■本賞選考方法
1998年中に発売されたマンガ単行本を対象に、本賞選考委員による一次選考を経て候補5作品を選び、さらに最終選考の投票で受賞作を決定しました。また、特別賞は選考委員の推薦をもとに本社が慎重に審議、決定しました。
■選考委員(50音順、敬称略)
荒俣宏(作家・評論家)、石上三登志(映画評論家)、いしかわじゅん(マンガ家)、大月隆寛(民俗学者)、岡田斗司夫(作家・評論家)、印口崇(評論家・マンガ専門店勤務)、唐沢俊一(評論家)、呉智英(評論家)、小松左京(SF作家)、斉藤由貴(女優)、里中満智子(マンガ家)、三代目魚武濱田成夫(詩人)、鈴木光司(作家)、関川夏央(作家・評論家)、高橋源一郎(作家)、タケカワユキヒデ(ミュージシャン)、長谷邦夫(マンガ家)、荷宮和子(評論家)、古川益蔵(マンガ専門古書店社長)、フレデリック・ショット(ノンフィクション作家)、村上知彦(評論家)、夢枕獏(作家)、養老孟司(解剖学者)、米沢嘉博(マンガ評論家・コミックマーケット代表)
1次選考は作品別に、最終選考は選考委員別に掲載
MONSTER
●石上三登志氏
昨年、一昨年の推薦理由と同じ。長期連載の場合、途中では大きな理由変化があるはずもない。結局は期待感の持続のみが重要であり、あとはもう「結末」でのカタルシスによって大きな変化があり得るということ。とりわけこのようなミステリ&サスペンス物では、そのことはきわめて大きいと思う。
●斉藤由貴氏
毎年でてるけど、ドラマ展開はやっぱりすごいうまい。ひきこまれる。
自分で次巻を買いに行ってしまう...。
●長谷邦夫氏
マンガ史上最長のノンストップ・ミステリアス・アクションと、いえます。
巻を重ねるごとに、MONSTERの闇と謎は深められていきます。そして登場してくる人間たちの狂気と攻撃性が、主人公の眼前で次つぎと展開され、えぐり出されています。
その結果、MONSTERとは、人間そのもののことか――という恐怖を突きつけられました。
舞台となるヨーロッパの背景描写も、絵画的で、素晴しい。
●フレデリック・ショット氏
ストーリーの展開が面白く、ますます引き込まれていきます。時には昔のテレビシリーズ「逃亡者」を思わせたり、「ベルリンの壁」の崩壊後のドイツを描いているこの物語はとても面白いです。それに浦沢さんの描く中年キャラの顔がいいですね。
●村上知彦氏
ベルリンの壁崩壊以後、よりどころを見失った時代精神の混乱を背景とする物語の骨格の大きさ。サスペンスをたたみかけて、次々と新たな謎を提示するエンターテインメントとしての技術水準。児童虐待とそれがもたらす心の傷を、異常犯罪を繰り返す天才的「悪の少年」の抱える心の闇に凝縮したテーマの今日性。どれをとっても一級品であり、結末の見えない緊張感の高まりの中でこそ、評価されるべき作品であるように思う。
●米沢嘉博氏
海外にも通用する極上のエンターテインメントであり、嫌味なく、しかも過不足のない表現と、読者を引きずり込むストーリーテリングは、今のところ、マンガ界でもベストといってもよい。SF以外で、外国に出せるとしたら、この作品あたりになるような気がする。前年に続いて、もう一度だけ推してみることにした。
神童
●いしかわじゅん氏
やや粒は小さいが、キチンと描かれた新しい世界。音を絵で体感させる描写力は、器用すぎて目立たなかったさそうに、もう一枚次のステージを開かせたと思う。
●呉智英氏
純愛や無垢を描くことがむづかしい時代に、抑制された描写でこれをなしとげたことがすばらしい。天才的なピアニストの少女が、凡庸な音楽大学生に恋をし、自分の気持ちが受け容れられず苛立つ、常識から見れば逆転した設定も、非常に効果的である。五十歳を過ぎた私が、自分をこの少女に重ね合わせて失恋を悲しんでいるのに気づき、驚愕した。これまで乾いたセックス・シーンをぶっきらぼうに描いてきた作者だからこそできた純愛物語である。
●フレデリック・ショット氏
このようなテーマを、こんなにも上手に描けるとは、さすが現代日本マンガ、と久しぶりに感じました。
●村上知彦氏
いわゆる神童ばかりが集まる、音楽エリートたちの奇妙な世界。そこに飛び込んだ小学生の天才少女ピアニスト・うたが巻き起こす、軽妙で奔放な音楽をめぐる大冒険。既成のどんなジャンルにもあてはめることが難しい、異色の作品である。"音"という絵にならないものにあえて挑み、"美"という抽象的な観念をまんがとして具体的に描きだして、読者に不思議な感動を与える。まんが表現に新しいページを加えたといえるかもしれない。
ベルセルク
●いしかわじゅん氏
剣と魔法のファンタジー系の物語は、いつの間にか漫画にも小説にも、一ジャンルとなるほど定着して根をおろしていたが、そのほとんどは、単にわかりやすい形をなぞっただけの安易なものだ。「ベルセルク」は、本来の、想像力と創造に富んだ、美しい物語だ。この世界を作り上げた三浦の力量は、賞に値すると思う。
●古川益蔵氏
これ程若い人の心をつかんだマンガは近来にないかもしれない。
作品自体の持つ普遍性からして世界に向けて流していくべき作品であろう。
作者はどう見ても天才である。
●夢枕獏氏
これまで、この賞の第一次選考は、完結した作品のみを個人的に対象にしてきたのだが、今回から、それをあらためざるを得なくなった。完結作品で選に入れたい作品が少なかったからであり、何よりも、本作品を読んでしまったからである。剣と魔法の物語群の中から、これほどパワフルで、読みごたえのある、しっかりした作品が出てくるとは思ってもみなかった。絵もすばらしい。三浦氏は、本作品ただ一本によって、他の凡百の同類作品を蹴ちらしてしまったと言っていいだろう。
UNTITLED
●関川夏央氏
「リバース・エッジ」などの作品で日本語表現に大きく影響を与え、多数の文学的エピゴーネンさえ生み出した悲劇の天才・岡崎京子を顕彰することに対して、私はほとんど義務感に似たものを持っている。
●村上知彦氏
不慮の交通事故以来、リハビリ療養を続けると伝えられる岡崎京子の「不在」は、まんがシーンを確実に寂しいものにしている。事故以前に企画され、中断していたこの作品集を、本人の校訂を待たずあえて出版に踏み切らせたのも、そのような時代に及ぼす影響の大きさに配慮してのものと思われる。全編に漂う死のイメージと、その裏返しのあいまいな生への共感。つげ義春から大島弓子まで、まんが史をまるごと自らの内に引き受けようという強い意志。作者が表現する鋭敏なリアリティにより、その「不在」さえもが現在へのすぐれた批評たりえている。
ドラゴンヘッド
●石上三登志氏
昨年、一昨年の推薦理由と同じ。
●いしかわじゅん氏
常に、前作とは違う場所にいこうとする姿勢は評価できる。この作品では、人間の存在に対する疑問にまで踏みこんでいる。ただのパニックものやシミュレーションものに終わらない画力と構成力はすごい。
● 小松左京氏
絵がよくてりりしくて男っぽくて好き。
The World Is Mine
●呉智英氏
