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06月26日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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北方領土

■北方領土の返還論

  •  第2次大戦をめぐり、日本と連合国側の国々が結んだサンフランシスコ講和条約(1951年)で、日本は千島列島の放棄を受け入れた。だが、条約は千島列島の範囲を明示しておらず、日本国内には4島の放棄に対する根強い反対論があった。一方で、米国が率いる連合軍最高司令部は終戦直後に、日本の範囲として、千島列島、歯舞群島、色丹島を除外すると定義した。続きを読む

     ソ連の最高実力者スターリンの死後、55年6月に始まった日ソの平和条約交渉で、ソ連側は北方四島のうち、歯舞、色丹の2島引き渡しを打診。日本側もこの案で、妥結に向けて傾いた時期があった。一方で、日ソ接近を嫌う米国は当時、四島一括返還でないなら沖縄も返さないと日本側に伝達。56年9月には覚書を発出し、四島のうち択捉、国後の名前を挙げ「常に日本の固有の領土」と従来の見解を翻し、交渉に釘を刺した。続きを読む

     同年10月、日本はソ連と領土交渉で妥結できぬまま、日ソ共同宣言に調印。ソ連との国交回復を優先させた。宣言では、平和条約締結後に歯舞、色丹の日本への引き渡しが明記されたが、日本は長く、4島一括返還を求めて、ソ連(のちのロシア)との交渉を続けてきた。

     ソ連は冷戦期には、「領土問題は存在しない」と態度を硬化させたが、冷戦終結をもたらしたゴルバチョフ氏の登場で変化が生まれる。ゴルバチョフ大統領は91年4月に来日し、海部俊樹首相と「日ソ共同宣言」に署名。北方四島の呼称が初めて公式文書に盛り込まれた。同年10月には訪ロした中山太郎外相がソ連のゴルバチョフ大統領に、「4島の帰属」を確認して問題を決着させる必要性を訴え、「4島一括返還」から要求を修正する。

     ソ連崩壊後の経済難を受け、93年10月にはエリツィン大統領が細川護熙首相と「東京宣言」に調印。四島全体が交渉対象だと認めた。さらに、98年4月、静岡県伊東市川奈で、橋本龍太郎首相がエリツィン大統領と会談。日本側は、「4島の北に国境線があることを確認できれば、4島がロシアの施政下にある現状を『合法』と認め、当面は日本に渡さなくてもよい」という妥協案を秘密裏に提示。帰属が確認できれば、返還時期にはこだわらないという大胆な「川奈提案」を行った。だが、ロシア側は同年11月、小渕恵三首相にこの提案への拒否を伝えた。

     現在、ロシア側は「4島はロシアの主権下にあり、第2次大戦の結果」(プーチン大統領)としており、4島の返還について、極めて厳しい姿勢をとり続けている。

  •  ソ連崩壊直後の1992年3月21日、訪日したロシアのコーズィレフ外相が、渡辺美智雄外相に、平和条約を結んで歯舞、色丹を引き渡し、国後、択捉について協議を続ける、との秘密提案を行った。ソ連・ロシア側が北方領土問題で、過去最も譲歩した内容だとされる。だが、ロシア国内の反発もあり、交渉は不調に終わる。続きを読む

     2001年3月、当時の森喜朗首相とプーチン大統領がイルクーツク声明を出し、平和条約交渉の出発点は日ソ共同宣言だと確認した。森氏は「歯舞、色丹の引き渡し条件」と「国後、択捉の帰属問題」に分けて話し合う「同時並行協議」を打診。しかし、今度は日本国内で「択捉、国後を置き去りにする」との批判が起きる。さらに、後任の小泉純一郎政権では田中真紀子外相が鈴木宗男衆院議員や外務省と対立し、対ロ外交が迷走した。

