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秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き

ホーチミンさんは神様?仏様?

2010年9月2日12時2分

写真:ホーチミン市の古刹「覚圓寺」を背面より眺める拡大ホーチミン市の古刹「覚圓寺」を背面より眺める

写真:寺院背面入口には大きく「解脱」と書かれていた拡大寺院背面入口には大きく「解脱」と書かれていた

写真:仏殿(写真)がある本堂には、120体におよぶ尊像が祀られているという拡大仏殿(写真)がある本堂には、120体におよぶ尊像が祀られているという

写真:仏殿をよく見ると、仏像(左)と共に道教の神像(右)が祀られている拡大仏殿をよく見ると、仏像(左)と共に道教の神像(右)が祀られている

写真:仏殿の両脇には、閻魔大王を含む「十殿冥王像」(手前)と「十八羅漢像」(奥)がずらりと並んでいた拡大仏殿の両脇には、閻魔大王を含む「十殿冥王像」(手前)と「十八羅漢像」(奥)がずらりと並んでいた

写真:寺院内に祀られたホーチミン初代大統領。ホーチミンさんは神様?仏様?拡大寺院内に祀られたホーチミン初代大統領。ホーチミンさんは神様?仏様?

写真:歴代住職の墓である「祖塔」群に感謝の祈りを捧げる筆者拡大歴代住職の墓である「祖塔」群に感謝の祈りを捧げる筆者

 「ホーチミンのトランジットはどうするの?」

 成田からタンソンニャット・ホーチミン国際空港に向かうベトナム航空機のなかで、妻が聞いてきた。プライベートな夫婦旅行だったので、特に決めてはいなかったのだ。到着時間は14時30分。トランジット時間は8時間20分だが、市内に向かうとすると実質4時間半ほどの自由時間ができる計算だ。私は、降下しはじめた機内でガイドブックをめくり、「戦争証跡博物館」と「覚圓寺」を見学して、夕食後、空港に戻ることに決めた。

 覚圓寺は、市内とは言っても中心部からタクシーで45分もかかる場所にあった。度重なる戦乱でベトナム南部の仏教寺院の多くは破壊されたため、日本で言うと江戸時代中期の1798年の創建とはいえ、覚圓寺は立派な古寺である。現地で購入した本『108越南名鑑古寺』で調べると、ホーチミン市内にある現存最古の寺院は1741年建立で、18世紀に建立した寺は、その最古の寺院と覚圓寺を含めて4ケ寺しかない。その中でも覚圓寺は、ダントツの文化財の多さを誇り、小さな寺院内には100年ほど前に造られた153体の尊像がひしめき合っていた。

 寺院は、現在の道路との位置関係のせいか、背面から入るようになっていた。等身大の出入り口の板戸には大きな字で「解脱」と書かれており、そこから、薄暗い堂内を突き進むと、一番奥に本堂があった。

 本堂の両脇に設けられた出入り口から入って後ろを振り返ると、中央には尊像がところせましと並ぶ「仏殿」があり、両脇の壁際にも尊像が整然と列を成していた。本堂だけで、尊像の数は120体近くに上るというから驚きだ。合掌礼拝してから仏殿をよく見ると、阿弥陀如来(あみだにょらい)、釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)を1組とする「三世仏」などの仏像に混じって、長いあごひげに、古代日本の貴族の束帯に似た服装の尊像が見られた。頭には烏帽子(えぼし)のような帽子を被り、手には笏(しゃく)を持っている。中国古来の宗教である道教の神々だった。

 「神仏習合だ!」

 私は心の中で叫んだ。そういえば、日本でも明治維新の神仏分離令で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹くまでは、約1200年の長きにわたって、神仏習合が宗教の主流だった。

 更に、仏殿の両脇に並ぶ尊像にも、死後の人間の裁判官である閻魔(えんま)王などの「十殿冥王(十王)」や、釈迦牟尼如来の高弟である「十八羅漢」の尊像に混ざって、「玉皇上帝三十三天菩薩」と書かれた神牌があった。玉皇上帝とは、すべての神々を統括して宇宙を治める、道教の最高神である。その上帝が、仏教を守護する神々の王である帝釈天が住む「三十三天」(神々の世界)に住する菩薩だというのである。私は即座に、日本の八幡大神が、神仏習合時代には「八幡大菩薩」と尊称され、僧形で仏道修行する姿でも描かれていたことを思い出した。

 ここで、若干の説明が必要だろう。仏教では、悟りを得た最高の存在を「如来(仏)」と言い、如来より一段下にあって仏となろうと努力精進する存在を「菩薩」、その下にいて、仏を護り、かつ、私たち人間に利益を与える存在が「天(神)」。更にその下に「人間」がいる。仏教では、人間から神まではいまだ悟りを得ておらず、苦しみの世界に輪廻転生(りんねてんしょう)する存在と考える。つまり、「玉皇上帝三十三天菩薩」とは、道教の最高神が、苦しい存在である神から仏への解脱を図るために、仏に帰依し、仏教と仏教を信じる人々を護りながら、菩薩として修行していることを意味する。実は、ベトナムでは、こうして長い間、仏教、道教、儒教の三教が秩序だって融合しながら共存共栄してきたのだ。

 日本では、よく「正月は神社に行き、結婚式は教会で挙げ、葬式はお寺でする」と、定まらない日本人の宗教観を自嘲気味に言う姿を見かける。実は、これも神仏習合の余韻なのだ。しかし、私は、神仏習合とは、決して、現代日本人が考えがちな「優柔不断でいい加減な」思想なのではなく、対立しがちな宗教間に和合と融和をもたらす大切な宗教思想だと考えている。その根源には、前号で記した「摂受(しょうじゅ)」と言う仏教思想があり、神仏習合とは「摂受」を具現化したものなのである。仏教は、一神教とは違い、インドではヒンドゥー教の神々を、中国では道教の神々を、日本では神道の神々を、そして、チベットではボン教の神々を、排除するのではなく、慈悲をもって摂受しながら共存共栄してきたのだ。しかし、日本では前述したように、人々の信仰(心)の世界に政治が介入したことにより、神仏習合と言う美しい伝統は、破壊し尽くされてしまったままだ。

 私は、現代日本ではまず見ることが出来なくなってしまった日本古来の大切な「伝統」に再会できたような、別の言い方をするならば、破壊されてしまって、もう見る事さえできないと思っていた「故郷」に期せずして帰ることができたような、懐かしくて温かい感動に胸を振るわせながら、闇夜のなか空港へと向かうタクシーに身を委ねていた。

プロフィール

金子貴一(かねこ・たかかず)

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 秘境添乗員、フリーライター。1962年生まれ。元不登校児。高校時代、米国アイダホ州で一年間ホームステイ。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒業。留学を通して、「異文化間交流」の大切さを実感。在学中より、観光ガイド、ジャーナリストとして活動を開始。仕事等で訪れた世界の国・地域は100近く。著書に、「秘境添乗員」(文藝春秋)「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」(学習研究社)
公式ブログ http://sea.ap.teacup.com/hachidaiga/

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