青年の持つ不条理な自意識と破壊衝動、対するに長い人生の中で身につけた大人たちのリアルな社会認識、この二つを両極とし、その中間で、愛だの正義だのというイデオロギーにすがる多数派の人々。この三者が不可解な怪獣が出現するという設定の中でみごとに接点を見出し、ぶつかり会う。これだけの素材をこのように料理しうる力技と、マンガならではの破天荒さを高く評価したい。
●村上知彦氏
無差別殺戮を繰り返す二人の若者と、海を渡ってきた巨大な怪物。二つの圧倒的な暴力が、青森の山中で交錯する。「宮本から君へ」で見せた新井英樹の暑苦しいまでの暴力性が、あらゆる常識を超え、良識を逆なでしながら歯止めをなくして暴走している。この得体の知れない物語を支えるのは、脇役として登場するさまざまに歪んだ「常識人」たちが、いずれも奇妙に魅力的なことだ。自閉的に感じられることの多い昨今のまんがのなかで、それを逆にエネルギーへと変換しようとする作者の無謀さが貴重だ。
あずみ
●鈴木光司氏
魅力的なキャラクターを次々に登場させたかと思えば、惜し気もなく葬り去ってゆく。にもかかわらず、また新たなキャラクターを作り出す......。これはなかなかたいへんなことだ。作り出されるキャラクターも類型に陥ってはいない。血飛沫をあげる殺陣も見事。しかし、それにしても、小山ゆうの作品はなんと愛に満ちていることだろう。
●古川益蔵氏
現在、時代物のマンガは数少ない。
そのテーマの不人気度からしてさけるべき背景かも知れないが、あえて小山ゆう氏は時代劇にチャレンジして来た。
"あずみ"というマンガのテーマからしてどうしてもそうした背景が必要だったのだろう。
人間の生と死、女の性、男の生き様、愛と力、多くの人類のテーマがひたすら真剣に"面白さ"というフィルターを透して語られている。
弥次喜多
in DEEP
●小松左京氏
天才的ギャグ。
みどりのマキバオー
●大月隆寛氏
大量生産・大量消費の文化商品である週刊誌マンガのさまざまな制約の中で、読者との相互性で物語を盛り上げてゆくプロセスが圧巻だった。ジャンルの境界が不分明になって久しい少年マンガとしても正攻法の作品と思う。
●里中満智子氏
絵の上手下手より、マンガは表情の描き方とキャラクターの描き分けが大切、一見下手に見えても、馬それぞれの個性が見事に描き分けられている。また、感動の大きさがすごい。素直に喜び泣けて感動する。
ARMS
●印口崇氏
ともかく皆川亮二のまんがは、躍動感にあふれ、ダイナミックに展開するドラマが気持ちがいい。その中に仲間との友情、親と子の情、亡くなった者への哀惜がしっかりと織り込まれ、大いなる感動をよぶ。
●タケカワユキヒデ氏
メカを扱ったSF作品にもかかわらず、少年たちが精神的に成長する姿が感動的だ。渇いた作品が多いなかで、夢を与えてくれる数少ない作品のうちの一つだと思う。
月下の棋士
●フレデリック・ショット氏
自分は将棋をほとんどやったことがないですが、将棋の世界をマンガで描くなら、これが一つの傑作ではないかと思います。画力は勿論、ストーリー展開もとてもいいです。能條さんの絵は一つの瞬間を凍結し、紙の上で二次元でそれを殆ど完ぺきに表す不思議な力を持っています。
センチメントの季節
●斉藤由貴氏
「セックス」を扱っているけれど、物語にすごく色あいがあって、絵が悲しくて、でも内容はかなりドギつくて、ドキドキしてよんだ。
●米沢嘉博氏
極めて今的な女の子たちの居る風景を描いた連作。日常の断面の切り取り方がうまく、女の子たちの言葉のリアルさが、読み手をドキッとさせてくれる。かつての青年マンガの持っていた空気が、このような形で出てくるとは思っていなかった。時代の気分を映すマンガという鏡の一例として。
IWAMAL
●タケカワユキヒデ氏
動物と人間はどう付き合っていったらいいのか、また、動物としての人間は、この地球上でどう生きていったらいいのか、地球環境保全が世界的な関心事になっている昨今、この難しいテーマにまっこうから立ち向かい、尚かつエンターテインメント作品としても成功している。世界中に日本発の漫画として読ませてみたい作品だ。
石神伝説
●小松左京氏
実は日本のフォークロアの下にある恐ろしいものに挑戦した勇気を買う。
●米沢嘉博氏
かつてSF界で人気のあった伝奇ロマンも昨今、全く描かれなくなってしまった。昔からのSFファンでもあるとり・みきが、自らのルーツに真正面から挑戦したこの伝奇SFは、様々な事柄をジグゾウパズルのように組み合せながら、壮大な破壊のダイナミズムを描いており、久しぶりにスリリングな物語の面白さを味わわせてくれる。
ウォッチメン(日本語版)
●岡田斗司夫氏
日本のマンガを見慣れた目からすると、地味なコマ運びやセリフの多さが目に付く。しかしこの作品の場合は、それが「アメコミ」の可能性を拡げ、表現を豊かにするツールとして機能している。「ウォッチメン以前、以後」という表現がコミック界で使用されているほど、コミックスを永遠に変えてしまった名作。
大阪豆ゴハン
●関川夏央氏
不思議な明るさとユーモアに満たされた名作。マンガがこれまでになってきた「地域文化研究の物語化」という主題の現代的代表作。
カイジ
●荒俣宏氏
昨年、ギャンブルに関する仕事をしたことで「発見」した。今まで注目してこなかった人だが、この『カイジ』は第一巻から興奮しっぱなしで読んだ。これまでの多くのギャンブルまんがが「アウトロー」や「ろくでなし」を描いていたのに対し、福本の作品は「革命」だ。「クーデター」だ。
学園天国
●荒俣宏氏
唐沢なをきの作品は、いつも「やりすぎ」のようでいて「やらなすぎ」という、何とも奇妙な味をもつ。昨年の場合も傑作を残し、高く評価したのだが、注目されなかった。今回は最高点で手塚賞に送りこむ。
カリクラ
●唐沢俊一氏
マンガを他の"アート"と一線を画させているアヤシゲさ、"変"さをきわだたせた作品。他の作者がのきなみ高い作画技術をウリにしている現状の中、マンガは技術ではなく、個性だ、という基本にあらためて気づかせてくれる。
グラップラー刃牙
●夢枕獏氏
キャラクターをたてる、という作業をさせたら、現在、作者の板垣恵介は漫画界のトップクラスである。本作でも、これでもかこれでもかとおしげもなく様々なアイデアでキャラクターをたててゆき、そのキャラクターが、もののみごとにやぶれ去ってゆく。このいさぎよさ。現在、主人公は、世界最強を決めるトーナメントに出場中であるが、漫画界でも前人未到のこの三十二人トーナメントの全てのキャラを立ててしまうというのは、作者が並ならぬエネルギーの持ち主であることを証明するものだろう。
こどものおもちゃ
●荷宮和子氏
「人は誰でも一本は小説を書ける、自分のことを書けばいいからだ」という言い回しがあるが、あれはデマである。自分のことを小説に書ける人間、漫画に描ける人間などほとんどいないからこそ、身に覚えのあることを、小説なり漫画なりに仕上げてくれた作家の作品に対して、客は金を払うのだ。
