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秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き

ナセル湖にこもるヌビアの怨念

2010年10月1日10時28分

写真:ナセル湖畔のニュー・アマーダに着岸したユージェニー号拡大ナセル湖畔のニュー・アマーダに着岸したユージェニー号

写真:ニュー・カラブシャ島にあるゲルフ・フセイン遺跡のラムセス2世神殿。「偉大な神」として祀られたラムセス2世像は、ずんぐりむっくりとしたヌビア美術の特徴が見られる拡大ニュー・カラブシャ島にあるゲルフ・フセイン遺跡のラムセス2世神殿。「偉大な神」として祀られたラムセス2世像は、ずんぐりむっくりとしたヌビア美術の特徴が見られる

写真:ニュー・セブアでは、ラクダが客待ちをして並んでいた拡大ニュー・セブアでは、ラクダが客待ちをして並んでいた

写真:今から3250年程前に建立されたワディ・エル・セブア神殿付近には、建設者であるラムセス2世大王の石像が無造作に置かれていた拡大今から3250年程前に建立されたワディ・エル・セブア神殿付近には、建設者であるラムセス2世大王の石像が無造作に置かれていた

写真:ニュー・セブアでナイル・ワニの子供を見せるエジプト人のおじさん。成長すると全長3メートルにもなるという拡大ニュー・セブアでナイル・ワニの子供を見せるエジプト人のおじさん。成長すると全長3メートルにもなるという

写真:カスル・イブリーム城塞は、ナセル湖畔で唯一、元々の場所に立つ遺跡だ。現在は孤島だが、以前はナイル渓谷を見下ろす山頂だった。紀元前1550年から1812年まで継続して使用された城塞で、最大の建造物は7世紀建立のキリスト教の大聖堂(12世紀からはモスクとして使用)だ拡大カスル・イブリーム城塞は、ナセル湖畔で唯一、元々の場所に立つ遺跡だ。現在は孤島だが、以前はナイル渓谷を見下ろす山頂だった。紀元前1550年から1812年まで継続して使用された城塞で、最大の建造物は7世紀建立のキリスト教の大聖堂(12世紀からはモスクとして使用)だ

写真:夜間、アブ・シンベル神殿で行われた「音と光のショー」は、遺跡にまつわる歴史物語を、文字通り音とレーザー光線で見せる幻想的なものだった拡大夜間、アブ・シンベル神殿で行われた「音と光のショー」は、遺跡にまつわる歴史物語を、文字通り音とレーザー光線で見せる幻想的なものだった

 湖底から気泡のように沸々とわき上がってくる苦しみと悲しみは、いったい何に由来するものなのだろうか。3泊4日のナセル湖クルーズで外気温が50度に迫ろうというなか、目の前に広がる湖面を見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。2日目には北回帰線を越え、船は更に南下中だった。もうここは正真正銘の熱帯だ。

 私たちは、ほぼ1日1カ所のペースで、ナセル湖畔の計4カ所に集中して移築された古代遺跡群を見学して回った。特に印象に残ったのは、見学した12遺跡のうち5カ所が古代エジプト「最大の王」ラムセス2世(在位紀元前1279〜1212年)が建立した神殿だったことだ。20歳代前半でファラオとなり、67年間エジプトを統治して死去したときには90歳を超えていたと言われる「大王」で、歴代のどのファラオより多くの神殿、巨大石像やオベリスクを建立し、多くの子孫(少なくとも8人の妻を娶り、111人の王子と69人の王女をもうけたという)を残した。その治世には、リビア、ヌビアなどの周辺地域に遠征を行い、パレスチナを巡っては、現在のトルコを中心とした強国ヒッタイト帝国と戦争を繰り返し、最終的に平和条約を結んだ。

 大王は皇太子時代の20歳そこそこで、エジプトに反感を持つ属国ヌビアに懲罰の意味を込めた遠征を行い、これを平定した。ヌビアは、エジプトと熱帯アフリカを結ぶ戦略的地域(熱帯アフリカからの黄金、香料、黒檀、象牙、珍獣などの輸入品はヌビアを通って運ばれてきた)であり、ヌビア自体も、金、木材、動物、香料、奴隷の貴重な供給源であった。大王がヌビアに最初に建立したベイト・エル・ワリ神殿には、皇太子としてヌビアに勝利した模様が描かれ、ゲルフ・フセイン神殿、ワディ・エル・セブア神殿、デール神殿、そして、ヌビア最大の神殿アブシンベルでは、大王は「人間の王」であると同時に「偉大な神」として祀られていた。このうち2つの神殿の建立を監督した下ヌビアの副王セタウは、「建設には、数十万人のヌビア人を使った」と石碑に誇らしげに記している。そのためか、ゲルフ・フセイン神殿や、アブシンベル神殿で見られるラムセス2世の巨大な石像は、ずんぐりむっくりとしたヌビア美術の特徴が見られるのだ。

