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08月22日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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ベトナム戦争

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  • ベトナム戦争(2016年02月06日 朝刊)

    第2次世界大戦後の冷戦下、インドシナ半島の旧フランス植民地で起きた戦争。親米のベトナム共和国(南ベトナム)の独裁政権打倒をめざして1960年12月、南ベトナム解放民族戦線が結成され、共産主義のベトナム民主共和国(北ベトナム)が支援した。米軍は65年2月から国境を越えて北ベトナムに大規模な空爆(北爆)を開始。73年1月に米軍の撤退を主内容とするパリ協定が調印され、南ベトナム政府は75年4月に無条件降伏。ベトナム人の犠牲者は軍民合わせて120万〜170万人という推計がある。

  • インドシナ難民(2016年05月23日 朝刊)

    1975年のベトナム戦争終結後、社会主義体制になったベトナム、ラオス、カンボジアからは、迫害や混乱を恐れる300万人以上がボートや陸路で国を脱出。日本政府は78〜2005年にかけて約1万1千人を受け入れた。神奈川県は80〜98年に大和定住促進センターが置かれたこともあり、全国有数の多住地域。横浜市北西部から県央、湘南などに住む。

  • インドシナ難民と神奈川県(2009年03月27日 朝刊)

    75年のベトナム戦争終結後に社会主義体制になったベトナム、カンボジア、ラオスのインドシナ3国から、迫害を恐れたり国の将来に不安を持ったりした140万人以上が逃れて難民となった。日本政府は78年以降、約1万1千人のインドシナ難民の定住を認めた。難民事業本部によると、昨年3月時点のインドシナ難民定住者は9931人で、2番目に多い兵庫県の1613人を大きく上回る3603人が県内に在住。国連難民高等弁務官事務所駐日事務所などによると、大和市に難民事業本部の定住促進センターがあったことや県が県営住宅の入居資格制限の緩和措置をとったこと、自動車関連産業を中心に単純労働職場が多かったことなどが県内にインドシナ難民が多い理由だという。

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(ナガサキノート)被爆の記憶、なくても語る(2017/8/18)

■川副忠子さん(1944年生まれ) 被爆したことは覚えていないけれど、自身の「体験」のかけらを集め、それを語ろうとしている被爆者もいる。 「1945年8月9日午前11時2分。私はいったい、どうなってい[続きを読む]

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写真

  • 現在の寺井田バス停のあたりから見下ろす町=長崎市
  • 母親に抱かれた自身(写真右端)が写っている「安全への逃避」を見るフエさん(右)と沢田サタさん=16日、鬼室黎撮影
  • 母親に抱かれた自身(写真右端)が写っている「安全への逃避」を見るグエン・ティ・フエさん(右)と沢田サタさん=16日午前、東京都中央区、鬼室黎撮影
  • ベトナム戦争の経験を語るグエン・タン・フエンさん
  • ピュリツァー賞受賞作「安全への逃避」=1965年9月6日、ベトナム中部・ロクチュアン村(ゲッティ・イメージズ提供)
  • 完成した壁画の一部。白いハトやハスが描かれている(ベトナム・ホーチミンの戦争証跡博物館、内本さん提供)
  • 沢田教一が写した東南アジアの子供たち
  • インタビューに応じるスリン前ASEAN事務局長=バンコク、貝瀬秋彦撮影
  • フィリピンの首都マニラで7日、東南アジア諸国連合(ASEAN)の一連の外相会議の中で開かれた東アジアサミット外相会議=AFP時事
  • 岩田信市さん
  • ピュリツァー賞を受賞した「安全への逃避」=鯖江市長泉寺町1丁目
  • 討論するパネリストたち
  • 「戦場のブラックボード」
  • 佐藤賢一さん
  • 「ブランカとギター弾き」
  • 「STAR SAND-星砂物語-」
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