小花は、読者が追体験したいと願っている感情を、エンターテインメントに仕上げる才能に長けた作家である。しかも、小花の作品の最大の美点は、少なからぬ読者にとって身に覚えのある状況におかれた登場人物たちが、現実の人間よりも前向きな点にある。そのことの最もわかりやすい例として、過去の苦い体験のため心を病んだヒロインの状況を説明する医者に対し、ヒロインの恋人は、「くだらねえ、んなこたどーでもいいんだよ!本当にそうだとしても関係ねーよ!」と言い放つ場面が挙げられる。
比較して、凡百の作品、そして現実の人間の大部分は、他者の過去の苦い体験を「理解できない、理解しようともしない」上で、「くだらねえ、んなことどーでもいいんだよ!」といった無神経な言葉を投げつける。それが現実だからこそ、他の作家の作品には、ましてや現実には、めったに登場しない「他者の痛みが分かった上で、前向きに生きようと語る人物」が登場する「こどちゃ」は傑作であるのだ。
更にもう一点、コンドームを使わずにセックスしようとした主人公達に向かって、「別に...私は怒ってるんじゃないのよ...この先も長く幸せにつきあっていきたいのなら性はまじめに考えなさい」と語る母親が登場する作品を、児童向け雑誌に連載し、ヒットさせた功績も称えたい。女ならば納得できるが男は認めようとはしない、こういった類の価値観を流通させることが困難なこの国で、小花のやってみせたことは快挙であると言えるのだから。
西遊奇伝・大猿王
●印口崇氏
CGによるオールカラーまんがと独創的なデザインワークが目をひく。特にPainterによるカラーリング手法はCGまんがの到来を告げている。それにも増して誰もが知る題材を大胆に演出し、独自の世界観を作り上げた話作りのうまさが大いに評価される。
静かの海
●養老孟司氏
地味ではあるが、マンガに新しい境地を拓いた。
多重人格探偵 サイコ
●印口崇氏
人と奥深い狂気を田島昭宇はファッショナブルな感性で描き、陰惨さを感じさせないところが、若い読者の支持をえていると思う。田島の端正な筆致は、虚構の事件をリアルに描き込み、現実の社会の裏面を提示している。淡々とした描写でありながら、そのリアル感によってこれほど衝撃をうけたまんがは他にはない!!
ねこぢるまんじゅう
●唐沢俊一氏
急逝惜しまれる作者の遺作集。マンガの歴史始まって以来、「悪意」というテーマをここまで昇華させた作者はいない。どの作品も質においてほとんど差がなく、これ一作、と絞るのがむづかしいが、作者(山野氏)の推薦でオビを書かせてもらった縁もあって、この本を挙げておく。
ハッピー・マニア
●唐沢俊一氏
内田春菊から西原理恵子につながる女性マンガ家の系譜の、正当的後継者。テーマ性が少々ロコツにミエすぎるきらいがあるが、それも未熟のためというよりは、語りたいことがあふれているためだろう。
百鬼夜行抄
●夢枕獏氏
以前にもこの作品を選んでいる。あいかわらずに、水準の高い作品であり、現代において、このような"あやかし"の出る作品を描くとしたら、まさにこうあるべしという見本のごとき作品である。線もきれいで美しい。常にある水準をたもった仕事をするというのは、その才能もさることながら、作者の作品によせる志の高さがなければならない。頭が下がる作品である。
ギャンブルレーサー
●大月隆寛氏
仕事としてのギャンブルを生きる競輪選手の暮らしを描いた力作。荒唐無稽な英雄譚でもなく、といって、マニアックな内幕ものにも偏らず、マンガの媒体としては後発のメディアだった青年誌ならではの成熟を見せてくれる。
国立博物館物語
●石上三登志氏
手塚治虫のSFと秋玲二の"勉強マンガ"をたして2で割ったような、新鮮さとなつかしさの同居した、きわめてマンガらしいマンガである。博物館とテーマパーク・プロジェクト、古生物学とバーチャルリアリティ......「古き皮に」的な面白さ抜群。「絵」としての楽しさも秀逸!
新ゴーマニズム宣言SPECIAL
戦争論
●大月隆寛氏
周知の通り、その内容については新聞から総合雑誌まで巻き込んで大きな反響と議論を呼んだが、日本のマンガ表現としても、こういう思想・言論に関わる分野に切り込んで行ける可能性があるということを示した功績は大きい。
●呉智英氏
この作品中に述べられた大東亜戦争論の中心部分は、既に一九六〇年に存在していたものである。これについては別段強い賛意を表すつもりはなく、むしろ批判的(ただし建設的な)言論の出現を期待したいほどだ。しかし、ここに述べられたような主張がこれまでほとんど若者たちに到達していなかったのに、マンガという形式、小林よしのりという作家によって、いとも易々と彼らの心を動かしえたことを高く評価したい。若者論(若者は"革新的"であるという通念)、マンガ論(マンガは"反体制的"であるという通念)、平和論(平和について、国家について、外交についてのもろもろの通念)が根底的に考え直されなければならないことを教えた重要な一冊である。
天然コケッコー
●長谷邦夫氏
都会風に傾斜しがちなマンガ群にあって、これは「地方」の男女学生と、その周辺の日常を描き出したユニークな作品です。
少女マンガのラブストーリィは、記号やシンボルとして消費されるため、その感情表現がゲーム的に見えますが、この作品は、そこから脱れ得ています。
日常的平凡さの中で、チャーミングな感情のゆらぎがとらえられ、キャラクターが鮮やかに見えた。そんな逆説的な面白さに満ちた作品でした。
乾いたタッチの絵も、見るべきものが多いのです。
東山道転墜異聞
●荷宮和子氏
まだ若いのにすごい、と言うべきなのか。それとも、まだ若いからこそ描ける、と言うべきなのか。
掲載誌はいわゆる「ジュネ」系、つまり「男同士の恋愛を女性読者のために描いた作品だけを集めた」雑誌である。近ごろでは、「男同士ならば切ないラブストーリーが成り立つから」という理由からではなく、「男同士の話は男女の話よりも売れるから」といった理由によって描かれた作品が見かけられるようになってしまったこのジャンルだが、すべての作家がそうだというわけではもちろんない。加えて、中村の場合は、男同士の切ないラブストーリーだけではなく、98年冬のコミックマーケットで発表された「降り晴る雪」のような、男と女の切ないラブストーリーもちゃんと描ける、両刀遣いの作家なのである。
だからといって何もこんなに高得点を与えることもないではないか、といった指摘もあるだろう。が、個人的に、将来性が感じられる作家を「新人」の段階で見つけたのは、73年にデビューした太刀掛秀子以来のことであり、しかも中村の場合は、同人誌の段階から気にかけていた作家であるため、感慨もひとしおなのだ。
とはいうものの、正直なところ、きっと大成する、と保証する自信はない。いやむしろ、こんなに才能があるのに、多分、本人も周囲もそのことには気づいていないんだろうな、と思えるだけに、将来が不安な作家ではある。が、これだけは確実に言える。竹宮恵子、萩尾望都、木原敏江の後継者がいない、とお嘆きの方におすすめの作家です、と。
夢の木の下で
●呉智英氏
