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09月23日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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知る水俣病 

知る水俣病

 国際的な水銀規制のルールを定めた水俣条約が発効しました。戦後の経済成長を牽引した企業が起こした「水俣病」ってどんな病気?どうして起きたの?そんな疑問にお答えします。

水俣湾のいまを動画で 奥正光記者が解説

かつてチッソの工場から水俣湾に流された水銀は埋め立てられ、その地は公園になり、不知火海が見渡せる場所に慰霊の碑が建つ。患者が多発した漁村では人々が静かに暮らしている。[続きを読む]

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「水俣病」の痛み、なお 記者が見た水俣の現在(2017/8/16)

熊本県の南端に位置する水俣市は、かつて小さな農漁村だった。…[続きを読む]

水俣病の6つの質問

Q.1水俣病はどんな病気?

A.1症状がひどい時には死んでしまいます

 皆さんのおじいさんやおばあさんがまだ子どもだった1956年5月、熊本県水俣市みなまたしで患者の発生が保健所ほけんじょに届けられ、確認されました。最初の患者は水俣湾のそばに住む2歳と5歳の姉妹でした。

 化学製品かがくせいひんを造る水俣の工場が海に流したメチル水銀すいぎんという化合物がごうぶつが原因です。水に溶け、味やにおいはしません。魚や貝の中にたまりやすく、それを人が食べると脳の神経が壊されます。見る、聞く、話す、歩くといったことが不自由になり、症状がひどい時には死んでしまいます。完全に治す方法はありません。人にはうつりません。

 産まれる前にお母さんが食べた魚が水銀で汚れていて、赤ちゃんの時から水俣病だった患者もいます。

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Q.2どうして起きたの?

1968年8月ごろのチッソ水俣工場

A.2工場が汚れた水を流したためです

 当時は高度経済成長期と呼ばれ、会社が物をたくさんつくり、人々が買えるようになった時代でした。政府は日本の経済が大きくなるよう努力しましたが、一方で自然環境を守ることは後回しにされ、汚れた水や煙が人々の健康を損なう「公害病」が相次ぎました。水俣病は原因がわかった後も9年間、工場は汚れた水を流し、政府も止めずに被害が広がりました。

 1965年には阿賀野川が流れる新潟県で新潟水俣病が起きました。四日市ぜんそく(三重県)、イタイイタイ病(富山県)とあわせて「四大公害病」といいます。

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Q.3患者はどうなったの?

患者認定を求める訴訟も多い。溝口秋生さんは最高裁で母親の溝口チエさん(故人)の認定を勝ち取った=2013年4月16日

A.3多くの人が亡くなりました。被害を訴え今も裁判は続いています

 水俣病を起こした工場の会社が、病院に通う費用や償いのお金(補償金)を払っています。患者は2282人いて、2017年4月までに約1900人が亡くなりました。

 政府が定めた症状などの基準に合うと患者と認められます。一方で、症状があっても認められない人たちが被害を訴え、いくつも裁判を起こしました。判決や話し合いなどで一定のお金を受け取ることになった人は約7万人いて、今も裁判は続いています。

 水俣病は人にうつると誤解されたり、補償金をうらやんだりされて、患者や家族はいじめや差別を受けました。

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Q.4工場はどうなったの?

有刺鉄線で囲まれたチッソ水俣工場=1973年、熊本県水俣市

A.4今も動いています。スマホなどの部品の材料をつくっています

 今も熊本県水俣市にあり、多くの人が働いています。テレビやスマートフォンなどの画面に必要な材料をつくっています。

 工場はチッソという会社が持っています。第2次世界大戦まで財閥と呼ばれる会社の集まりの中心でしたが、水俣病を起こした後、患者への補償が増えて倒産寸前になりました。政府や銀行がお金を貸すなどして助けて、続いています。

 商売を続けるため、2011年に子会社をつくりました。補償も続けるとチッソは説明しています。法律ではチッソ自体をなくすこともできるため、患者は責任を果たすように求めています。

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Q.5海はどうなったの?

水俣湾で取った魚の水銀値調査=熊本県水俣市

A.5水銀を埋め立て、一部は公園になりました

 工場の水が直接流された水俣湾の底にはメチル水銀がたまりました。魚の汚れと被害を食い止めるため、熊本県は濃い水銀を含む泥をすくい集め、特に汚れのひどい湾の一部は埋め立てました。工事は1990年に終わり、97年に「安全宣言」を出しました。いま、埋め立て地は公園になっています。地震などで崩れないように県が監視を続けています。

 県は毎年、水俣湾の魚の水銀の量をはかっていて、国が一時的に定めた基準(暫定的規制値)はほぼ下回っています。シラスやタチウオは水俣の名物です。

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Q.6学んだことは?

水俣市ではごみの分別収集が続いている=2002年9月

A.6環境を汚さないものづくり

 世界では金をとる作業や工場などで水銀が使われています。水銀によって自然環境が汚され、人が健康を損なわないために決めた、国同士のルールが8月16日に始まります。水俣病のような出来事を繰り返さないという思いを込め「水俣条約」と名付けられました。

 水俣市では、なるべく化学製品を使わず、環境を汚さないものづくりが盛んになりました。市民はごみを種類によって細かく分け、再利用を進めています。

 水俣病が確認されて60年あまり。今も被害の補償や埋め立て地の管理など課題が残されています。様々な教訓があるといえます。

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水銀処理、途上国では野ざらしも 水俣条約が発効 (2017/8/16)

水銀を国際的に包括管理するルールを定めた水俣条約が16日に発効した。加盟国には今後、水銀の採掘や使用、輸出入を適正に行うことが義務づけられる。ただ、国連環境計画(UNEP)が初めてまとめた水銀廃棄物の処理状況に関する報告書によると、アフリ…[続きを読む]

■これまでの経緯

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(いちからわかる!)水俣病公式確認60年、未解決のままなのか? (2016/11/21)

■救済地域外で症状(しょうじょう)。被害者(ひがいしゃ)が取り残されている可能性も ホー先生 公式確認から60年たつのに水俣(みなまた)病は今も未解決と聞いたんじゃが。 A 民間の医師団が朝日新聞と共同で、今年3月までの10年余に水俣病検…[続きを読む]

■胎児性患者は今

生きている姿知って 水俣病闘病60年の田中実子さん

熊本県水俣市の田中実子さんは1956年、入院先の病院が「原因不明の病気」として保健所に届け出て、公式確認のきっかけになった患者の一人だ。発症から60年。そのほとんどを居間で過ごし、これからも過ごす。両親は亡くなり、姉夫婦による介護が続く。[続きを読む]

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熊本)水俣条約シンボルの像ジュネーブへ 会議で展示(2017/9/23)

 24日にスイス・ジュネーブで始まる「水銀に関する水俣条約」の第1回締約国会議(COP1)に合わせ、水俣市立水俣病資料館にあるアート作品「ペス・ペステの像」が現地で展示される。像は条約交渉のシンボルで…[続きを読む]

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