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秘境添乗員・金子貴一の地球七転び八起き

日本の伝統 神仏習合

2011年3月11日

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写真:東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏)。奈良時代の創建当初から残る部分は台座(写真手前)など1部に過ぎない。創建以来、大仏と大仏殿は戦火で2度炎上し、その度に再建された(c)齋藤節子拡大東大寺盧舎那仏坐像(奈良の大仏)。奈良時代の創建当初から残る部分は台座(写真手前)など1部に過ぎない。創建以来、大仏と大仏殿は戦火で2度炎上し、その度に再建された(c)齋藤節子

写真:現在の大仏殿は、江戸時代の1709年に再建されたもので、国宝に指定されている拡大現在の大仏殿は、江戸時代の1709年に再建されたもので、国宝に指定されている

写真:手向山八幡宮。748年、東大寺と大仏を建立するための守護神として、宇佐八幡宮から勧請された。以来、明治の神仏分離まで、東大寺の護法善神としての役割を担った
拡大手向山八幡宮。748年、東大寺と大仏を建立するための守護神として、宇佐八幡宮から勧請された。以来、明治の神仏分離まで、東大寺の護法善神としての役割を担った

写真:僧形八幡神像。「仏教に帰依して、国家鎮護の守護神となる」との神託をくだした八幡神は、奈良時代末に「八幡大菩薩」の称号が与えられた。善法律寺蔵拡大僧形八幡神像。「仏教に帰依して、国家鎮護の守護神となる」との神託をくだした八幡神は、奈良時代末に「八幡大菩薩」の称号が与えられた。善法律寺蔵

写真:東大寺二月堂で行われる修二会(お水取り)は、大仏開眼法要が行われたのと同じ752年に開始され、以来一度も途絶えることなく続けられている貴重な儀式。 現在では、毎年3月1日から2週間にわたって行われる
拡大東大寺二月堂で行われる修二会(お水取り)は、大仏開眼法要が行われたのと同じ752年に開始され、以来一度も途絶えることなく続けられている貴重な儀式。 現在では、毎年3月1日から2週間にわたって行われる

写真:東大寺別当(長官)となった空海が821年に創建した真言院は、奈良における真言宗の拠点となった拡大東大寺別当(長官)となった空海が821年に創建した真言院は、奈良における真言宗の拠点となった

写真:伊勢神宮外宮。伊勢神宮でも神仏習合が行われた(c)泉田茂樹拡大伊勢神宮外宮。伊勢神宮でも神仏習合が行われた(c)泉田茂樹

 昨年、私は、秘境添乗員として、国内の2つの「仏教巡礼の旅シリーズ」の結願(最終回)を迎えた。足掛け3年全5回にわたった「総開帳:西国33観音霊場巡り」と、昨年1年間で全4回にわたった「平城遷都1300年 奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳の旅」である。

 西国観音霊場は、遅くとも平安時代末期までには成立した日本最古の観音霊場であり、その33札所巡りは日本最古の巡礼の旅でもある。一方、平城遷都1300年の旅は、奈良時代の都「平城京」への遷都1300年目を寿ぐ旅だった。両者共、最大の魅力は、普段は参拝することのできない秘仏や秘宝に出会えたことだった。西国観音霊場では、1000年来で初めて全ての観音像が公開され、中には、217年ぶりと言う仏像まであった。奈良県周辺では、平城遷都1300年祭の一環として、52の社寺が国宝・重文級の秘宝・秘仏を公開したが、中には、「創建以来初」と言う大変貴重な文化財も見られたのだ。

 これらの巡礼の旅の魅力として、変化の激しい現代において、「永遠に変わらない普遍的な何か」に触れられることも挙げられるのではないだろうか。

 しかし、巡礼ツアーを進めていくにつれ、私の心のなかには疑問符が大きく膨らんでいったのだ。一体、現在の神社仏閣の姿と信仰のあり方は、時代を超えて不変だったのだろうかと。