漫画界に屹立する異才のレパートリーの中ではやや傍流に属する"架空蛮地"ものであるが、現在これだけアレゴリカルな傑作を描ける人は、文学など他ジャンルを見ても諸星大二郎以外にはいない。アレゴリーでありながらつまらぬ教訓臭はなく、妙にリアルな幻想世界が実感できる。シリーズ第一作から二十年を経て単行本化されるというのも、諸星の非凡な才能を側面から証明している。
ルサルカは還らない
●岡田斗司夫氏
永らくマンガから遠ざかっていた作者の復帰作。ソ連・東欧連合崩壊という今世紀最大の事件の裏面に、架空のごく僅かな架空技術を混ぜて「もう一つの世紀末」を作り出した手腕は見事。セリフの練り込み、設定のリアリティなど、文学ではとうてい到達できない高みを完成させた。
1・2の三四郎 2
●大月隆寛氏
前作『1・2の三四郎』から二十年ほどを隔てて、「オレが今までいかに平和で楽しくのほほんと生きてきたか教えてやるわい」という主人公の宣言と共に復活した続編。少年マンガで成功したキャラクターの成熟という難しいテーマに挑んで健闘した。
TOKYO TRIBE
2
●米沢嘉博氏
いわばチーマーや族の抗争の物語なのだが、パースペクティブの歪んだ独自のスタイルと近未来の都市を描いて、極めてポップである。オシャレというのではない、図型的な今を感じさせてくれると同時に、妙に懐しい物語が、普遍的な少年たちの世界を甦らせてもいる。
あじさいの唄
●里中満智子氏
あじわいがあって誠実さを感じる。インパクトやパワーは弱いが、しみじみと心にのこる手作りの焼菓子のような作品。
陰陽師
●荒俣宏氏
この連載も、夢枕さんやボクなどが舌を巻くほどディープな知識と空想とに裏打ちされているにもかかわらず、この賞ではまだ陽が当たらない。高得点を入れるしかない。
輝夜姫
●村上知彦氏
近年、小粒になりつつある少女まんがのなかで、スケールの大きさでは間違いなく群を抜く。世界の要人の子弟の臓器スペアとして、絶海の孤島でひそかに育てられたクローン人間たちの悲劇と、そこから始まる復讐劇。かぐや姫伝説に現代の遺伝子操作技術をからめて、美男美女が自らの存在の意味を探る少女まんがらしいSFに仕立てている。使い古された感のある"自分探し"が、また別の説得力を持って迫ってくる。
加治隆介の議
●鈴木光司氏
主人公の政治姿勢や、打ち出してくる政策に、共感できる。ときどき泣かせてくれる手腕は実にたいしたものだ。
ガラスの仮面
●荷宮和子氏
「ガラスの仮面」はなぜ面白いのだろう。こんなにも長期にわたる連載でありながら、なぜ途中で読者を飽きさせることなく、支持を集めつづけているのだろう。
なぜならば、この作品は、「恋=マヤとその魂のかたわれである紫のバラの人」と「仕事=女優としての終生の夢である紅天女」と「友情=マヤとそのライバルである亜弓」のためにがんばるヒロインを筆頭として、「恋と仕事と友情」に生きる女達を描いた物語であるからだ。
人間にとって、これら三つは必要不可欠なものである。とはいうものの、どれほど努力をしようとも、それらすべてに対する欲求を満足させることは難しい。いや、最初は多少の努力はしたとしても、いずれは努力すること自体放棄してしまうのが、平凡な人間であると言えるだろう。それが当り前の現実であるからこそ、ドラマなり映画なり小説なりの登場人物に感情移入することで、普通の人間はその欠落を埋めることを望むのだ。そして、そんな欲求に答えることこそが、大衆娯楽の役割であるはずなのだ。
それでは、なぜある時期から、突然に少女漫画が、女性向け娯楽メディアとしての急成長をとげたのだろうか。
なぜならば、既成のいわゆる「大衆向け」娯楽作品が、「大衆向け」と称しながら、その実、男の登場人物だけがいい思いをする内容のものでしかなかったからである。仮に女を主人公とした、女の成長物語といった形がとられていたにしても、往々にしてその中身とは「恋か仕事かどっちかを選べ、女なんだからどちらか一つはあきらめろ、女のくせに両方共欲しいなんて図々しいことをいうな」的内容でしかなかったからである。ましてや「友情」にいたっては、「女みたいに劣等な生き物が、色欲に基づいた感情ならばともかく、友情のような高級な感情を抱けるわけがない」という既成概念によって、ほとんど黙殺されてきたのが現実なのである。このように、小説だの映画だの「なんで男が『女の一生』を描くんだよ、男のくせに勝手な真似すんじゃねえよ」と言いたくなるメディアが多々ある状況の中、少女漫画が果たしてきた役割は、非常に大きい。
今から20年以上昔、他のメディアにおいてはそんな状況が当り前だった時代、世間、すなわち「大人の男達」の目を盗むようにして様々な少女漫画雑誌が、女達のための作品を発表する場として発達しつつあった。そのうちの一つ、「別冊マーガレット」のエース作家的存在だったのが美内すずえである。当時、美内と同様の立場にいた作家達の何人かは、今ではそういった場から姿を消している。それはそれで当然のことであり、健全なことでもある。それゆえに、今もなお「大衆向け娯楽作品」の王道的内容の新作を発表しつづけている美内は、手塚治虫文化賞にふさわしい作家である。
木槌の誘い
●荒俣宏氏
水木翁と一緒に取材にも同行し、できあがっていく過程をつぶさに見ることができた。近来にない、水木翁の本気の作品。目撃者がいうのだから、まちがいない!!
ギャラリーフェイク
●タケカワユキヒデ氏
アートとその奥に隠された秘話、そして、それにまつわる人々の思い。一話一話の作品完成までの苦労が感じられる。特に、作者の並々ならぬ取材への執念には敬服する。何十年経っても、古くならないだろう。
狂四郎2030
●岡田斗司夫氏
スラップスティック・ギャグを得意とする作者が初めて挑んだ作品。「遺伝子改造」「日本の右傾化」「架空現実」「管理社会」などの超現代的な問題を題材としながらも、自らの出自である「下品なギャグ」の切れ味はいささかも衰えてはいない。
くるくるピッ
●斉藤由貴氏
夢は「教育的指導」という奴なのだけれど、見方が当然女の人の視線で、「あーこういう奴いる!!」という世の中の困ったちゃんについての意見がおもしろい。本当は「別れたら好きな人」にしたかったケド。スミマセン。
詩人ケン
●呉智英氏
傑作「自虐の詩」以後、やや気迷いの感があった業田良家が新しい方向を見出したことを証明する秀作である。近代的・戦後的諸価値(独創、自由、個性・・・)が何も生み出しえず、通俗的保守思想しか人々を支えきれないかに見える昨今、自信を持って人生を論じられる作家が登場してきたことは心強い。
●長谷邦夫氏
短篇ギャグナンセンスものに、詩情を持ち込んだのは西原理恵子でしたが、業田良家は「詩」そのものを投入して、驚かせました。
詩的なものと、詩作品とは、似ているようで、実は距離がかなりあるものです。
その距離感を近づけることなく、むしろ遠ざけることに腐心した作者の物語作りが、面白い。詩人という、成立しにくいキャラクターを、見事に立てています。わきに登場する男たちの顔の描写も、性格表現に富み、作品に存在感を与えています。
鉄鍋のジャン!
