世界で一つだけのカップヌードルを作るべく、私たちはいざ、マイカップヌードルファクトリーへ向かった。

カップは1個300円也。かなりの時間を(構想に)費やしたにもかかわらず、それに比例しない残念な仕上がり。絵心のなさに軽くへこんだひととき。

トッピングコーナーで、「えび、たまご、ネギ、豚肉、グリーンアスパラ、チェダーチーズ、コーン、ガーリックチップ、ひよこちゃんなると、キムチ、ジャーマンポテト、ジャーマンソーセージ」の中から4種類を選びます。

包装コーナー。「僕、これから包まれてきます〜」。ハイハイ、行ってらっしゃい。

エアパッケージに空気を入れたら完成です。
まず無地のカップを購入し、お絵描きスペースに置いてある色とりどりのペンを使って、自由にデザインをしていく。自由に……好きなものを……何でもいいから……。なんだどうした、さっぱりペンが進まんぞ。
何を描いていいか、わからないのだ。ここ数年――いや、ひょっとしたら学校を出て以来、まともに絵を描いていないからだろうか。あの頃は、先生の似顔絵だとか、流行りのキャラクターだとか、下手でもそれなりにホイホイ描いていたのに。
ヤバい、頭がカチコチだ。またしても夕暮れ色だっ。
おたおたする私の横で、タロー&トミーは「何でもいいじゃん」と言いながら、さらさらさら〜っとお絵描きを楽しんでいた。ちぇ。(ちょっとうらやましい)。周りの人たちも、夏らしく朝顔やひまわりを描いたり、カップをビールジョッキに見立てたりと、上手だった。(かなりうらやましい)。
トッピングに選ばれたのは「不動の4強」
カップに麺を入れ、スープの味を決めたら、次はトッピングを選んでいく。
12種類の中から4種類を選ぶわけだから、組み合わせの数はというと……えー数学が苦手だったため、計算方法(順列組み合わせ?)がわかりません。さっさとあきらめて資料を見てみると、パターンはなんと5000以上。うう、こりゃ悩む。
純粋に好きなものを4種投入するか、はたまた、カルテットのハーモニーを大切にするか――。うんうん唸っていたら、後ろが渋滞しはじめた。焦りも加わって、けっきょく最後は、不動の4強(えび、たまご、ねぎ、豚肉)に落ち着いた。
帰宅後、さっそく試食してみた。自分で作ったと思うと、いとおしいものだなあ。なにやら美味しく感じるし。ウキウキと食べながら、ふと思う。カップ麺は、こちらの心意気をダイレクトに映す食物であるかもしれない、と。
たとえば「夜中に1人でカップ麺を食べる」とする。その理由が「お腹がすいたのに食べる物が何もないので仕方なく……」という具合にネガティブだったら、どうだろう。連想されるのは、背中を丸めてぼそぼそと食べる光景。さらには、「やもめ」「裸電球」「給料前」といった、悲哀と寂寥感あふれるキーワードまでもが浮かんでくる。カップ麺とて、せっかくの出番なのに、しょんぼりだ。
一方、切望して食べるカップ麺はどうか。「お腹すいた……食べちゃおうかな……でも太るし……」などなどの葛藤を経て、「やっぱり食べよう!」に至ったとする。さすればその味、まさに小悪魔的。一抹の罪悪感がスパイスになって、おいしさと幸福感は倍増するにちがいない(たとえそのあと後悔の大波がやってこようとも)。カップ麺も、充実した最期を遂げることができるのである。
スープの底に残っていたのは・・
かくしてマイカップヌードルは完食した。あーおいしかった。食べ終わったあとは台所へ。
カップラーメンて、シンクにしっくりくるよね。そんなふうに思いながら、スープの残りをざざっと流しに捨てた、そのときだった。エビちゃんが1匹、ぽろりんと転げ落ちたではないか。
まだいたのかエビちゃん! 日清食品の人たちが世界中を探し歩いたというエビちゃん! エビというエビの中から選抜されたエビちゃん……!!(プロジェクトXより)
“むざむざエビを無駄死にさせたときの悲しみ”と、“最後の最後にお箸で(たまたま)エビを釣りあげたときの喜び”の絶対値。その大きさはたぶん一緒。そんなふうに思う今日この頃である。