     ソ連も合意した日ソ共同宣言では、平和条約締結後に歯舞、色丹の引き渡しを定めているが、国後、択捉についての記載は無い。プーチン大統領もかつて、「必要なのは受け入れ可能な妥協だ。『引き分け』のようなものだ」と朝日新聞などの取材に語っていた。

  •  2006年12月、当時の麻生太郎外相が衆院外務委員会で、北方領土問題の解決策として「択捉島の約25%を(国後、色丹、歯舞の)残り3島にくっつけると、50(対)50の比率になる。双方が納得する形で解決しないといけない」と述べる。続きを読む面積を2等分した解決策を提示。具体的な意図は不明だが、プーチン大統領も2012年3月、領土問題について「必要なのは受け入れ可能な妥協だ。『引き分け』のようなものだ」と朝日新聞などの取材に語っていた。ロシアはかつて、中国との国境画定交渉で2等分して妥結した経験がある。

  •  2006年12月、当時の麻生太郎外相が衆院外務委員会で、北方領土問題の解決策として「択捉島の約25%を(国後、色丹、歯舞の)残り3島にくっつけると、50(対)50の比率になる。双方が納得する形で解決しないといけない」と述べる。面積を2等分した解決策を提示。具体的な意図は不明だが、プーチン大統領も2012年3月、領土問題について「必要なのは受け入れ可能な妥協だ。『引き分け』のようなものだ」と朝日新聞などの取材に語っていた。ロシアはかつて、フィンランドとの海域画定交渉や、中国との国境画定交渉で、それぞれを2等分して妥結した経験がある。

■日ロ首脳会談

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日ロ、「特別な制度」交渉開始で合意 共同経済活動(2016/12/16)

 安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領は16日午後、2日間にわたる首脳会談を終え、首相公邸で共同記者会見を行った。 安倍首相は北方領土問題を含む平和条約締結問題について、両首脳の間で「私たちの世代、私たちの手で終止符を打たなければならないと……[続きを読む]

〈日ロ首脳合意のポイント〉

・平和条約締結問題を解決する双方の決意を確認

・北方四島で共同経済活動を行うため、特別な制度についての交渉開始で合意

・共同経済活動は、平和条約締結問題に関する双方の立場を害さないという認識で一致

・元島民の墓参など自由往来の改善検討で合意

・「8項目の経済協力プラン」に基づく事業の推進で合意

■日本とロシア・ソ連の国境の変遷

■北方領土をめぐる日ロや関係国の主な動き

    • 日本
      主な首相
    • ソ連・ロシア
      最高指導者
      • 主な出来事
      • の項目をクリックで出来事の詳細が確認できます。
    • 1855
    • 2

      日露通好条約(日露和親条約)調印。択捉島以南を日本領と確認

      1855年2月7日に下田で調印された。日露和親条約、下田条約とも呼ばれる。第2条で、両国の国境を択捉島とウルップ(得撫)島の間と定めた。択捉以南の北方四島は日本領とされ、樺太(サハリン)については国境を設けず、両国民の混住地とすることが決まった。日本政府が1981年に閣議で決めた「北方領土の日」(2月7日)はこの条約の締結日に由来する。
    • 1875
    • 5

      樺太(サハリン)千島交換条約署名。千島列島全島が日本領、樺太をロシア領に

      1875年5月7日、当時のロシアの首都サンクトペテルブルクで調印された。混住の地だった樺太は天然資源が豊富で、明治期にも日露両国民の紛争が絶えなかった。しかし、明治政府は南下するロシアに対抗することが難しく、樺太の権利を放棄し、ロシア領だった千島列島すべて(ウルップ島以北の18島)と交換した。
    • 1905
    • 9

      ポーツマス条約。ロシアが樺太南部を日本に譲与

      1905年9月5日、米国のポーツマスで結ばれた、日露戦争の講和条約。米大統領ルーズベルトが仲介した。日本はロシアから、樺太の南半分(北緯50度以南)を割譲されたほか、中国・満州の南満州鉄道などを得た。
    • 1922
    • 12

