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07月24日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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平和記念公園

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  • 平和記念公園(2016年04月11日 夕刊)

    被爆当時は繁華街で、約6500人が暮らしていたと推定される。原爆投下から4年後の1949年に制定された広島平和記念都市建設法に伴って原爆死没者の慰霊と恒久平和を祈る都市公園(約12万平方メートル)への再生が決まり、56年に完成した。世界遺産・原爆ドーム、原爆死没者慰霊碑、原爆の子の像、広島平和記念資料館などがある。

  • 被爆アオギリ(2012年05月09日 夕刊)

    原爆投下当時、沼田さんが勤めていた広島逓信局の敷地内に植えられていたアオギリ。熱線と爆風で幹の半分が焼けてえぐられたにもかかわらず新芽を出した。1973年、平和記念公園に移植。この木に平和への思いを託す人たちが、種を採り、各地に被爆アオギリの2世、3世が植えられている。

  • 原爆の子の像(2011年06月28日 夕刊)

    2歳の時に広島市で被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さん(当時12)がモデル。禎子さんは被爆後も元気に暮らしていたが、1955年2月に白血病と診断され、広島赤十字病院(当時)に入院。その際、名古屋の高校生からお見舞いの千羽鶴を贈られた。「千羽折ったら願いがかなう」と信じ、自分でも「元気になりたい」と折り続けていたが、同年10月に亡くなった。小学校の同級生らによる募金活動は全国に反響を呼び、58年5月5日、平和記念公園に寄付金で像が建立された。

最新ニュース

ひろしまラウンドテーブル 国際平和シンポジウムを広島国際会議場で開催します!!(2017/7/21)

リリース発行企業:広島県開催日:平成29年8月2日(水)15:15~17:00 会場:広島国際会議場B2F「コスモス」 「国際平和拠点ひろしま構想」に掲げる「核兵器廃絶の[続きを読む]

写真

  • 「アンサンブル花音(かのん)」のメンバーが「アメイジング・グレイス」などを演奏した=広島市中区
  • 資料館本館の地下から見つかり、公開が始まった被爆した地層。中央右はしゃもじ=11日午前9時16分、広島市中区の平和記念資料館、上田幸一撮影
  • 市中心部の八丁堀を行き交う人々。路面電車の車両番号や人々の表情まではっきりと見える(河崎源次郎氏撮影、広島平和記念資料館提供)
  • 佐々木雅弘さん(左)と話す生徒たち=8日、福岡県那珂川町
  • 映画「この世界の片隅に」のメインビジュアル(C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
  • 片渕須直氏
  • 日本の席には被爆者の箕牧智之さんが折り鶴を置いた=20日、米ニューヨークの国連本部、真野啓太撮影
  • 展示場で鶴を折る子どもたち=各務原市那加桜町2丁目
  • 明治神宮と代々木公園の森に隣接する代々木競技場第一体育館。左は第二体育館=本社ヘリから、嶋田達也撮影
  • 見頃を迎えた広島平和記念公園のバラ。奥は広島平和記念資料館=広島市中区、上田幸一撮影
  • 原爆死没者名簿に記帳する池亀和子さん(手前)と中本信子さん=9日午前、広島市役所、上田幸一撮影
  • 内装作業をする安彦恵里香さん。趣旨に賛同する仲間たちがひっきりなしに出入りし、協力している=広島市中区
  • 開通してにぎわうJR広島駅の南北自由通路の壁画アート前=広島市南区
  • 平日も大勢の外国人観光客が訪れる平和記念公園=23日午前、広島市中区、上田幸一撮影
  • 被爆体験とオバマ氏の広島訪問を振り返る森重昭さん=広島市西区
  • 慰霊碑の石室から取り出され、風通しされる原爆死没者名簿=17日午前9時4分、広島市中区、上田幸一撮影
  • 被爆当時のもので唯一残った陶器のボタンを手にする宮川静登さん=東広島市西条町田口
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