現在位置:
  1. asahi.com
  2. トラベル
  3. 航空ニュース
  4. 記事

鉄道のない沖縄の子への贈り物だった…与儀公園のD51

2011年4月26日0時42分

印刷印刷用画面を開く

Check

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録 このエントリをdel.icio.usに登録 このエントリをlivedoorクリップに登録 このエントリをBuzzurlに登録

 「D51(デゴイチ) 222」。まるで「銀河鉄道999(スリーナイン)」に出てきそうな蒸気機関車が、沖縄県那覇市中心部の与儀公園に展示されています。999は夢のあるアニメでしたが、こちらは鉄道のない沖縄の子供たちに蒸気機関車を贈ろうとした夢そのものなのです。

 青々と茂る樹木の下に、D51はたたずんでいました。思いの外、塗装は黒く輝き、赤い番号プレートが鈍く光っています。

 「以前は、中に入っていただけたんですが、今はけがをされたりするとまずいので……」。管理を担当する那覇市教育委員会の仲間稔さん(37)。周囲はフェンスで囲われています。

 運転台に登るとあちこち塗装が浮き、確かにちょっと危険。1月にJRの関係者が視察した際、煙突が車体の中に落ち込み、パイプ類も腐食が進んでいることが分かりました。

 今ではちょっと痛々しいこのD51。やってきた当時は、子供たちのあこがれの的、それは輝かしい存在でした。

 D51を沖縄に贈ろう――。そう考えたのは、当時門司駅旅行センターにいた山田辰二郎さん(83)はじめ、国鉄の人たちでした。1972年の沖縄の本土復帰と国鉄100年の記念事業として、沖縄の子供たちを北九州市に招待することを企画。この年の夏、那覇市内の小学5、6年生計72人が、里親となる国鉄職員の家を訪れました。

 小倉球場で西鉄対南海のナイターを観戦したり、到津遊園に行ったり。1週間ほどの滞在中、とりわけ子供たちの印象に残ったのが、門司機関区で見たD51でした。那覇から子供たちを引率した仲宗根弘明さん(75)は「車庫に入った途端、一人の児童が『わーっ、デゴイチだ』と叫んだんですよ」。里親の元に届いたお礼の手紙にもD51の思い出がつづられていました。「こちらの友達にも見せたい」と書いた子供もいました。

 里親の国鉄職員らを中心に、機関車を贈る運動がスタートしました。費用は1千万円の見込み。やがて、労使一体で全国に協力を呼びかけ、約1400万円のカンパが集まりました。

 「D51」にしたのは子供の希望と県花デイゴにもちなんでいるからだそうです。車両番号も当初は「784」「78」を探していました。「那覇市」「那覇」というわけです。残念ながら、解体されたり、行方がわからなかったり、で白羽の矢が立ったのが「222」でした。

 昭和13年に小倉工場で製造され、南延岡機関区に所属。九州各地を34年間走り続け、地球71周にあたる約286万キロを走りました。その間、無事故の優等生。九州からのプレゼントには最適でした。そして「222」は子供たちの笑顔、「ニコニコニコ」にも通じています。

 「私はD51222と申します。沖縄のみなさん仲良くして下さい」。そんなプレートを着けた約100トンの巨体は、鹿児島―那覇約600キロの船旅を経て、那覇にたどりつきました。

 73年3月8日の譲渡式の司会は、北九州に引率した仲宗根さん。「朝から石炭をたいていたら、一目見ようと車が渋滞しましてね。ファーッという汽笛の音が響いた時は本当にうれしかった。今も胸にこみ上げるものがあります」

 今では考えられませんが、当時はまだまだ動いたのです。譲渡式で黒煙をモクモクと吐いている写真が残っています。

 D51は、那覇市民が憩う与儀公園の顔。でも、その由来を知らない人が多くなっている現実があります。九州と沖縄の固い「絆」を、語り継いでいってほしいものです。(西正之)

     ◇

 バス停「与儀十字路」からすぐ。ゆいレール「安里」から徒歩15分。那覇市教育委員会生涯学習部総務課(098・891・3500)。

検索フォーム

航空関連ニュース一覧


朝日新聞購読のご案内

鉄道コムおすすめ情報

国鉄型が続々引退、春の新ダイヤ

200系新幹線や近畿地区の183系、東海地区の117系など、さまざまな国鉄型車両が引退する…