      ソビエト社会主義共和国連邦成立

    • 1939
    • 9

      第2次大戦勃発

    • 1941
    • 4

      日ソ中立条約調印

      8

      大西洋憲章。米英が大戦での領土不拡大を宣言

      1941年8月、大西洋上の英国軍艦で、米国のルーズベルト大統領と英国のチャーチル首相が調印し、同月14日に公表された。第2次大戦に伴う領土の不拡大がうたわれている。翌9月24日には、ソ連政府も、内容に賛意を表明した。
      9

      ソ連も大西洋憲章に参加

    • 1943
    • 11

      43年11月 カイロ宣言。米英と中華民国が大戦での領土不拡大を宣言

      1943年11月27日、カイロで、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、中国国民政府の蔣介石主席が署名した。第2次大戦での対日方針を定めている。戦争に伴う領土の不拡大をうたい、日本の無条件降伏にも言及している。その内容は、のちの連合国の基本方針になり、ポツダム宣言に継承された。
    • 1945
    • 2

      ヤルタ協定。米英ソが署名。千島列島をソ連に引き渡すことで合意

      左からチャーチル、ルーズベルト、スターリン

      1945年2月11日、ソ連の保養地ヤルタで、ソ連の最高指導者スターリン、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相が署名した。1年間、秘密にされた。第2次大戦でドイツの降伏後、ソ連が対日参戦し、その見返りとしてソ連に日本から千島列島を引き渡させ、樺太南部を返還させることなどが決められた。協定の内容は領土不拡大をうたったカイロ宣言に反している。
      4

      ソ連が日ソ中立条約不延長を通告

      89

      ソ連が対日参戦

      1945年4月、ソ連は日ソ中立条約の不延長を日本に通告した。その後、当時はまだ有効だった同条約を無視し、45年8月9日に対日参戦。日本がポツダム宣言を受諾後の同年8月18日に千島列島への攻撃を始め、遅くとも9月5日までに千島列島と北方領土を占領した。約1万7千人の日本人島民はその後、退去させられた。
      814

      日本がポツダム宣言受諾

      1945年7月26日、米英中が日本に対し、無条件降伏を求めた文書。ソ連ものちに加わった。日本政府は、広島・長崎への原爆投下とソ連の宣戦布告後、8月14日に天皇が出席する御前会議でようやく受諾を決め、翌15日に「玉音放送」で日本国民に敗戦を伝えた。宣言は全13項。カイロ宣言の条項の履行や、日本の主権が本州、北海道、九州と四国のほか、連合国が決める諸島に限定されるとうたっている。
      9

      ソ連が5日までに千島列島と北方領土を占領

      1945年9月2日、日本政府の重光葵(しげみつまもる)外相が、東京湾の米戦艦ミズーリ号で降伏文書に署名した。ソ連の最高指導者スターリンは同日、「今日、日本は敗北を認め、無条件降伏文書に署名した。このことは南樺太と千島列島がソ連邦に移り、(中略)日本の侵略から我が国を防衛する基地として役立つようになる」と国民に呼びかけた。ロシアは2010年7月、9月2日を「大戦終結の日」とする法改正をし、連邦レベルの記念日とした。
    • 1946
    • 1

      連合軍最高司令部訓令(SCAPIN)第677号。日本の範囲から千島列島、歯舞群島、色丹島を除外と定義

      2

      ソ連が南サハリン州を設置し、北方領土を含むクリル諸島を同州に編入

    • 1947
    • 1948
    • 1949
    • 1950
    • 1951
    • 9

      サンフランシスコ講和条約署名。日本は千島列島を放棄。列島の範囲は明示されず

      昭和天皇の認証を受けたサンフランシスコ講和条約批准書

      1951年9月8日、米サンフランシスコで、日本が米国など48カ国と署名した。冷戦を背景に共産圏の旧ソ連、旧チェコスロバキア、ポーランドは署名を拒否した。翌52年4月28日に発効し、連合国による日本占領が終わった。日本は独立を回復し、千島列島、南樺太などを放棄。沖縄や小笠原諸島、奄美群島は本土復帰までの間、米国の施政下に残った。また、吉田茂首相は講和条約の受諾演説で、次のように語った。「日本開国の当時、千島南部の2島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアもなんら異議をはさまなかったのであります」「千島列島および樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島および歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります」
      10