 ヌビアのみならず、大王が支配地域全土に建立した数々の神殿の中で最大の偉業が、アブシンベル神殿だ。神殿の前面には、高さ18メートルにおよぶ4体のラムセス2世座像が鎮座し、入り口の壁面には首を縄でつながれたヌビア人の捕虜たちが描かれている。当時のヌビア人に宗主国エジプトの大王の力をいやが応でも見せつけたに違いない。

 クルーズ3日目には、ナセル湖畔で唯一、元々の場所に立つ遺跡「カスル・イブリーム城塞(じょうさい)」を船上から見学した。ここは、例外はあるものの、紀元前1550〜1812年まで、実に3300年以上にわたってヌビアを支配するエジプトの軍隊が駐屯した場所だ。

 クルーズが進むにつれ、私は、ヌビア人の悲哀をひしひしと感じるようになった。

 考えてみれば、1980年代のエジプト留学時代から私はヌビア人が好きだった。感情をあらわにして「24時間しゃべりまくる」社交的なエジプト人とは違い、肌が浅黒くどっしりとしたヌビア人は物静かで優しかった。首都カイロに住むヌビア人は、エジプト人の信頼も厚く、上流階級が住むマンションに「バワーブ(門番)」として家族で住み込む場合が多く、良く接する機会があったのだ。バワーブは、門番として人の出入りを確認して住人の安全を守るだけでなく、空き部屋ができると入居者を見つける不動産屋の役割も果たし、そのビルに住む人々の荷物持ち、小間使、郵便受け、駐車場と建物の管理など、細々としたサービスを提供してくれた。また、観光ガイドのアルバイトでアスワンに行くと、エジプト人とは違う、白い綿で出来たオバQのような民族服に白いターバンを巻いたヌビア人の男たちが満面の笑顔で迎えてくれた。

 今から13000年前にまで遡るヌビア人の歴史は、長い間、支配され共生して来たエジプト人の経済的利益(灌漑や発電用)のために建設されたアスワンハイダムにより、ナセル湖の湖底に沈んでしまったのだ。更に、建設当時、世界最大だったアスワンハイダムの建設費をまかなうために、ナセル大統領は巨額の通行料収入が見込まれるスエズ運河の国有化を宣言し、その結果、スエズ戦争(第2次中東戦争)が勃発した。ナセル湖には、3000人以上に上るとも言われるスエズ戦争の戦死者たちの怨念(おんねん)までもがこもっているのだろうか。

 スーダン側にはナセル湖の1/3が広がっているが、ユネスコの「ヌビア水没遺跡救済キャンペーン」中に調査が行われた遺跡の数は、実に1500カ所にも上ったという。しかし、そのうち移築され救済されたのは4つの神殿に過ぎない。湖底に沈んだのは、住居跡、墓地、教会や修道院、仕事場、採石場、岩絵、城塞、神殿などで、そのほとんどは13000年間のヌビア人の生きた証しなのだ。

 一方、残り2/3を占めるエジプト側のナセル湖に沈んだ遺跡の記録は、報告書50巻以上にも上るという。いったいどれだけの遺跡が沈んだのか分からないのだ。しかし、そのうち救済できた18の遺跡にも、ヌビア人の痕跡は少なく、刻まれているのは支配者であるエジプト人の歴史なのである。

 アブシンベルでクルーズから下船するまでには、ナセル湖に充満する悲しみや苦しみのワケが痛い程わかった気がした。

注:ラムセス2世に関する年代、子供の数には諸説があります。

プロフィール

金子貴一(かねこ・たかかず)

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 秘境添乗員、フリーライター。1962年生まれ。元不登校児。高校時代、米国アイダホ州で一年間ホームステイ。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒業。留学を通して、「異文化間交流」の大切さを実感。在学中より、観光ガイド、ジャーナリストとして活動を開始。仕事等で訪れた世界の国・地域は100近く。著書に、「秘境添乗員」(文藝春秋)「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」(学習研究社)
公式ブログ http://sea.ap.teacup.com/hachidaiga/

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