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秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き

泡盛に似た香り カンボジアの酒蔵

2010年5月28日14時44分

写真:プラダック村の酒蔵にあった蒸留器と、ロン・クンさん拡大プラダック村の酒蔵にあった蒸留器と、ロン・クンさん

:チョンカウスー村の麹工房と、天日干しされる麹拡大チョンカウスー村の麹工房と、天日干しされる麹

写真:内部では女性たちが麹を造っていた。右側には米を粉末化するための臼と杵が見える拡大内部では女性たちが麹を造っていた。右側には米を粉末化するための臼と杵が見える

写真:カンボジアの歴史的インド化の結果でもある仏教。この写真は、ラタナキリ州で見かけた少年僧の托鉢拡大カンボジアの歴史的インド化の結果でもある仏教。この写真は、ラタナキリ州で見かけた少年僧の托鉢

写真:ラタナキリ州の精霊信仰。陸稲畑に祀られた大地の精霊。聖なる森の岩や滝は神聖視され、「病人が出たら精霊に直してもらう」という拡大ラタナキリ州の精霊信仰。陸稲畑に祀られた大地の精霊。聖なる森の岩や滝は神聖視され、「病人が出たら精霊に直してもらう」という

写真:山岳少数民族は女系社会である。山岳少数民族の女性が燻らせるパイプはそれを象徴しているように見える拡大山岳少数民族は女系社会である。山岳少数民族の女性が燻らせるパイプはそれを象徴しているように見える

 目の前に現れたのは、待望の「酒蔵」だった。茅葺きの屋根の下、長さが5〜6メートルはある大きな小屋で、外には薪が雑然と置かれていた。蒸留中なのだろう。屋根のあちこちから煙が上がり、あたりには泡盛に似た独特のアルコール臭が漂っていた。

 出国前日、A教授の特命を受けて、私は現地ガイドと共に、発酵食品調査のロケハンに奔走していた。「アンコール遺跡」で有名な州都シェムリアップから車で北上すること40分。まず訪れたのが、クメール人256家族が住むプラダック村だった。村長のペッチョム氏に事情を話すと、突然の訪問にもかかわらず、村の酒蔵に案内してくれたのだ。

 酒蔵では、若い女性のロン・クンさん(28)が、一人で作業に没頭していた。質問をすると、ニコニコしながら蒸留酒の造り方を教えてくれた。

 まず、米を蒸して、ゴザの上に広げ、市場から買ってきた麹を砕いて粉末状にしたものと混ぜ合わせる。それをカメに入れ水を注いで二晩、更に、別のカメに移して水を足して二晩寝かせると醸造酒ができる。それを、朝7時に蒸留器に入れて4時間も焚き続けると、蒸気が器機の上部に取り付けられたパイプを通って外に誘導され、更にパイプが水で冷されて蒸気が結露し、アルコール度数の高い蒸留酒が滴れ落ちてくるのだという。これをビン詰めすれば出来上がりだ。外気温にも左右されるが、10キロの米から約10リットルの蒸留酒ができるという。

 次に訪れたチョンカウスー村では、麹工房に案内された。こちらも茅葺きの吹き抜けとなった大きな作業場で、女性たちが粘土をこねるようにして直径5センチ弱の麹を規則正しく並べていた。麹は「メースラー(酒の母)」と呼ばれる。30分間水に浸した米を潰して粉末にしたものと、プルーンの木の皮の粉末、ショウガの一種のロムデーンプライと呼ばれる植物の根の煮出し汁を混ぜて、団子を作る。この団子は当初は緑掛かった色をしているが、もみ殻の上に一晩置くと白くなる。それを、更に一日天日に干すと完成するという。ロムデーンプライの粉末を混ぜるのは、出来上がるお酒の量が増えるからだそうだ。

 出国日の朝、最後の調査地となった麹工房の訪問が終わると、A教授は満足気な表情で、「来年以降も、ぜひお願いしますね」と言ってくださった。毎年夏休みに行われる恒例の調査旅行の添乗のことだ。有り難い申し出だったが、結局、それは叶わなかった。この旅の直後に起こった「同時多発テロ事件」が、私の仕事の比重を、秘境添乗員からジャーナリストやアラビア語通訳へと大きくシフトさせたからである。