      外務省の西村熊雄・条約局長が衆院特別委員会で答弁。「(講和)条約にある千島列島の範囲は、北千島と南千島の両者を含む」

    • 1952
    • 1953
    • 3

      ソ連の最高実力者スターリンが死去。フルシチョフ第1書記が平和共存外交を主張し、東西冷戦に一時的な「雪解け」

    • 1954
    • 1955
    • 1

      ソ連が日本に国交正常化交渉の呼びかけ

      2

      日本が対ソ交渉入りを閣議で決定

      6

      ロンドンで日ソ交渉開始。ソ連側は歯舞、色丹の2島引き渡しを打診

    • 1956
    • 2

      外務省の森下国雄・政務次官が衆院外務委員会で政府統一見解を述べる。「南千島、すなわち国後、択捉は常に日本の領土。(講和)条約にいう千島列島の中にも両島は含まれていない」

      8

      日ソ交渉に絡み、ダレス米国務長官が、4島一括返還でないなら沖縄は返さないとの趣旨を日本に伝達。米の従来見解を変え、日ソ接近を牽制

      9

      日ソ交渉に対する米国覚書。「択捉、国後は(歯舞、色丹とともに)常に固有の日本領土」

      10

      日ソ共同宣言。日ソ国交が回復。平和条約締結後に歯舞、色丹の日本引き渡しを明記

      1956年10月19日、モスクワで鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が署名。両国議会の批准承認を経て、12月12日に発効した。第2次大戦の日本とソ連の戦争状態を終わらせ、両国の外交関係を回復させる内容。領土問題については「日ソ両国が外交関係を回復した後も平和条約締結交渉を続ける」「ソ連は平和条約締結後に、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡す」という規定がある。米国は日ソ交渉途中の56年9月7日、「ヤルタ協定は、単に当事国の当時の首脳が共通の目標を陳述した文書に過ぎない」「当事国による何らの最終決定をなすものでもなく、領土移転のいかなる法律的効果を持つものでない」とする覚書を出し、択捉島、国後島も日本領だとする見解を示した。当時は冷戦期で、交渉の妥結で日ソが接近するのを阻もうとしたのではないかという指摘がある。
    • 1957
    • 1958
    • 1959
    • 1960
    • 1

      ソ連の対日覚書。日米安保条約に反発し、歯舞、色丹の引き渡し条件として米軍の日本撤退を要求

      1960年1月27日、改定した日米安保条約の締結に反発し、ソ連は対日覚書を出した。その中で、色丹、歯舞の2島引き渡しに米軍撤退という新条件を付けた。「新条約がソ連と中国に向けられたものであることを考慮し、これらの諸島を日本に引き渡すことによって、外国軍隊によって使用せられる領土が拡大せられるがごときことを促進することはできない」としている。
    • 1961
    • 1962
    • 1963
    • 1964
    • 1965
    • 1966
    • 1967
    • 1968
    • 1969
    • 1970
    • 1971
    • 1972
    • 1973
    • 10

      田中角栄首相が訪ソ。平和条約締結交渉の継続で合意

    • 1974
    • 1975
    • 1976
    • 1977
    • 1978
    • 1979
    • 1980
    • 1981
    • 1