●米沢嘉博氏
ピカロタイプの主人公像を格斗中華料理マンガの中で魅力的にしてしまう構成力もいいが、何といってもそのパワフルなドラマ展開が、いい。とかく、元気のなくなってしまったマンガ界において、少年マンガ本来の持っていたバカバカしいまでのパワーを感じさせ、アイデアたっぷりに見せてくれるこの作品は、貴重だ。
東京タイムマシン
●岡田斗司夫氏
歴史観を共有できない「新人類」以後の世代による、新しい「教養もの」の誕生である。単なる懐かしものと捉えられがちだが、その視点ははるかに高い。今の東京を歩くことにより作者は「歴史」を、そして現代に繋がる「歴史と我々の関係」を発見するのだ。
なのにあなたは会社へ行くの
●里中満智子氏
絵は決して上手とは言えないが、風刺マンガとして独自のスタイルを築きつつある。画力よりも画風が作品を決めるのがマンガだという良い例だと思う。
のたり松太郎
●タケカワユキヒデ氏
二十年以上にわたって書き続けられている作品が、今だに少しも古くなることなしに生き続け、そして、読者に愛されていることは、もう奇跡としかいいようがない。松太郎は日本で一番人気のある相撲取りに違いない。
パタリロ
●里中満智子氏
こんなに長く、しかも独自のスタイルで描きつづけるのは並大抵の努力ではないし、作者のこだわりと美学がこの長い年月を支えている。
フラグメンツ
●長谷邦夫氏
赤本マンガ時代、手塚治虫のキスシーン描写にはじまった"子供マンガ"は、エロティックなシーンを、その後も大量に産み続けました。そこに"青年マンガ"が併走しはじめると、それは、より加速され、90年代にひとつの頂点に達しました。その代表作品とも言えるのがこの作品です。少女期の性的欲望を、屈折した情感で、クールに描いています。彼女たちの行為は、旧世代が求めた「青春」を、丸ごと喪失していく過程だということが、何より新鮮で、ショックです。痛みに満ちた若い世代の性が、不思議なユーモアの中にも漂っています。
無限の住人
●フレデリック・ショット氏
「無限の住人」はかなり長く続いている現代風時代物ともいえます。「不死剣士卍」が今でも死なずに面白く活躍していますし、沙村さんの画力やページ構成力は衰えることなく今でも息を飲むところがあります。
め組の大吾
●里中満智子氏
正統派の感動もの。
オーソドックスな手法だが、丁寧に誠実につくり上げられた作品で「奇をてらわなくてもここまで魅せられる」という良い例。
夕焼けの詩
●古川益蔵氏
オリジナリティを基準にすれば間違いなくこの人、西岸氏の作品はトップクラスであろう。
日本人独特のみずみずしい感性があふれたマンガの1コマ1コマは、誰の心にも郷愁を呼び起す。
また私達が忘れ去ろうとしている昭和の日本の情緒や風景を描きとどめていてもくれる。こういう人こそ人間国宝にすべきではないだろうか。
ONE PIECE
●長谷邦夫氏
明るく元気よく、大きな夢を持った少年マンガだと、言ってしまうと、平凡に聞えますが、この作品には、それに加えて、野放図で野性味あふれる着想の面白さが、詰まっています。
『ドラゴンボール』が終ったあとの、夢の大地と海原を、カッコよく、騒がしく、切り拓いている。
ゲーム的マンガになんか、なることなく、コマの枠からはみ出して、遊び続けろと旗を振りたくなるマンガです。
王家の紋章
●古川益蔵氏
デビュー当時からあまり変らないよく描き込まれた絵柄と遠大なテーマで長年に亘って描き続けられているこの作品は実に多くの読者を持つ。
おたんこナース
●斉藤由貴氏
毎度ながらちゃんと取材していて、"今の病気"もとりあげられていて、けっこうじーんとしてしまう。
同じ月を見ている
●石上三登志氏
まだ一冊目ゆえ、まるで展開は読めないが、魅力的なキャラクターたちのスリリングな錯綜によって、奇妙にのせられてしまう、異質の"青春ドラマ(?)"。それにしても、プロローグのみでの評価は、昨年の『「坊っちゃん」の時代』のような完結後の評価にくらべ、あきらかにソンである。
恐怖マンガ Collection
●石上三登志氏
昨年の推薦理由と同じ。ただし、この場合はコレクションでありアンソロジーであるため、短篇の量的な充実感はきわめて重要だろう。
サラリーマン金太郎
●タケカワユキヒデ氏
パワーのある漫画が少なくなった今、これだけのパワーをずっと作品にみなぎらせて、読者に元気を与え、そして、不況で萎え切っている社会にまでも喝を与えようとしている作者はスゴイ。
ライン
●荷宮和子氏
私だって神戸で生まれ育ったのに、私だって神戸の高台にある男女共学の大学に通ってたのに、私だってピンクハウスやインゲボルグを着てトアロードを歩いていたのに、私だって三ノ宮のそごうや元町の大丸をこらしめに行ってたのに、私だってOPAで働いていたのに、私だって梅春物だのなんだのの洋服の仕入れをしていたのに、私だって税金のお仕事をしている男
の子と仲良かったのに、私だって年下の男の子と付き合ってたのに、それなのに、どうして私は西村作品のヒロインみたくなれなかったのか!?
