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金剛夜叉(大覚寺提供) |
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■JR嵯峨嵐山駅、京福嵯峨駅前駅から徒歩15分。収蔵庫は改修で来年秋まで非公開の予定。 |
■怒りの中にも穏やかさ
いま、京都・嵯峨野の大覚寺では、あちらこちらで工事が進められている。後宇多上皇が出家し、法皇としてここで暮らし始めたのが1307年だから、来年は700年の節目の年。後宇多法皇は新たに伽藍(がらん)の造営に取り組み、大覚寺の中興の祖と敬われる。記念事業に向け、境内の化粧直しというわけだ。
境内の見どころのひとつが、大沢池を望む五大堂。本尊の五大明王像が安置されている。これらは近年の模刻像で、平安末期につくられたオリジナルの5体は境内の収蔵庫にある。
不動、降三世(ごうざんぜ)、軍荼利(ぐんだり)、大威徳(だいいとく)、金剛夜叉(こんごうやしゃ)の5体ともに像高は70センチに満たない。小ぶりであるが、均衡がとれ、怒りの表情も穏やかな感じさえする。
金剛夜叉と軍荼利の台座裏には、墨書きの記録が残る。合わせて読むと、仏師の明円が、1176年11月に後白河上皇の御所でつくり始め、翌年の3月には、五大明王像は完成しているようである。不動を除く4体は、東寺講堂の明王像を模したとされており、伝統の継承を重んじた京都仏師の造形をよく物語っている。
明円は、仏教への信仰が深かった後白河上皇の関係者に寄進したとされているが、異説もある。そして、大覚寺に移され、本尊になったいきさつもまた、よく分かっていない。
(編集委員・森本俊司、協力は京都大大学院・根立研介教授)
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