      「北方領土の日」(2月7日)の設定に関する閣議了解

      1981年1月6日、鈴木善幸内閣が閣議了解で、毎年2月7日を「北方領土の日」と定めた。北方領土問題に対する国民の関心と理解を深め、返還運動の全国的な盛り上がりを図ることを狙っている。1855年に伊豆・下田で、択捉島以南の北方四島が日本の領土と定められた日露通好条約の調印日に由来する。ソ連はこの記念日制定に対し、81年1月20日に、「ソ連に対する非友好的でかつソ日関係において達成された肯定的な成果を破綻(はたん)に導く行為である」「存在しない『領土問題』を人工的にあおるために日本政府がどのような措置をとろうとも、ソ連の立場がこのために変わることはありえない(略)」との口頭声明を出した。
    • 1982
    • 1983
    • 1984
    • 1985
    • 3

      チェルネンコ書記長死去、後継にゴルバチョフ氏

    • 1986
    • 5

      安倍晋太郎外相とゴルバチョフ書記長による「日ソ共同コミュニケ」。平和条約締結交渉の継続を確認

    • 1987
    • 1988
    • 1989
    • 12

      マルタで米ソ首脳会談。冷戦終結宣言

    • 1990
    • 1991
    • 4

      ソ連のゴルバチョフ大統領が訪日。日ソ共同声明で、ソ連側は、4島の名前を具体的に書き、領土画定の問題の存在を初めて文書で認める

      12

      ソ連崩壊。ロシア連邦誕生

    • 1992
    • 4

      ビザなし交流開始

    • 1993
    • 10

      細川護熙首相がエリツィン大統領と「東京宣言」。4島の名前を列挙し、交渉対象に

      1993年10月13日、東京で、細川護熙首相とロシアのエリツィン大統領が署名した。北方領土問題について4島の名前を列挙し、「帰属に関する問題」を解決して平和条約を早期に締結すると合意した。日本と旧ソ連の間の条約をロシアが引き継ぐことも確認しており、エリツィン氏は記者会見で、平和条約締結後の歯舞、色丹両島の引き渡しを約束した56年の日ソ共同宣言の有効性も確認した。
    • 1994
    • 1995
    • 1996
    • 1997
    • 11

      橋本龍太郎首相とエリツィン大統領が「クラスノヤルスク合意」。「東京宣言に基づき2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」

      1997年11月2日、ロシア・シベリアのクラスノヤルスクで、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領が非公式会談し、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力をつくす」ことで合意した。また、包括的な経済協力を盛り込んだ「橋本・エリツィン・プラン」もまとまった。会談以降、日ロ関係は急テンポで進展した。
    • 1998
    • 4

      橋本首相とエリツィン大統領が「川奈合意」。日本側から、4島の北に境界線を引き、当面はロシアの施政を認める「川奈提案」

      1998年4月19日、静岡県伊東市川奈で、橋本龍太郎首相がエリツィン大統領と、「平和条約が、東京宣言に基づき、(北方)四島の帰属の問題を解決すること」を再確認した合意。日本側はこの時、「4島の北に国境線があることを確認できれば、4島がロシアの施政下にある現状を『合法』と認め、当面は日本に渡さなくてもよい」という妥協案を秘密裏に提示した。だが、ロシア側は同年11月、小渕恵三首相に拒否を伝えた。
      11

      小渕恵三首相とエリツィン大統領が会談。エリツィン氏が、当面は4島全体に特別な法体系を適用し、共同経済活動を進めることを提案する一方、「川奈提案」は拒否

    • 1999
    • 12

      エリツィン大統領が辞任。プーチン首相が大統領代行に

    • 2000
    • 9

      プーチン大統領が訪日し、「56年(の日ソ共同)宣言は有効」としつつ、「(川奈提案は)ロシア側の考え方と完全には一致しない」

    • 2001
    • 3

      森喜朗首相とプーチン大統領が「イルクーツク声明」。日ソ共同宣言を交渉の出発点と確認し、4島の帰属問題を解決して平和条約を締結することをうたう

      2001年3月25日、ロシアの東シベリア・イルクーツクで、森喜朗首相とプーチン大統領が出した。1956年の「日ソ共同宣言」を「(平和条約)交渉の出発点を設定した法的文書」と確認。さらに、4島の帰属問題を解決することをうたった「東京宣言」に基づいて交渉を続けることで合意した。森氏は「歯舞、色丹の引き渡し条件」と「国後、択捉の帰属問題」に分けて話し合う「同時並行協議」を打診した。
    • 2002
    • 2003
    • 1