あっ、ブスだからか。
西村しのぶは、神戸出身の読者に、以上のような感想を味わわせる作家である。登場人物が美男美女だらけである、神戸を舞台にしながら標準語をしゃべっている等々、ところどころに「こんなもん、嘘に決まっとうわいや」、神戸っ子にそう言わせる描写がありながら、だ。なぜかと言えば、西村のつく嘘は、読者に不快な気分を味わわせたりはしないからである。心地よい嘘を見せて欲しい、そう思えばこそ、客は金を払うのだ。
大衆娯楽の使命の一つとは「金を払った人間が、自分のことを棚にあげ、登場人物に感情移入をすることで身の程知らずな夢を見ることが出来るよう、手助けすること」である。
ましてや、「ああいう場面は好きじゃないなあ」「ああいう展開は好きじゃないなあ」、客にこういった感想を抱かせないことは、エンターテインメントとしての必須条件のはずである。にもかかわらず、また、漫画に限らず、現在の日本で発表されている娯楽作品の場合、「ラブストーリー=男が勝手にでっちあげた『持てる男』と、男好きのする複数の女との間で繰り広げられる泥試合」、という図式におさまってしまうものが珍しくない。本賞の選考委員の構成からも明らかなように、まだまだこの国では、男の作り手、男の受け手の声の大きさばかりが目立っている、という現実があるのだ。その結果、娯楽作品としてのラブストーリーを楽しみたいという時でさえ、女にとっては不快だが男にとっては不愉快でもなんでもない、いや、むしろ喜ばしい場面に対して文句を言わず付き合う、という義務が、女の客には課せられてしまっている。このような状況だからこそ、女が金を払ったとしても腹立たしさを感じずにすむ類の作品を見極め、知らしめることもまた、少女漫画というジャンルを作り出した手塚氏の遺志に沿うもののはずである。
西村しのぶは、女にとって安心できる作家の筆頭である。もっとも、少し以前の作品では、たとえば「一番やりたい男とのセックスをセーブして、二番目に好きな男と付き合う女」といった形で、女のつっぱりを表現しようとしているのではないか、そう思える場面がままあった。「こいつ、自分のことを奔放な女だと思わせたくて、無理してるんじゃあないのかなあ」、ついついそういう突っ込みを入れたくなってしまい、ふと現実に引き戻されてしまったのだ。
が、最近の作品、たとえばこの「ライン」の場合は、「幸せなセックスをしている女は50メートル先からでもわかる」、そう称される女がヒロインである。登場人物達が妙なつっぱりをせず、「好きな男とやりたいだけやる」といった形で、人生のおいしいところを味わって生きていこうとしているため、読者は、より一層のカタルシスを味わえるようになったのである。もちろん、西村ならではの心地よいギャグ、そして「主要登場人物=貧乏とか自立とか反抗とかゆう要素を根底に秘めた、センスがよくて仕事が出来る女達」という「西村作品としてのお約束」は守った上で、である。やる気と能力と見目のよさを兼ね備えた女達が、恋と仕事と友達を当り前のものとして手に入れる、そんなお話をこれからもどんどん描き続けていって欲しい。
X(エックス)
●古川益蔵氏
同人誌市場から出て来た作者である(グループ)。
先発組の尾崎南や高河ゆんをしのぐ人気の源は、弱年層に受ける画風にある事は明白だが、何よりもセンス、時代を先取りした感性が若い人達を魅了する様だ。
風光る
●荷宮和子氏
産業革命は「自由」という夢を、フランス革命は「平等」という幻を求めた。他方、明治維新とは、「植民地になんかなりたくない!」という切実な願いを実現するための、単なる緊急避難だった。この緊急避難を実現するために大変な労力が必要だったことは認めるが、素晴らしい行為だったとほめることは難しい。しょせん、緊急避難は緊急避難でしかないからだ。そう、危機を回避できた段階で、理想の実現に移るべきだったのだ。にもかかわらず「そんな面倒くさいことはいやだ」と考える男達が、いや、それどころか「せっかく手に入れた既得権を誰が手放すもんか」と考える男達が権力を握り続けてしまった。その結果があの戦争だったと言えるだろう。
女にとって過去の歴史、とりわけ日本の過去の事実を見つめるということは、屈辱を味わい、嫌悪と憎悪と憤怒の感情をかきたてられる、という苦痛をあらかじめ覚悟せざるを得ない行為である。だとするならば、女にとって漫画が娯楽となりうるジャンルとは、もしかしたらSFあるいはファンタジーだけなのではなかろうか。過去の日本を舞台に、女向け娯楽作品など作れるはずがないではないか。
そんな絶望感を拭いとってくれる作品が「風光る」である。作者のあとがきによると、この作品は、司馬遼太郎の小説も含め、既成の新選組物に触発されたために描き始めたものだ、とのことである。にもかかわらず、実はこの作品は、司馬遼太郎を筆頭とする、今までの日本で「正しい価値観」として扱われてきた「男の論理」を否定する作品なのである。普通ならば物語の核となったであろうエピソードである「ヒロインの復讐譚」を早々に終わらせることで、この作品は、「明治維新=男の論者達によって一方的に今まで正しいとされていたこと」を「否定する作業=あんた達の先生(桂小五郎)はいったいどんな国を作ろうというんだっ」を始めたのだ。おそらくは、作者自身でさえ気付かないうちに。
その道のりの遠さを思うと、気が遠くなってくる。だが、少女向け漫画雑誌という、ある意味で「野放し」状態のメディアだからこそ、実行可能な暴挙であるともいえるだろう。そう、「風光る」は、今から二十年以上前、男の歴史学者とは異なる視点で、すなわち「女も人間である」と考える立場から、フランス革命を語り直してみせた女性作家がいたこと(「ベルサイユのばら」池田理代子)を、改めて思い出させてくれる作品なのだ。
結婚よそうよ
●斉藤由貴氏
絵は少女マンガなのに内容はほとんど「男!!」なところが松苗さんのスゴイところ。「(結婚)よそうかな...」と思ってしまう...。
致死量ドーリス
●荒俣宏氏
マイペースのまんが家の典型だと思う。
本格的ドラマ系、物語系マンガとはテーストの違う作家群の中で、今回は推薦しないが、古屋兎丸とともに強力に賞賛したい人。
最終選考 コメント
荒俣 宏 氏
前回以来同じ作品が候補にあがってくるので、年次の区別がだんだんつかなくなってくる。
今回はすでに前回別の形で推した岡崎京子の作品がノミネートされたので、この切なさを一位としたい。
さそうあきらの『神童』もおもしろく読めたが、絵に毒がなさすぎるので次点。
ふだん読んでいるアクション物や問題作の『MONSTER』『ベルセルク』『ドラゴンヘッド』は、何度も候補となり旬を外れた感じがして、本来はもっといい点をつけるべきかもしれないが、持ち点上、こういうことになった。三作内では絵のタッチが好みの『ベルセルク』を上位とした。
石上 三登志 氏
手塚治虫文化賞の第一回から『MONSTER』を推薦している私としては、これで通読四回目。ユニークなスケール、多彩な人物群像、ドラマティックな魅力とインパクトは、第一回での印象と変らず、そのことがまだ完結していないにもかかわらず、この作品の評価をすでに決定的にしていると信じます。
いしかわ じゅん 氏
『ベルセルク』
その圧倒的な想像力。ゆるぎない世界観。異界の物の見事な造形。それになによりも、主要登場人物たちの魅力。どれを取っても心踊る見事さだ。
『神童』
飛びぬけた華やかさはないが、作者の資質が、静かに花開いている。長い間、器用ではあるが小さくまとまりすぎている感のあった作者だが、この作品では、対象を確かにとらえて、高い視点でまとめることができている。
『MONSTER』
正確な絵と構成が光る。長く大きなテーマを、ブレることなく描き続けられる力は特筆される。
『ドラゴンヘッド』
長い連載でありながら、読者を引っ張り続ける筆力と、身近な結論に落としてしまわず進み続ける精神力に感嘆する。