 「奈良の大仏を建立した聖武天皇が目指したのは、神仏習合の政治でした」。

 昨年10月23日、東京で行われた「道鏡禅師誕生1300年 道鏡を守る会発足25年:記念講演とシンポジウム」には、高齢者を中心とした男女約100人が詰めかけ、真剣に耳を傾けていた。その際、「道鏡登場の背景:聖武天皇・称徳天皇のめざしたもの」と題する講演会を行った別府大学教授の飯沼賢司氏が発した上記の言葉は、私にとって、衝撃的なものだった。

 聖武天皇は仏教に深く帰依したが、仏教のみを柱となしたのではなく、外来の仏教と日本古来の神道とが習合した形を理想としたと言うのである。それは、明らかに、神様が祀られる神社と、仏様が祀られる寺とを分ける、現在の宗教のあり方とは違うのだ。

 飯沼教授は、更に、公式に神仏習合が始まったのは、749年12月のことだという。舞台は奈良の東大寺である。

「神官であり尼僧でもある大神杜女(もりめ)は、宇佐八幡神が降りた状態で、輿に乗って来て東大寺を拝んだ。(つまり、八幡神自身が東大寺を拝んだことになる)東大寺では、八幡神を迎え、聖武太上天皇と孝謙天皇(女帝、称徳天皇と同一人物)ご臨席のもと、僧侶5000人による大法要が営まれた」。

 これより先、宇佐の八幡神は、「神々を率いて、わが身を投げ打って協力し、東大寺の建立を必ず成功させる」との神託を下しており、東大寺と大仏を建立する際の守護神として、東大寺近くに手向山八幡宮が建立された。そして、今度は、鋳造の完成を見た大仏を見に来たのである。神仏習合が始まると、神々は仏教を歓び、仏教を擁護する「護法善神」であると考えられるようになった。

 ところで、総国分寺たる東大寺と各国国分寺の建立、更には、神道の「教主」たる天皇が「(仏教の)三宝の奴」と称したことは、それまでの日本の宗教の形が大きく変化したことを意味している。538年(552年説もある)に日本に仏教が公式に伝来してから聖武天皇までは、神道が「主」で仏教は「従」であった。仏とはあくまで外国から来た「蛮神」であり、八百神の1柱に過ぎなかった。それが、聖武天皇が、仏教を「主」に神道を「従」にしたのである。主従関係が逆転したのだ。

 それと相前後して、8世紀には、地方の主要な神々が、「神としての存在は苦しいので、仏教に帰依して修行をしたい」といったお告げをくだす現象が頻発した。そこで、神社の境内には「神宮寺」と称する寺が建立され、僧侶たちが神前読経を行い、また、神が修行できるようにしたのだ。

 「仏教に帰依して、国家鎮護の神とならん」との託宣をくだした八幡神は、奈良時代末、ついに、仏としての「八幡大菩薩」の称号が贈られ、僧形八幡神像が盛んに作られるようになった。同像は、日本の神でありながら、仏教の僧侶の姿をしている。

 これらの神仏習合の動きは全国に広がり、神道の中心的存在であった伊勢神宮も例外なく影響を受けることになった(つづく)。

プロフィール

金子貴一(かねこ・たかかず)

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 秘境添乗員、フリーライター。1962年生まれ。元不登校児。高校時代、米国アイダホ州で一年間ホームステイ。大学時代は、エジプトの首都カイロに7年間在住し、カイロ・アメリカン大学文化人類学科卒業。留学を通して、「異文化間交流」の大切さを実感。在学中より、観光ガイド、ジャーナリストとして活動を開始。仕事等で訪れた世界の国・地域は100近く。著書に、「秘境添乗員」(文藝春秋)「報道できなかった自衛隊イラク従軍記」(学習研究社)
公式ブログ http://sea.ap.teacup.com/hachidaiga/

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