 あれから9年。今回、拙稿を執筆するにあたり、カンボジアの文化や歴史的背景を調べて、はじめて気づいたことがある。調査した2つの州は、好対照な場所だったのだ。

 カンボジアは東南アジアでは珍しく、単一民族に近い国だ。総人口の9割を多数派のクメール人が占める。そのなかで、最初に訪れたラタナキリ州は、少数派の先住民族である「山岳少数民族」が住む州だった。一方、次に訪れたシェムリアップ州は、9世紀から15世紀にかけて栄えたクメール帝国の首都の遺構「アンコール遺跡」がある、多数派クメール人の「本拠地」とも言える土地柄なのだ。

 山岳少数民族は、新石器時代に現在の中国南部やベトナムから移住してきたとも考えられている人々であり 、クメール人は遅れて紀元前2世紀以前に現在のタイ北東部から移住してきた「新参者」である。そのクメール人は、紀元後1世紀から、近隣の超大国である中国や特にインドの影響を受けて、ヒンドゥー教や仏教を受容しながら歴代王朝の興亡を繰り返してきた。なかでも、クメール帝国は、一時はインドシナ半島全体を支配下に置くほどの大帝国となった。クメール人はインドと中国の両文明を独自に消化して、東南アジアに広める役割をも担ったのだ。

 一方で、ラタナキリ州は、インドの影響を受ける前の伝統が残る、貴重な地域だった。クメール帝国が栄えた陰には、国内の先住民族が捕獲され、帝国を最底辺から支える奴隷として使役された事実がある。そこで、多くの少数民族は、独立性と自由を保つために山岳地帯に逃げ込んで、「山岳少数民族」となったのである。

 この2つの民族は、様々な面で好対称だった。上座部仏教を信仰するクメール人に対して精霊信仰が残る山岳少数民族、水田で育てた水稲を主食としプラホックを「魂」とするクメール料理に対して焼き畑農業を行う山岳少数民族の主食は陸稲である。男系社会で男女両系から遺産相続するクメール人に対して、山岳少数民族は女系社会だ。山岳少数民族にとって、家は歴代の女性が相続し、男性はその家に入る存在なのだ。ラタナキリ州で見かける女性がパイプをふかす姿は女系社会を象徴しているように見えた。

 2千年近くにわたって多数派のクメール人から民族性とその文化を守り続けてきた山岳少数民族。ベトナム戦争の際には、ラタナキリ州に「ホーチミン・ルート」が通っていたため米軍の執拗な爆撃を受け、その反動で、当時、反体制派だったクメール・ルージュ(ポル・ポト派)の最初の支持基盤となった。しかし、クメール・ルージュが政権を取ると、今度は、山岳少数民族の半数を虐殺したのだ。この「民族浄化」をも乗り越えた山岳少数民族だったが、現在は、「グローバル化」により、新たな文化消滅の危機に瀕しているのである。

〈解説〉ホーチミン・ルートとは、ベトナム戦争の際、兵力と物資を、北ベトナムから、中立国のラオスとカンボジアを経由して、南ベトナムの「南ベトナム解放民族戦線」(ベトコン)に補給した陸上・水上ルートのこと。米軍は、同ルートや、敵である北ベトナム軍とベトコンの軍事拠点を破壊するため、ラタナキリ州を含むカンボジア東部に絨毯爆撃を行った。アメリカは、1965年から1973年までの8年間で、約11万カ所に約275万トンの爆弾を投下したが、それは第二次世界大戦中に投下された全ての爆弾200万トンを上回る量で、カンボジアは「世界最悪の爆撃被害国」だと考えられている。

プロフィール

金子貴一(かねこ・たかかず)

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 秘境添乗員、フリーライター。1962年生まれ。元不登校児。高校時代、米国アイダホ州で一年間ホームステイ。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒業。留学を通して、「異文化間交流」の大切さを実感。在学中より、観光ガイド、ジャーナリストとして活動を開始。仕事等で訪れた世界の国・地域は100近く。著書に、「秘境添乗員」(文藝春秋)「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」(学習研究社)
公式ブログ http://sea.ap.teacup.com/hachidaiga/

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