大月 隆寛 氏
今回は、最後の最後まで迷った。第一回、第二回と最終選考には実はほとんど迷いはなかった。一次選考で自分の推した作品が残っていなくても、あがってきた作品の中から最もふさわしいものを選ぶのにそれほど苦労はなかった。
けれども、今回は本当に困った。まずありていに言って、ノミネートされたどの作品も決定打に欠ける印象なのだ。改めて読み直してみてもその印象は動かされることはなかった。『ベルセルク』はもちろん気宇壮大な物語への志が気持ちいいし、『MONSTER』もこの人らしい安定した力量を示している。『神童』もよく練られた野心作だし、全貌が未だ見えないながら『ドラゴンヘッド』も頑張っている。
けれども、どれもすとんと腑に落ちるものがないのだ。おそらく、それは作品そのものの責任というよりも、賞という特定の磁場の中での読まれ方の問題なのだと思う。いずれ厳しい市場で目の肥えた日本の読み手の評価にさらされてきた作品ばかり。小さな賞の限られた条件での評価など、本当はどうでもいいものだとは思う。そして何より、その市場での評価の確かさ、<その他おおぜい>の眼の間違いなさこそが日本のマンガの栄光だと思う。
そうやってあれこれ悩み抜いた末に、『UNTITLED』を選んだ。
もとより、岡崎京子のベストではない。それは僕だけでない、誠実なマンガ読みならばまずほとんどの人が認めることだろう。また、賞というものの本質からすれば、その描き手のベストの作品、ないしは作品集にあげるのが一番だろう。
けれども、だ。「手塚治虫文化賞」の「文化賞」というところに免じて、この作品集に収められた作品というだけでなく、岡崎京子という描き手とその仕事全般というところまで敢えて焦点をぼかして、こういう決断をさせてもらった。彼女と彼女の仕事がこれから先、賞と名のつくものによって認められることはまずないだろう。でも、たとえそれがどんなにくだらない儀礼に過ぎないものであったとしても、岡崎京子が何も賞を与えられないままだったというのは、やはりこの国のマンガにとってさびしい、恥ずかしいことだと思うのだ。
持ち点15点のうち、枠いっぱいの5点を『UNTITLED』に。最終選考は単勝一点勝負が礼儀、という例年の流儀に従って、残りの10点は保留、ないしは権利放棄ということにさせていただきます。悪しからず。
岡田 斗司夫 氏
『MONSTER』は、巻を重ねるにつれて登場キャラクターが多くなるが、けっしてステレオタイプの人物を描かず、多様な「この世に一人しかいない」キャラを描き出している。
『神童』は、淡々と進むストーリーにもかかわらず、スケールの大きな「物語」を作り上げたことに感動。特に主人公・うたの耳が聞こえなくなって以後の展開に打たれた。
『ベルセルク』。 70年代後半、米国で空前のファンタジーブームの中、日本にもこれを輸入しようとする試みは次々と失敗した。そして80年代、パソコンやゲーム機のRPGブームと重なるように、日本にもやっとファンタジー世界を舞台としたマンガ、小説が出てきたが、どれも設定にふり廻されたり、逆に生かしきれなかったりと、「やはり日本人にファンタジーはムリか...」とタメ息をついてしまう作品が多かった。そこでこの『ベルセルク』、やっとファンタジー世界を己が血肉とした、骨太の作品の登場だ。まっていたカイがあったなぁ。
印口 崇 氏
『ベルセルク』
ひたすら、まっすぐなドラマ展開が良い。安易な展開に陥ることもなく、過酷な運命を真向から、主人公に受け入れさせ、一人の男がどう生きるか、を真摯にみつめた傑作。本来、昨年のアニメでもりあがっている時に、二次選考まで残ってほしかった。
『神童』
非常に淡白な作品だ。今時、珍しいくらい過剰な描写もなく、ゆるやかにドラマが展開するさそうあきらの淡白な絵柄がこの作品のドラマ性をしっかりとみつめるのにうるさくなく、そこも良かったと思う。幅広い年齢層に読まれてほしい作品だ。
『MONSTER』
もろ、浦沢直樹のドラマ仕立てのうまさが読者をひっぱっていく。現在の娯楽まんがの王道ともいうべき作品だ。
唐沢 俊一 氏
『MONSTER』
いわゆる大衆文学の役割をマンガが代行するようになった時以来の、最も完成度の高い作品のひとつ。読者の興味を常に引きつけさせ続ける力量はプロとしての技量の到達点を示している。
芸術派の作品への評価に比較して、今のマンガ界はこのような作品に対する評価が不当に低くないだろうか。
呉 智英 氏
『神童』
(一次のコメントと同)
『UNTITLED』
刹那的にも見える若者たちの風俗を一見肯定的に描いているように見えながら、その言動の中に時代の閉塞感をにじませている。未完成のまま、事故と長期療養のため単行本刊行せざるをえなかったのが惜しまれる。
『ドラゴンヘッド』
終末テーマの作品として出色である。破滅的な極限状況の中にある人間の心理の不思議さがまことに巧みに表現されている。登場人物たちの顔が類型的でなく、リアリティを感じさせるのも、この作者の力量である。
里中 満智子 氏
『神童』
画面から音が聞こえてくる。「音楽」という(あるいは音そのもの)、マンガでは一番表現しにくいものをみごとに描ききっている。それぞれのエピソードも、説得力とこだわりに満ちていて感動をおぼえる。絵は器用ではないが味わいがあり、テーマを生かすに必要な画力があれば充分。
『MONSTER』
力作。内面へふみこむテーマを描く場合、ついついドラマの流れがとどこおってしまいがちになるが、この作品はちゃんと、しかもみごとにドラマチックに組み立ててあり、とにかくあきさせない。ワンシーンしか出てこない人物についても性格描写がみごとで、キャラクターを描き分ける画力と共に、作品の奥ゆきを作り出している。人の存在理由について考えさせられる名作。
鈴木 光司 氏
『神童』
ある種の才能を持った人間は常にコミックのヒーローとなり得る。これまでは、ヒーローの条件として、高い運動能力や超能力を有する場合が多かったように思う。いくら野球をからめてあるとはいえ、目に見えない音への感性をテーマにしたコミックは新鮮である。ピアノや音楽に対する個人的な好みもあって、今回はこの作品に最高点を入れた。娘たちにもぜひ読ませたいと思わせるコミックはなかなか少ないが、これはもちろん読ませたい部類だ。
『MONSTER』
小説としても十分通用し得る緻密な構成が魅力である。統一後のドイツが舞台になっているのだが、昨今の日本の子供たちが起こす事件を思うと、じわじわと日常性が忍び寄ってくるような恐怖がある。
関川 夏央 氏
『UNTITLED』に関しては、一次選考票とおなじ。
『ドラゴンヘッド』は、さらに読みたい。
『神童』は、ある種の野心作ということはわかるが、物語が野心に見合わずご都合主義的なところが気になる。
『MOSNTER』は、なぜ舞台がヨーロッパで主人公が日本人なのか、やはりわからない。達者であることは認めるにしても、これでは30年前の五木寛之の、より巧みな物語にすぎないように思う。
『ベルセルク』は、まったく理解できない。
高橋 源一郎 氏
『MONSTER』、『ベルセルク』、『ドラゴンヘッド』は似通ったテーマを持った(強大な、暗い、闇の力)作品であり、どれも読み出すと止まらない秀れた娯楽作品であるが、差をつけることも難しい。
逆に『神童』は、明るさの極地を追求していて、マンガ表現の文法により添いながら、決して保守的にならず、なにより読後感がすばらしい。ただ1つを選ぶならこれ。
『UNTITLED』は岡崎京子のもしかしたら「遺作」となるものだが、この才能を中途で失ってしまったことが、どれほどの損失であったかと呆然とさせられた。
タケカワ ユキヒデ 氏
『ベルセルク』
圧倒的な画力で表現される美と興奮。非日常の中に構築された日常での安堵と胸の昴り。そして、その日常を再度裏切る非日常への恐怖と憎悪。
