現在位置:
  1. asahi.com
  2. ライフ
  3. トラベル
  4. 秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き
  5. 記事

秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き

ギルフ・ケビールと英軍特殊部隊

2010年4月29日15時6分

写真:宿営地跡の石油缶をひっくり返すと、そこはサソリの隠れ家だった (c)Mohamed M. Abdel Aziz拡大宿営地跡の石油缶をひっくり返すと、そこはサソリの隠れ家だった (c)Mohamed M. Abdel Aziz

写真:ギルフ・ケビールを西側に抜け出た場所で (c)Mohamed Abd El-Rahman拡大ギルフ・ケビールを西側に抜け出た場所で (c)Mohamed Abd El-Rahman

写真:シーワ・オアシス付近のシヤタ湖拡大シーワ・オアシス付近のシヤタ湖

写真:長距離砂漠軍団宿営地跡で見つけたタバコ缶拡大長距離砂漠軍団宿営地跡で見つけたタバコ缶

写真:長距離砂漠軍団のトラック拡大長距離砂漠軍団のトラック

写真:リビアとの国境線上に立つ標識。後ろ側には”Egypt”と刻まれていた (c) Mohamed Abd El-Rahaman拡大リビアとの国境線上に立つ標識。後ろ側には”Egypt”と刻まれていた (c) Mohamed Abd El-Rahaman

 朝、キャンプ地を出発して、グレートサンドシー(GSS)を四輪駆動車で東に4時間。いくつもの砂丘を乗り越えた末に目にしたのは、意外なものだった。黒光りしたタイヤが半分まで砂に埋まった軍用トラックの残骸。それも、第2次世界大戦当時の英国軍のものだという。

 実は、ギルフ・ケビールやGSSは、英軍特殊部隊「長距離砂漠軍団(LRDG)」の重要な活動拠点だった。LRDGは、第2次大戦の北アフリカ戦線で「砂漠のキツネ」と呼ばれ、連合軍に恐れられたナチスドイツのロンメル元帥が、「同等規模の敵軍の中で、最も我々に損害を与えた」と評した部隊だ。LRDGの主な任務は、枢軸国イタリア領リビアと連合国英国の間接支配下にあったエジプトの1115キロにおよぶ国境線内外でのパトロールと、リビア国内に奥深く入って行う偵察と情報収集だった。リビア国土の9割以上を占める砂漠を通り、地中海沿岸にあるトリポリ〜ベンガジ間などの主要都市間の幹線道路を行き来する軍用車の動きを、ラジオ無線で報告するのだ。今でも、エジプトとリビアの国境線はコンクリート製の標識が点在するだけだ。当時はもっと自由に出入りできたに違いない。

 GSSで見た車は、調べた結果、1941〜42年ごろ使われたカナダ製フォードF30(1.5トン)トラックと判明した。助手席の後ろや荷台にある垂直の鉄棒には、機関銃が取り付けられていたことだろう。LRDGの制服は、アラブ人と同じクーフィーヤと呼ばれる頭巾を被り、足にはエジプト軍人が使っていた革製サンダルを履いていた。パトロールの際には、5、6台が一組となり15〜20人の兵士が乗り込んだというから、うち1台が砂漠にはまって動けなくなり、放置されたのかもしれない。

 私たちがギルフ・ケビール周辺に滞在した5日間で、これらLRDGの遺物を見ない日はなかった。計4台の軍用車の残骸や、道路標識代わりに砂漠に秩序だって置かれた大量の石油缶。宿営地跡と思われる場所では、兵士たちの日常生活をも垣間見ることができた。落ちていたのは、ロンドン製のたばこ缶と完璧な形で残ったビール瓶だ。瓶には、「リッチモンド」という社名とトレードマークのトラの顔が浮き彫りにされていた。調べてみると、オーストラリアのメルボルンにあった会社で生産された、国内消費用のビールだった。LRDGは、ニュージーランド人を中心に、オーストラリア人や英国人などが所属する多国籍部隊だった。このビールは、オーストラリア人兵士が自国で買って、エジプトの砂漠で飲んだものなのだろうか。

 1940年から3年間、北アフリカの砂漠で戦った兵士たちは、いったいどのような思いだったのか。団長の記録には次のように記されている。「50度を超す暑さは我慢できる。しかし、最悪なのは数日たっても終わらない砂嵐だ」。劣悪な環境で、ときに戦闘も行ったLRDGは、その後、北アフリカ戦線の終焉とともにヨーロッパへと転戦する。

 砂漠越えが終わった翌朝、私たちは大型バスに身を委ね、エジプト最西端のオアシス、シーワから13時間かけてカイロへと向かった。途中、休憩のため立ち寄ったのは、エジプト第2の都市アレクサンドリアから西に約100キロの地点にある、エル・アラメインだ。第2次大戦最大の激戦地のひとつで、リビアから、破竹の勢いで地中海沿岸をカイロに向かって進軍したロンメル元帥率いる枢軸軍戦車軍団と、英連邦軍を中心とする連合軍が激突した場所だ。1942年10月下旬から2週間におよぶ激戦で、両軍の死傷者・行方不明者・捕虜の総数は4万4000人以上に上り、ついに、枢軸軍が大敗を喫したのだ。

 このエル・アラメインの戦いで第2次大戦の戦局は大きく変わり、それまで劣勢だった連合軍が勝利へと突き進むことになる。のちに英国のチャーチル首相は、「エル・アラメインの前に勝利なし、エル・アラメインの後に敗北なし」と評したほどだ。エル・アラメインの戦いの半年後、チュニジアまで撤退した枢軸軍は壊滅し、北アフリカ戦線も消滅した。

 エル・アラメインには、地中海沿岸のリゾート施設の間に埋もれるようにして、両軍の国別の共同墓地や記念碑が点在していた。激戦地に渦巻いた苦悲の感情とは裏腹に、共同墓地に整然と並んだ純白の墓標は、エジプシャンブルーの空に映え、美しくさえあった。

プロフィール

金子貴一(かねこ・たかかず)

写真

 秘境添乗員、フリーライター。1962年生まれ。元不登校児。高校時代、米国アイダホ州で一年間ホームステイ。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒業。留学を通して、「異文化間交流」の大切さを実感。在学中より、観光ガイド、ジャーナリストとして活動を開始。仕事等で訪れた世界の国・地域は100近く。著書に、「秘境添乗員」(文藝春秋)「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」(学習研究社)
公式ブログ http://sea.ap.teacup.com/hachidaiga/

検索フォーム


朝日新聞購読のご案内

鉄道コムおすすめ情報

国鉄型が続々引退、春の新ダイヤ

200系新幹線や近畿地区の183系、東海地区の117系など、さまざまな国鉄型車両が引退する…