      小泉純一郎首相とプーチン大統領が「日ロ行動計画」。経済協力を確認

      2003年1月10日、モスクワで、小泉純一郎首相とプーチン大統領が合意した両国関係強化のロードマップ。日本は、経済分野などでロシアと幅広い協力関係を目指す姿勢を示したが、小泉政権が「四島一括返還」にこだわったほか、ロシア経済の好調もあり、領土問題の具体的な進展は得られなかった。
    • 2004
    • 2005
    • 2006
    • 12

      麻生太郎外相が衆院外務委員会で「面積等分論」を答弁

    • 2007
    • 2008
    • 2009
    • 2

      麻生首相とメドベージェフ大統領が会談。両氏は「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」で領土問題に取り組むと合意

    • 2010
    • 11

      メドベージェフ大統領がロシア首脳として国後島を初訪問

      国後島にあるロシア正教の教会を訪問するロシアのメドベージェフ大統領=AP

       
    • 2011
    • 2012
    • 3

      プーチン首相が朝日新聞などに、領土問題について「引き分けのようなものだ」と発言。野田佳彦首相は衆院予算委員会で「歯舞、色丹は面積で7%。引き分けにならない」

      7

      メドベージェフ大統領が2度目の国後訪問。「ここは古来のロシアの土地。一寸たりとも渡さない」

    • 2013
    • 4

      安倍晋三首相とプーチン大統領が会談。領土問題を双方に受け入れ可能な形で解決し、平和条約を早期に締結する「決意」を表明

    • 2014
    • 2015
    • 2016
    • 5

      安倍首相とプーチン大統領がソチで会談。安倍氏は「新しいアプローチ」を提案し、「今までの停滞を打破する突破口を開く手応えを得ることができた」

      2016年5月6日、ロシアの保養地ソチで、安倍晋三首相がプーチン大統領に提案した。安倍氏は国会の質疑で、内容について、「経済分野を含め、幅広い分野で日ロ関係を国益に資するような形で進めていくなかで、4島帰属の問題を解決して平和条約を締結すべく粘り強く交渉に取り組む」と答弁した。日本政府はロシアに対し、エネルギー開発や極東地方の振興策、ロシア国民の生活環境改善など8項目の協力プランを提案している。
      9

      安倍首相とプーチン大統領がウラジオストクで会談。安倍氏は「新しいアプローチに基づく交渉を具体的に進めていく道筋が見えてきた」

      11

      安倍首相とプーチン大統領がペルーのリマで会談

      プーチン氏は、領土交渉とは別にロシアの主権下で日本が北方領土に投資する共同経済活動の必要性に言及。安倍氏は会談後「(平和条約締結は)そう簡単な課題ではない。一歩一歩、山を越えていく必要がある。着実に前進していきたい」

■プーチン氏来日を前に

  • 交渉の経緯

■交渉の動き、再び

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(いちからわかる!)日ソ共同宣言60年、どんな中身なんじゃ?(2016/10/19)

 ■「平和条約締結(へいわじょうやくていけつ)後に2島引き渡し」と記載(きさい)。条約はまだだ ホー先生 日本と旧ソ連が調印(ちょういん)した日ソ共同宣言(きょうどうせんげん)が60年を迎えたそうじゃな。何を決めた宣言なんじゃ? A 195……[続きを読む]

■インタビュー:交渉の行方は

■北方領土は、いま

■連載:日ソ戦争をたどって

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