この作品には、新しい時代のまんがの魅力のすべてが満ちている。
『MONSTER』
異常犯罪者を中心にしたストーリーが良くできている。話が陰鬱なわりに、全体としては暗く悲惨なイメージがないのは、絵柄が少年マンガのせいだ。新しくて、古い、優れた作品だ。
『ドラゴンヘッド』
人の内に巣くう狂気と向き合い、それでも、必死に生き続ける主人公たち。作者は、主人公たちを、生き続けさせることによって、生きていることのダイナミズムを浮き彫りにすることに成功している。
初回からとぎれることのない緊張感もすばらしい。
長谷 邦夫 氏
『神童』は、音を絵にしてみようという冒険・実験にまでは至っていないが、新しい発見のある作品でした。全体にユーモアを失わず、音楽世界のニュアンス、その面白さを見事に伝えていると思う。
『ベルセルク』は一貫して、パワフルなキャラクター造形が、続いている。背景となる世界構築にも力がそそがれ、グロテスク描写も読者をあきさせない。
『ドラゴンヘッド』。文句ない作品で高い評価は当然だが、終結へ向けて失速気味なのが残念です。
『UNTITLED』。彼女の作品には、他にもっと秀れたものが多いと思います。
『MONSTER』に関しては前回記しました。
荷宮 和子 氏
『神童』
「聞こえる人と同じ様に音楽をできるようになってもしょうがないのです。そういうものを乗り越えた聾の音楽があるはずです」
この作品全体を貫く健全な価値観(道徳的に正しい、とか、そういった意味じゃあありません...念のため)のあらわれに、たとえばこの台詞が挙げられる。
「手話」とは、「健常者と同じ話し方が出来ないかわいそうな人達が仕方なく使っている手段」では決してなく、「少数言語の一つ」なのである。
そんな内容の話を聞いたことがあるが、『神童』は、そういった類の価値観を、「面白い」大衆娯楽へと仕上げてみせた作品なのだ。
なぜ『神童』が大衆娯楽なのかといえば、『神童』は読者に、「心地よい嘘」をついてくれたから、である。
『神童』には、音楽に関心のある人間ならば「どこかできいたことがあるなあ」、音楽をかじったことのある人間ならば「覚えがあるなあ」、そんな風に思えるエピソードの数々が登場する。だがそれらは、いつのまにか、「そんなアホな...」といった、現実にはありえない展開をみせる。しかし、それでいて最後には、「ああ面白かった」、そんな気分にしてくれたのである。
こういった作品こそが、金をとって許されるわけで、その意味で『神童』は、「金を払って買った読者に、絶対に損をさせない」作品である、と言えるのだ。
個人的には、「うたちゃんのママ」が好きです。普通の男性向け漫画では、こういう立場のキャラクターは、「ヒロインの不幸を演出するための道具としてのバカ女」扱いされるのが常ですが、「うたちゃんのママ」は、妙にひょうきんで、バイタリティーにあふれていて、素敵です。
『MONSTER』
ストーリーテリングが大きな要素をしめている作品であるのにまだ物語が完結していないということ、そして、ついつい前作『マスター・キートン』の素晴らしさと比較してしまうということ、この二点から、今回の大賞候補として一推しすることにはためらいを感じた。満点をつけるか否かは、完結後に改めてかんがえたい。
昨年書いたこの一文が、今年もあてはまるため、この点数となった。
フレデリック・ショット 氏
『UNTITLED』
恋人、友だち、家族、人間関係や内面世界に重点を置いているこの作品は日本の女性マンガの伝統を継承しているが、それとは別にとても不思議な魅力を持っています。柔らかい、優しい世界ですが、決して軽薄ではない。男性だろうと女性だろうと大人の誰もが共鳴できるはずのところがある。絵もとてもうまく、トーンの使い方にも感動しました。
『ドラゴンヘッド』(前回コメントの追加)
異様な環境の中で展開するこの物語はずっとテンションを保ちつづけていて、読んでいるだけで思わず全身が緊張してしまう。
村上 知彦 氏
今回はほんとうに悩みました。読み返す度に順位が入れ替わり、実はいまも決めかねています。いっそ、すべて同点とも思いましたが、それでは棄権と変わりなくなってしまいますので、何らかの判断を下すのが責務と、腹をくくることにしました。
『UNTITLED』には、岡崎京子のこれまでの仕事を含めて、やはりこの機会に評価しておきたい気持ちが強く、少し高い配点となりました。『神童』の表現の新しさと娯楽性との融合、『MONSTER』の緻密に構築された作品世界の説得力、どちらも極めて魅力的で同点とするほかありませんでした。
『ベルセルク』の圧倒的な物語性や、『ドラゴンヘッド』のどこまでも続く闇と恐怖の表現力も、きわめて高い水準にあることは疑いなく、それらに差をつける基準など本来は見つけようもないものに思えます。これらをやや低い配点としたのは、ただ現時点でのぼくにとってのアクチュアリティとでもいうほかない、恣意的なものでしかないことは告白しておくべきだと思います。つまり、たぶん別の機会に譲ったほうが、ぼくのなかでは納得のいくものになるのではないか、という、極めて個人的な理由です。うまく説明できなくて申しわけないのですが、ぼくのなかの何かとぴたりと重なるために『ベルセルク』はほんの少し遅すぎ、『ドラゴンヘッド』はもう少し時間がかかりそうです。
一次選考で挙げなかった両作品の、個別の選考理由を付記しておきます。
『ドラゴンヘッド』
これは闇の中で迷うことについての作品なのだろう。地下からの脱出をとげて、作品を覆う迷宮性はますます高まってきた。空間を密室化する画面の密度。級数の大きいネームを使用することでフキダシの空白を極度に少なくするなど、計算された圧迫感は、読者を必然的に人間の内面の闇へと誘う。おそらく、どこへも脱出できない物語の、出口に待ち受ける最後の闇を見届けたい。
『ベルセルク』
さいしょ混沌とした物語に、よくある異界ファンタジーかとたかをくくっていたら、「鷹の団」をめぐる主人公の背負うものの克明で執拗な描写に、圧倒的に引き込まれた。唐突な例かもしれないが、こういう興奮は小学生の時、貸本屋で借りて読んだ『忍者武芸帳』以来のような気がする。いまどきの、世界設定ばかりが肥大したひよわな「物語」にはない、語られざるをえない物語の暴力的なまでの力強さを感じる。
米沢 嘉博 氏
物語のスケールの大きさとその面白さから、『MONSTER』をまず推す。今しばらくは、手塚マンガの継承の中から作品を見ていきたいからだ。しかもこの作品は天馬博士が生み出したモンスターというもう一つのアトムの物語でもあるのだし、『BJ』『アドルフに告ぐ』など手塚マンガへのオマージュともとれるモチーフが自覚的に下敷きにもされている。技術的にも申し分ない。
『ドラゴンヘッド』は最終章に入り、クライマックスに向けて走り出し、本来持っていたテーマ、物語そのものの謎が、明らかにされようとしている時でもあり、マンガを週刊誌で読む楽しさを味わわせてくれる。アクチュアルな「今」を代表するマンガだろう。
『ベルセルク』は迫力あるヒロイックファンタジーとして楽しみに読み続けてきたマンガだが、TVアニメ化もあって、ようやっと一般の知るところとなった。が、こうした普遍性のあるマンガは、別に「今」である必要もない。98年という時点の中では、逆に連載は後退しているように思えた。
『神童』は、ユニークなテーマと独自のスタイルで、作品の力もあるのだが、個人的にこの絵は好きになれない。とはいえ、さそうあきらがやっと描いた代表作であることはまちがいない。
病床にある岡崎京子の新刊は、かなり前の中断していた連載が、未完のまままとめられたもので、話題性はあるものの、ベストとはいえず、こういう形で選ぶわけにはいかないと、考える。
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