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秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き

カンボジアの国民的スナック

2010年5月6日12時32分

写真:プノンペンの中央市場で、国民的スナック「タランチュラの素揚げ」を買うおしゃれな女性。調理されたコオロギやタガメも並んでいる拡大プノンペンの中央市場で、国民的スナック「タランチュラの素揚げ」を買うおしゃれな女性。調理されたコオロギやタガメも並んでいる

写真:お願いすると、タランチュラを千切って口に入れてくれた拡大お願いすると、タランチュラを千切って口に入れてくれた

写真:中央市場で売っていた、皮をむいた食用ガエル拡大中央市場で売っていた、皮をむいた食用ガエル

写真:少数民族の村で見かけた料理風景。高床式民家の玄関先だ拡大少数民族の村で見かけた料理風景。高床式民家の玄関先だ

写真:カンボジアの代表的な民家の風景。高床式民家と豚の親子。豚は、換金可能な大切な財産だ拡大カンボジアの代表的な民家の風景。高床式民家と豚の親子。豚は、換金可能な大切な財産だ

 「さあ、乾杯だ!」

 食文化研究で有名なA教授が音頭をとると、巨大な竹製の円形テーブルを囲んだ学生たちは、ゴクリとつばを飲み込んだまま固まってしまった。目の前に、所狭しと並べられていたのは、手のひら大で真っ黒な、毛むくじゃらの「タランチュラの素揚げ」、お頭と卵巣付きでトグロを巻いた「蛇の串揚げ」、黒光りした「巨大タガメの素揚げ」……。およそ、日本では見られない料理ばかりだったからだ。

 こんなときこそ、秘境添乗員の出番だ。固まったままの総勢13名の学生や大学OBのお客様を尻目に、片っ端から口に入れてはビールで流し込んだ。タランチュラは毛がザラザラと口のなかを撫で、タガメは堅い外皮がいつまでも口に残ったが、共に中身は淡泊な味だった。

 「先生、これ、なかなかいけますね」

 すると、他のお客様も、恐る恐る「前菜」を口にした。先生もまんざらではない表情だ。

 2001年8月28日、私たちはカンボジアの首都プノンペンにいた。カンボジア各地での1週間にわたる食文化調査の前半が無事終了し、首都に戻って、高床式民家がコッテージ風に連なった湖上レストランで打ち上げをしたのだ。私たちの部屋の側面に壁はなく、日没後、ゆっくりと暗闇に消えていく湖面の美しさが大画面で迫ってきた。一方で、蒸し暑い空気が流れ込み、皆、汗だくになった。唯一の涼といえば、床下から聞こえてくるさざ波の音だけだったろう。

 「前菜」は、私たち自身が中央市場で「調査用に」買ったものだった。誰も、まさか持ち込みにするとは、夢にも思わなかったに違いない。メインディッシュは、打って変わって、レストランで調理された名物のウナギやメコン川の川魚料理となり、大量に振る舞われたお酒と相まって、皆、そのおいしさに酔いしれたのだった。

 後日調べてみると、タランチュラもタガメも、カンボジア人が食べ始めたのはつい最近のことだった。1975年から4年間、カンボジアを独裁支配したポル・ポト政権下で、干ばつ、飢餓、虐殺により、120万人とも330万人とも言われる人々が死亡。その間、生き残った人々は何でも口にしたのだ。特に、タランチュラは蒸留酒に漬け込まれ、カンボジア伝統医学のなかで、腰痛と子供の風邪に効く薬用酒とされており、食することに違和感がなかったに違いない。後には、ガーリックと塩で味付けして揚げられるようになり、フライドチキンにも似て、外はパリパリで中身はジューシーなおいしい料理に変身した。

 大量虐殺時代、ジャングルに逃げ込んだ人々が、土を掘り返して必死の思いで口にしたタランチュラは、今では養殖も行われ、カンボジアの国民的スナックの一つとなっているのである。

プロフィール

金子貴一(かねこ・たかかず)

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 秘境添乗員、フリーライター。1962年生まれ。元不登校児。高校時代、米国アイダホ州で一年間ホームステイ。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒業。留学を通して、「異文化間交流」の大切さを実感。在学中より、観光ガイド、ジャーナリストとして活動を開始。仕事等で訪れた世界の国・地域は100近く。著書に、「秘境添乗員」(文藝春秋)「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」(学習研究社)
公式ブログ http://sea.ap.teacup.com/hachidaiga/

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