。
■萩尾望都(はぎお・もと) 1949年福岡県生まれ。マンガ家。 斬新な少女マンガを次々と発表。『ポーの一族』『11人いる!』『イグアナの娘』など。『残酷な神が支配する』で第1回手塚治虫文化賞マンガ優秀賞を受賞。
対象作品一覧 ※作品名をクリックするとコメント部分に移動できます。
最終選考
◆『ヘルタースケルター』 岡崎京子 (祥伝社)
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「ヘルタースケルター」 ©
岡崎京子/祥伝社 |
●いしかわじゅん 岡崎京子氏が、日本の漫画家の中で最も優れた表現者のひとりであることはいうまでもない。彼女の作品には、現代に生きることへの不安と孤独が満ちている。生きることは希望であると共に、生への恐怖を持つことだ。彼女は、それを描くことのできる、おそらく唯一の漫画家だろう。この恐怖に満ちた美しい物語は、賞に相応しい。しかし、できれば新作に対して与えたかった。
●香山リカ 実際に執筆されたのは10年近くも前(95〜96年)だが、まさに現代の若者たちが抱える自己不全感、顔や身体への執着などを予見的に描ききっており、今読んでもまったく古さを感じさせない。
●関川夏央 『ヘルタースケルター』は95年から96年にかけてかかれ、03 年、療養中の著者の閲を経て刊行された。
バブルとバブル後という不安な時代を、芸能アイドルの勃興と凋落のドラマで不安にえがききった。主人公が、人工的に勃興・凋落し、しかるに意志的・破壊的に再生するというこの物語は、悲劇と史劇の美しい骨格を備えている。
現代文学に大きな影響をおよぼした岡崎京子という天才を顕彰しないなら、手塚治虫文化賞の意味はどこにあるだろうと、私は考えた。
●萩尾望都 岡崎京子氏は、女性誌の作風を創った一人だ。その現代性、女性心理の洞察、キャラクターの描き方、その不安や葛藤の現し方、会話のセンス、どれをとっても、とびぬけてうまい。読みながら、1ページ1ページに、まいった、こんな描き方があったのかと、感じ入ってしまう。作者もまた、人間心理を深く追求して書いていることが、感じ取れる。
なかでも、この「ヘルタースケルター」は、恐い作品だ。ある理由で整形を繰り返す少女。表とウラの二つのペルソナ、その周辺の人々の虚と実。巧みな物語は表とウラを縫い合わせながら、その縫い目はどんどんほどけていく。ほつれ目の隙間からのぞく真実の顔。
この危うさ、鋭さは、岡崎京子氏にしか描けない。貴重な、まれな作品だと思う。
◆『NANA−ナナ−』 矢沢あい (集英社)
●マット・ソーン 『ナナ』にしても『パラダイスキス』にしても、矢沢氏の描くマンガの材料は「王道」でありながら常に最先端で今の若い女性の現実やあこがれを見事に映している。30年ほど前に水野英子氏の『ファイヤー!』や一条ゆかり氏の『デザイナー』がそうしたように、『ナナ』は「今」の女の子の心をしっかりつかんでいる。
◆『風雲児たち 幕末編』 みなもと太郎 (リイド社)
●呉 智英 四半世紀にわたり、歴史ギャグマンガを描き続けた。かかることは唯一無二です。海外でも高く評価され、東京大学の教材(もちろん歴史学のではない)にも使われている。「幕末編」のみ単独に考えるべきではなく、「風雲児たち」全体を評価したい。既に何度も、最有力候補にあがっており、このままでは、委員会の見識を問われることにもなる。
◆『少年少女』 福島聡 (エンターブレイン)
●いしかわじゅん 丁寧に描かれた正確な人間に、毎回唸らされる構成とアイデア。大手では花開かなかったが、自由に書ける環境を得て、伸び伸びと傑作を描いたと思う。少年と少女をキーワードに、人の存在の奥まで覗こうとするこの連作は、どの物語を取り上げても興味深く面白い。
◆『鋼の錬金術師』 荒川弘 (スクウェア・エニックス)
●香山リカ 久々の正統派成長物語だが、“痛み”や“自己犠牲”が全編を貫かれているところが現代的である。広く子どもたちを魅了しているところも評価すべき。
◆『ハチミツとクローバー』 羽海野チカ (集英社)
●マット・ソーン 今の若い世代の「問題点」に焦点を当てる女性向けのマンガが多い中、同じ世代の純粋なところ、可愛らしいところ、前向きなところを描いてくれるこの『ハチミツとクローバー』を読むと、心がきれいになっていく気にさえなれます。一人一人のキャラクターがかわいくて、これからも見守っていきたいと思う。
◆『舞姫テレプシコーラ』 山岸凉子 (メディアファクトリー)
●荒俣 宏 バレエする人々の肉体まことに凛々しく、しかも性的虐待をはじめとする現代の人間関係の泥を撥ねつけるがごとき姿に、もはや古典少女まんが得意のジャンルだった「憧れ物」の範疇を超える。
◆『まんが紀行 奥の細道』 すずき大和 (青山出版社)
●清水 勲 『奥の細道』の全行程を現地取材し、芭蕉の旅人生とその作品世界をリリカルなタッチで描いた本書は、芭蕉・俳句そして『奥の細道』の入門書として極めてすぐれている。
新生賞
◆もりもと崇 『難波鉦異本』 (少年画報社)
●いしかわじゅん 日本漫画の成熟度に感心する。市場のほとんどを占拠する大手ではなく、中堅出版社の、それも時代劇専門雑誌というニッチな場所からも、こんなものが平気で出てくる。達者な絵とか新しい絵とかではないが、丁寧な情景の描写に、優れたユーモアのセンスがある。一話ごとのアイデアも面白く、なによりも毎回なにを見せようかと作者が楽しんでいる様子が見て取れる。新人離れした新人だと思う。
●呉 智英 大坂の遊女たちを描く中に、人間の業の深さ、哀しさ、たくましさが現れている。情緒的な江戸時代讃美ではなく、ペンタッチ、構成とも新しい才能の出現を感じさせる。
●関川夏央 『難波鉦異本』には驚いた。呉智英氏に教えられて不敏な私は、この作品と作者を「発見」したのである。
時は延宝年間(1670年代)、すでに商業資本主義が完成の域に達した大坂の新町遊廓を舞台に、近世日本のリアリズムとロマンチシズムの混淆(こんこう)さ、忠実かつ奔放に表現して過不足がない。恐るべき作品というべきであろう。
短編賞
◆秋月りす 『OL進化論』(講談社)『かしましハウス』(竹書房)「おうちがいちばん」(朝日新聞be)など
●荒俣 宏 これだけ安定してほのぼのギャグを連発する持続力を評価。西原理恵子も推したいところだが、今回は『OL進化論』『かしましハウス』「おうちがいちばん」のスリートップで秋月を選んだ。
●香山リカ 日本の消費・文化の中心である“OL”の生活、心情を、男尊女卑でもフェミニズムでもない、独特の中立的立場から長年、描き続けた。
●清水 勲 日常のたわいないことをテーマに一級のギャグ四コマ漫画に仕上げている。どの作品も面白いという“笑いの打率”の高さもすごい。その女性らしい繊細な視点は多くの女性四コマ漫画作家に影響を与えた。朝日連載「おうちがいちばん」も質が高い。
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