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09月26日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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平和記念公園

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  • 平和記念公園(2016年04月11日 夕刊)

    被爆当時は繁華街で、約6500人が暮らしていたと推定される。原爆投下から4年後の1949年に制定された広島平和記念都市建設法に伴って原爆死没者の慰霊と恒久平和を祈る都市公園(約12万平方メートル)への再生が決まり、56年に完成した。世界遺産・原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像、広島平和記念資料館などがある。

  • 被爆アオギリ(2012年05月09日 夕刊)

    原爆投下当時、沼田さんが勤めていた広島逓信局の敷地内に植えられていたアオギリ。熱線と爆風で幹の半分が焼けてえぐられたにもかかわらず新芽を出した。1973年、平和記念公園に移植。この木に平和への思いを託す人たちが、種を採り、各地に被爆アオギリの2世、3世が植えられている。

  • 原爆の子の像(2011年06月28日 夕刊)

    2歳の時に広島市で被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さん(当時12)がモデル。禎子さんは被爆後も元気に暮らしていたが、1955年2月に白血病と診断され、広島赤十字病院(当時)に入院。その際、名古屋の高校生からお見舞いの千羽鶴を贈られた。「千羽折ったら願いがかなう」と信じ、自分でも「元気になりたい」と折り続けていたが、同年10月に亡くなった。小学校の同級生らによる募金活動は全国に反響を呼び、58年5月5日、平和記念公園に寄付金で像が建立された。

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写真・図版

広島)ゲバラ没後50年、「広島・キューバ展」開催(2017/9/16)

 キューバ革命の立役者、チェ・ゲバラが39歳で亡くなり、今年で半世紀。使節団の一員として来日した1959年、広島を訪れて本人が撮影した写真など、広島とキューバの関係に関する資料を並べた「広島・キューバ…[続きを読む]

写真

  • 1959年7月に広島を訪れた際、ゲバラ本人が撮影した原爆慰霊碑の写真(C)Centro de Estudios Che Guevara
  • 北朝鮮の核実験に抗議するため、座り込みをする参加者たち=4日午後0時26分、広島市中区の平和記念公園、上田幸一撮影
  • 建設中のホテルの前を観光客を乗せた古いアメリカ車のタクシーが走る=5月、ハバナ
  • 平和の鐘をつく高校生ら=広島市中区
  • 寄贈された折り鶴=茅ケ崎市茅ケ崎1丁目
  • 対談で映画「この世界の片隅に」の制作について話す片渕監督(右)と蔵本さん=7月29日、広島市中区の広島国際会議場、上田幸一撮影
  • 原爆投下時刻に祈る中学生たち。広島県北広島町の幟立海馬(のぼりたてかいま)さん(右)は、小学生の頃から毎年来ている。「広島県の人だから来た方がいいかなって思って」。今年はサッカー仲間を誘った=広島市中区、井手さゆり撮影
  • 被爆体験を語る戸田照枝さん
  • 地球平和監視時計は原爆投下から2万6298日を示す=広島市中区
  • 平和式典に臨む被爆者代表の山中エミ子さんと川原弘さん(左)=6日午前7時43分、広島市中区、伊藤進之介撮影
  • 慰霊碑に原爆死没者名簿を奉納する松井一実・広島市長(右)と遺族の山崎陽平さん(左)、安村杏莉さん=6日午前8時1分、広島市中区、伊藤進之介撮影
  • 父チェ・ゲバラが慰霊した広島の平和記念公園で、献花するゲバラの長男カミーロ・ゲバラ氏(左)と映画「エルネスト」の阪本順治監督=6日、広島市中区、平山亜理撮影
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